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名古屋、伊勢行(1) 熱田神宮 [メモがわり]

08-DSCF8318.JPG2月27、28日、娘のことで家内と一緒に伊勢まで行ってきた。午後1時半の汽車に乗れば間に合うのを、熱田神宮に参拝したくて10時25分発に乗った。名古屋で東海道線に乗り換え、熱田駅で下車。4時少し前。ちょっと歩くと神宮の森が見えてきた。北の端だ。森に沿った東側の商店街(大津通)、ほとんどシャッターが下りている。大都会名古屋、しかも三種の神器のひとつ鎮まります熱田神宮沿いにしてこの有様。固定資産税にしても大きいにちがいないこの地にあって、どんな暮らしなのだろうか。そしてこれからどうなるのか。他人事と思えない。熱田神宮正門の門前に「旗幕幟」の看板を掲げる店があった。いくつかサンプルが下がっていたが、どれも懐かしい染め(顔料プリント)だった。三河は木綿の一大産地、技術革新とは無縁に、歴史をそのまま今に伝えるような旗屋さんだった。神宮周辺、おしなべてこの印象。東入口から入ったが、上向きの案内板も見つけにくいし、かなり汚れている。

02-01-DSCF8309.JPGしかし、鳥居をくぐるとさすが神域、凛とした空気感が伝わってくる。「境内は昔、不老長寿の仙人が住む理想郷の信仰から蓬莱島と称され・・・」と案内書にある。本来なら参拝を終えて入る宝物館、入館時間ぎりぎりセーフ。6000点の宝物、交替させつつ一部展示ということだが、お値打ち感いまいち。男性警備員がものものしい。4時半前には閉扉の準備。われわれが最後だった。『尾張國熱田太神宮縁記』をもとめた。それからゆっくり本宮参拝。若い人が一礼して鳥居をくぐる。そういう習慣(文化)が着実に広がっているのをここでも伊勢神宮でも思った。世の中が落ち着いてきていることの証しのように思えて感慨深い。ついでに書いておくと、昼の駅弁を買った新幹線ホームの弁当屋のおかあさん。ものすごく感じいい応対で、しかも最後に「いってらっしゃい、いい旅を」。「あー、世の中よくなってるなあ」、それがこのたびの旅の第一印象だったところでした。
01-04-DSCF8307.JPG熱田神宮の御神体は草薙(くさなぎ)の剣、別名天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)。スサノオの命が出雲国でヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治した時に、大蛇の体内(尾)から見つかった神剣で、その後伊勢神宮に納められていたが、ヤマトタケルの命の東征に際して伊勢神宮のヤマトヒメノミコトよりヤマトタケルの命に授けられ、その剣が草をなぎ払うことで火攻めの難から救われたことから「草薙の剣」と言われるようになった。ウィキペディアには、≪皇居の神剣(草薙剣の形代)と勾玉は、源平の壇ノ浦の戦いで二位の尼安徳天皇を抱き腰に神器の剣を差し勾玉の箱を奉じて入水し一緒に水没した。草薙剣はそのため現存しない。が、この剣は草薙剣の形代(レプリカ)の一つに神道でいう御魂遷しの儀式を経て神器としていた物であり、後に改めて別の形代の剣が伊勢神宮の神庫から選び出され同様の措置が採られた。これが現在の皇居の剣である。一方、勾玉の方はその際に箱ごと浮かび上がり、源氏に回収された。この勾玉は古代のものが皇居に現存するとされる。≫とあり、安徳天皇とともに沈んだ剣は熱田神宮にあるものの形代(レプリカ)であったとのこと。熱田神宮に祀られる草薙剣は古来のものが現存する[5]とされる。≫という。さらに≪ 熱田神宮の草薙剣は、1945年8月21日から同年9月19日までの間、アメリカ軍占領に備えるとして、飛騨一宮水無神社に仮遷座された。≫ともあった。
神剣といえば布都御魂剣韴霊剣 ふつみたまのつるぎ)」がある。≪建御雷神(たけみかずちのかみ)はこれを用い、葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定した。神武東征の折り、ナガスネヒコ誅伐に失敗し、熊野山中で危機に陥った時、高倉下が神武天皇の下に持参した剣が布都御魂で、その剣の霊力は軍勢を毒気から覚醒させ、活力を得てのちの戦争に勝利し、大和の征服に大いに役立ったとされる。荒ぶる神を退けるちからを持つ。≫石上神宮の主祭神。「天剱」ともいわれる(神道天行居)。戦後日本がウォー・ギルド・インフォメーション・プログラムの軛(くびき)から脱しつつあるとすれば、かつて神武東征軍を毒気から覚醒せしめたこの「天剱」のおはたらきである。熱田神宮の草薙剣に拝しつつこの「天剱」を思い、いつか石上神宮参拝の日のあることを思ったことでした。

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