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構成吟「宮内八景」(続) [詩吟]

20-16 吉野川.jpg◎第五景 吉野川 
 山形の広き野を流れゆく最上川、その源流のひとつ吉野川。半世紀の昔、カドミ鉱害の嵐に曝されたこともありました。平成二十五年二十六年、二年続けて恐ろしい一面を見せつけてもくれました。しかしふだんはやさしく、宮内一帯を潤してくれる母なる川です。宮内に生まれ育ち吉野川に近い吉野町に住まいした鈴木茂、息子さんが川辺で遊ぶ様子の歌なのかもしれません。菅野香岳と今野房泉が吟じます。
 
       遊ぶ少年           鈴木 茂
   吉野川の川瀬の響(とよ)む夕暮れに草笛吹きて遊ぶ少年

22-17 吉野川の.jpg21-18 草笛吹きて.jpg 
23-19 長谷観音.jpg
◎第六景 長谷観音
 熊野大社から奥へ約六〇〇メートル、北に在って宮内を守る置賜三十三観音三十番札所長谷観音。慈覚大師の建立とも伝えられます。永正十一年、一五一四年山形の長谷堂を攻め落とした伊達稙宗の戦利品、あるいは慶長五年、一六〇〇年の長谷堂の戦いで直江兼続軍が持ち帰ったともいわれる聖観音像が秘仏として祀られています。年に一度の御開帳に詠まれた歌でしょうか。結城健三は、熊野大社境内に息子よしをのナイショ話の碑と並んで立つ「宮柱のかげよりわれの稚児舞を見てゐたまいし母が恋しき」の歌碑の作者です。髙橋桐風と髙橋隣風が吟じます。

       をぐらきに          結城健三
   をぐらきに立たすみ仏蝋燭の灯を寄せ見れば目を伏せおはす 
24-20 をぐらきに.jpg25-21 灯を寄せ見れば.jpg

26-22 双松公園.jpg◎第七景 双松公園と妹背の松
 置賜を一望する双松公園は春の桜に始まり、つつじ、藤、バラ、そして秋はどうたん、もみじの紅葉と、四季折々格好の和みの場。朝日に輝く公園はまた格別です。この公園にふさわしい歌碑があります。タイガーボード吉野石膏創業の須藤永次を支え、今日あらしめる蔭の力となった妻るいはこの公園の下、粡町に生まれ育ちました。戦後熱海に住まいし、佐佐木信綱を師として歌の道に励みました。その縁で宮内には信綱の歌碑が四基あり、そのひとつに刻まれた歌です。青木新山と横尾強山が吟じます。

       山の上に           佐佐木信綱
   山の上に朝の光のてりみちて金色の水かがよひにほふ 
27-23 山の上に.jpg28-24 金色の水.jpg

29-25 相生の松.jpg 二本が連理する松は、古来「相生の松」として尊ばれてきました。双松公園の名の由来となった宮内の相生の松は「妹背の松」ともよばれ、その姿形、歴史からして日本一です。昭和初期、金上製糸の多勢亀五郎を頼ってしばしば宮内に滞在した横山大観が画いた「相生の松」と題する絵は、宮内のこの松がモチーフです。すぐそばに別荘「水園」を持つ須藤るいが誇らしげにこの松を詠っています。大宮優岳と安彦悠岳が吟じます。

       千とせふる          須藤るい
   千とせふる妹背の松は今もなほみどり色濃し里のほこりと
30-26 千とせふる.jpg31-27 みどり色濃し.jpg

32-28  北条郷.jpg◎第八景 宮澤城
 源頼朝の妻政子の父北条時政の妾腹の子北条相模坊臨空が羽黒修験の大先達としてこの地に入り、以来南陽市一帯は北条郷とよばれてきました。四百年前に今の宮内の町ができる前は、妹背の松から西を望んだ一帯が宮内でした。その中央の高台、今はりんご畑が宮澤城跡です。最後の城主が、上杉の会津移封に伴って信州飯山から移った、直江兼続の母親の実家尾崎家の尾崎重誉でした。なにゆえか上杉の正史から消されるなど謎深いその後の尾崎家でしたが、廃城になって百四十年後、ひとりの子孫がそこを訪れ先祖を偲び将来に思いを馳せています。鈴木啾岳と菅野俊山が吟じます。

       北條山下     尾崎福秀
   北條山下水声哀   北條山下水声哀れなり
   幾度咨嗟謁石臺   幾度か咨嗟して石臺に謁す
   耕人佇留如恠我   耕人佇留して我を恠しむが如し 
   従地拂蘚憶将来   地より蘚を拂ひて将来を憶う 
33-29  北条山下水声哀.jpg34-30 幾度咨嗟謁石臺.jpg35-31 耕人佇留如恠我.jpg36-32 従地拂蘚憶将来.jpg  
  元文二年、一七三七年五月のことでした。尾崎福秀はそのときどんな将来を思い描いたのでしょうか。そして、それから二八〇年経ったいま、私たちはどんな未来を思い描くことができるのでしょうか。

         *   *   *

37-33 置賜は 結城哀草果.jpg 最後に結城哀草果の名歌「おいたまは」で締めくくりたいと思います。昭和二十三年春、哀草果が長井での講演の帰途、長井線の車中から見た置賜の美しさに感動してつくったといわれています。この歌の碑はいちはやく昭和三十四年長谷観音に建立されました。イザベラ・バードをして「東洋のアルカディア」と言わしめた置賜、そしてその要に位置する宮内、この地に縁りあることの幸せに感謝しつつ、宮内岳鷹会全員で吟じます。

       おいたまは         結城哀草果
   おいたまは国のまほろば菜種咲き若葉茂りて雪山も見ゆ

38-34 置賜は国のまほろば .jpg39-35 若葉茂りて.jpg40-36 終わり.jpg

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