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「ふるさと南陽のつどい」 [地区長]

129年ふるさと南陽のつどい.jpg8日にホテルニューオータニで開催された「ふるさと南陽のつどい」に、地区長連絡協議会の公務として、昨年に引き続き出席してきた。山形県人東京南陽会総会を兼ねており、約320名ぐらいの参加者。なんといっても宮内出身の参加者の方との出会いが楽しい。今回は、東京に嫁ぐ前にわが家のお客様で、当時つくってもらった着物を今も大事にしているという方(昭和10年生)や、私が子どもの頃粡町にあった醤油屋さんの息子さん(昭和11年生)や、私の一級上で、南陽文化懇話会にとって大事な人だった二瓶精造さん(昭和11年生、68歳で逝去)の弟さん・・・短い時間だったが酒の勢いもあって楽しく語りあうことができた。それにしても宮内地区出身者は2テーブル13名だけは淋しい。吉野、漆山、梨郷、沖郷は30名を超えている。赤湯はたったの5名。ただ「東京宮内会」が別にあって、その席にはまだまだ集まるとのことだった。

 

この集いも今年で31回目、20年ぐらい前にも何回か参加したが、どうもあの頃の熱気が薄れてしまって感じるのはどうしてだろう。セレモニーの挨拶も通りいっぺんになっている。宮内、赤湯出身の参加者が少ないのもその反映か。何かエネルギーを呼び込まないと、単なる消化事業になってしまう。県内各地の集いの中で南陽の集いはいちばん盛大ということなので、このままではもったいないと思ったことでした。これが東京、と言ってしまえばそれまで、また「ニューオータニ」のネームバリューがどれだけのものか知りませんが、会場のサービス体制も、置賜の「おもてなし」感覚からは遠い、心に響かないものに感じたのはどうしてか。 (ないものねだりなのかもしれませんが、「あと一歩」の踏み込みがない、とでも言っておきます。)

 

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せっかくの東京なので、この際どうしても観たかった「驚異の超絶技巧!」展(日本橋 三井紀念美術館)に娘を連れ出して行ってきました。「いかに楽して製品を仕上げるか」のわれわれ(印染)の歴史とは対極です。その「対極」にある感覚を知りたかった。一言、「気の遠くなる感覚」でした。入館料大人1300円、閉館まで1時間しか時間がなくて最後は駆け足、ちょっともったいなかった。図録2700円は手が出ませんでした。閉館間際でしたが、結構な賑わいでした。

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三井紀念美術館のとなり三越本店に入ってみました。地下の食品売り場、山梨のシャインマスカット一房6480円、山形のあけび一個540円でした。

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泊まったのが浅草六区にある「ホテル京阪浅草」、朝5時半頃、浅草神社、浅草寺はもう人がゾロゾロでした。どうしても幕やのれんに眼が行くのですが、なんと無地にプリントののれんが堂々と下がっているのは浅草にしては意外に思えたのですが、古いのれんがボロボロになりながらも大事にかけられているのを見るにつけても、かつての伝統技術はどんどん廃れてゆく一方なのを実感しました。ただし、バスの窓からや、娘と歩いた日本橋辺、さすが東京と思えるのれんもいろいろあったこともたしかです。

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 19日の観光は鎌倉へ。建長寺、長谷寺、鶴岡八幡宮に行ってきました。切り通しの狭い道を往復通りつつ三方が山に囲まれた古都鎌倉を実感してきました。大型店の進出がほとんどなくて、そのため旧い商店がまだの軒を連ねているのも鎌倉の特色と聞いてなるほどと思いました。バスの窓からだけでしたが、昔からの「街の風情(ふぜい)」が感じられました。若い人が多かったです。昼は横浜中華街で。若い従業員はたいがい中国人のようす。みんな揃った頃を見計らって店でつくった製品の注文をとるおばちゃん登場、見事な手際に「日本人?」と聞いたらやはり日本のおばちゃんでした。

 

「ふるさと南陽号」による集いへの参加も今年が最後と思いますが、以上報告メモです。


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