SSブログ

北野達教授最終講義「古事記が目指したもの」(2) 思金(オモイカネ)の神様のこと [熊野大社]

02-_K503670.jpg昨年12月1日熊野大社月例祭、北野宮司による思金神についての講話は、「これまでなんとなく思金の神様は非常に大事な神様だと思っていたが、それがなぜなのかはよくわからなかった。それがこのほど核心と思えるところがわかったのでお話しします。」という前置きではじまった。ちょうどその頃書き上げられた論文がもとになっている。米沢女子短大国語国文学会発行「米澤國語國文」第46号(2018.1)掲載の「アメノイハヤ神話のヨミ―八百万神とオモヒカネの神―」。26ページに亘るその論文、素人には理解に余る詳細な議論の展開があるが、以下、「六、結び」の全文。2段に分ける。

≪ アメノイハヤ神話は、アラブル神、スサノヲの命のもたらした災厄を八百万神が克服する神話であった。その災厄は、八百万神の総意に基づいて行われた祭祀によって回避されたのである。思金神に「思はしめ」たのが八百万神であることは疑いがない。そればかりではなく、イシコリドメの命に「鏡を作らしめ」たのも、タマノオヤの命に「八尺の勾の五百津のみすまるの珠を作らしめ」たのも、アメノコヤネの命とフトダマの命に「占合ひまかなはしめ」たのも、八百万神である。その後の、アメノコヤネの命とフトダマの命・アメノタヂカラヲの神・アメノウズメの命の振る舞いは、すべて八百万神の一員として、その代表としてのものであったと理解される。/ オモヒカネの神は、八百万神の叡智を結集し、その知恵の総体を神格化した神というべき存在であった。したがって、オモヒカネの神は、いかなる振る舞いもなすことはない。無論、他の神に命じることもである。それら実行するのは、おしなべて八百万神であったのだ。≫  


弟神スサノヲの命の乱行(罪穢れ)のゆえ、天の岩戸に身を隠した天照大神を様々な手立て(祭祀)によって、再び外に連れ出すことに成功するという「アメノイハヤ神話」、その主役はあくまで八百万の神であり、思金神の役割は、その総意を引き出すことであった。実際に手立てしたその他の神々も、持ち場持ち場でその役割を果たしたのであり、八百万の神々の総意を受けてのことである。要するに思金神は、思金神自身が知恵を働かすという意の神ではなく、八百万の神の叡智の結集を象徴する神である。


『日本再興戦略』(落合陽一)に、「リーダー2・0とは何か」ということで、これからのリーダー像が描かれている。思金の神様がまさにそうしたリーダーだったのではないかと思えた。いま思金神がクローズアップされるとしたら、まさにこれから求められるリーダー像の典型としてか。以下、落合本から。


《 これから日本全体が非中央集権化していきますが、リーダーのあり方にも同じような変化が起きます。これまてのリーダーの理想像は、一人で何でもできて、マツチョで、強い人でした。中央集権的なリーダーです。これをリーダー1・0と名付けましょう。
 しかし、これからのリーダーは、一個の独立した完璧な個人である必要はありません
 そもそも独立した個人という考え方自体が、近代が生んだ幻想です。それ自体が古くさい。日本には合わない考え方です。
 リーダー2・0時代のリーダーは、すべて自分でできなくてもまったく構いません。何かひとつ、ものすごくとかつている能力があればよくて、足りない能力は参謀などほかの人に補ってもらえばいいのです。リーダー2・0時代のリーダーのひとつ目の条件は「弱さ」です。共感性の高さが求められるのです。
 2つ目の条件は、「意思決定の象徴と実務権限の象徴は別でいい」ということです。言い換えると、個々人は自分の得意分野に特化すればよくて、すべての実務権限を統括している人がいないということです。象徴としての天皇と、執行者としての中臣鎌足に権限が分かれているのに似ています。たとえば、スティーブ・ジョブズのように「俺がかっこいい製品をつくるから、意思決定も全部やらせろ」という独裁的なスタイルは、リーダー2・0的ではないのです。
 3つ目の条件は、「後継者ではなく後発を育てる」ということです。自分の後を継ぐ人ではなく、新しいジャンタや会社を新しくつくっていくような人材を育てられる人です。たとえば、米国のペイパルという会社からは、ペイパルマフィアと呼ばれるくらい、多くの有名起業家たちか生まれました。
 こうしたリーダー2・0の逆が、まさにリーダー1・0のリーダーです。マッチョで強く、意思決定と実務決定をすべて握り、後発ではなく後継者を育てるリーダーです。
 いうなれば、リーダー1・0の時代は、歌謡曲のボーカルの時代でした。エルビス・プレスリーのようなカリスマ的なボーカルが活躍する時代です。政治家でいうと、トランプも完全にリーダー1・0タイプでしよう。田中角栄もリーダー1・0です。
 それに対して、リーダー2・0はバンドです。とがった個人が集まって音楽を奏でるビートルズのような形です。リーダー2・0に大切なのは愛されることです。カリスマというと、憧れみたいな感じなので近寄りがたい。愛されるのはもっと貴重で、「この人か地球上からいなくなってしまったら、寂しい」という感情です。
 愛されるためには、「自分は何でもできる」、と言ってはいけません。つまり、偏りのある人、ある分野にとても才能があるけれども、全然だめなところもあるような人のほうが、周囲が手を差し伸べやすいですし、バンドとしてうまくいきやすい。
 たとえば、チームラボの猪子寿之さんは、典型的なりIダー2・Oです。猪子さんは、すごく高度なものに対して、ハイレベルなアドバイスやメタな議論ができる人ですが、それ以外のことは何もできません。明らかに弱いので、周りが助けようとする。優秀な人か育っていますし、独立して新しい会社をつくる人も出てきています。

 日本の社会は、基本的にリーダー2・0のほうが向いています。強いリーダーを育てるのには向いていません。一神教の世界ではないだけに、西洋とは世界観がまったく違います。自らの弱さによって、いろんな人をボトムアップでまとめ上げていくほうか日本に合っている気がします。
 ただし、日本の問題点は、とかった才能のあるりリーダー2・0的な人がリーダーになろうとすると、排除しようとしてしまう傾向があることです。それでも、過去の失敗に向き合って、そうした風潮も弱まってきてもいます。リーダー2・0を受け入れる土壌が育ってきているのは、すごくいいことです。》(197-198p)
 


以下、北野論文「結び」の二段目


 八百万神の知恵を結集するオモヒカネの神が高天原の神であったことはいうまでもない。常世国常世は明確に区別しなければならない。常世とは文字通り、限りある世を超越した、常なる世の意味であろう。その意味で、世を超えてアマテラス大神のおはします高天原は常世であった。常世国とは、そうした属性を有する地上の異郷である。 「常世思金神」は、ニニギの命の天孫降臨の随伴神の一神としてのみ登場する。アメノイハヤ前の神事では単に「思金神」であった神が、天孫降臨神話では「常世思金神」と記されるのは、葦原中国からみてオモヒカネの神の神格が高天原に由来することを明確にするものであったろう。/ 高天原において、神々の意志の決定は、単に神謀ることによってなされたのでない。オモヒカネの神に「思はしめ」ること叡智を結集することによってなされた。草原中国においては、朝廷の意志の決定は、諸氏族の叡智の結集によってなされるべきである。それこそがオモヒカネの神の働きであり、その根拠は常世なる高天原にある。「常世思金神」はそうした思いの表れの記述であったように思われる。


常世=高天原=形而上(理念的世界)/常世国=地上の異郷(海のかなたにある神的世界)/葦原中つ国=地上現実界(高天原と黄泉の国の間にある世界)


思金神は本来的に、世を超越した常なる世すなわち高天原の神であり、形而上的存在である。日本における政(まつりごと)の意志決定は、その思金神のはたらきがあってのことである。「伊勢神宮の参拝作法」を見ていたら「伊勢神宮の正宮に限っては個人的な願い事は一切、タブー(禁止)とされています。」とあった。然り、高天原的存在としての思金神の十全なはたらきを担保するのは「無私」にほかならない。(ヤフー「知恵袋」に《オモイカネの神霊が本当に存在する神社は全国では無いように思われる.それでも確証できる答えはありませんが、伊勢神宮内宮ならオモイカネの神霊が存在するかと思われます.》という回答があった。)  (つづく)


nice!(0)  コメント(1) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 1

めい

下記の議論に、なんとはなしにオモイカネの神さまを思いました。

≪皇室・天皇制という世界最古の王朝は,王朝が何度も入れ替わり,交代があって…,しかし“皇統”を正統的に引き継ぎながら継続してきた!≫(飯山)
≪王朝の交代を前提に古代史を考察する視点を持つと、スルスルとさまざまな謎が解けていくこととなる。≫≪(日本民族には)DNA的にはあらゆるDNAが確認されており、・・・王朝交代も多種多様な民族の流入からして当然起こりうる。/しかし、・・・DNAが違っても日本的なものに昇華されていく。/日本民族とはDNAを超える集合体であると。/日本文化もあらゆる源流をこの地で昇華されたものである。≫(堺のおっさん)

   *   *   *   *   *

◆平成30/03/06(火)  旅先で仕事をするネット時代の旅
http://grnba.jp/index.html#ai03061

問い合わせにも追われる

今回の大阪を歩き回る旅の目的は,幾つもあって…
応神天皇(ホンダワケ)の「河内ワケ王朝」の歴史的意味と現代的な意味(教訓)を探り,明らかにすることも,その一つ.
現代的な意味とは…,明治期から始まった「東京皇室」にも“王朝交代”という事態があるのか?という問題だ.

いずれにしても,皇室・天皇制という世界最古の王朝は,王朝が何度も入れ替わり,交代があって…,しかし“皇統”を正統的に引き継ぎながら継続してきた!

そうして,さらに引き継がれてゆく!ということが確実な世界でも稀な王朝なのだ.

“飯山一郎の大阪巡礼”のもう一つの目的は,グルンバ事業を大阪・近畿圏で更に進化した形で立ち上げる!ということ.これは4月になると実際に立ち上がるので,ワシの大阪行きは,本年は頻繁になりそうである.

『ぽんぽこ笑店』の仕事も,ワシの旅先まで追いかけてきて…
たとえば,「日焼け止め」を発売してくれ!といった要望があった.

人間の顔は,太陽光や外気に24時間休みなく晒されている!というのが特徴なので,元々「日焼け」には強いものなのだが…
いつしか「日焼けは肌に悪い!」と思い込む女性が増えてきてしまい,「日焼け止め」を顔に塗ったりして…,女性も大変ですな~!www

おっと!
チェックアウトの時間が来たので,飯山一郎,また大阪の街に出ます.
飯山 一郎(72)

631:堺のおっさん : 2018/03/06 (Tue) 22:46:58 host:*.ocn.ne.jp
日本の歴史は、王朝の交代がドラスティックに起きた歴史である。
が…、皇統の連綿たる一系は他国の歴史にはないものである。

このことはいずれ御大が詳しく記述することとなるだろうが、
王朝の交代を前提に古代史を考察する視点を持つと、
スルスルとさまざまな謎が解けていくこととなる。

さらに問題は、明治以降の現皇室がどううなるかだが、
少なくとも、女性宮家を容認することがあってはならない。
皇統の継承に重大な問題が生じることとなるからだ。
直近では女性宮家容認問題が最大の問題となっています。

633:堺のおっさん : 2018/03/06 (Tue) 22:59:08 host:*.ocn.ne.jp
日本民族とは何か?
DNA的にはあらゆるDNAが確認されており、
南方からも、遠くはトルコからも…。
海流の流れを考えれば至極当然のことであり、
王朝交代も多種多様な民族の流入からして当然起こりうる。

しかし、ここが重要なポイントなのですが、
DNAが違っても日本的なものに昇華されていく。
日本民族とはDNAを超える集合体であると。
日本文化もあらゆる源流をこの地で昇華されたものである。
唯一、琉球は例外ではあるが。

by めい (2018-03-07 07:18) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。