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「ひきこもり」を考える講演会の報告 [教育]

A4たて_表面 [更新済み].jpg1月24日、折り悪しくこの日から本格的寒波襲来。夕方になるにつれて雪の勢いが増してくる。この時期いちばん心配していた天気になったが、予想(期待数50人)の5割増し、75人の方においでいただいた。

演題は「ひきこもりの理解と対応」。講師は「特定非営利活動法人 から・ころセンター」スタッフで若者自立支援員の佐藤祐治さん

レジュメを参考に講演内容を反芻してみたい。(文字は私見

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2015年12月の内閣府調査、15歳から39歳のひきこもり54.1万人というのはおそらく氷山の一角。 ひきこもり易い時代背景がある。
1.インターネット、ゲームなどの普及で外に出なくても社会と接点を持っているような気になれる。
2.親が必要最小限のお金を出してくれるため衣食住には困らない。(ただし親が働いているうちはいいが、年金暮らしになるとたちまち困る。)
3.深夜営業の店が増えて日中を避けて行動しやすくなった。

まさ1月24日-3.jpg豊かな社会ゆえの多様化現象のひとつと言える。「ひきこもり」を負の現象としてとらえていたのでは、ほんとうの問題解決にはつながらない。ジェンダフリーが提唱される中でマツコ的タレントが活躍するようになったような形が今後生まれるのでは。堂々としたひきこもり。

ひきこもり家庭への介入について、「親、当事者が両方SOSを出している場合はいちばん相談に乗れるが、どちらもSOSを出さない、いわば悟りを開いているような家庭には入り込めない。」そして何度も強調されたのが、「ひとりひとり問題がちがいます」。家庭内暴力を伴うような深刻なレベルもあれば、「ひきこもり」状態を生き方の一つとして割り切っているレベルもある。深刻な場合には夜中でも電話相談があったりする。そうした加入者からの相談対応は代表の伊藤さんがていねいにこなしておられるとのこと。

1月24日-8.jpgひきこもりになる人はいわゆる「発達障害」にくくられる人が多いが、それは回復が前提の「病気」ではなくて、その人の「個性」と考えた方がいい。要するに「得意な分野、苦手な分野が少し人より凸凹が大きいだけ」。黒柳徹子もイチローも加藤一二三もお魚くんもみんな発達障害。その特徴と対処の仕方はつぎのとおり。
相手の立場がわかりにくい→訓練(SST等)
耳での情報が伝わりにくい→文字で伝える
曖昧な表現が伝わらない→具体的に、丁寧に
話が止まらなくなる(逆もあり)→上手に聞く
音に敏感(鈍感もあり)→イヤホンなどの配慮
温度調節が苦手(寒暖感覚がうすい)→声がけ
偏食が多い→少しずつ慣れてゆく
こだわりが強い→否定しないで尊重する
突発的な行動をとる→否定しないで見守る

身近なところでも多く思い当たる。講演内容から逸れるが、戦後教育の歪みにもその大きな原因があるように思える。以前(平成12年頃)こう書いたことがある。

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まじめに勉強すればするほど、日本という国が嫌いになる、日本の歴史や伝統がどうでもいいもののように思えてくる、人と人とのつながりを軽んじて孤立化へと向かう、 先祖も子孫も関係ない、死んだら終わり………戦後教育にゆがめられた深刻な結果です。かつての赤軍派も最近のオウムも戦後教育が生み出した鬼っ子です。彼らはみんな、学校の先生の言われることをよく聞いて育った優等生でした。素直であればあるほど素直さから遠ざかるという戦後教育の逆説に、いま本気で立ち向かわねば、家族が壊れ、地域が壊れ、国が壊れ、ひとりひとりの心の支えが壊れ、ひたすら経済的利害のみを信じて、刹那的欲望に従うことを良しとする獣の群れとなって、ただただ声の大きいもの、力の強いものがわがもの顔に振る舞い、それに処するにモラルは吹っ飛び、権謀術数渦巻く世の中、それこそ戦後教育がもっとも嫌ったはずの世の中になってしまいます。その兆候は、もういたるところに現れています。http://www.geocities.co.jp/NeverLand/8947/

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戦後歴史教育の見直しを図る「新しい歴史教科書をつくる会」の運動の中で書いた文章だが、「ひきこもり」の問題にも通底する。1ヶ月前のmespesadoさんによる1億人のための経済講座(番外)の記事も関連する。「ひきこもり」を通して戦後教育のありようが根底から問われている、というのが私の見立て。

講演に戻る。 

「これでいいのか?支援のあり方」という問題提起があった。
○現在の支援(完結、終結型?)
・障害=福祉に繋いで終わり
・病気=医療に繋いで終わり
・不登校=教育機関に繋いで終わり
・ひきこもり=就労させて終わり
機関、機関で役割を果たしたらもうそこで一件落着。そうではなくて
○願う支援(繕続、連携型)
・障害者が福祉に繋がった瞬間に一生幸せになれますか?ひきこもりを脱して就労して、1日で辞めても一件落着ですか?
・継続的な支援や見守りがあってはじめて安心して働ける、地域で暮らしていいけるのです。
要するに、対症療法ではなく、社会の全体的構造の中に位置づけた取組みが必要ということだ。
(講演では詳しく触れられなかったが)「多様な働き方」を提供している例として株式会社 ウチらめっちゃ細かいんで(めちゃコマ)」が紹介されている。《「誰もが、安心して働ける場を作りたい」弊社のビジョンは、ひきこもりの方はもちろんですが、生きづらさ・働きにくさを感じる人たちが、それぞれが持つ特性を生かして、安全・安心に働き、社会と繋がることができる環境を実現したい、このような想いの下に生まれました。》という会社。ひきこもり当事者・経験者の特性などをベースに、自分たちが「やってみたい」「楽しい」と思える事業を行います。・・・何が出るかはお楽しみ! ご注目をいただければ幸いです。》とのこと。要注目。
1月24日-24.jpg1月24日-22.jpg
佐藤さんの「から・ころセンター」でやっているのが「キッチンから・ころ」「アクティブから・ころ」「アクティブ・からころ」の山形新聞記事、転載しておきます。
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消滅危機の「謙信せんべい」残った 米沢銘菓、自立めざす若者らが継承

2017年09月03日 15:50
佐藤邦宏さん夫妻(左奥)から指導を受けながらせんべいを焼く若者たち=米沢市
佐藤邦宏さん夫妻(左奥)から指導を受けながらせんべいを焼く若者たち=米沢市
 米沢土産として60年にわたって親しまれてきた「謙信せんべい」が、消滅の危機を免れた。歴史をつないだのは引きこもりからの自立を目指す若者たちだ。米沢市の就労支援事業所の利用者で、廃業した製造元から事業を引き継ぎ、商品企画から製造、出荷までをこなす中で、社会で生きる自信をつかみつつある。

 白い作業着姿の男性が、年季の入った焼き器の鉄板に円を描くように生地を落とす。上ぶたを閉じて10秒ほど。香ばしいにおいが漂い、直径10センチほどの丸いせんべいが焼き上がった。

 銘菓の味を継承したのは、引きこもりや障害のある若者支援のNPO法人から・ころセンター(米沢市、伊藤正俊代表)が運営する事業所だ。サポートを受ける20~40代の7人が交代で市内の工場に出向いている。

 工場は1947(昭和22)年創業のマルサ製菓(同市)が昨年末まで使っていた。「謙信せんべい」は同社が50年代後半に当時の市長から「新たな米沢土産を」と声を掛けられ、焼き始めたという。小麦粉と砂糖、卵などで作る素朴な味で、上杉謙信が軍旗に用いた「毘」と「龍」の文字、得意だったとされる琵琶を焼き印にあしらった。市内の物産館や温泉街の土産物店に置かれ、イベントで販売されるなど米沢土産の一つになった。

萌えキャラをパッケージにあしらった「謙信せんべい」
萌えキャラをパッケージにあしらった「謙信せんべい」
 しかし、2代目の佐藤邦宏さん(66)が体調を崩し、後継ぎもいないことから会社を畳むことにした。佐藤さんと伊藤代表は旧知の仲で、新たな就労支援の場を探していた伊藤代表が継承を申し出た。若者たちは1月から佐藤さんの指導を受けて腕を磨き、パッケージは自分たちでデザインした。戦国最強ともいわれた武将は「萌えキャラ」で描いた。5月に出荷を開始し、1日750枚ほどのペースで製造している。

 「ありがたいね」。佐藤さんはそう繰り返し、二人三脚で歩んできた妻八重子さん(65)と一緒に若者たちの作業を見詰めた。その一人で十数年にわたって引きこもり状態だったという男性(45)は「歴史のあるせんべいを焼くのはプレッシャーがあるけど、達成感もある。頑張りたい」と話した。「地域の伝統を守ることは利用者の自信につながる。自立に向けた大きな一歩だ」。伊藤代表は目を細めながら語った。

【メモ】謙信せんべい 1袋10枚入りが500円。ほかにウコギやピーナツ、紅花などを載せたせんべいも作っている。問い合わせは同法人のアクティブから・ころ0238(27)0030。
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そして最後に、
少子高齢化が待ったなしで進む日本で、従来の制度や生き方では生きられない方々が増えてきています。1人の声が団体を動かし団体の声が市町村を動かし、市町村の声が国を変えることは大いにあると考えます。1人の声に耳を傾けることは地味で無駄かもしれませんが、無駄がいつかなくてはならない存在になることを信じて【3つあ】を心に活動をしていきます。/ ≪あせらないあわてないあきらめない≫》ということでした。
終了後、「困っていることは?」との質問が出た。「就労支援が目的のNPOとして、会社の幹部クラスの理解があっても、実際に現場に入ってみるとそこでの理解が得られにくい。これがいちばんつらい。」切実です。今後、ジェンダーフリーが広くゆきわたってマツコ的存在への違和感がなくなったように、「ひきこもり」への理解が進むことで解決の方途もみえてくるのかもしれない。
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私なりに、ひきこもり問題をジェンダーフリーに対応させて考えてみたが、ふたつの本質は大きく異なる。ひきこもりは世間の理解があって解決という問題ではない。当事者およびその周辺は、それぞれ葛藤(悩み)を抱えざるをえない。その葛藤をどう克服するか、それぞれに切実に課せられる。悟りに至るにしてもそのプロセスはある。佐藤さんは繰り返し「個人個人ひとつとして同じ形はない」と語った。ただ確かに言えることは、その克服はその当事者にとって、決して求めても求めえない実に得難い体験となることはまちがいない。「不登校」も然り。

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