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卒業(園)式に参列して(落合陽一『日本再興戦略』) [こども園]

こども園卒園式.jpg16日に中学校、18日に小学校、そして昨日はこども園と卒業(園)式に参列してきた。そして思うのは、今の教育環境の安定ということだ。小中はきっちり「君が代」斉唱に始まる。(キリスト教保育のこども園は歌わないが、あえて国歌斉唱を求めようとは思わない。園歌→聖句あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。」→おいのり→讃美歌「かみよわたしの」、この流れがきっちり心に沁みとおる。)中学校も小学校もそれぞれ感動があったが、その度合いは「中学校<小学校<こども園」だった。特に今年のこども園の子ども達の懸命さはただごとでなかった。式の終了後、来賓の方々はそのまま帰途に就かれるのが通例なのに、このたびはみんな一言言いたい風で、また控え室に戻って感動を伝えあった。小中の校長先生もおられる中で、園長に引き続き挨拶させていただいた。「3つの卒業式に参列させてもらったが、いずれも感動させていただきました。思うのは豊かな世の中になったんだなあということです。60年前のわれわれの頃とは大きくちがう。われわれが70年かかってやっとたどりついた感覚を、若い人がこともなげに身につけている。AIの進歩もあって世の中はさらに大きく変わってゆくことだろうが、これからの若い人、大丈夫おおいに期待できるし心配ないと思ったところでした。」こう言った背景には、1987年生まれという、まだ若い落合陽一氏の『日本再興戦略』が頭にあった。曰く、
《これからの日本に大事なのは、いろんなコミュニティがあって、複数のコミュニティに所属しつつ、そのコミュニティを自由に変えられることです。どのコミュニティを選ぶかは本当に人それぞれです。家族を基盤にしてもいいし、会社を基盤にしてもいいし、地域コミュニティを基盤にしてもいいし、趣味を基盤にしてもいい。ひとつのコミュニティに依存するのではなく、いろんなコミュニティに依存すればいい。そういうふうになれば、日本人の生活や仕事はもっと楽しくなるはずです。ですから、この感覚を共有できる地域経済をつくり出していかなくてはなりません。そのためのビジョンの共有と教育が必要なのです。》(44p)教育を変えて日本人の意識を変え、地方自治を強化して、ローカルな問題を自分たちで解決できるようにすること。つまり、帰属意識と参加意識、自分の選択が意味を持っている実感を、それぞれの人々が感じ、相互に依存することから、日本再興は始まっていくのです。》(51p)
ここに、戦前回帰でもないし、戦後われわれが身に付けさせられた個人重視(「デカルト的主知主義」)でもない、共に相対化しつつさらに「止揚」したと言っていい到達点を見てブルッとするほど感じ入った。さらに「日本とは何か」を問う。その根源は、出雲と大和の確執、そして国津神(うしはく)から天津神(しらす)への移行。攻め滅ぼしたのではなく、納得づくの「国譲り」。(参照 北野達教授最終講義「古事記が目指したもの」(3) 本来日本の「政(まつりごと)」そこから中臣鎌足の大化の改新を経て、「大宝律令」による統治構造の基盤づけ。《宗教的な立脚点は中央の天皇のほうに持ってきて、それ以外の法制や法律は官僚的人材が決めていくという官僚主導の管理経済型の仕組みができあがったのです。》(69p)この仕組みが今に至るまで1300年にわたって続いてきた。これが「日本とは何か」、その基本。 こうした仕組みを前提に300年続いたのが徳川的世界。《インドのカーストに当たるのは日本の士農工商ですが、日本は本質的にカーストが向いている国だと思っています。》(75p)その理由。僕がここで士農工商のモデルを支持するのは、日本人の幸福諭を定義しやすくなると思うからです。我々は、幸福論を定義するときに、つい物質的価値を求めてしまいますが、実は、生業が保証されることこそが幸福につながります。「その生き方は将来にもあるだろう」とレう前提で末来を安心して吋えられると生きやすくなるのです。生きるに業とがいて、『なりわい」と読みますが、生業が保証されて、それに打ち込めるだけで、人生のビジョンがほとんど決まります。それは、いつまで経っても自分探しをして、迷い続ける人が多い社会よりもよっぼと幸福ではないでしょうか。》(78-79p)!
落合氏の士農工商評価に、内村鑑三『代表的日本人』の鷹山公の章の序を思い起こした。《徳がありさえすれば、制度は助けになるどころか、むしろ妨げになるのだ。・・・代議制は改善された警察機構のようなものだ。ごろつきやならず者はそれで充分に抑えられるが、警察官がどんなに大勢集まっても、一人の聖人、一人の英雄に代わることはできない》。投票箱に頼る立憲民主制でなく、徳ある君主を得た封建制に信を置く。「民主主義」や「平等」イデオロギーに馴らされた頭では納得するに手間取るが、落合氏の発想に通ずる。内村は言う。《本質において、国は大きな家族だった。・・・封建制が完璧な形をとれば、これ以上理想的な政治形態はない・・・》落合氏も同感するのではないか。しかしそれを「戦前回帰」と短絡しない方がいい。アウフヘーベン(止揚)、螺旋状的進化なのです。われわれ年寄り世代が旧いイデオロギーに目くらまされて地べたを這いずり回っている間に、若い世代は自分の感覚を信じて大きく羽ばたきつつある、そんなふうに思わされた卒業式参列の体験でした。

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