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多勢久美子さん「来陽」! [青苧]

2-DSCF8358.JPG4年前、70歳を過ぎて新たな人生を歩みたいと、島根県松江の大根島にひとりIターンして行ってしまった多勢久美子さん。シェルターなんようホールで21日公演のオペラ「夕鶴」にあわせての「来陽」。その予定を聞きつけて川合ひさ子さんがお願いして実現した花工房での民話口演に行ってきました。相変わらず、というより、島根に行ってもひっぱりだこのようで、さらに磨きがかかった語り。その場の雰囲気に合わせてその時その時の内容ですが、これから始めないと調子が出ないという「鶴の恩返し」からはじまって、聴衆のほとんど女性なので嫁しゅうと話を中心にたっぷり聴かせていただきました。多勢さんは、カメラがあると気になって語りに影響するといやがりますが、名人芸の域、きっちりした記録が必要です。次の来陽は、マミーコール40周年の6月だそうです。

島根のマスコミが多勢さんを紹介しています。しまねの人 山形弁で届ける笑顔 宝物 (朝日新聞)/昔話26年、Iターンの語り部 多勢久美子さん(毎日新聞)

5-DSCF8364.JPGしめくくりは秋田県由利本荘市豊島カヨ子さんの詩の朗読。豊島さんは秋田での口演の折知り合った方。林業農家に嫁いで必死でがんばったのに、せっかく育ったころには外材に押されて需要激減、そのころから詩を書くようになったとのこと。最初にもらった「本音」と、あとで送ってもらったという「今が一番」の朗読だったのですが、「今が一番」の方デジカメで撮らせてもらったのでyoutubeにアップしました。https://www.youtube.com/watch?v=2fQoLM7zE78

   本音

ん?えまおえどご
バアさんて呼ばたが?
おえだば孫えねがら 婆でねっ
 そりゃ頭白くなて 足痛(い)で腰痛で
 まなぐ めねぐなたど言うども
 これだて なるどてなたなでね
 顔中の縦横斜めジワだたて
 断りもねぐ よっただけ
 
これもやって あれもやる と
思うばかりで能率(はが)えがね
なんぼさねうち 飽ぎでくる
だども 昔言われた この言葉
″お前だて すぐこうなるで″
決して口にするまい 若者たちに
流れる月日の順番コだおの
 
九十七才の詩人は綴った
—九十七才だって恋はしたいわ
せば つれあいに悪ィども
おえだば まだまだ初恋の域だ
むろん相手がいれば の話だども
 
年を重ねるって悪いごどばかりでね
両手さ余るゆったりの時間
退屈な時には猫さ向かって
つぶやくこの ボケ防止の教訓
 
 明日があるど思わねで
 今日やるごどは今日中やって
 今日しゃべり残すこと無(ね)ように
 食いでど思ったものを
 
 ニコニコ顔で今日食えど 
 


   今が 一番
 
足痛(いで)てゆたば
足な痛たて死なねんだ
て 倅(せがれ)からゆわえだ

 んだども お前だどこ育てるどて
 稼ぎつづけた 二本柱だぁ

眼(まなご) めねぐなたとひとりごと
んだども 飯椀(ままわん)コ めるべ
と ぼそりと嫁ァゆったけ
 んにゃ 飯椀どころか
 美味物(んめもの)なば 大っきぐめるど

上り台で草履 はでだば
婆ちゃ 急ぐからよけて
と 孫ァ 頭をまたいで行った
 待てまて 急めでもええことね
 ほれみれ 忘れ物して戻て来た

温泉施設の休憩室で
山盛の駄菓子を囲む 老女たち
湯上りのゆるんだ口もとから
賑やかに湧き上る 他愛ない話

誰もが その日 その時代を
背負って生きぬいてきた歳月
重ねられた時間の襞(ひだ)の中に
閉じ込めてきた つぶやきが
ひょいら ひょいらと 飛び出す
誰を咎めるものでもなく
愚痴も 憤りも 後悔も
笑いの中に 浄化されていく

傾きかけた秋の陽が障子に映り
立ち上り際(ぎわ)の言葉を吸い取る

 おらだぁ 今 一番善(え)なぁ
 んだんだえま いじばんだぁ

【追記 30,3,27】
昨日、多勢さんから「八束公民館報」を送っていただきました。島根での活躍の様子がわかります。
多勢さん(八束のひろば).jpg

【追記 31.2.16】

今朝の山形新聞コラム「季節風」欄の「市原悦子さんと鶴の恩返し」に、多勢さんが出ていました。


*   *   *   *   *


市原悦子さんと鶴の恩返し


◎ほのぼのとした独特の語り口に引き込まれ、むかし、むかしの世界へと誘われていく。テレビアニメ「まんが日本昔ばなし」で民話に触れ、好きになった子どもたちはたくさんいたと思う。世の中のスピード感と逆行するかのように、ゆったりと流れるナレーションは、番組の魅力の一つだった。市原悦子、82識。名優がまたひとり、この世を去った。
◎1957年俳優座入団。71年に退団し、商業演劇や映画に進出した。初の主演映画は意外に遅く、2003年の「わらびのこう 蕨野行」(恩地日出夫監督)。遠野物語の棄老伝説を基にした小説が原作で、姑と嫁の心の触れ合いを通じて誇り高く死にゆく老人の姿を描いた。県民が製作資金を提供し、置賜地方を中心に県内で撮影されるなど、本県とのつながりも深い作品だった。多くの県民に支えられた映画は03年1月から県内各地で先行上映され、共感を得た。
◎その土地の言葉で舞台あいさつがしたい、との市原の意向が伝えられた語り部の多勢久美子さんは市原の原稿を置賜弁に書き直した。こうしたいきさつの中、市原は03年の国民文化祭で南陽市が取り組んだ「夕鶴の里語リフェスティバル」での基調講演を引き受けた。当日、演台用の花が会場に届かないトラブルがあったが、市原は「花?わたしが花よ」と笑った。記章を渡そうとすると『こんなの着けて喜ぶのは男だけよ」とかわした。人柄があふれたひと言に、周囲は一気に和んだ。
◎思えば、人気ドラマシリーズ「家政婦は見た!」では、のぞき見という行為を嫌みなく25年にわたって演じた。それは、民話「鶴の恩返し」にも似ている。見てはいけないものを見たい・・・という人間の衝動。抑制できない心の振り子は誰にでもある。人が生きるということは、そうした戸感いとの間で行きつ戻りつしながら彷徨うことなのかもしれない。(檀)




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コメント 2

めい

多勢さんから「八束公民館報」を送っていただきましたので追記アップしました。クリック拡大で多勢さんの文章読めます。
by めい (2018-03-27 06:23) 

めい

31.2.16の山形新聞コラム「季節風」欄「市原悦子さんと鶴の恩返し」に、多勢さんが出ていたので追記しました。
by めい (2019-02-16 08:42) 

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