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「リベラル」とは何か(mespesadoさん) [思想]

mespesadoさんによる実に見事な「リベラル論」です↓(太字引用者)。「思想」のカテゴリーに入れました。

「放知技」板ではわかりやすく政治的思想的時代的最先端が語られます。毎日数万のアクセスがあり、訪れる人も日々数を増しているようです。議論の流れについてゆくのに毎日何回もアクセスしています。消えてしまうのがもったいない議論をその都度メモしてきましたが、今回のmespesadoさんの「リベラル論」はとりわけ秀逸です。世界の思想の歴史が一挙に見渡せます。その中で日本の意義も。「放知技」の議論から、日本人にとっての共通意思の可能性が見えてきそうな気がしています。

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672:mespesado : 2017/10/12 (Thu) 20:24:32 host:*.itscom.jp
 あなた方リベラルの土俵とは…?
 ズバリ!「自由・平等・博愛」です。いや、もうちょっとメタな立場から言うと、ポリコレ(Political correctness )です。
 これ、もともと西洋人が築き上げたもので、日本人でこれを土俵にしている、というのは、ぶっちゃけて言えば「西洋かぶれ」ですね。では、このポリコレって要するに何か、というと、「人類本来の本能に基づく“善”ではなく、思想家が人工的に構築した“善”」ということになります。
 よく日本人の倫理性が世界で話題になったりしますが、これ、別に日本人が「偽善者」だからなわけでも「学校で教えられる道徳を良く守っているから」でもなくて、単に「人類の本能が持つ倫理がそのまんま出ている」からです。
 では、日本人以外が何でそうでないか、というと、日本以外では、異なる価値観の民族がしょっちゅうぶつかり合い、要するに「やったもん勝ち」になっちゃうんですね。これ、ゲームの理論としても有名で、「みなで譲り合えば皆が得するのに、ひとりでも利己的に振舞う人が出てくると、他の人も利己的に振舞ったほうが得になるので、結果として全員が利己的になってしまう」というヤツです。
 で、西洋もそうなった。中世の暗黒時代などと言われますが、これは後の倫理を取り戻した西洋人が自分たちの過去を振り返って、やったもの勝ちだった過去の自分たちを受け入れたくないものだから「暗黒時代」などとレッテルを貼って封をしているわけです。で、この暗黒時代があんまりだったので、まあルネッサンスと共に、ローマ時代の名誉ある地位をもう一度、というわけで、思想家が出て倫理を説いた(エティカって書物がありますよね)。で、以後西洋人たちはこのエティカに沿った倫理を「人工的に」学習することで「倫理性」を取り戻したわけです。そして倫理性をまだ取り戻していない他の地域の民族を見下すわけです。これが彼らがアジア・アフリカを植民地化してもいいんだと考える思想的な支柱になりました。
 一方の日本は、異なる価値観の衝突がなかった(だけでなくてDNAの特殊性もあるようなんですけど)ので、人類そのものが持つ倫理性を古代から維持していたので、倫理的なまま現代に至った、というわけです。
 ところが、日本のインテリを中心とした一部の人たちは、明治維新と第二次大戦の敗戦で西洋思想をとことん注入されて「日本古来のものは遅れていて西洋のものが優れている」と叩き込まれる。結果、「西洋かぶれ」のインテリの出来上がり!となるわけです。これらの人の現代における末裔が「残念な」有識者たちに代表されるリベラル派の人たちだ、というわけです。                         (続く)

682:mespesado : 2017/10/13 (Fri) 00:17:03 host:*.itscom.jp
>>656 からの続き

656:天然居士 : 2017/10/12 (Thu) 13:46:24 host:*.ocn.ne.jp
mespesado さん、猿都瑠さん、反論ありがとうございます。/お二人が真面目で日本を愛する方だとよくわかります。/「地位協定の改定」の必要性を地道に訴えることの大切さは、私も同感です。/ただ、安倍さんへの異常な好評価がわかりません。/安倍さんが「従米派」から「民族独立派」に転向したという見立ては、飯山先生の希望的観測じゃないのですか。/博学強記の飯山先生にしても神ではないので、ひとつぐらい勘違いもあるでしょう。/注目すべきは、嘘ばかりまくしたてる安倍さんの「ことば」でなく「行動」です。/安倍さんが第2次政権でやってきたことは1、平成の治安維持法と称される共謀罪成立2、米軍の下で地球の裏まで戦争に出かける集団的自衛権容認と安保法制3、憲法9条改悪のための各種の策動4、北朝鮮爆撃を示唆するトランプ大統領への全面支持(従属)5、友達のために行政をゆがめたモリ・カケ騒動6、防衛費の増額による米からの高額兵器購入7、国民の命を脅かす原発の再稼働加速8、後世への負担先送りによる財政の悪化と日銀の劣化9、大切な近隣国である韓国・中国との関係悪化10、中間層の減少と所得の格差拡大11、北朝鮮の核武装と拉致問題に対する無策無能等々、きりがないので止めます。これだけの、無能内閣は憲政史上稀です。少子高齢者社会の大波はとても乗り切れないでしょう。/成果とされるロシアとEUとの関係改善はあちらの都合で、向こうから接近してきたことです。ロシアは、北方領土への日本の投資を期待しているだけで、それ以上のものではありません。原発廃炉技術は、ロシアから学ぶものは何もありません。米国が黙認するのは当然です。/安倍さんに「あなたが対米独立の希望の星だ」と言ったら、彼は腰を抜かしてしまうでしょう。/今回の総選挙で、おそらく自民党が大勝し、安倍政権が続くでしょう。この次の4年間で日本や日米関係はどうなっているでしょう。飯山先生やお二人が「騙された」と怒らなければいいのですが。)


 さて、ここで天然居士さんが挙げた安倍政治の特徴:
① 平成の治安維持法と称される共謀罪成立
② 米軍の下で地球の裏まで戦争に出かける集団的自衛権容認と安保法制
③ 憲法9条改悪のための各種の策動
④ 北朝鮮爆撃を示唆するトランプ大統領への全面支持(従属)
⑤ 友達のために行政をゆがめたモリ・カケ騒動
⑥ 防衛費の増額による米からの高額兵器購入
⑦ 国民の命を脅かす原発の再稼働加速
⑧ 後世への負担先送りによる財政の悪化と日銀の劣化
⑨ 大切な近隣国である韓国・中国との関係悪化
⑩ 中間層の減少と所得の格差拡大
⑪ 北朝鮮の核武装と拉致問題に対する無策無能
を見てみます。天然居士さんは、これらをすべて「悪いこと」だと当然のことのように考えていると思います。
 でも、当然だと考えるのは、ポリコレを自明の前提として考えているからです。つまり、基本的に、
①は「支配層であるお上の支配力を高める」から悪、
②は「自衛でない戦争という悪をやらされる」から悪、
③は平和という善を持つ憲法を平和主義でない悪に変えるから悪、
④は外国を攻撃するという悪を支持するから悪、⑤は公平の原則を踏みにじるから悪、
⑥は戦争という悪の一種である国防費(=必要悪)を増額して武器という殺人のための道具を購入するから悪、
⑦は命を脅かす原発を推進するから悪、
⑧は将来世代に借金返済という金銭的負担という悪を押し付けるから悪、
⑨は隣国と喧嘩という悪の関係になるから悪、
⑩は格差拡大という公平性の原則に反することを推進したから悪、
⑪は国レベルの誘拐犯を捕まえることに失敗しているから悪、
…ということなんでしょう。

 でも、ポリコレを自明の前提にしない人にとってはこれらは悪でもなんでもないどころか、自分たちの生存や生存権の保障のためには「必要なこと」だという考え方だってあるわけですよね。
 例えば、
①はサリン事件のようなテロは、現行のような実行または未遂だけしか逮捕できないのでは防げないからその前段階でも逮捕できるようにしないと防ぎきれない。特にオリンピックを控えた今はそのリミットだ、
②は集団的自衛権で防衛の相互性を保障しておかないと安保ただ乗りと非難され、いざというとき機能しなくなると困るから必要、
③は自衛隊がそもそも憲法で何も規定されていない以上、今のままでは自衛隊の活動範囲が明示されていないのでいくらでも拡大解釈できるのはまずいから改正が必要、
④は米国を全面支持しないと米国にへそを曲げられて、同盟国がどうなろうと知るもんか、先制攻撃しちゃえ、となってかえって危険、
⑤はそもそもモリカケ疑惑自体が捏造、
⑥は周りを核保有国で囲まれ、いくら米の核の傘に依存しているとはいえ、ある程度防衛に自助努力しておかないとアメリカからずるいとみなされる、
⑦はいつでも核武装できるという脅しで核攻撃に対する抑止効果がある、
⑧は財政赤字という概念自体が財務省によるウソであり、自分で発行している通貨に赤字も黒字も無い、
⑨は、別に牽制したり、相手の不当な要求を拒否しているだけであって関係が悪化しているわけではない、⑩は所得に格差が生じるのは資本主義社会の宿命であり、大切なのは他人との比較という格差そのものではなく、消費したいのに消費できないことが解消されることであって、これは景気の向上や失業率の減少、最低賃金のアップ、正社員の増加などで確実に改善されている。
⑪は米国が危機感からやっていることであり、日本の出方で解消できることではない、
…といった(ポリコレによる善悪という基準ではなく)必要性の観点から見れば、すべて必要であり、それらをすべてこなしている安倍政権は支持できこそすれ、非難すべき点はない、という見方だってできるわけです。
 つまり「善悪主義」対「必要性主義」の違いで見方が180度ひっくり返るわけです。あなた方は要するに西洋かぶれでまず「善悪主義」でものごとを見る癖がついているために、安倍政権が極悪に見えるのです。でも安倍政権の高支持率(特に先入観の無い若年層)は、そういうポリコレ第一というものの見方をしていない、というだけのことです。

 

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コメント 2

めい

↑記事のつづきです。そして↓この結論。なぜ若年層が安倍政権を評価するのかについての見事な答えです。

《昔の最適解にすぎないポリコレに囚われない、というよりそもそもそんなものを知らない若い人の方が、先入観なしに何が今「必要」なのかを正しく認識している可能性が高い》!!

「若者の感覚の方がずっといい」、漠然と思っていたことを見事に言葉(論理)にしていただいた! そこに至る論理展開、私にはゾクゾクしてくる文章です。

   *   *   *   *   *

701:天然居士 : 2017/10/13 (Fri) 13:31:37 host:*.ocn.ne.jp
>>682 mespesadoさん長文のご教示ありがとうございました。
難解なので3度ほど読み直して、思わず「チ・ガ・ウ・ダロー 、コノー」と豊田前代議士風に思わず声を張り上げ、そばにいた女房にコピットく叱られました。
ポリコレってpolitical correctnessの略語ですよね。通常は「用語における差別・偏見を取り除くために、政治的な観点から見て正しい用語を使う」と客観的な用語ですが、特別な意味で使っているようですね。
要するに判断基準を「善悪主義」(ポリコレ?)から「必要性主義」に置くべきだというのですね。
恐ろしい主張です。「必要」とはだれにとってかが問題です。強盗をするのも強姦するのも、物欲や性欲を満たす「必要」があれば非難すべきことではないのですか。
人間は、本来獣です。社会生活を維持し発展させるために、人間の行動を縛る倫理感(善悪)を長い時間をかけ植え付け続けたのが文化です。日本人の倫理感も稲作を中心とするムラ社会の共同作業を軸に育まれてきました。自然発生のものではありません。
「善悪」の基準をなくせば、人間は「自由」になります。でも、そんな社会が理想なのですか。ニーチェは「神は死んだ」と倫理観が揺らいだ20世紀の人間存在の不安を描きました。
共謀罪はテロ集団の取り締まりには一定の効果があるでしょう。(国会ではオウムの取り締まりには役立たないと答弁がありました)。テロ集団以外には絶対に適用しないのですか。テロ集団と疑られただけで摘発されます。治安維持法も当初は対象が「国家転覆を目論む共産主義者」だったのが、自由主義者から政府への批判者などとどんどん拡大しました。最高刑も死刑となり、多くの文化人らが拷問などで殺されました。この厳しい歴史から何も学ばないのですか。
米国の戦争への参戦容認や米国への屈従など全項目について反論したいのですが、長くなりすぎるのでやめます。
兎に角さん、すいません。「博覧強記(はくらんきょうき)」の誤植でした。意味は辞書で調べてください。
沖縄の人に、私がどう思われていたかわかりませんが、基地ゲートに向かったタクシーの運転手さんは「ほかの県から(基地建設反対運動に)来ていただくのは本当にありがたいと思っています」と言ってくれました。
おじい、おばあとは「また会いましょう」と何度も握手をしました。
ぎのごさん、暴力集団が3000日以上もの座り込み運動を続けられると思いますか。

725:mespesado : 2017/10/13 (Fri) 23:02:43 host:*.itscom.jp
>>701 天然居士さん

> 要するに判断基準を「善悪主義」(ポリコレ?)から「必要性主義」
> に置くべきだというのですね。恐ろしい主張です。

 どうやら私の見立て(すなわち天然居士さんがポリコレを土俵にしている)は図星だったようですね。

> 3度ほど読み直して、思わず「チ・ガ・ウ・ダロー 、コノー」と豊
> 田前代議士風に思わず声を張り上げ、そばにいた女房にコピットく叱
> られました。

という狼狽振りがそれを証明しています。
 しかも最初の引用で、私が判断基準を『「善悪主義」から「必要性主義」に置くべきだ』と主張したみたいに書いていますが、私の原文 >>682や、その前の >>672 や >>670 をよぉーく読み直してみてください。どこにもそんなことは書いていません。私はあくまで「善悪主義」と「必要性主義」という異なる見方があり、貴方は前者を自明の前提にしているが、そうでない人もいるんだよ、と言っただけであり、「善悪主義」と「必要性主義」のどちらが正しい、などとは一切主張していません。
 なぜ貴方がこのような誤読をしたかというと、答ははっきりしています。貴方が「善悪(正誤)を判断基準にする」というドグマにすっかり洗脳されているため、私も「善悪(正誤))を判断基準にしている」はずだ、と勝手に思い込んだものだから、貴方の善悪(正誤)、すなわち「善悪主義」が正しくて、「必要性主義」が誤りという判断を批判している私は、その逆で「必要性主義」が正しくて「善悪主義」が誤りだと主張しているのだな、と勝手に思い込んだのです。
 さて、貴方は最初の引用部分に引き続いて

> 「必要」とはだれにとってかが問題です。強盗をするのも強姦するのも、
> 物欲や性欲を満たす「必要」があれば非難すべきことではないのですか。

と書いていますが、ほら、ここでも「非難すべき」と、飯山さんの言われる「べき論」に走っています。もう、貴方は徹頭徹尾、「正しい考え方は何か」というモノの見方だけに骨の髄までおかされているんですよ。
 ここで貴方は『「必要」とはだれにとってかが問題です。』と言っていますが、「善悪」だって、誰にとってかが問題になりますよ。でなかったら、裁判に「民事裁判」なんて起きるはずがないし、国と国の間に戦争も起きるはずがないじゃないですか。
 では、貴方の質問、すなわち『「必要」とはだれにとってか』という質問にお答えしましょう。はい、それは、究極のことを言えば「遺伝子の存続にとって」なんですが、これじゃあまりに飛躍しすぎていて意味がわからないと思うので、「人間社会にとって」くらいに言っておきましょうか。こう説明すれば、

> 強盗をするのも強姦するのも、物欲や性欲を満たす「必要」があれば非難
> すべきことではないのですか。

というのは的外れな批判であることがわかりますよね。強盗犯も強姦魔も、人間社会では受け入れられない対象、排除される対象ですから。
 で、大切なこと、それは「善悪」だって、「人間社会にとって」の善悪ですよ、ってことです。「必要性」だろうが「善悪」だろうが、この点は同じじゃん、てことです。
 長くなったのでいったん切ります。                                (続く)


728:mespesado : 2017/10/13 (Fri) 23:58:23 host:*.itscom.jp
>>725

 次に行く前に、「ポリコレ」という言葉について一言。
天然居士さんは

> 通常は「用語における差別・偏見を取り除くために、政治的な観点
> から見て正しい用語を使う」と客観的な用語ですが

と書いてますが、英語の correctness は名詞ですから不正確ですね。
「差別・偏見を取り除いた、政治的な観点から見た正しさ」と訳した方がいいんじゃないですか。なので私の用法は別に特殊でも何でもありません。
 さて、次行きます。

> 人間は、本来獣です。社会生活を維持し発展させるために、人間の
> 行動を縛る倫理感(善悪)を長い時間をかけ植え付け続けたのが文
> 化です。
> 日本人の倫理感も稲作を中心とするムラ社会の共同作業を軸に育ま
> れてきました。自然発生のものではありません。

 まさに「西洋かぶれ」の典型ですね。「人間は本来野獣だった。それを倫理を学習したから倫理的な存在になった」って…。あれれ?どこかで出てきましたよね。私が >>672 で『日本以外では、異なる価値観の民族がしょっちゅうぶつかり合い、要するに「やったもん勝ち」になっちゃうんですね。』『で、西洋もそうなった。』『で、この暗黒時代があんまりだったので(中略)思想家が出て倫理を説いた(中略)で、以後西洋人たちはこのエティカに沿った倫理を「人工的に」学習することで「倫理性」を取り戻したわけです。』と書いたでしょう?そうなんですよ。西洋人が「人工的に」倫理性を取り戻す前のことを「人間は、本来獣です」と言っているんですよ。そしてその「人工的」な倫理を植え付けた以降の西洋人の言動を「文化」と呼んでるんですね。そして日本人の場合もそうであるはず、と考えたのが、引用部分の後半ですね。
 でも、この後半部分は私の >>672 を読んだ人には間違いとわかりますね。日本人の倫理感は人類生来のものです。日本人の存在を長らく知らなかった西洋人には「人類生来の倫理観を残している民族」がいることを知らず、「やったもん勝ち」以降の人類しか知らなかったからこそ、こういう発想になっちゃったんですね。
 この点は、古代の中国人の方が一歩抜きん出ていました。春秋戦国時代、貴方もご存知だと思うけど、孟子が唱えた『性善説』と、荀子が唱えた『性悪説』です。この両者は相反する主張に見えるので、両者論争になったみたいですけど、私の目から見れば、両方正しいのです。どういうことかというと、前者の『性善説』というのが、私の言う「人類の生来の善の本能」のことを意味しているのであり、後者の『性悪説』というのが、「異なる民族がぶつかって、その結果利己的に振舞う他人が現れたとき、自分も利己的になって有利な立場に立とうとする本能」のことに他なりません。
 わかりやすく、飢餓と戦争を例にとって解説してみましょう。
 Aという国とBという国が接していました。互いに豊かな食料が手に入る環境だったので、どちらの国もいらぬ戦争などしないで平和に過ごしたほうが生存確率が高まるので戦争はしません。これが『性善説』の状態。
 ところが、あるときB国に飢饉が発生し、手をこまねいているとB国の人は残らず餓死してしまう。この場合、B国の人間たちは、食料があるA国に戦争を仕掛けて食料を簒奪しようとします。なぜなら何もしないでいれば100%餓死するけれども、A国に戦争を仕掛けて食料を略奪すれば、戦争で死ぬ確立は50%あるけれども、何もしないで100%餓死するよりましだから戦争を仕掛けるわけです。戦争は、もし飢餓が無い状態なら死亡率が増すだけで生存に不利だから、B国の社会にとって通常は「悪」ですが、ひとたび飢餓が起きれば、背に腹が変えられないので、その「悪」とやらを行う。このように飢餓の有無によって本能が切り替わるのが人類の本能の性質であり、この戦争を起こす方の本能が、要するに『性悪説』が説く方の人間の性(さが)なのです。
 西洋人は、これらのうち『性善説』の状態を有史以前に脱して「野獣」になってしまったので、そのような思想が出てこなかったのでしょう。


731:mespesado : 2017/10/14 (Sat) 01:10:19 host:*.itscom.jp
>>728

 だいぶ思想の話に深入りしすぎて安倍政権の話から離れてしまったように見えるかもしれませんが、もう一息です。
 貴方は「善悪」と「必要性」の比較で、前者こそがかけがえの無い絶対的なものであって、後者はそうではない、と考えているのでした。
 でも、今までの連載で勘のいい人はもうおわかりだと思いますが、私が言いたいことは、「善悪」といえども「必要性」の一つに過ぎない、ということです。
 前回の >>728 で飢餓と戦争の話をしましたが、A国とB国が共に十分な食料があれば、戦争はしません。なぜなら食料があるのに戦争などしたら、50%の確率で死亡するのに対し、戦争しなければ、食料が十分あって餓死しないので、死亡率はゼロとなるからです。
 リベラルな人は「平和」は善で「戦争」は悪だ、と考えるわけですが、それは「当たり前」なんじゃなくて、飢餓状態でない時期の方が圧倒的に長かったから生存確率が高い方が遺伝子が生き延びやすかったので戦争しない遺伝子の方がより多く生き残り、このような状態のことを「善」と呼んでいる、つまり一般に、意社会的に生存確率を高めるのに「必要」な行為の方を「善」と呼んでいるに過ぎないんです。
 ところが、世の中というのは環境変化、文明の発達、他民族との接触などにより、最も生き延びやすい、生存のために「必要」な行為というのは、その環境が変化するのに合わせて当然変化していきます。
 ところがこれに対して「善悪」という「倫理」の方は、保守的なので環境の変化にぴったり合って変化するのが難しく、どうしても「タイムラグ」が生じてしまいます。いわんや、人工的に定めた「善悪」に至っては、普遍だと思われているために環境が変化しても変化しません。だから、環境変化が激しい場合、人工的な「善悪」による「善」というのはその社会が生き延びるのに「必要な行為」と乖離してしまうことが増えてきます。つまり、こうした場合、人工的な「善」、すなわちポリコレはいったん捨てて、「必要性」をもう一度一から考え直して、最適解をその都度見つけて実行する方が、社会的存在である人間が生き延びる確率が高くなるのです。
 そういう意味では、昔の最適解にすぎないポリコレに囚われない、というよりそもそもそんなものを知らない若い人の方が、先入観なしに何が今「必要」なのかを正しく認識している可能性が高いのです。安倍政治に対する評価もその応用問題の一つに過ぎないのです。
 以上で連載をいったん終わります。

by めい (2017-10-14 05:41) 

めい

さらに議論はつづきます。
《外交は単なる「正直者」には務まりません。》
加えて「従軍慰安婦」についてのこれほど明解な説明は聞いたことがありません。

   *   *   *   *   *

774:天然居士 : 2017/10/14 (Sat) 23:23:06 host:*.ocn.ne.jp
mespesado さん、長々とお説教をいただきました。飯山先生から「うざい」と叱られるかもしれませんが、無視するのは失礼だと思うので投稿させていただきます。
mespesadoのいう「善悪主義」対「必要性主義」の意味がなんとなく分かりました。そんな二者択一的な書き方をするから訳が分からなくなると思んです。人は、すべて「必要」に応じて行動します。
でも何をやってもいいということではないでしょう。自ずから「やってはいけないこと(悪)」と「すべきこと(善)」があるんじゃないですか。
mespesado さんもそんなことは当然知っているのでしょう。言いたいのは「市民の倫理・道徳観と政治指導者のそれは違う」ということではないですか。国家の維持・発展のためには指導者は相手国をだますことも大量殺人(戦争)も許される。近代政治学の始祖、マキャベリが言い出したことですね。
国を亡ぼす心気高き君主より、国家を創設し維持する冷酷非道の君主の方がはるかに良い、というんです。これが西洋流の考えですよ。東洋は徳のない天子・主君は天に滅ぼされることになっています。
でも、マキャベリの15,6世紀と今では全く違います。かつて無法地帯だった国際政治の舞台は、国連を軸に戦争を禁止した国際法などで固められています。国内でも最高権力者は憲法と選挙、世論で行動を制約
されています。(安倍さんほど憲法を軽視し、やりたい放題も少ないですけどね)。国際社会で各国と交流するためにはやはり国際法に則った道義、規律が求められます。「必要なんだ」と突っ走れば北朝鮮のよう
に孤立を覚悟しなければなりません。「善悪主義」は捨てられないのです。

779:mespesado : 2017/10/15 (Sun) 00:34:02 host:*.itscom.jp
>>774 天然居士さん。
 今回の書き込みはだいぶ冷静になられたようですね。文章から伝わってくるオーラからトゲトゲしさが無くなっています。

> 人は、すべて「必要」に応じて行動します。
> でも何をやってもいいということではないでしょう。自ずから「やっては
> いけないこと(悪)」と「すべきこと(善)」があるんじゃないですか。

> 言いたいのは「市民の倫理・道徳観と政治指導者のそれは違う」というこ
> とではないですか。国家の維持・発展のためには指導者は相手国をだます
> ことも大量殺人(戦争)も許される。近代政治学の始祖、マキャベリが言
> い出したことですね。

 こういう議論になると論点がぼけると思ったので、今回の私の書き込みでは、マキャベリズム的な話、すなわち「市民の倫理・道徳観と政治指導者のそれは違う」というような主張は敢えてせずに議論したつもりです。
 で、上の引用部分の前半についてですが、私は「何をやってもいい」などとは主張していません。また、天然居士さんは、自ずから「やってはいけないこと(悪)」と「すべきこと(善)」がある、とおっしゃいますが、その「やってはいけないこと(悪)」と「すべきこと(善)」それ自体が世の中の環境の変化によって変化していく、と言っているのです。
 例えば「殺人」が善か悪か、などという生物の生命の根幹に関することがらは、環境の変化ごときによって変わるとは思えませんが(それでも戦時下では軍人が敵国軍人を殺すことは悪とはみなされない、という例外はありますよね)、そんな明らかな例ではなく、もっと微妙な、例えば「戦争」が善か悪か、とか、「他民族との差別」が善か悪か、いう議論が環境の変化によって変化していく例であることは、私の書き込みで説明したとおりです。要は、あなた方の問題点は「善悪の判断は天与のものであり普遍である」と考えているところにある、と言いたかったのです。
 さて、貴方が折角マキャベリズムについて言及されたので、一言述べさせていただきます。

> 国を亡ぼす心気高き君主より、国家を創設し維持する冷酷非道の君主の
> 方がはるかに良い、というんです。これが西洋流の考えですよ。東洋は
> 徳のない天子・主君は天に滅ぼされることになっています。

 これは、政治が自国の中で閉じている場合にはおっしゃるとおりです。日本では君主は西洋のような「支配者」ではなく、「天の下知らしめす」ものであり、支配者とは違うのだ、ということは最近は良く知られてきたことです。しかし、外交となるとそうはいきません。いくら日本が政治を「知らしめ」すことで行おうとしても、相手国たる西洋の国が自国を「支配」している元首だったら、話が噛み合いません。これでは「力づく」な方が勝ちます。それでは国益を守る外交ができないので、やむを得ず「策を弄する」必要が出てくるわけです。だから外交は単なる「正直者」には務まりません。貴方は「かつて無法地帯だった国際政治の舞台は、国連を軸に戦争を禁止した国際法などで固められています。」などと言うけれど、こんなものがタテマエに過ぎないご都合主義であることは、例えば核保有が既得権者である常任理事国には認められているのにそれ以外の国に認められていないことで既に破綻していることでも明白です。あと、

> 安倍さんほど憲法を軽視し、やりたい放題も少ないですけどね

 これも感情論ですね。多分安保法案のことを言っているのでしょうけれど、現行憲法には「自衛隊」に関する根拠規定がありません。だから「自衛隊」のどのような活動が憲法違反か、ということを問うこと自体に無理があり、明確な答が出せないのです。憲法学者はいろいろ言うけれど、客観的に白黒付ける議論になっておらず、各学者の「主張」に過ぎないことは、彼らの論を読んでみればすぐわかりますよ。菅さんが合憲違憲いずれを主張する学者もいる、とかつて発言したのは屁理屈でなく、実際そうだから言ったのであって、開き直りの発言ではありません。よく考えてある答弁です。サヨクの人は、学者が自分の説に反する主張をしているときは「御用学者だ」と言って批判するくせに、自分の主張と同じことを主張しているときは「権威ある学者が言ってるのに何をいう」などと主張する。完全な二枚舌のご都合主義です。

 最後に大国の「善悪」のタテマエがいかにご都合主義にまみれているかの一例として、いわゆる「従軍慰安婦」問題を取り上げておきましょう。
 これは、もともと東京裁判で日本の「罪状」の一つに「日本軍に強制的に連行され、従軍慰安婦として働かされたことを示す資料がたくさんある」とされたことに端を発します。この問題は、その後、実際に日本軍に「強制的」に連行された事実があるのか、ということが争点になり、それが水掛け論になると、今度は軍の強制性は関係ない、従軍慰安婦という「性奴隷」が存在したこと自体が人権侵害だった、という議論が米国を中心になされます。
 さてこの従軍慰安婦ですが、もともとこれはナポレオン戦争の時代に海外遠征軍が遠征地で血気盛んな軍人がレイプ事件を起こすことが非難されるようになったため、軍の遠征時に国家の正規の「従軍慰安婦」を結成して同行させ、軍人の性処理を行わせることにより現地でのレイプを防いだ、というのがその制度の始まりです。
 ところが、英米のようなアングロサクソン(まあピューリタンですわな)の国民の間に「従軍慰安婦というのは軍人の性処理のための奴隷、つまり性奴隷ではないか。こんな人権侵害を国が正式に結成するとは何事か!」という非難が沸き起こって、英米政府は困ってしまったわけですね。もともと現地のレイプを防ぐために良かれと思って結成した従軍慰安婦が今度は人権侵害を国が率先したといって非難される。英米政府は困ってしまって、仕方がないから従軍慰安婦は同行させず、かわりに遠征地の繁華街の店に、内々に女をあてがうよう密かに話をつけて、軍人の性処理問題が表ざたにならないように処理したのです。で、これも真相がばれてくるころ、ちょうどいい塩梅に「職場における男女平等」の思想(これも一種のポリコレですね)が出てきたのを良いことに、それまで男だけだった兵士を男女の兵士からなる混成部隊を作って「内部で」性処理ができるようにしたのです。このようにしてまんまと非難をかわすことに成功したあとで、米国を中心とする国々は、戦前の日本の従軍慰安婦を「女性の人権侵害だ」と批判することによって、東京裁判の正当化の補強材料にしたのです。これ、ご都合主義以外の何物でもないですね。こういう経緯を見ると、「従軍慰安婦」が「善」か「悪」か、これをポリコレとして「普遍な善悪の基準」としてどちらかに決めることがいかに各国の利害にまつわるドロドロした「必要性」の議論に過ぎないかよくわかると思います。

by めい (2017-10-15 02:43) 

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