SSブログ

元陸軍中将・遠藤三郎(毎日新聞 山形版)(4) 警察予備隊、日米安保 親善外交の重要性主張  [遠藤三郎]

1-DSCF4653.JPG

私が遠藤三郎という人を知ったのは、川西町小松生れの黒沢昭夫さんによってだった。11年前のことだ。先日仕事で行った先で隣町出身の陸軍中将遠藤三郎という人についてのお話をうかがってきました。戦後、巣鴨での一年近くの拘留生活を経た後不起訴処分となり、片山哲、茅誠司という人達と共に護憲運動に取り組まれたとのこと。遠藤中将は明治37年(11歳)から昭和59年91歳で亡くなる1ヶ月前まで、発表を前提にしない、それゆえ本音で綴られた膨大な日記を残しておられます。うかつにも、地元出身でこういう方がおられたとは全く知りませんでした。/その話をして下さったその方は昭和30年代の初め、高校を出てすぐ、戦後埼玉県で農業を営む遠藤元中将のもとで働いて来られたのだそうです。》と当時記している。黒沢さんは井上ひさしさんの一級上、ひさしさんの家が小学校へ行く途中だったことからいつも一緒に遊んだという。体格が良くて親分肌、いじめた方ではなくて面倒を見た方だと思う。今も「ひさし、ひさし」と言って懐かしむ。その黒沢さん、置賜農業校を卒業後埼玉に就職した。そこから休み毎に遠藤三郎さんのところに通って農作業を手伝ったという。連載第4回に黒沢さんの名前が出ている。

 

元陸軍中将・遠藤三郎 警察予備隊、日米安保 親善外交の重要性主張 /山形

[PR]

 敗戦が濃厚となった1945年6月3日、遠藤は日記に本土決戦を主張する参謀本部への批判を記した。

 敵は米英にあらずして参本といわざるべからず

 47年2月から1年間、B級戦犯容疑で巣鴨拘置所(東京)に入所した。不起訴で釈放された後は、かつて関係があった工業界からの就職の勧誘を断り、埼玉県狭山市で農業に従事した。畑仕事を手伝った黒沢昭夫さん(83)=南陽市赤湯=は「農業は素人だったから苦労したでしょう」と語る。

 朝鮮戦争を受けて50年夏、後の陸上自衛隊につながる警察予備隊が発足した際は、吉田茂首相に「再軍備は絶対に避けよ」という意見書を届けた。60年6月、日米安保条約の改定を目指した岸信介首相に対し、東久邇宮稔彦ら元首相3人による退陣勧告が新聞各紙に載った際は、声明を遠藤が官房長官に届けた。こうした遠藤の行動に対し、反軍備主義者に変わったと感じた元軍人らの反発は激しく、「国賊」「元軍人の面汚し」などと罵倒した。

 その後、遠藤は「日本は資源のない小さな島国で、軍備で防衛できる国ではない」とし、戦争への火種を事前に除去する親善外交が重要だと主張した。55年11月に訪中し、毛沢東主席、周恩来首相と会談。61年8月に「日中友好元軍人の会」を発足させるなど日中友好に奔走した。同会を引き継ぐ「日中友好8・15の会」代表幹事の沖松信夫さん(91)=埼玉県熊谷市=は「何年たっても元部下を思いやり、声をかけた。そんな情の細やかな将軍が何人いたことか」と懐かしむ。

 戦時中にインドネシア・ジャワ島で同じ駐屯地にいたことから親交を深めた故武富登巳男氏は79年、遠藤から軍服など約60点の寄贈を受けて福岡県小竹町に「兵士庶民の戦争資料館」を設立。同館は今年5月、18回目の「遠藤三郎不戦の思想展」を開催した。長男の武富慈海副館長(67)は「遠藤の平和思想を可能な限り伝えていきたい」と語る。【佐藤良一】=随時掲載

*   *   *   *   *

【追記 R1.9.5】
黒沢昭夫さんが8月31日に亡くなられ、昨日(9/4)葬儀に参列してきました。喪主挨拶で娘さんが「家では頑固な父で、余計なことは何にも話してくれなかった。もっといろいろ話を聞いておけばよかった」と涙ながらに語られました。弔問の方々から、家で見せていた黒沢さんとは別の姿を聞かれてのことだったのかもしれません。私の家内も双葉さん(「双葉商事社長」なのでそう呼んでいた)の話が大好きで、家庭の自慢話に笑い転げていました。昨日出がけにこの記事を思い出し、プリントしてご家族にお渡ししてきました。享年87歳。衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。
 

 



nice!(0)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 4

めい

第028回国会 予算委員会公聴会 第2号
昭和三十三年二月二十五日(火曜日)

○江崎委員長 他に御質疑はありませんか。――なければ今野公述人に対する質疑は終了いたしました。どうも今野さん、ありがとうございました。(拍手)
 次に、元陸軍中将遠藤三郎君に御意見の開陳をお願いいたします。
○遠藤公述人 私は遠藤三郎でございます。当予算委員会から去る二月十五日付書簡で、昭和三十三年度予算について公聴会に公述するようにとの連絡がございました。私は、私の経歴にかんがみまして、防衛関係のことでしたらお引き受けする旨御返事いたしましたところ、折り返し委員長から二月十八日付書簡で、防衛問題に関し約三十分間公述するようにとの御通知がございましたので、本日参上した次第でございます。あらかじめお断わりいたしておきたいのでございまするが、私は過去半生を軍人として生活しました老兵にすぎません。終戦後約一年巣鴨米軍拘置所に入りましたが、戦犯の事実がなく、裁判も受けずに、わずかに東京裁判の証言台に立っただけで出所いたしました。自来今日まで一開拓農民として農業を営んでおる六十五才の老農夫にすぎません。政治家でもなく、宗教家でもなく、学者でも評論家でもありません。また自民党、社会党、共産党等いずれの政党にも属しておりません。ただ一個の国民として申し述べるのであります。従って私の申し上げる意見には何人のひももついておりませず、また感情に走ったり、片寄ったイデオロギーにとらわれたものではございませんので、全く私自身の学習、特に体験を基礎としたものでございまするから、その点を御承知おきを願いたいと存ずるのであります。
 そうしてその学習のおもなるものは、陸軍の幼年学校、士官学校、砲工学校、砲兵学校、大学等、日本の諸学校のほかに、フランスのメッツの防空学校、パリの陸軍大学、ヴェルサイユの通信学校等の課程を経たこと、並びに各国の著名な兵学書等によって自習したことであります。また体験のおもなるものは、明治四十年から昭和二十年に至るまでの軍人生活、ことに大正の末期には参謀本部部員兼海軍軍令部参謀といたしまして、直接国防用兵、作戦計画立案の任務を担当したこと、昭和二年ジュネーヴの海軍軍縮会議に列席し、次いで国際連盟の全般軍縮会議の準備委員といたしまして、軍縮問題に直接ぶつかったこと、また実戦の体験といたしましては、満州事変及び上海事変には参謀本部からの派遣参謀として、もしくは軍参謀として、北支事変には砲兵連隊長として、ノモンハン事件の末期には関東軍参謀副長として、支那事変及び大東亜戦争の初期には、飛行団長として直接第一線に従軍いたし、また教育関係では陸軍大学の兵学教官、大本営の教育課長、航空士官学校長等の実務につきました。また軍政方面では、航空本部総務部長として、次いで軍需省の航空兵器総局長官として軍需生産の業務等に携わったこと等でございます。
 以上のような学習及び体験を基礎として本予算案を拝見いたしますると、まことに失礼な申し分ではありまするが、遺憾ながら旧時代的で、現在の防衛目的達成のためには、見当のはずれた、はなはだ効果の少いむだ使いであると申し上げざるを得ないのであります。私は決して奇矯な言葉をもてあそぼうとするものではございません。また決して防衛そのものを否定するものでもありません。防衛の必要は認めます。そして真に防衛の目的を達成するに有効な予算でありますならば、千数百億円に上ります三十三年度予算案はもとより、たといそれが数千億円に上っても決して過大とは申さないでありましょう。しかし見当はずれの防衛のためならば、たとい一円といえども国幣をむだに使われるこことには反対せざるを得ないのであります。
 古い話で大へん恐縮ですが、昭和二十年八月終戦の直後、人心が非常に動揺して、世間一般が混乱状態に陥りました。日本の将来に光を失った人々も多く見受けられましたので、私は、はなはだ僣越でありましたが、航空兵器総局長官兼航空工業会総裁といたしまして、全国の航空工業関係の方々に対しましてあいさつしたのがここにございます。当時の情報局総裁にお願いいたしまして、全国の著名新聞に発表していただいたのでございまするが、その一節を御参考になると存じますので御紹介したいと思います。それは二十年八月二十三日の新聞に一斉に発表された次第であります。なお八月二十六日、航空兵器総局の解散する前日に、この小冊子の冒頭に入れまして、当時の国会議員全員を初めとして広く各方面に送付いたしたのでありますから、あるいはすでにごらんになった方もあろうかと存じます。では今からそのあいさつの一節を読みます。
    〔委員長退席、今井委員長代理着席〕
  静かに考へまするのに国軍の形態は時と共に変化するものと思ひます、皇軍に於きましても陸海軍の形態は日露戦争若くは前欧洲大戦を契機として一応終末を告げ、今次の大戦は空軍一本で実施せらるべきものであった様に思はれます。而も其の空軍さへも何れは骨董品たるの存在になる時が来ないと誰が断言し得るでありませうか。斯く考へて参りますると軍隊の形は時世の進運に伴ひ変化すべきは当然でありまして、唯舷に絶対不変であるべきは我国の真姿即ち国民皆兵の神武其のものであります。国民の一人一人の胸の中にしっかりと神武=威武に屈せず富貴に淫せざる心=を備へましたならば必ずしも形の上の軍隊はなくとも宜しいものと思はれます。古語にも「徳を以て勝つものは栄へ力を以て勝つものは亡ぶ」とあります従て今回形の上では戦敗の結果敵側から強いられて武装を解除する様に見えまして光輝ある我が陸海軍が解消し飛行機の生産も停止するに至りますことは寔に断腸の思禁じ得ぬのでありまするが皇国の真姿と世界の将来とを考へまするとき、天皇陛下の御命令に依り全世界に魁して形の上の武装を解かれますることは寧ろ吾等凡人の解し得ざる驚畏すべき御先見=神の御告げとさへ拝察せらるるのであります。近来吾が国の世情はあまりにも神国の姿に遠ざかって来た様に思はれます。今こそ大手術を施すべき秋と思はれます。先般渙発せられました御詔勅こそ国内建直しの大号令であり世界再建の神の御声であると拝するものであります。
 ここに申します空軍さえも骨董品になるだろう、こう申しましたことはいかにも乱暴なように見えますが、これは十分に科学的根拠があって申したのであります。現にその時代が到着しつつあるように思います。昨年おそまきながらフルシチョフ・ソ連第一書記も、飛行機はもはや博物館入りの時代がきたと申しておるようであります。また形の上の軍隊は要らぬぞ、こう申したことも批判されることでございましょうが、これは私が大正の晩年、作戦計画を立案いたしました当時に、任務上は軍備の充実が必要でありますが、一方国民生活の窮乏との矛盾に苦しみまして、かつジュネーヴの海軍軍縮会議並びに国際連盟の軍縮準備委員といたしましての体験の結果、将来世界各国は逐次かつ同時に軍備を全廃すべきであるという考えが芽ばえました。そうして満州国建国の議に参画いたしました際に中国の碩学干沖漢氏から、軍隊のない独立国家が理想であるということを教えられました。そして大東亜戦争の終戦によって私の信念が固まったのであります。また世界の将来とここに申しました。またさらに世界再建の神の御声とも申しました。これは私の頭に世界連邦を描いておったのであります。この考えは昭和の初め私が仏国留学中にオーストリアの天才的学者クーデンホーフェ・カレルギ氏。このお母さんは日本の婦人でありますが、欧州連邦論を発表いたしましたが、その節に私は非常に啓蒙され逐次成長してきたものであります。
 以上私の終戦時におきまするあいさつに対しましては、賛否両論がありました。今日もまた同様と存じまするが、私の信念には微動もありません。幸いにしてこのあいさつを発表した翌年、すなわち昭和二十一年にはマッカーサーから原案が示されたとは申しましても、とにかく当時の議会の審議を経まして制定発布されました日本国憲法にこの考えが明示され、終戦の御詔勅に示されました万世のため太平を開くとの大方針が憲法内にうたわれましたことは、日本国の前途洋々たるものであることを信じまして私は非常に喜んだ次第であります。
 ところがはからずも昭和二十五年六月朝鮮動乱が勃発いたしました。私はこれを契機として米国は必ず日本に対して再軍備を強要するであろうし、また日本国内からも再軍備論が台頭するであろうことをおそれまして、直ちに吉田首相に対しまして書簡をもって、憲法をたてにして断じて再軍備をすべからざること、特に米国の強要に対しましては、まず日本の独立を認めしめ、しかる後米国みずからが率先国際警察部隊設置の範を示し、各国に協力を求めるならば、日本も国力相応の協力をするであろうと応酬されるように進言したのでありますが、首相は世論によって政治をするとのことでございましたので、私は「日本の再軍備反対と国際警察部隊設置の提唱」と題する小文をつづりまして、印刷の上、言論機関及び当時の各政党の首脳者並びに在京の各大学総長等に送りましたが、ほとんど反響がなく、わずかに一部地方新聞に掲載されたのと、改進党の千葉三郎幹事長から啓発されるところが多かったというお礼状、大内兵衛法政大学学長から前段には賛成という返事をちょうだいしたにすぎませんでした。越えて翌年二月ダレス氏が来朝しましたので、同氏に対しましても同様の趣旨の手紙を送りましたとこころ、米国大使館付武官プーレン少佐が私に会見を求めました。本問題に関し種々意見の交換をいたしましたが、ついに意見の一致を見ませんでした。一方日本側におきましては特審局から追放令に違反する行為であるというので、処罰は受けませんでしたが、厳重に箝口令をしかれたのでありました。そして警察予備隊は誕生し、次いで予備隊は保安隊になり自衛隊に変って今日になったのであります。
 私は本問題に関連して、すでに二回にわたって当衆議院の公聴会に意見を開陳、公述いたしました。すなわち第一回は昭和二十九年三月外務委員会におけるMSA協定についての公聴会でありましたが、その際私は、MSA協定の受諾は再軍備の前提であり、憲法に抵触するだけではなく、これが受諾によりまして、将来日本は軍事的にも、政治的にも、経済的にも一そう米国に対し従属性が増加するおそれがあるという理由で、反対意見を述べたのでありました。しかし遺憾ながら採用されませず、協定を受諾することになり、その結果はどうやら私の見解が的中したように思われます。
 第二回は同年四月内閣委員会における防衛庁設置法案及び自衛隊法案についての公聴会であります。私は特に、自衛隊の任務に新たに外的の直接侵略に対する防衛を追加されました点を指摘いたしまして、国際通念上外国軍隊の直接侵略に対し防衛任務を持つ武装団体は、その名称やその編成、装備のいかんにかかわらず明確に軍隊であり、明らかに憲法違反であること、及び国家の最高機関である国会並びに最高行政機関である政府が、憲法違反をあえてするようでは、国民の順法精神は消磨いたしまして、法治国は成り立たないこと、並びに日本国がみずから平和を営んでおりまして、そして他を侵さない限り、外国軍隊の直接侵略のごときはあり得ないから、この任務は不必要であるばかりでなく、万万一外国軍隊の直接侵略があると仮定した場合におきましても、自衛隊はこれに対して防衛の能力がなく、防衛能力のないものに不可能な任務を与えるということは、自衛隊を堕落せしむるか、為政者に反抗せしむるか、あるいは神経衰弱症に陥らしむる弊害がありますから、この任務を削除されるように要望したのであります。またかりに軍隊を必要とした場合におきましても、自衛隊法に現われたところの編成はきわめて陳腐であります。近代軍隊としての価値がないばかりでなく、日本の現状は軍隊を再建するのに必要とするところの基礎が、道義的にも、財政経済的にも、科学技術的にもできておりませず、不十分な基礎の上に作る軍隊はきわめて危険であるから、軍隊を作る前に、まずその基礎を作るべきであるということを申し述べたのでありまするが、遺憾ながらこれも御採用されませんでした。自後の経過を見まするのに、これまた私の意見が正しかったように思われます。
 そこで私は各位に深く考えていただきたいのであります。すなわち防衛の本質についてであります。およそ科学の研究はきわめて真剣であり、ごうまつのごまかしも許しません。従って科学は今日の進歩発達を来たし、まさに宇宙時代に入りつつありますが、これに反しまして政治面の研究においては、はなはだ見劣りがするように思われます。これが今日科学と政治との間に大きなアンバランスが生じ、人類の危機を招いたゆえんかと思われるのであります。われわれ日常生活におきまして、過去の因襲を打破することはなかなか困難のように見えます。うかうかとつい惰性に押されまして旧慣を墨守しやすいのであります。改革には常に困難を伴いますし、新しいことを申しますと、いわゆる先見は孤なりというわけで、時世にいれられがたく、風当りも強くなりますので、つい保守、消極、事なかれ主義に陥りやすいのであります。防衛問題のごとき、その最たるものと思われます。
 従来独立国家の主権は絶対のものとされ、最高の道徳とさえ説かれて参りました。そうしてそれを守るためには、独立の軍隊が必要とされてきたのであります。そして愛国心即国防、国防即軍隊という考えが常識視されて何ら疑問を差しはさむことさえ許されなかったのであります。もしこれに批判を下す者があるとしますると、直ちに非国民、国賊扱いされたのであります。群雄割拠、独立国家が無条約状態において対立抗争、領土拡張競争をやっておったいわゆる封建時代、近代国家観時代におきましては、それもやむを得なかったかもしれません。しかししさいに観察いたしますと、それは単数の主権者の利益のために、大衆が犠牲にされたきらいも全くなかったとは言い切れないものがあるように思われます。祖国愛、もとよりけっこうと思います。しかし世界の歴史は祖国愛の美名に隠れまして、一部特権階級のために国民大衆が奴隷化され、幾多の罪悪が行われたこともまた否定し得ないのであります。少くとも偏狭な利己的愛国心こそ世界平和を乱すガンのように思われます。先日NHKの人生読本の時間に福原麟太郎氏が放送いたしました。英国のかつての名将ジョンソン将軍が愛国心を定義いたしまして、愛国心とは悪党の最後のよりどころであると申しました。と言っておりました。この定義には全面的には共鳴し得ないところもありますが、一面の真理が含まれておるように思われます。愛国心のごときは自分を愛し、近親を愛し、郷里を愛すると同様、生物一般の本能ともいうべきものでありますから、むしろ利己的に陥らぬようにセーブすることの方が、かえって大切じゃなかろうかとも思われます。真の愛国心は内にあってはお互いに住みよい国、外にあっては尊敬される国を作ることに置くべきであろうと思います。防衛もまたその趣旨に沿うものでなければならぬものと思うのであります。
 以上の見地に基きまして、防衛の目的を検討いたしますれば、防衛は国民大衆の幸福を脅かすものに対しまして、国民大衆の幸福を守ることに主眼を置くべきものであろうと思います。しかるに現自衛隊の任務の第一は直接侵略に対する防衛をあげております。これはさきにも申しましたごとく、全く現実離れした抽象論でなければ、陳腐なマンネリズム的任務と申さなければなりません。最近どこの国におきましても侵略的武力行使はことごとく失敗に終るという現実から見ましても、特に日本の特殊的地位から見ましても、外国の軍隊が直接侵略するがごときは考え得ぬところであります。従ってこの目的のために自衛隊を保持、増強することは、何ら意義がないばかりでなく、むしろかえって危険を誘発する公算が大なるものと思うのであります。
 第二の任務として間接侵略に対する防衛をあげておりまするが、間接侵略がもし思想侵略のことでありますならば、これほどナンセンスはなかろうと思います。日本の国情に相いれない、好ましからぬ思想もありましょうが、思想は軍隊をもって防衛し得ないことは多言を要しません。そして思想は輸出することも輸入することもできるものではなくて、危険な思想はむしろ生活の貧困、不平等、不自由等から生ずる不平、不満が最大の原因であろうと思います。すなわち外からくる問題ではなく、内から醸成されるものと思うのであります。従って間接侵略を防衛するために自衛隊を作るということは、全く意義がないばかりでなく、これによって多額の国帑を費し、国民生活を圧迫することは、むしろ反対の結果を招来するものと思われます。
 次に必要に応じて公共の秩序の維持に当ると示されておりまするが、公共の秩序を維持するためにはお互いにまず法を守ることが先決と思います。自衛隊そのものの存在が憲法違反の疑いが十分あるのに、自衛隊が秩序の維持に当るというがごときは、矛盾もはなはだしいものといわなければなりません。特に前述思想の悪化の原因と同様に、秩序の乱れますのは、その原因は貧困によることがきわめて大でありますゆえ、自衛隊のために多額の国帑を費すことは反対の結果を招来するものといわねばなりません。もちろん世間には殺人、強盗その他の悪人もおることでございまするから、警察はなくてはなりません。しかし国内治安維持の任務は、あくまでも法律を根拠として行動するところの警察の任務でありまして、法律に根拠を置かず、統帥命令で動く軍隊をもって国内の治安維持に当らしめるがごときは、近代文化国家としては大なる恥辱であるといわねばなりません。古来いずれの国におきましても、軍隊は内乱や革命の具に使用されてきた歴史並びに現実から見ましても、国内の秩序維持に自衛隊を作るということは、全く意義のないことと思われます。ただし秩序維持の広義の解釈といたしまして、自衛隊は知事等の要請に応じて、天災地変その他の災害に際し救援に使用されることに規定してありまするが、これは台風の通過国であり地震国である日本として、風水害、火災、交通事故等頻発しておりまする状況にかんがみまして、まことにこれは適切な任務と思うのでありますが、この任務のためには自衛隊の装備はあまりにも大げさであり、かつあまりにも高価であるものと思います。この目的に適応するように、そして災害が起った後に救援するというような消極的なものでなく、災害を未然に防ぎ、さらに進んで国民生活を豊かにするような国土の建設に従事することを本務とする建設隊とするこことが、真の防衛の意味にも合致するものと思うのであります。
    〔今井委員長代理退席、委員長着席〕
 次に申し上げたいことは、自衛隊法には明記してありませんが、防衛の見地からわれわれの一刻も看過し得ないものは、放射能による脅威であります。目下東西両陣営の対立抗争は必ずしも緩和せられませず、軍備競争は依然として継続され、核爆発の実験は遠慮なく実施されております。万一戦争が起りましたならば、日本がその局外におりましてもその災害から免かれ得ませんし、軍備競争の続く限り、たとい戦争がなくとも、現に放射能によってわれわれの生命は脅かされておるのであります。この脅威からわれわれを防衛するためには、自衛隊の増強は何ら効果がないばかりでなく、かえってその危険を増大するのみであります。核兵器の禁止、軍縮の要望は今や世界の世論であります。日本政府もしばしばこれを声明、要望したにもかかわらず、一向にその効果は現われておりません。その最大原因は、一つは世界の政治機構の不備にあるものと思われるのであります。それでこの目的を達成するためには、世界連邦建設のほかはないという意見は、世界の先覚者並びに平和愛好者から強く叫ばれるようになりました。日本におきましてもすでに四つの県、八十に及ぶ市町村が世界連邦宣言をやっております。そうしてますます増加する趨勢にあるように見えます。本年初頭朝日新聞がこの問題を取り上げまして、世界連邦の建設を日本の国是にせよとさえ論じておるのでございます。先日当国会におきましても川崎秀二氏が発言されまして、岸総理も原則において同意の旨を表明されたかのように聞いております。従って私はここに多言を用いませんが、防衛予算におきましても十分にこの点に考慮を払っていただきたいのであります。幸い自衛隊法第三条には自衛隊の目的といたしまして、「わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため」と明記してありますから、この目的に合致するように自衛隊を作るべきでありましょう。そして予算措置もそれを目標として講ぜられるのが適当と存じます。すなわち平和のためには日本国憲法の完全実施が望ましく、独立のためには他国の軍事援助のごときは仰がない方がけっこうであります。国の安全のためには世界連邦建設以外には求め得ないのでありますから、これらの諸件に妨害になるような軍備の増強には断じて反対すべきものと存じます。新しいセンスのもとに眼界を広くして広義の防衛のために国費を使用していただくようにお願いしたいのであります。
 現政府は三悪追放を初め幾多のけっこうな政策を持っておられますが、予算の裏づけがこれに伴いませんで、不徹底のうらみが少くありません。幸い少からぬ予算が防衛費として組んでありますから、これを見当はずれのむだづかいにならぬように、有効適切に使用されるように熱望してやまぬのであります。政府が核兵器の禁止並びに軍縮の要を国際連合において叫びましても、また首相から書簡をもって各関係国の元首に送られてみましても、日本みずからが年々歳々自衛隊を増強しておったのでは、その真意を疑われ、かえって嘲笑を買うにすぎないであろうと存じます。真にこれを要望するならば、まず隗より始めよであります。よろしく日本は日本国憲法に示すごとく、軍備を撤廃して範を中外に示し、世界連邦建設の選手たるの光栄をになうべきであろうと思います。かくしてこそ世界連邦建設の道も開かれ諸外国から尊敬される日本になり得るものと存じます。米国との間に条約や協定もありまして、今直ちに改めることが困難な事情もあろうかと存じまするが、あやまって改めるにはばかる必要はなかろうと思います。正しいことである限り、相手国と話し合いまして了解を得ることは決して不可能とは存じません。もしどうしても了解しなかったならば某期間を置いて破棄を通告することもやむを得ぬことと存じますが、そこまでいきませんでも、少くも予算措置におきまして見当はずれでない自衛隊を作るように、国費を広義の国防、広義の防衛目的を達成するようにお使いになることは、各位の御努力次第では可能かと存じます。どうぞ十分御検討下さいますように念願してやまぬ次第であります。
 最後に一言つけ加えておきますが、防衛生産の名のもとに兵器工業に国家予算を使用されることは、厳に戒めていただきたいのであります。兵器生産は国際平和を脅かすばかりでございませんで、国の経済体制を病的にするものであるということを、私は航空兵器総局長官時代にいやというほど味わいました。一たび兵器工業が産業界に根を張りますと、これが是正はきわめて困難でありまして、その弊害は自衛隊の兵員一万、二万の増加以上であるということを御参考までに申し述べまして、私の公述を終ります。(拍手)
○江崎委員長 ただいまの遠藤公述人の御発言に対しまして御質疑があればこの際これを許します。
○須磨委員 ただいま遠藤さんの非常に多岐にわたるお話がございましたが、私どもは、三十三年度の予算案を審議中でありまして、その予算案についての諸点をお述べ下さることと実は期待しておった次第でございます。しかるに、昭和二十九年のMSAに関する御証言、これは私も外務委員会におりまして拝聴いたしました。その翌年の自衛隊法、防衛庁設置法案の際の御証言、そのころのとちっともお変りのないお話には実は私は失望をいたした次第でございます。しかしながら、それはきょう私がお尋ねをいたしたいこととは離れておりまするから申し上げませんが、一、二重要な点だけを伺っておきたいのであります。
 あなたがジュネーヴの軍縮会議においでのとき、私は外務省において軍縮会議を主宰をいたしておりました一人の官吏でありました。従いまして、あなたの御性情についてはそのころからうかがい知っておったのであります。現に、あなたは、いろいろな点について御陳述の中に、一つ重要なことをお述べになりましたことは、クーデンホーフェ・カレルギについてはひそかに敬意を払った、――この当時の汎ヨーロッパという思想であります。汎ヨーロッパ主義に思いを寄せておられたという一言を当時あなたが私に話しておられたことを今思い起すのでありますが、このカレルギの思想こそはまさに今日の国際連合の思想でございます。その国際連合にわが国は一員として今日参加をいたしておるのであります。果して、しからば、あなたがクーデンホーフェ・カレルギの思想に心酔以来何らお変りなく終始一貫しておるといたしまするならば、この集団安全保障という考え方をお変えになったはずはなかろうと思うのであります。日本のみが孤立して、一人われ行けばよろしいといったような危険の道を歩む必要はないという言葉が出てこなければならぬはずであります。仰せのごとくんば、わが国が自衛の武器を捨てて何もかも要らない、そして一人行けばいいというようなことは、私ども国民がほんとうに心配する必要のあることでございます。従いまして、第一にお伺いいたしたいのは、このカレルギの思想が今日発展をいたしまして、これが国際連合の思想となり、われわれは国際連合に入って集団安全保障の一つとなっておる。このことは今や世界超党派的に万国一体となってこいねがっておる平和の一つの大きな柱でございます。それをもあなたはおやめになる、そして一人行けばいいということをおっしゃることは、私はあなたのような御経験の深い方のお言葉としては聞きがたいものでございますから、まずその点を明らかにしていただきたいのであります。
○遠藤公述人 クーデンホーフェ・カレルギの言うたのはもうすでに三十数年前の説であります。今や、もう三十年も過ぎますれば、それは成長しなくちゃならぬと存じます。国際連盟は、御承知の通り、あの通りむなしくついえました。国際連合もまた、これは国際連盟よりは進歩したものでございまするけれども、現に東西両陣営の抗争をさばくには微力でございます。この思想は成長して、いわゆる世界連邦、ほかの言葉で申しますれば、世界国家に発展していかなければならぬものと私は確信するものであります。私は、日本がそれから離れてただひとり独行せよと言うのじゃない。世界連邦を作るようにイニシアチブをとって、そうして一日も早くその実現に邁進したいというこことを申し上げるのであります。
○須磨(弥吉郎)委員 この点を進めていっても一つも進みませんから、他の問題に移りたいのでありますが、あなたがおっしゃいました中に、この日本は何も武器など持つ必要はない、そしてあなたはおもしろい言葉をお使いになったと思うが、精神これ武に徹しておるならば何をかおそれんやというお話であります。まことに武人のあり方として敬意を表するものであります。ところが、これでもってわが日本は負けたじゃありませんか。そういうことを今言っておって、あなたはやっぱり責任者の一人であったわけでございますが、さようなことを国民の前にぬけぬけとおっしゃることは、これは普通の人ならばいざ知らず、ほんとうにその体験をいたした人の言葉としては受け取りがたいのであります。どうしても、私どもは、この国を守るには、守ろうと思えばいいということではありません。ことに、今日の言葉で申しまするならば、私ども国民の頭から二六時中離れないのはセキュリティということであります。安全ということであります。いかにすれば日本が安全であるかというので、この自衛隊法であるとか、防衛庁設置法は私どもがこしらえたのでありますが、あれは何も事を好んでこしらえたのではございません。今日も一千何百億というお金をただ好んで膏血のお金を使っておるのではありません。どうかして安全、セキュリティという考えを言いたいからであります。このセキュリティの考え方がくずれる一つの大きな実例をあなたに伺いたいのであります。一体、あなたもお触れになったが、昭和二十五年六月二十五日に朝鮮動乱はどうして起りました。あれは六月二十五日に起りましたが、六月の二十日までアメリカ軍があそこへ駐在しておった。その軍隊が一時に引いてそこに真空状態が四日あった。四日あったら、五日目に鴨緑江を彭徳懐の軍隊がおりてきてあの大きな戦争になって、三年三カ月も戦ったじゃありませんか。その真空状態、すなわち武装状態がないということが戦争を起していることは、私などが申さなくったってあなたは幾らでも知っておるはずだ。この前の戦争においても、一体スイスはなぜ侵されなかったか。スイスは六十五万の常備軍を持っている。非常な軍隊を持っておりますから、あれは侵されなかったのだ。それは第一次戦争のルクセンブルグが何もないから全部破られたというのとは違うわけであります。かようなことは私が説明するまでもないのであります。この安全ということから考えまして、ただ何にもなくても安全であり得るかということを、もう一ぺんあなたの口から拝聴いたしておきたいのであります。
○遠藤公述人 明確に申し上げます。安全は必要でありまするけれども、安全を保つために軍隊ではもうだめになったということを申し上げたい。それで、安全を保つためには世界連邦が最もいいことでありまして、そいつに邁進すべきであります。
 それから、もう一つ、あなたは大へん真空論をおっしゃるのでございますが、これはもう少し陳腐になったように私は思いますが、常識はずれの真空論なんというのはききません。日本の歴史を見ていただきたい。朝鮮が三十八度線によって分れておって、イデオロギーの違う二つがにらみ合っておったから紛争も起ったのでございます。日本が、さきに申しましたところにもありまするが、日本の置かれた地位、歴史と、朝鮮の置かれたやつとは非常に違っておると思います。それを一緒くたにして、観念的に、軍隊がなければ敵が入ってくると思われるのが、すでに時代錯誤じゃなかろうかと思うのであります。もっとひどいときも考えていただきたい。日本が武力的にはほとんど何もなかった時代、よろしゅうございますか、歴史をひもといても、日本が外国の軍隊に侵されたというのは、私は不敏にして元寇しか知っておりません。あとは外国の軍隊は日本にやってこない。明治維新前後非常に危険であった。明治維新の前ですが、徳川幕府の末期に、まだ国軍として統一された軍隊もない。しかるに、諸外国は、先進国はりっぱな国軍を持っておった。しかも条約がないものでありますから、さきにも申しましたように、近代国家が自分の国家の利益になることは何をやったっていいというような時代におきましても、各国が植民地の獲得にあれほど狂奔しておった時代におきましても、日本にはやってこれない。日本を侵略し得ないのです。いわんや、今日これほど国際条約が密になっており、そしてどこの国も文化国家とみずから称しているのに、こちらから何もちょっかいもかけず、そうして平和を営んでおるところに軍隊を持ってくるなんということは、私はどうしても考え得ない。また、来たものはみな失敗しているのが、先だっての中近東の問題でもこれは明瞭であります。ソビエトがハンガリアに行った、あれも条約によって駐兵しているところに行った際も、世界の袋だたきにあった。ひどい目にあった。かくのごとく、日本が今軍隊がないからというて、すぐ真空間に空気が入ってくるように思われるのは、それこそ、私から言いますれば、昔尊敬しておった、今でも尊敬しております須磨さんの口から出ようとは思わない。もう少し新しいセンスで考えていただきたいと思います。
○須磨委員 われわれの予算委員会の公聴会は、これは非常に重大な時間をさいてやっておるのでありまして、討論会ではございません。この上掘って参りましても、あなたの角度は私の角度と違います。非常に角度の違った、また跳躍が非常に自由でございますから、これでとめまして、もう一つ大きな問題を伺っておきたい。
 しばしばあなたは中共に行っておられる。その中共に行った行動等が新聞その他で報道されておりました。そのことについてきょうこまごま申すのではありませんが、その中に祖国愛ということをあなたはしょっちゅう申しておられる。私も実は三年半前に中共に参りまして、あの国の最も特有なるものをあげよというならば祖国愛の三字であると私は申さなければならない。その祖国愛、日本で通常でいえば愛国心、それがあればこそあの国がかくも膨大な、大きな国になりつつあることはあなたも認めておる。愛国心は悪党のより場であるなんということは、これは人生読本の中に詩人が言っていたことで、私も毎朝聞いておる。あれは五時十五分だ。聞いておりますよ。あれは詩人の詩の句の解説ですよ。そういうことを、公聴会に来て、そういうものでございますなんということを言われて、信じられたら大へんな騒ぎだ。こんなことは詩人は幾らでも言うのです。一体愛国心は悪党の最後のより場であるなんということを、祖国愛について、中共についてはあれほど強調されたあなたの口から一体出る言葉でありますか。このことを私は詰問をいたしたい。われわれは、この愛国心があればこそ、これから何とか再建していきたいと思う。そういうようなことを軽々しく言われるということは――何も私はきょうの公聴会だけで申すのではありません。国民を誤まるのでございますから、この祖国愛の言葉と、今の日本の愛国心というものについては、これから少しお慎しみをお願い申し上げたいと思いのであります。ことにあなた自身の矛盾がある。日本をほんとうに守る神武の心持あれば日本は安全なりと言っておるその人が、愛国心は悪党の最後のより場であるなんて、小学校の子供が喜ぶ言葉ですよ。それを公聴会で、かようでございますなんて言って、われわれは黙ってはおりますけれども、聞いてはおりませんよ。こういうことについて、ほんとうにそう信じておられますかどうか、それだけもう一ぺん念を押しておきたいのであります。
○遠藤公述人 私が言うたように聞き取られておりますが、証拠がここにございますから、私読んだのですから間違いありません。私は、特にここにあげましたのは、それがイギリスの将軍が言うたということ。それから、ここにも明確に言いました、全面的には私は同意できないのだと。しかし、反省する必要がある。従来の歴史を見ますと、やはり愛国心という名に隠れましてずいぶん悪いことをやっておることがあるのです。ですから、われわれは宇宙時代に入りました今日において、小さな、狭義な、利己的な愛国心を説くことは、むしろ弊害がある。そういうことを説くものだから、先ほどもその辺で、いつ世界連邦ができるんだということを言うておられるように、できはせぬのです。早く世界連邦を作るためには、こういうちっぽけな、狭義な愛国心というものじゃなしに、もっと広い愛国心を鼓吹していただきたい。それで私ここにジョンソン将軍の言葉がこうだったということを言うたことは決して不謹慎とは私は思っておりません。しかし昔のなじみで、思われたことをどんどん忠告されることはありがたく聞きますけれども、ここであれは不謹慎でございましたから撤回しますというようなことは、決して申しません。
○須磨委員 この上の質問は私は必要がないと思いますので、ここでとどめます。
○島上委員 私はただいま元軍人としてほとんど一生の間戦争に関する、あるいは軍事に関する経験を積んで参りました遠藤先生から今の日本における防衛問題に関する貴重な御意見を承わりまして非常に啓発されるのでございますが、同時にわれわれが長い間主張してきたことが、今日の時代に、いわゆる人工衛星、ミサイル時代にいよいよ正しいものであるということの確信を持つに至りました。そこで特別に御質問する要もないわけでありますが、一、二伺っておきます。
 私は遠藤先生がおっしゃったように、日本の今日の軍隊は、警察予備隊から出発して、オタマジャクシがカエルになったように成長して参りました。この軍隊は明らかにアメリカの強い要請によって作られたものであると考えます。特にことしの予算に盛られました陸軍の一万増強、よその国では陸軍をどんどん削減していって、大幅に削っていっている。軍事力を持つことを肯定して、それを前提としておる国においても、新しい時代に即応する軍備に変えつつあるときに、陸軍を一万増強するというような時代錯誤の軍備増強は、昨年岸総理大臣がアメリカに行ってアイゼンハワーと会見した際に、日本の長期防衛計画を大いに歓迎されて勇気づけられて、帰りには社会党と対決するというような元気まで出して帰ってきた、その結果に基くものである、こう私ども考えておる。日本の軍隊全体が、編成も装備も指揮訓練もアメリカ式であるということ自体に、もうすでに、やがては一たん緩急あればアメリカの手足に使われるようにこしらえられておる、そういうものである。だから私どもはそれも大きな理由の一つとして、今の軍備に反対しておるのでありますが、こういうような軍隊はアメリカの世界政策、特に極東における共産圏に対する巻き返し政策の一環である、こう私ども考えておる。ところで今日はいわゆる人工衛星、ミサイル時代になって参りましたので、アメリカが日本に今まで設けた基地、あるいは駐留軍、あるいは沖縄の基地といったものに対する考え方も、新しい時代に即応するように、考え方とか、あるいは装備、設備というものもだんだん変って参ろうかと思います。そうなりますと、百歩、千歩譲って日本に軍備を持つ必要があるという考えを持つ側に立ちましても、今陸軍を増強してだんだん防衛六カ年計画というものを立てておるようでありますが、こういうような計画はすでにもう時代錯誤になった。ですからことしの一万増強もそういうような見地に立つとしても、時代錯誤である、こう私ども強く反対しているわけであります。軍人としての専門家であられる遠藤さんは根本的に否定しておりまするが、かりに百歩、千歩を譲って、軍備を持つことを前提とするという考え方をとるといたしましても、今年度の予算に現われたような、あるいは日本の政府が立てておりまするような防衛六ヵ年計画というようなものは、陳腐なものであり、むだなものであるというふうにお考えになるかどうですか。
○遠藤公述人 自衛隊法によりますと、日本の軍隊は外に出ないことになっております。その見地から見ましても、地上の軍隊を十万、二十万持ってみたところで、これは現代の兵学から申しますと、防衛の役に立たぬことは明瞭であります。古い話でございまするけれども、戦争の末期、本土決戦ということを叫びました。沖縄は捨てちゃう、硫黄島もとられ、本土で決戦しようとしておったときの日本の兵力をお考えになればわかると思います。その当時日本は二百万以上の軍隊を内地に持っておりましたけれども、至るところ薄弱で、ほんとうにまじめに考えた際に、敵の上陸を阻止しようなんということは考え得なかったのであります。さらに小さな例を申しますと、硫黄島は面積は、今はっきり覚えておりませんけれども、一平方里くらいしがなかったんじゃないかと思います。そこに一個師団以上の兵を置きました。それでも上陸しようとする敵に対しては防ぎ得ないのでございまするから、外敵の侵略に対しまして、地上軍隊でかまぼこが板にくっついたような格好で守ろうなんということは、むしろこっけいな話でございます。真に守ろうと思うならば、現在のように攻撃兵器の進歩した時代におきましては、敵が来寇するに先だって、敵の本拠を覆滅する以外には守る方法がないのであります。しかも敵の本拠を覆滅しましても、自分の撃った原水爆で自分も放射能の危険にさらされるのでありまするから、戦争というものはやってもだめだというのが現在の兵学界の趨勢であろうと思います。ただここに注意しなければならぬのは、アメリカあたりから盛んに、局地戦、制限戦争があるんだ、日本はそれをやるんだ、だから地上軍隊が有効であると言われる方もありまするけれども、これもまたごまかしでございまして、ほんとうに戦争をやるというような考えでやった以上は、決して局地戦あるいは制限戦争で終るものじゃなくて、必ず大戦まで拡大するのが戦争の本質だと私は信じております。その意味から申しましても、あの一万名の増強は、お約束になってこられたので、やむにやまれずやったものと想像はいたしまするが、できることならやめていただきたい。できないものなら、先ほど申しましたように、あの一万名は建設隊のようにやっていただきまして、あまり金を食わぬ、そうして人殺しのけいこじゃなしに、建設の仕事を教えられて、また建設にお使いになったならば弊害がなかろうと存じます。
○島上委員 ただいまの御答弁で思い出したのですが、ほんとうに防衛しようとするならば、先に侵略のおそれのある敵の根拠を覆滅しなければならぬ、確かにそうであろうと思います。そこで防衛と侵略という言葉は使われますが、今の時代に一体厳密に区別ができるかどうか。大体今までも遠藤さんが軍人をされている時分に、日本軍閥が防衛々々と称して侵略をどんどん準備しておった。私は侵略と防衛とはどうでも自由に使えるものだと思うのです。特に今日ではそうだと思うのです。ですからもし今日本が防衛のためだといって軍隊を作っておる。しかしこの防衛は、核兵器時代、ミサイル時代であるから、ほんとうに防衛をするには、向うのミサイルの根拠地を覆滅しなければならぬ、日本にもミサイル基地を作らなければならぬ、向うが核兵器を持つのだから、こっちも核兵器を持たなければならぬ、というふうに理論的にずるずると今国民感情を考えておるからそういうことはいいませんけれども、ずるずるにそういうふうに発展していって、昔と何ら変りのないことになるおそれを、私ども理論的には非常に心配しているのです。防衛と侵略というものが、昔もほとんど、私は防衛ということが侵略の準備のためにごまかしの言葉に使われておったような気がしますが、今日ではなおさら防衛と侵略の区別がつきがたい時代になっておるのではないかと思いますが、専門家の立場から、一つお教えを願いたい。
○遠藤公述人 御説の通りでございまして、どこの国でも侵略のためというては軍隊を作りません。みな防衛のためと称して侵略してきたのが歴史の事実でございまするが、真に防衛ということを考えましても、現在のように攻撃兵器が進歩いたしまして、ことにその速力が増したために、受けて立っては防衛にならぬのでございますので、まじめな軍人間におきましても、いわゆる予防戦争論というものが、先年来台頭してきておるのであります。つまり侵略されるおそれがありということで、受けて立っては負けるから、あらかじめ向うが侵略するに先だってたたくことは、決して侵略じゃない。これは予防戦争で、許されることだというような理屈までつけて、いわゆる予防戦争論というものが兵学界に幅をきかしたのでございます。それで軍隊を持って力の均衡によって平和を保つというような考えは非常に危険になったのでございます。ことにこのごろのようにボタン戦争、ボタンさえ押せば、三十分にして八千キロも飛ぶというようなおそろしい世の中になりますると、これは侵略も防衛も全く区別がつかないことになっておりますので、この意味から申しましても、軍隊を持たないのが安全だ。軍隊を持ちますと、いろいろな口実のもとに先手を打たれるおそれがあるのでございます。ことに自衛隊法に、あの航空自衛隊の項に書いてあるのでございます。敵の飛行機が領空を侵したならば、すぐこれをおろさねばならぬ、ああいう任務を授けております。そうして日本の飛行機が上を飛んでおる。飛んでおりますと、果して自分の領空か、領空外に出ておるのかわからぬこともあるのです。敵の飛行機が来たからというわけで、それを撃つ、そこにけんかの原因が起ります。戦争の原因が起らぬとはいえないのであります。また侵略しようとする者があるとすれば、それを口実にして、何も領空を侵さぬのに、向うから攻撃してきたのだ、だからやっつけたんだというような口実も与えるのでございます。まことに危険な自衛隊法ができておるように思われます。軍隊なきにしかずでございます。
○島上委員 遠藤さんは、かつて軍需関係の職務をやっておられたようですが、私はものの本で見たのでありますが、いわゆる防衛産業と申しますか、軍需産業がだんだんと大きくなって参りますと、世界の平和が訪れて軍備を縮小する、あるいは軍備が要らぬということになりますと、軍需生産はだんだんやめるということになる。そういうことになりますと、軍需資本家は自分の工場を縮小するか、閉鎖するか、いずれにしても自分の仕事に重大な関係があるものですから、しばしば軍需資本家が国際の関係が平和になってくると、何らかの問題を起して、いわゆる国際緊張を激化するような芝居を打って、自分たちの仕事を減らさないように、もしくはもっとふやしていくように、そういうようなことがかなり国際的に大がかりに行われておった、過去において。こういうことをものの本で見たことがございますが、こういうようなことはかってはあったことでございましょうか。
○遠藤公述人 それは非常にたくさんの例がございます。軍需産業家によって、軍需生産の資本家によって戦争が起されたという例がたくさんあるのでございます。これは軍需生産の性質上戦争をやって消耗をしてくれなければ、あまり商売にならない。ですから昔は戦争によって、軍需生産関係のものは金もうけをするというのは、これは常識だった。それをいまだに、そのときの甘い汁を夢みまして、やろうとするものがあるところに危険性がある。そういうものに踊らされぬようにわれわれはしなくてはならぬと思うのです。アメリカが現に軍需生産が下火になると不景気になる。アイゼンハワー大統領まで、軍需生産によって景気が立ち直るだろうなどということを言うたということが新聞に出ておりますが、これはとんでもない危険なことを言われたものと思って、私は元帥のために遺憾に思います。軍人こそそういうことをよく知っておって、軍需生産をとめなければならぬ。軍需生産の特徴を御参考までに申し上げますと、その施設を非常に大きくやって、戦争の用に立てておかなければ戦争に間に合わない。そうしますと、平時の需要は不十分ですから、施設が寝るのです。非常に不経済なものになる。さればといって、兵器をたくさんこしらえてストックにしておきますと、それが陳腐になりまして、いざ戦争というときに役に立たない。非常に矛盾があるわけです、その矛盾ある軍需生産をやりつつ金もうけをするというところに非常に危険が伴う。結局国民大衆がしぼられて、そうしてそういう間に合わぬような工業をやっております。実際やっておる資本家というものはその工業でもうけておる、それだけひどく国民大衆はいじめられておるわけなんです。そのゆえに軍需生産をもってその国の産業が成り立つようになりますと、それは病的だとさっき申しましたのは、そこからきたことでございます。
○島上委員 岸さんが先般どこか、宇都宮ですか、出かけたときに防諜法の制定を考えておるという談話を発表しましたが、どうも政府は防諜法というかあるいは秘密保護法というか、アメリカからだんだんと近代兵器を借りる、あるいは譲り受けるために、戦争中の何といいましたか、国家防衛法ですか保安法ですか国防保安法ですか、といったようなものを考えておると思われる。これは言うまでもなく国民の言論を著しく圧迫する結果を導くものだと思います。どうも過去においてもそうですが、軍備がだんだん大きくなってくる。あるいは戦争準備に本腰を入れもということになると、一方においてはどうしても国民の目をふさぎ耳をふさぐ、こういうふうな政策を過去においてもとったものですが、私どもは政府が考えておる防諜法というものの内容についてはもちろん知るよしもありませんけれども、防諜法を制定しようとすること自体が国民の言論報道に対する大きな制圧となり、憲法違反の疑いが強い、こう見ておりますが、これに対するお考えを一つ。
○遠藤公述人 軍隊の存するところには必ず秘密が伴うものであります。従って日本がだんだん自衛隊を増強されますようになると、それに伴って秘密保護が厳重になると思うのでございます。これが私再軍備を反対した理由の非常に大きな一つであります。戦争中私どもが機密保護のために非常に暗い生活をいたして参りました。日本が物質的に恵まれておりませんのでございますから、せめて精神的に明るく生活したいと思いますので、この防諜法その他の機密保護法の制定されることを非常に私きらうものでございます。私自身戦争中、航空兵器総局長官時代に生産の状況を国民に知らせたい、そうしてたくさんできたときはともに喜び、少ししかできぬときにはともに憂えて、一生懸命にやろうじゃないかということを閣議の席上で私お願いした。しかしどうしても陸海軍大臣はそれを許さない。ところで前の議会ですが、私に生産状況を説明せいと言いますから、説明しょうと思いましたら、秘密事項だから秘密会議を開いてやれということで、ごもっともと存じまして、秘密会議で生産状況を講演したことがあります。そうしたら、さっそく陸軍省の方から、遠藤は機密事項を勝手にしゃべった、秘密会議で申しましたにもかかわらず、遠藤は秘密を漏洩した、厳罰に処せと言うてきたことがあるのでございます。また非常に不愉快であったのでございますが、私の部下の榊原という大尉がいつの間にか行方不明になった。軍需省に勤めておった。その奥さんは高松宮妃殿下の御姉妹で華族さんなんです。それが行方不明になったのでほうっておくわけにいきませんので、探してみましたところが、いつの間にか憲兵隊に連れていかれておった。どうしたことか調べてみますと、その部屋に勤めておったタイピストが憲兵隊のスパイでございまして、榊原大尉が秘密書類を皇室関係に、宮中関係に行って漏らしたという疑いのもとに、カバンの中に入っておった重要書類を写真に写して憲兵隊に報告しておった。そういういやなことがあった。私憲兵司令官に抗議を申し込みまして、いやしくも現役の将官が長になっておるその団体に、その長官に断わりなしにスパイを入れるとは何事だというわけで抗議を申し込んだのであります。軍隊、その中で――私は軍隊じゃなかったのですけれども、軍需省、そういう団体の中でさえにそういう忌まわしい不愉快な行為が行われがちとなるおそれが多分にありますから、役にも立たない軍隊を作って、アメリカの役にも立たない兵器をもらって、そうしてわれわれの生活を暗くするような軍備はおやりにならぬ方がよかろうと私は思っております。
○島上委員 どうもありがとうございました。
○江崎委員長 他に御質疑はありませんか。御質疑がなければ、遠藤公述人に対する質疑は終了いたしました。遠藤さんどうもありがとうございました。
 以上をもちまして公聴会の議事は終了いたしました。
 明日は午前十時より開会いたします。
 本日はこれにて散会いたします。
    午後五時九分散会
by めい (2017-02-19 22:25) 

めい

第019回国会 内閣委員会公聴会 第2号
昭和二十九年四月十四日(水曜日)
    午前十時三十八分開議
 出席委員
   委員長 稻村 順三君
   理事 江藤 夏雄君 理事 大村 清一君
   理事 平井 義一君 理事 山本 正一君
   理事 高瀬  傳君 理事 下川儀太郎君
   理事 鈴木 義男君
      大久保武雄君    永田 良吉君
      船田  中君    八木 一郎君
      山崎  巖君    須磨彌吉郎君
      粟山  博君    田中 稔男君
      川島 金次君    中村 高一君
      辻  政信君
 出席政府委員
        保安政務次官  前田 正男君
        保安庁長官官房
        長       上村健太郎君
        保安庁局長
        (人事局長)  加藤 陽三君
        出席公述人農業
        (元陸軍中将) 遠藤 三郎君
        日本防衛協会常
        務理事     斎藤  忠君
        著  述  業 神崎  清君
 委員外の出席者
        専  門  員 龜卦川 浩君
        専  門  員 小關 紹夫君
    ―――――――――――――
本日の公聴会で意見を聞いた事件
 防衛庁設置法案及び自衛隊法案について
    ―――――――――――――
○稻村委員長 これより内閣委員会公聴会を開会いたします。
 本日は昨日に引続きまして防衛庁設置法案及び自衛隊法案を議題といた閤委員会し、公述人よりの御意見を聴取いたします。本日御出席なされた公述人は、遠藤三郎君、斎藤忠君、神崎清君の主君でありますが、午前の会議におきましては、遠藤三郎君より御意見を御開陳願います。
 この際公述人に一言ごあいさつ申し上げます。本日御多用のところわざわざ本委員会のために御出席いただきまして、厚く御礼申し上げます。申すまでもなく、ただいま審議中の両法案は、国民に及ぼす影響大なるものがあると存ずる次第でありますが、公述人におかれましては、両案に対し十分忌揮のない御意見をお述べいただくことができますれば、本委員会といたしましても法案審査のため幸甚と存ずる次第であります。
 それではこれより公述人に公述をお願いいたしたいと存じますが、念のために公述人に申し上げておきます。公述人は発言の最初に御氏名をお述べいただき、また発言の都度委員長の許可を求めてから御発言をお願いいたします。また委員は公述人に質疑ができますが、公述人は委員に質疑できないことになつておりますから、さよう御了承願います。
 それでは遠藤三郎君より御意見の御開陳を願います。
○遠藤公述人 では、ただいまから私の意見を申し述べます。次のような順序に申し上げてみようかと存じます。第一は本法案と憲法との関係、第二には、憲法と離れまして、軍隊をつくるものとして本法案がどんなぐあいにできているか、つまり本法案のできばえについて第二番に申し上げます。第三番には、この法案が通過いたしまして軍隊をつくるものと仮定いたしました際に、そのでき上る軍隊がどんな軍隊になるであろうかという見通し、それが第三番目であります。第四番目には私の結論と申しますか、判断を申し上げます。
 では、今の順序に従つて申し上げます。外国軍隊の直接侵略に対しまして防衛任務を有する武装団体は、国際通念上明確に軍隊であります。現在の保安庁法では保安隊や警備隊が直接侵略に対する防衛任務を持つておらないのでありますから、その編成装備がどうあろうとも、厳密な意味合いではあれは軍隊とは言い得ませんでしたが、本法案によりますと、明らかに自衛隊に直接侵略に対する防衛任務を与えておりますので、その名称や編成装備がどうあろうとも、軍隊であるということは否定することができないのであります。一方現憲法におきましては、軍隊の保持を禁止しておることは明らかであります。一部の者が自衛のための軍隊は禁止しておらないと解釈しておる向きもありますけれども、それは国民大衆の常識が許さぬものと思います。本憲法は日本文でできております。それをわれわれ日本の国民大衆が選出した日本の代議士諸君が、日本の議会において審議して定められたものでありますから、その初めのいきさつがどうあろうとも、われわれ国民大衆が祖先から受継いで来たところの日本語の力をもつて正直に文字通り解釈するのが正しい解釈でありまして、三百代言的に解釈する必要は毛頭ないものと私は思つております。従つて本法案は明確に憲法に抵触いたしておりますから、現憲法の存する限り本法案を認めるわけには行かぬのであります。これはきわめて重大なことでありまして、もし憲法に反する本法案を認めるようなことがありましたならば、政府並びに議会は国民の信を失うものと思います。また政府並びに議会におきまして、国の基本法である憲法を無視し、あるいは躁聴するようでありましては、あらゆる法律はその権威を失い、国民の遵法精神は消磨いたしまして、法治国家たるの実を失う重大な結果を招来するものと恐れるものであります。ゆえにこの点十分御考慮の上、もしどうしても本法案の制定が必要であるならば、まず憲法を改めてから実施せられなければならないものと思つております。憲法に抵触する点はほかにもありますけれども、時間がありましたらあとで申し上げることにいたしまして、第一点はこれで終ります。
 第二の、憲法問題を離れてかりに軍隊をつくるものとして、本法案のできはえであります。本法案は、まことに失礼な言葉でありますけれども、外国の模倣型であり、かつ第一次欧州大戦型のきわめて陳腐なものと思つております。申すまでもなく軍隊の形というものは、その国の国情によつて違うここはもちろんでありますが、特に兵器の進歩によつて著しく変化するものであります。今きわめて簡単にその兵器り進歩と軍隊の変遷の歴史を申しますと、火薬の発明前、すなわち刀剣弓槍の時代は、その兵器の威力の及ぶ範囲がきわめて小さいので、陸軍が主体でありまして、海軍というものはありませんでした。またその勝敗は主として武芸、武技の練達の度によつて定まりましたので、特定の階層と申しますか、特定の職業の軍人、つまり武人もしくは騎士等が世襲でこれに当つておりました。ところで火薬の発明以後、すなわち銃砲の時代になりますと、その威力圏が増大いたしまして、船と船との間でも戦闘ができるようになりまして、海軍というものが陸軍から独立するようになりました。そうしてその刀剣時代、いかに武芸の達人でありましても、銃砲の飛道具にはかないません。また銃砲の方は刀ややりのように、必ずしも長い期間訓練せぬでもできるようになり、従つて特定の武士もしくは騎士が軍人になるのではなくて、般民衆から志願もしくは徴集によつて軍隊に入れる。また威力範囲が広くなりましたので、多数の者が戦場で戦うことができるようになりましたから、従つて陸軍、海軍というような大きなものになつて来たのであります。次いで航空機の発達によりまして、さらにその威力圏が拡大されまして、陸と海の戦線と銃後の区別がなくなりましたので、いわゆる国家総力戦というような形になりました。従つてこの時代になりますと、当然空軍を主体とせねばならぬようになつたのであります。大東亜戦争におきまして日本はそこまで行くことができず、旧態依然として、陸海軍が主体になつた軍隊をもつていくさをしたことは御承知の通りでありまして、これが敗戦の一つの大きな原因となつておると思つております。ところで今や原水爆弾時代になりました。しかも誘導弾やロケット弾等の進歩によつて、飛行機さえも兵器としては陳腐になりつつあるのであります。換言いたしますと、今後の真の戦力は従来の軍隊、はなくして、科学、工業力になりつつあるのであります。昔から軍隊を持つておる国はこれを鶏するといつことはなかなかむずかしいのでありますから、どこの国も徹底的にこの新しい形の軍隊にはなつておらぬのであります。日本のように今まで軍隊のない国が新たに軍隊をつくるならば、もつと新しいセンスによつてつくらるべきものであつて、何も苦しんで、この法案に書いてあるごとく、陸海空の三本建で行く必要はないものと思つております。
 なお本法案においては非常な無理があると思います。それというのは、自衛隊の任務に明確に、外国軍隊の直接侵略に対する防衛任務を与えておられるということであります。しかも自衛隊法の五十一条でございますか、隊員一の使命として隊員は自衛隊の使命を自覚して服務するようにと、服務規定のところに書いてあるようでございます。これは重大なることであります。このでき上る軍隊の実力から見まして、外国軍隊の直接侵略に対する防衛任務はとうてい私はできないように思つております。そのできない任務を授けるということは、これは精神的に非常に重大な負担を感ずるのでありまして、ちようど大東亜戦争の末期にあの若人らに特攻をやらした。その特攻を再び強要するような結果になるのでありまして、私はその若人らに対してまことに気の毒に思うのであります。またかくのごとく実行のできない任務を授けるということは、一面責任観念を消磨させる結果になります。できないことを命令する、命令には限りがあるという考え方、これが責任観念を消磨する原因でありまして、そごに軍紀を破壊し、堕落させる第一歩があるものと思います。この点非常に無理がありますから注意せねばならぬことと思います。またその次に、本法案によりますと、やはり今度できます軍隊は間接侵略に対する防衛の目的を持つておるのであります。また国内の治安維持のためにつくる、このように書いてあります。これは私は非常な矛盾だと思うのであります。間接侵略に対する弱点、国内治安の乱れる根本原因は何であるかを考えねばなりません。それは申すまでもなく国民生活の貧困に伴う国民大衆の不平不満であります。ところでこの法案によつてできます軍隊にそれが防ぎ得るかどうか。むしろ助長するのではないか。すなわち再軍備はこの目的から見ますと、つまり間接侵略に対する防衛、あるいは治安維持に対する防衛という目的からいたしますと、むしろ有害であつて無益と申さねばならぬと思います。
 第三には、かりにこの法案が通過いたしまして、これによつて軍隊ができた場合、その軍隊はどんな軍隊になるであろうかという見通しであります。基盤のない軍隊は砂上の楼閣と申しましようか、砂上の楼閣どころかむしろ危険な存在と私は思つております。ところが現在わが国におきまして、その基盤ができておるかどうか、これはよく考えねばならぬことと存じます。精神的、道義的基盤はどうであるか、まず第一にそれを申します。汚職問題、疑獄事件等、道義の廃頽目に余るものがあります。かくのごとき状態のもとでつくられる軍隊が健全であるはずはありません。昨年の秋北海道で実施されました保安隊の大演習のルポルタージュが中央公論の四月号に出ておりましたが、まさかあの全文が虚構だとは申し得ないだろうと思うのでございます。第二は、財政的、経済的基盤であります。これもまたきわめて貧弱であることは、私からるる申す必要はないと存じます。再軍備によりましてこの上民生をきゆうくつにいたしましたならば、赤色陣営の侵略がなくとも内部から崩壊いたしまして、軍隊はむしろ内乱や革命の具に使用される危険が多分にあるように思われます。次に科学技術的基盤であります。終戦以来約十年の空白は重大であります。これが回復には絶大なる努力と時間と経費とが必要であると思います。しかるに旧式軍隊と申しましても、これをつくる以上相当の経費を要することは当然でありまして、それだけ科学技術の振興に振り向ける経費が減少することもまた免れ得ないことでありますから、その進歩はいよいよ遅れるおそれがあります。その他の資源の点等から見ましても、特に油の現状から見まして、油のない軍隊はまつたく機動力がないのでありますから、いざりと申しましようか、かかし同然であります。アメリカからその油を仰がない限り、まつたく動けない軍隊になるのでありまして、そこに自主性はありません。強く申しましたならば、アメリカに生殺与奪の権を握られている軍隊しかできないといわねばならぬのであります。ところで国際情勢はどうか、そんなに急いで再軍備しなければならぬ状態であるかと申しますと、私は国際情勢はそう急迫しているようには思われません。むしろ緩和し、かつ軍縮の方向に向いつつある面もあるのであります。従つて再軍備するにいたしましても、まず基盤をつくることが先決でありまして、軍隊のごときはゆつくりと情勢を見きわめ、研究を積んだ後にされるのが賢明だろうと思つております。
 最後に結論を申し上げます。人類社会の正しい歩みから見まして、また日本の進むべき道から見まして、日本は再軍備すべきじやないと確信しておるものであります。従つて本法案は廃棄されることを希望しております。人類社会の正しい歩みは、戦争を否定し、力の外交から話合の外交とならねばならぬ。国際連合からさらに進んで世界連邦へと進んで行くべきものと思つております。そうして日本の進むべき道は、万世のために太平を開くとお示しになつておるあの言葉の通りだと存ずるので、あります。一方人の知識、人知の発速は限りがありませんし、従つて科学の進歩も停止するところがないものと存じます。や原子力時代に人りつつあるのであります。そうして兵器は、その時代の科学の粋を集めてつくられるものでありまして、原、水爆が実現して来たのも当然のことと思つております。従つて、もし今日戦争が始まりましたならば、日本が参戦するといなとにかかわらず、人類社会の滅亡を来すおそれが多分にあるように思われます。原子力の国際管理や原水爆の製造並びに使用の禁止等が法律によつて定められるといたしましても、軍隊の存する限り、いざというどたんばになりますと、絶対にこれが使用されないとはだれも保障し得ぬところだろうと存ずるのであります。これが軍隊並びに戦争の本質と思つております。現にアメリカの原子力委員長のストローズさんですか、ビキニ付近における水爆の毒害方面からあの通りごうごうごうたる非難があつたにもかかわらず、傲然として、軍事上の要請はすべてに優先する、その要請を満たさぬ限りは、平和的利用のごときは考慮する余地なし、こう放言しております。また雑誌で見たのでありますが、ウイーン大学の物理学部長ハンステイリングという学者は、万一戦争が起つた場合に、原爆を禁止しても、将来原子力を平和的に動力源として使う際出て来るところの莫大なる核分裂生成物、俗に言う死の砂を使用することなしに無条件に屈服するようなことはおらないであろう、こう言つておるのであります。軍隊の存する限り、兵器の使用禁止等の法律は私は無意味のように思われるのであります。それはちようどかつえたねこの前に食うべからずという札をつけたかつおぶしを置くにひとしいように思われるのであります。でありますから、真に人類社会の永遠の幸福をこいねがうならば、まず軍隊をなくすべきものであろうと思います。現憲法によりまして戦争と軍隊とを否認しておる日本こそ率先してこれを実行し、米ソの間の抗争を緩和するよう奉力することがわれわれ日本人に与えられた崇高な使命と信じております。この意味におきまして私の希望は、本法案を廃棄いたしまして、現保安隊のごときも逐次勤労隊の性格に変更いたしまして、文化国家の建設に邁進されんことを切願しております。
 簡単でございますが、私の申し上げたいのは大体このようなものでございます。非常に簡単に申しましたので御質一問もあることと存じますから、その御質問に応じてお答えいたしたいと思います。
○稻村委員長 以上をもつて遠藤公述人よりの公述は終了いたしました。御質疑はありませんか。――粟山委員。
○粟山委員 ただいま遠藤さんから理想の御意見を伺いまして、私一つお伺いしたいことは、かつて桂太郎という著名な陸軍大将がおりまして、軍人にしては非常に世故にたけた洗練された人であつたように私どもは記憶しております。総理大臣を四回も重ねられた人だつたと思いますが、桂さんが、かつて自分は軍人で戦争に終始したものだ、それゆえに平和ということが強く胸を刺すものがあるのだというようなことを言われたことがあります。また米国の南北戦争でリーという人は戦いに破れたけれども、教育のために終始された方であります。そうして南方の文化開発に大いなる貢献をされたことは著名なことであります。また日本においでになつたことのあるグラント将軍は、戦争に勝つた方の将軍であるが余生はアメリカの建国の精神方面に尽されて、かつまた日本に参りましても、日本のために日本の将来を考えて非常に親切な注意を払われたお方であります。軍人であつて戦争のために真剣にその使命を果された人ほどに、りつぱな人格を持たれ、強き信念のある人は、戦争の非常に悲惨なことから平和を念ぜられる気持は私どもよくわかるのでございます。ただいま遠藤さんのお話は理想だとおつしやるからそのように承つておるのでありますけれども、ただ私どもがここへあなたをお招きして、この議事堂で審議しておりまする二法案を取扱いにあたつて、私ともも理想はありますけれども、理想やイデオロギーはそれといたしまして、現実というものを離れることのできない重大な使命を私どもは持つておるのであります。義務、責任を持つておるのであります。そういう観点から、国会議員としてこの議席にあつて、国会にお招きして、あなたのお話を承ることは応理想として承りますが、現実の点から私ども考えますると、あなたのお考えのように軍隊廃すべし、この説も聞き得ることでありますけれども、もしそれをあなたのおつしやるがままに受入れるとするならば、日本は今MSAの協定をしたのも破棄せよ、サンフランシスコにおけるところの条約はこれを破棄せよ、また来年になつてあり得ることと考えるところの国連の一連の動きに対しても、いかなることがあつても日本は日本として国連に参加するようなことがあつてはならないういうようなことで、この日本を指導して行かねばならぬという、そこまであなたがお見通しがあり、国民としての御決心があつて、かような理想論をここで私どもにお示しくださるのであるか、その一点をお伺いしたいと思います。
○遠藤公述人 私が申し上げたことが理想と今申されましたが、もちろん理想を持つておりまするが、決して現実を離れておるつもりではおりません。国際連合の問題は、私はすみやかに国際連合に加盟すべきものと思つております。但し国際連合に入つたからというて、ただちに軍備を持たなければならぬ、軍隊を持たねばならぬとは考えておりませんのであつて、国際連合に警察部隊を持つように提案し、そD方向に進んでもらうように努力すべきだと存じております。それから今日本で軍隊がなければすぐ日米安全保障条約に抵触するかと申しますと、私は抵触するものと思つておりません。あの条約では自衛力の漸増を希望されております。自衛力は必ずしも軍隊をつくることのみが自衛力じやございませんので、さきも申しましたように、まず第に基盤がなくちやいかぬ。基盤をこしらえることがすでに自衛力の第一歩であります。軍隊をつくるとは日米安全保障条約にはうたつておりません。ただMSA協定は、これは確かに軍隊をつくることになるのでありまして、先般MSA協定の問題で公述人として来ましたときは、私はMSA協定は破棄すべきものだ、こう主張いたしました。私の申し上げることは決して現実から離れておるわけじやないと存じております。
○粟山委員 お説に対して私もお話申し上げたいことがありますが、そのお説はこににも防衛庁関係の当局者がおりまするから当局者にお話くださるものとして、私どもはさらに委員会において私どもの職責を果すときに、あなたのお話を参考としてまたお話する機会があろうと思います。これをもつて私の質問を打切ります。(つづく)

by めい (2017-02-20 05:58) 

めい

○稻村委員長 大久保委員。
○大久保委員 遠藤さんにお尋ね申し上げます。ただいま国際連合に加盟をして警察部隊を持つことを提案したい、こういう御答弁がございましたが、お尋ね申し上げたいのは、国際連合か持つべきであると御想定になります警察部隊は、いかようなものを御想定になつておりますか。お示しを願たい。
○遠藤公述人 私はこの問題は今急に考えたのじやございませんので、昭和二年ジユネーヴで行われた海軍軍縮会議に出席したときから頭におぼろげながら浮びつつあつて研究を続けて来ておつたのであります。その後フランスに留学中、オーストリアのクーデンホーフェ氏が欧州連邦ということを唱え出しました。その説を聞いて、私は非常に感銘したのでありますが、越えて昭和六年ジユネーヅの国際連盟の全体軍縮会議のときも、私準備委員を仰せつかつてそういうような鰻をいろいろと考え、それから昭和六年秋、満州事変が勃発した際、満州をどういうふうに処理するかという問題に直面いたしまして、いろいろと讐の御覧なんか聞きましたとき、私の胸に非常に強く印象づけてくれたのは支那の哲学者です。子沖漢という人が、真に満州を理想の国にされるならば、軍備のない独立国家にしなさいというふうに教えてくれたので、私は非常に啓発されたわけです。そのときこれらのことで私が頭に構想を描いておつたのは、世界連邦までは考えておりませんが、東亜の連邦を考えた、そうして満州国を理想の国にし、それに見習つて近隣の国が第三、第三の満州国をつくつてくれるであろう、日本ももちろんその中に人づて東亜連邦をつくらぬことには、東亜は落伍するであろう、こう思つておつたわけであります。その際における防衛問題満州事変のときすでに満州に軍備のない独立国家をつくれというのだけれども、その国防はどうなるのかということに直面したときの構想は、日本軍二そ帽際警察の任に当るのだ。私ども小さいときに、今から四十年ほど前、明治四十年に私は幼年学校に入つたのでありますが、ちようど日露戦争のあとでありまして、天にかわりて不義を討つのが日本軍であると歌わされた。神兵といい、皇軍といい、真にこれは正しい軍隊であつて凶器じやない、国際警察の任務は日本軍が受持つものと思つて、満州国は武力のない、軍隊のない独立国家で成り立つ、こう思つておつたのです。しかしこれは私の幼い考えの誤りでありました。その正しかるべき日本軍も残念ながら必ずしも神兵、皇軍としての価値がなかつたように思われます。そして覇道に陥つてこんなふうになつたのであります。
 現在考えておる国際警察というのはこういうものなんです。今新たに国際警察をつくろうといつたつて、それは無理である。世界連邦主義者は新たにつくるように考えておられます。しかし私は新たにつくるのはとうていできぬというので、私の構想を賀川豊彦さんや下中弥三郎さん、世界連邦建設同盟の方から構想を書いてくれということで、本年の一月に世界国家というパンフレットにその構想を出しておいた。そのあらましを申しますと、現在各国の持つておる軍隊をそのまま一応国際警察という名称のもとに形の上で国際連合に提供する。しかしもちろんさしあたりそれを保育するところの経費はその提供した頃が一応担当するわけです。これは国際連合品に入つておる分担金のつもりで提供しなければならぬ。そして現在の安全保障理事会のかわりに、あれを改変しまして、治安理事会というようなものをつくりまして、そのもとに専用家を集めまして、総参謀本部というような形のものをつくるわけです。そこで各国家から行つた代表が寄り集まつて研究いたしまして、各国の提供したところの軍隊、今度性格をかえまして国際警察になつたものの地ならしをするわけです。不必要なものはなくす、必要なものは増加する。しかもそれが各国の国力に相応するように、芳、の分担が均等になるように地ならしをいたします。そして原則としては、出した国にその部隊を置くのです。そうしてそれは決していくさをするのが目的ではないのであります。警察でありますから、国際的ギャングを取締るものであつて、やむを得ぬ場合には行使して制裁をしなければならぬでございましようが、制裁するのが真の目的ではなくて、取締るのが目的である。つまり未然に国際的暴動を防げというわけなんです。それから、それが国内の治安維持にもし必要であるならば、これはその国の政府が国際連合の認可を得まして使うこともできる道を開く。緊急の場合には責任を持つて使つて事後の承諾を受けるところの道を開いておきます。もちろん国内に使つた場合における経費はその国で負担するのが当然であります。そういうような構想のもとにやればこれは頭の切りかえだけですぐできるの応あつて、決して不可能な問題じやない。しかしもちろんこれはそこまで各国の頭を切りかえることは非常にむずかしい問題でありまして、軽々にできるものとは私は思つておりませんが、そういう目標に向つて一歩々々進んで行く。そうしてこういうことを力強く提案して、どうしてもそれに入るのはいやにという国があるならば、二れは国際的ギャングをやる下心があるような国でありましようから、それは出てもらう。そうして志を同じゆうする国々によつてやるんだ、この目標に進むためには非常に難所はあるでありましようけれども、日本はあのほとんど全世界を相手にしていくさをやるくらいな気力のあつた国ですから、そのくらいの難所を切り抜けるだけの気力があつてもいいのではないか。またその気力を力強く発揮するためには、日本が軍隊をつくつたのではその発言が弱くなる。むしろ危険であつても軍隊でなく裸のままにおいて進むところに力強いところがあるじやないか、世界をその方向にひつぱつて行くだけの力が出て来るのじやないだろうかというようなわけでございまして、この構想はうぬぼれかもしれませんけれども、決して架空とは思つておりません。
○大久保委員 ちよつとお尋ね申し上げます。ただいまの御説明にありました警察部隊でありますが、これはただいまの御抱負によりましても国が相当な乱暴を働いた場合におきましてはこれを取締る力になる、こういう御趣旨でございますが、相当な乱暴を働くということはやはり一国が無謀なる侵略を行う、こういう場合に対処しなければならぬと思います。すなわちそれは直接侵略の場合が多い。そうしますれば、この警察部隊というのはいわゆる国際的な軍隊であると私は考えますが、この点はいかがでありますか。
○遠藤公述人 軍隊の定義はもとよりありません。国際的に軍隊の定義というものはありませんが、しかし先ほど申しましたように、通念として外国の軍隊の侵略に対する防衛任務を持つておる武装団体が軍隊であると言われて来たのであります。またさらにこの軍墜いうのはもともと戦争というのが基調になつておるのであります。ところがその戦争というのは何か、これまた国際的の定義があるわけじやありませんけれども、われわれ子供のときから軍政学で習つておる。これは私フランスに行つて向うの大学にも入つたのでありますが、同様であります。その戦争というのは対等の国と国との暴力をもつてする争いなのです。だれもそこに是非善悪を見て、法律によつてお前はいけないんだ、お前は正しいんだといつて、その采配を振つてくれる者もない。いわゆる近代国家時代における、つまり一国の主権が絶対であるという考えのもとにできておつた近代国家時代における国と国との争いであつて、それに対して是非善悪はだれも示してくれないというときの武力的抗争なのです。ところで現在は国際連合がございますし、国際司法裁判所があり、侵略であるか正しい防衛であるかということは、もう明確にわかるわけです。従つて私は正しい厳密な意味における戦争というものはなくなつた、どつちかが必ず悪いんだ、悪いやつはギャングである、どろぼうである、どろぼうを取締る行為はたとい形の上で戦闘行為が行われても、それは戦争にあらずして警察行為だ。警察という言葉も、これは必ずしも当つておりませんけれども、ほかにいい言葉がありませんから使うのです。どうも警察というと、警察国家のことを連想いたしまして非常にいやな味がするのであります。私はそういう意味でなしに、法に従つて正しいのを守るのを警察行為と解釈しておるわけです。従つて国際的ギャングを取締る行為は私は戦争と言いたくないのであります。それを警察行為と言うておるのであります。従つて軍隊という名前も、戦争を基調としておるところの軍隊というものは、名前においてすでに陳腐になつたものである。従つて私は国際警察を軍と言わすしてことさらに警察部隊という名前で一昨々年あたり、朝鮮動乱が勃発するとすぐこの提唱をしたわけです。
○大久保委員 ただいまの御説明によりまして、軍隊と言わずして一種の警察部隊である、防衛隊である、こう考えて行つた場合、国際的なそういう部隊ができた場合、日本が国際連合に入つて、日本が義務を負わなければいけない。各国が自分の国民の税金によつておのおの国際的に部隊を提供しておる場合、日本も入つておつて義務を負わなければいけない。日本も相当な侵略の脅威があるとすれば、日本もやはり日本の税金によつてあるいは国際的な部隊を編成せぬでいいか、こういう点でありますが、その点は全然日本はそういうことに参加せずに、そういう部隊を持たずに、パチンコをやつておつてよその国際部隊に日本を守つてもらう、そういうことではたして進むものであるか、この点をお尋ねしたいと思います。
○遠藤公述人 私はいやしくもこのちつぽけな地球に国をなすもの、仲間入りをせずに自分だけいい子になるという考えは毛頭持つておりません。国際連合に入つた以上、国際社会の一員といたしまして義務は当然負うべきであります。その際においては日本もやはり進んで、それこそ国力相応の国際警察部隊をつくつて、国際社会の一員としての義務をりつぱに果すべしと思うのであります。それまではつくらぬというわけであります。それまでは断してつくらぬ、それをつくらすためには、今軍隊をつくればかえつてじやまをするという考えで、苦しいのを歯を食いしばつてでもがまんしてもらつて、しかしこの点は長い時間かかるではございましようが、ここで申し上げるのはどうかと存じまするけれども、長い時間かかつても日本は困らない、はなはだずるいような考えで、ございまするけれども、その間つくらぬでおつてこそ、その分担金を出す時期が遅れるのでありますから、それによつていわゆる基盤を早くつくつて行く。そうしてりつばな文化国家にして世界から尊敬されるような国になつた方が賢明である。私は決して国際警察部隊をたくさんつくるようなことは目的としておるのではないのでありまして、理想としては国際警察部隊も将来はゼロにしたいのであります。遺憾ながら現在の社会情勢では国際的ギャングをやりそうな国もおるのでありますから、遺憾ながらやむを得ずつくるのであります。逐次そういうギャングをやるような国がなくなつたならば、国際警察部隊というものはゼロになつて行くわけであります。しかし必要なときは、そして日本が国際連合に入れていただいたならば、当然その義務を果すべきものと思つておりまして、決して税金を払わずにおつてといいますか、保険金をかけずにおつて保険をもらおうというようなさもしい心は持つておりません。
○大久保委員 先生が一番初めにお話になりました、直接侵略に対処すれば軍隊である、日本の防衛隊は持つ必要はない。これは時間的な問題のようにも承るのでありまして、結局防衛隊、こういう任務であれば持つべきである。それは軍隊ではない、そういうことになりますと、一応憲法とも両立するような論理的結論にもなるようでありますけれども、最初の先生の御意見と、あるいは現在の防衛隊であればそれは軍隊ではないのであつて、憲法に沿うのではないか、こういうふうにも返つて参りますが、その点はいかがでありますか。
○遠藤公述人 国の持つておる武力でございましたら、それは外国を取締る権限がないのであります。国際連合において国際警察部隊を認め、国際連合においてある法律をつくつて、そうして侵略者と烙印を押してくれぬ限りにおいては、向うから入つて来るものも堂々たる一国の軍隊である。日本でこしらえるのは軍隊という名前はついておりませんけれども国のものであつて、そこに何ら警察的権限はない、法的権限はないわけでありますから、これはどつちも軍隊であつて、そこに起るものはいくさであつて、決して警察行為とは言えない。警察行為であるならば向うから入つて来るものに対して軍隊としてでなしに、不法入国者として、そうして警察的性格において、法律に基いて取締るならけつこうだと思う。それならばいい。しかしこれは決して武力をこちらから行使してはいかぬ。警察であるなら、自己の防衛上武器を使うことはありますけれども、警察行為たるもの、こちらから鉄砲を撃つてはいかぬ。ところが今度の法案によりますと、自衛隊法案にしても、防衛庁設置法案にいたしましても、直接防衛の任務を与えておられまするが、これは向うから来た場合に不法入国者として法によつて取締るのではなくて、指揮官の命令によつて撃つわけです。戦闘行為が起るのです。ことに先ほど時間かあつたら申しますと言いましたのは、飛行機のことなんです。これは非常に危険だと思つております。自衛隊法案の八十四条に「上空から退去させるため必要な措置を講じさせることができる。」こうなつている。飛行機が空を飛んで来た、それを退去させるため必要な措置、高射砲で撃つか、飛行機で追いかけるかしなくちやいかぬのであつて、警察行為ではちよつとこれはできません。これは必ず戦闘が起るわけなんです。またこちらのものもなかなか境界というものはわかるものではありませんから、境を接しておる両国において飛行機にこういう任務を与えますと、こちらのものも向う案ん存く。これはしばく私も体験しておりますが、そういうことが書いてあることは危険だ。日本でつくつておるものがたとい保安隊であつても、あるいは自衛隊でありましても、外国の軍隊が来た際に、それを取締るという行為は警察でない限りはできないわけです。こちらから積極的にたまを撃つて撃ち落す、あるいは撃退するというような行為は決してこれは警察行為と言えないと思つておりますので、やはり国際連合のものでなしに、日本のものとしてつくれば、これは軍隊であると言わざるを得ないのであります。
○大久保委員 先生のお説は一国でつくれば、直接侵略に対抗する場合には軍隊である。国際的につくれば、それは警察部隊である、こういうふうに了承いたしました。
 次にお尋ねいたしたいことは、先ほど軍隊をなくせ、そうして米ソ間の対立を緩和せよという御意見でありますが、これは中立を守れという意味でございますか、お尋ねいたしたいと思います。
○遠藤公述人 私は日本がアメリカの友邦であるということは、まことにけつこうだと存じております。しかしアメリカの友邦であるからというて、ただちにソ連、中共を敵にする必要はないと思つております。やはりお隣りの国でありますから、できる限り友好関係を早く結ぶべきものだと思つておるのであります。そうして日本はどこまでもこれは是々非々主義で行くべきでありまして国に辺倒をしてはいかぬ。ことに今日本が軍隊をつくりますと、先ほど申しましたように、油の問題一つから見ましても、どうしてもこれはアメリカに生殺与奪の権を握られておる。さらに悪口を言えば、アメリカの傭兵的性格しか持てない。そうなつて来ますと、そういうことはもう中共もソ連もよくわかつておるのですから、今日本が軍隊をつくれば、これは中ソを仮想敵国にしているくらいは明確にわかるのでございます。そこに軍備拡張の糸口がまた開かれる。アメリカ陣営の兵力が多くなれば、中ソもまたそれに対応するように軍拡しなければならぬということになりまして、米ソの抗争に油を注ぐ結果になりはせぬか、だから少しでもそういう結果にならぬように、日本は軍隊をつくらず、裸のまま、けんかはやめろというふうに持つて行くべきじやないか、また歴史的に考えてみましても、日本は東西文明のいわゆる融合点になつて来薫るのでございますので、われわれいくさに負けたからといつてそう卑下する必要はない、そういう使命と力があるのではなかろうか。うぬぼれてはいけませんけれども、こういう平和方面には自分の力を少しくらい過信してもいいじやないか。武力を持つて、その武力を過信してこの前のような大東亜戦争をおつぱじめたのではいかぬのでありますが、平和の戦士として行くことならば、少しうぬぼれても、力を過信しても、それが誤つても害はない、こう思つておりますから、私は断々固として、平和方面に向つては力強く進みたい、こう思つております。
○大久保委員 先生は作戦家でありますから、お尋ねいたしたいと思いますが、ただいまのお説のように、日本の油はどうしても海外にたよらなければやつて行けない。もう戦車も軍艦も動くものでない。この日本の置かれておる戦略的、地理的な地位というものは、海を持つておりましても、きわめて弱い。一方またいずれの面からしましても、前進基地としてはきわめて重要なる地点であります。また日本の工業力というものはきわめて優秀である。日本の人的動員力というものは、きわめて豊富であり、かつ有力である。そうなりますと、これはいずれの陣営から見ましてもきわめて重要なポイントであろうと思う。そうしますと、これは平時におきましては、私は通商上からいいましても、日本の立国の上から申し言しても、あまり片寄そ外交というものはどうかと思いますけれども、事戦時になりました場合、そういうことは避けたいのですけれども、一体日本が全然の裸であつてよく中立を保ち得るかどうか。すべての国がきわめて倫理性が高ければ別でありますけれども、ロンドン条約における潜水艦条約すら守られないで無警告撃沈をやる。大東亜戦争におきましては、幾多の戦時国際法違反が連続しておる。日本が無条件降伏しても数年間占領される、あるいは無条件降伏しても、日本の漁船が拿捕、撃沈される。こういうような一つの国際戦時倫理というものを無視しておる慣例が横行しておる際に、全然素裸で米ソという二人の横綱のまん中に入つて、どつこい、待つた、こういうことをやれるかどうか、押しつぶされてしまいはせぬか。こういう例は、大東亜戦争の終末においても、日ソ不可侵条約を結んでおつたにもかかわらず、ソ連に和平の仲介をたのんでおるのに、ソ連から、先生のおられました満州に進撃される、こういうことになるわけであります。はたして先生が言われるように、軍隊なくして、裸で両横綱の間にあつて、どつこい待つたができるかどうか、押しつぶされはせぬか、私はこの点が、戦時中に限りますと、先生のお説が若干疑問になつて参りますが、もう一ぺん作戦家としての先生の御意見を伺つてみたい。
○遠藤公述人 米ソが熱戦を始めるという前提のもとには、今あなたがおつしやる通りです。日本はどうしても戦場になると私は思つております。そうして日本がどつちにつこうが、やはり日本は非常な大打撃をこうむるものと思つております。でありますから、ついても、つかぬでも同じであります。中立も成り立たぬかわり、片一方についたところで、米ソ戦うという前提のもとには、日本は戦場になることを覚悟しなければならぬ。従つて日本の国民大衆というものは非常な痛手をこうむるということになるのであります。ですから私は戦争をさせてはいかぬ。戦争があるという前提のもとに準備を進めて行くのじやなくて、戦争をなくすることに全力を尽す。それでもいくさが起つたとしたならば――これは神ならぬ身の何とも言えぬことですが、いくさが起つたとしたら、日本が軍隊を持つておつても、決して幸福になり得ない。同じことでありますから、むしろ軍隊を持たずに行つた方が――再軍備をいたしますと、精神的に、あるいは言論の自由を束縛されたり、経済的に圧迫されたり、非常に不愉快な思いをするのですから、いくさが起るという前提のもとならば、私は軍隊をつくつても、つくらぬでも同じだ、つくつて苦労するだけ損だ、さように思つている。私の考えは、その前提を置きたくない。全力を尽して戦争を未然に防ごう。未然に防ぐためには、国際連合に警察部隊を置くようにしなければいかぬ。それに努力して行こう。よそ見をせず、二兎を追わずに意専心そこに向つて努力をする。それでできなかつたならば、それは天命であります。しかたがありません。しかし天命ではありますけれども、私は武力をもつて抵抗するよりは、いいか悪いか私は判断するわけには行かぬと思いますが、私は赤はきらいです。赤がきらいなら、いわゆる威武に屈せず、富貴に淫せずという心を持ちきえすればよろしい。匹夫といえどもその志は動かすべからず。私は明らかに申しておきます。赤はきらいですから、赤には絶対なりません。赤が来ても赤になりません。その心を国民が持つておつたら、国際連合に入り国際連合が警察部隊をもつて国際的ギャングを取締る時期が来ぬ前に米ソ戦つた場合においては、私はどつちにも武力をもつては協力いたしません。国民もまたその気持を持つておられたならば、むしろその方が幸福だろうと思う。なまじつか武力をもつて抵抗して、そこにソビエト軍あるいは中共軍が上つて来た場合における国内の混雑あるいは虐殺の起る状態、これを戦史的に見ますと実にむごたらしいものであるということは、私は戦場においても体験しております。日本を戦場にしたくありません。もちろん戦場にしなくても爆弾が落ちて来るでございましようが、せめて国民は心の抵抗のみをもつてやつても価値のない大東亜戦争の末期に、婦人にまで竹やりを持たしたあんな気違いじみた抵抗をやらせれば、それこそ連帯責任を問われまして、抵抗もしない、あるいは抵抗もできない婦女子も老人も皆殺しになるおそれが多分にあるものと思いますから、私はむしろそういうことはさせない方がよろしい、こう思つております。
○大久保委員 ただいま、戦時において米ソ間の中立は困難である、こういう先生の御意見で、私はしこく同感でございます。
 そこでこれは国の例はあげませんが、裸の場合に、国内に外国の部隊が上陸して来た場合に日本の民生が非常に痛められるだろう、これは私も漂然とするものであります。きわめて非人情であることは、これは大東亜戦争後においてわれわれはなまくしく体験したところでありまして、今後に想定されることはそれどころの騒ぎでないと私は考えるのであります。日本に外国部隊が上つて来るということは、これはどうしても海を越えて来る、こういう面からいたしまして、日本が一つの海上に対する適当な力を持つということは、これは日本の民生の維持から申しましても、日本のほんとうの警察的な立場からいたしましても大事なことであろう。これは先生が先ほど申されました、三軍均衡の必要はない、もう少し重点でやれという御意見とも合つて来るんじやないかと思いますが、私の意見は海空を重点としてやれという意見でございます。イギリスがダンケルクを前にしてイギリスを守り得たのは、イギリスの海上部隊と、イギリスのスピツトフアイヤーである。かくのごとく日本の一つの防衛航空部隊、それから日本の補給を完全にする海上防衛部隊、日本の沿岸哨戒隊、これだけは、先生のさつき言われる直接侵略に対抗する軍隊であるということではなく、すなわち日本の民生を守る必要な防衛部隊ということに入りはせぬかと思いますが、この点はいかがでございましよう、最後に先生の御意見を伺いたいと思います。
○遠藤公述人 お説まことにごもつとものようでございますけれども、古来河川防禦というものは成り立つた先例がございません。海洋防禦におきましても同様であります。つまり上陸して来る敵をこちらにとどまつて防禦しようと思つても茂り立つものではございません。イギリスが成り立つたのは、攻撃して行かなかつたから成り立つたのでありまして、攻撃して行つたら、どうなつたか予断を許さなかつたと思うのです。現に今度はあべこべに向うに攻撃した際、コタンタン半島の上陸、あの世界一といわれた精鋭なドイツ軍が、あのちつぽけなコタンタン半島――これは伊豆半島よりちよつと大きいが、房総半島より小さい。しかもその海岸は、大部分と言わぬまでも、かなりのところは絶壁でございまして、上陸のできないところです。そこをあの進歩したドイツの科学をもつて要塞化し、精鋭なドイツ軍をもつて守つておつたにもかかわらず、やはり上陸を許してしまつた。そしてドイツ敗退の因をなしたわけです。日本の例をとりましても、私から申すまでもなく、あの硫黄島です。わずかに一方里半、それ」私の同期生ですが、栗林中将が二方五千の陸兵をもつて、また海軍も数千行つておつた。たつた一方里半を、あれほど長い期間をかけて全島くもの巣のように地下に交通網を掘つて守つたけれども、全員白骨です。何も硫黄島だけの話ではありません。マキン、タラワ、サイパン、それから沖繩島においても、もうことごとく、太平洋というあんな広い海を渡つて来る敵に対してさえも、守りおおせないのが上陸防禦の困難な点なんです。いわんや今度はもう一衣帯水のところに敵がおる。しかもたくさん展開しておる。しかも攻撃兵器はどうなつておるかというと、何も飛行機に載せて爆弾を日本まで持つて来なくても、向うから発射するところの誘導弾にしても、ロケット弾にしても、日本まで打込める。しかもそれが精密に落ちないとしても、原子爆弾のような広範囲に効力を及ぼすものならば、必ずしも精密射撃はいらない。そのたま数も知れたもので、日本の戦闘力は全部なくし得るわけなんです。ですからこういうものに対して日本でつくるような軍隊で守れるなんということは、私は戦術常識は許さぬのです。真に守ろうということならば、未然にその本挺を覆滅しなければならぬ。それには非常に優勢な航空部隊を持たなければならない。それは日本の国力の許すところではなし、また一国がそんな旛大な軍備を持つということは、たとい財政が許しても、これは国際的に許すべきものではない。これは国際的に罪悪であります。だからこういうような大きなギャングがあるものとして、これを未然に防こうと思うならば、やはり国際的のものにしなければいかぬ。一国の専有物にしたならば、必ずこれは国際的に罪悪を犯す。兵は凶器なのであります。一国に持たせてはいかぬ。国際警察部隊として持たすべきだ。これは相手次第によつて大きくもなるでございましよう、小さくもなるでございましようが、決して一国で持つべきものではない、こう思つております。
○大久保委員 最後に一点だけ。ただいま先生のお示しの硫黄島、沖繩上陸作戦は、あの当時はすでに日本は制海権なく、また制空権も持つていなかつたと私は判断いたします。こちらはほとんど何らの海上、空中において防衛する能力なく敵の上陸を許したものである、かように判断をいたしております。先ほど先生は原子爆弾と仰せになりました原子爆弾、誘導弾、これはもちろん非常な最高兵器であります。かようなことが行われることは極力避けなければなりませんし、また重大な影響が来るわけでありますけれども、日本の周辺の海面は、原子爆弾、誘導弾以外にしばく日本人の生命財産対する脅威が行われておるのであります。先生御承知のように日本の漁船が拿捕されている。こういつたように、原子爆弾、誘導弾以外に、日本人の生命財産に対する脅威が全然ないという保障もとり得ないのでありますが、そういう点に対して、もうとられつぱなしでいい、こういうふうにお考えになりますかどうか、最後に承つておきたいと思います。
○遠藤公述人 私は李承晩ライン問題あるいは漁船拿捕問題に対して、はなはだ遺憾に存じておりまするが、これが日本に軍隊がなかつたために起つたとか、あるいは日本に軍隊があつたならばもつと強硬な外交によつて解決し得るだろうという意見には、遺憾ながら賛成できません。も上あの際に日本の軍隊があつたならば、必ずそこに戦闘行為が起つたろうと思います。そしておそらく漁船を守り得たかもしれません。朝鮮のような新興国、しかも大して実力がないのでありますから、それは私は可能と思います。しかしもしそれをやつたら、私は日本は世界の笑いものになると思います。同じことはソビエトにもあります。中共にもあります。その際に、弱い朝鮮に対して威たけ高になつて武力をもつて圧迫してしまつたとしても、同じようなことがソビエトにもあり、中共の方にもある。これをやはむ武力をもつて解決せんとしてやるとしたら、日本はまた大東亜戦争の二の舞をやることでありまして、戦争によつて破局に陥ります。もしそうでなしにほおかむりしておつたならば、弱い者には強がりを言い、強い者にはほおかむりするいくじなし、一道義的には笑わるべき風上には置けない国ということになりまするので、これはむしろそういうことをせぬ方がよかつた、なかつたのが幸したのである。そうしてこれはやはり外交の常道によりまして、話合いによつてこれを解決すべきでないか。そのためには国際司法裁判もあることですし、また第三国の仲介を頼んでも、ちつともそれは不名誉じやない、むしろその方が正しいものと思つております。また朝鮮問題の解決は私は非常に困難だと思つております。李承晩さんが大統領をやつている間は、これはなかなか解決ができないと存ずるのでございますが面私はこういうふうにその問題に対して話しておるのです。日本からやんちやな次男坊が分家したのだ、その分家したやんちやな次男坊が、分家してからも本家に向つて何だかんだと難癖を言うて来る。その際に本家におるところのおやじなり長男なりが、今の憲法で言いますと、長男とか次男とか言うのはおかしいのです。分家もおかしいかもしれませんが、まあ例としてあげるわけです。怒つてこぶしをあげておつたのではしようがない。やはり肉親の愛情を持つて、分家が成り立つようにめんどうを見てやるべきじやないか。また言うこ乏を聞かないで難癖を言うて来るならば、おやじの言うことがわからぬなら、お前の平素尊敬しておる先生の議を聞いてくれ、あるいは仲のいい友達の意見を聞いたらよかろう、あるいは煙たがつているおじさんの意見でも聞いたらどうかというようなぐあいで、やはり話合いで解決するのが本筋じやなかろうか。武力をもつてやつたのでは、これは必ず破局を一招くものと私は思つております。この一問題のために軍隊をつくるという意見には、私は遺憾ながら同意いたせないのであります。申すまでもなく孫子の第一巻の冒頭に「兵は国の大事、死生の地、存亡の道なり」と示してあるのであります。軍隊をつくるというようなことはほんとう歯の蚕だと私は思います。決してこのような目の先の事件や、あるいは第三国の御都合や、あるいはまた国内の一部特権階級の利益のために軍隊をつくるべきじやない。さきにも申しましたように、人類社会の正しい歩み、国の進むべき道というようなことを深く考えまして、将来を思つて洞察してやりませんとぺんつくりますと、これを改編するということは非常に困難であります。これは御承知でもございましようが、日本の陸軍は旧式軍隊だつた。それを新しい軍隊に直そうと思つて、時の陸軍大臣宇垣一成大将が非常に努力されましたけれども、あの通り勢力のある陸軍大臣にして遂にそれができなかつた。そういうふうにぺんつくつた軍隊を直すということは非常に困難だ。先ほど申しましたように、攻撃兵器の進歩によりまして軍隊の形というものがかわつて行かねばならぬにもかかわらず、アメリカにしても、フランスにしても、イギリスにしても、旧態依然たる軍隊をなかなかかえ舞い。理論としてはちやんとわかつておるけれども、さて陸軍を減して空軍の方に多く持つて行こうとすると、陸軍の方のリッジウエイ長官が、それはよろしくないといつて、そつぽを向く、アイゼンハウアー大統領にしてそれを押え切らぬそういうのが、軍人の、軍隊の特質だと思う。それを無理にやりますと、縁起の悪い話でありますけれども、やはりサーベルをつけた軍人は乱暴もいたしますですから、革命が起らぬとも言えない。また二二六事件が起らぬとも言えないと思う。五一五事件、十月事件、三月事件等、あの正しくなくてはならなかつた、無色透明であるべきはずの天皇の軍隊にして、すでにそういうあやまちを犯そうとした実例があるのであります。これからつくる軍隊、基盤のないところにつくるような軍隊、その中には政党色も必ずあると思う。そうして内乱でも起つた際、必ず軍隊というものが、この防衛庁設置法案や自衛隊法案に書いてあるごとく、あの条文通りりつぱに行動するなんて思われると、とんでもない失敗を招きやせぬかとおそれるものであります。もつと、ごゆつくりと考えられて、もつと情勢が安定してからおつくりになつてもおそ、くはない、国際情勢はそれほど急迫しておらないと思うわけです。決して私の再軍備の反対をここで強要するわけではありません。大いに研究されてけつこうだと思います。しかし私のこの考えは私の信念になつております。これは四十年近くの軍人生活の体験に基く信念でございまするから、ほかの人から批判されようが、攻撃されようが、なかなか動きそうもないということだけはここで明言しておきます。
○大久保委員 ちよつと私もついでながら申し上げますが、ただいまの漁船の拿捕状況は、これは特権階級とかいうことでなくて、現在までに七百隻、抑留されました人員は一万人に達しております。これは日本国土から七百隻に相当する数十億の財貨万人の人間が拉致されたということが、もし陸上で起されていたならば大問題です。この点は先生も御記憶におとめくださいますようにお願いいたしまして、私の質問を終ることにいたします。
○稻村委員長 鈴木君。
○鈴木(義)委員 私の聞こうと思つたことは、大久保君との問答の間にほとんど答えられたようでありますから省略いたしますが、昨日野村吉三郎さんにもお尋ねをいたしたのでありますけれども、明快なお答えは得られなかつた。日本が米ソのどちらかに好んで巻き込まれるというのでなければ、国際情勢はしかく緊迫しておらないのではないかということ、それから巻き込まれるとすれば、日本は非常な破滅に陥るというようなことについて、ただいま遠藤さんから明快なお答えがありましたから略しますが、そういう状態において、原水爆などが発達をし、日本独自の立場で今日本を侵略する国があるとはちよつと考えられない。米ソのどちらかに巻ぎ込まれてやられる場合を考えて、原水爆というものを目標に置くと、今つくろうとしておる自衛隊というものは、侮辱する意味はありませんが、言葉をわかりやすく言うと、おもちやの兵隊に近いものではないか、そんなものをつくることは国費の浪費になりはせぬか、こういうことについてお尋ねをしたが、野村さんのお答えは、ないよりあつた方がいいのだ、不完全なものでも何かの役には立つというようなお答えで、私は非常に意外に思つたのですが、ひとつ遠藤さんからその点についてお答えを願いたいと思います。
○遠藤公述人 野村吉三郎元大将がそうお答えになつているとすれば、私はそれに反対てあります。ないよりはあつた方がいいじやなくて、こういうものをたくさんつくりますと、むしろ内乱なり革命なりを起す原因になりますから、私はない方がいいと思う。むしろない方がいい、あるのが害である。しかしさればというて、国内治安維持のために、全然警察力を持たぬでいいということを私は言うのでありませんで、警察力は国内治安維持のために必要であります。国内治安を確保する根本は、先ほども申しましたが、もとより国民生活の安定によつて不平不満のないようにすることであります。しかしどろぼうは浜の真砂とひとしくやはり尽きるところはないのでありますから、警察は必要であります。また共産主義者諸君がいろいろ画策もしておるようでありますから、個々の地方警察だけで十分とは思つておりません。従つてその警察の予備隊式のものは若干必要だと思います。しかしそれも、元の保安隊あるいは警察予備隊のように、ただ自動車だけにたよつて、そして大きな暴動でもあつたら、そこに派遣してやるというような考えでは、これは日本の地勢から見まして、そういう事件の突発性から見ましてもいかぬのでありまして、私はむしろその警察予備隊は、元の警察予備隊よりも少くてもいいから、二、三千程度のグループあるいは一、二千でもよろしゆうございますが、これを交通の要衝と申しましようか、飛行場のあるようなところに置きまして、飛行機をもつて輸送する、いわゆる空挺部隊式の警察予備隊を、部隊訓練をさせつつ置くわけです。そして何か暴動的なものが突発いたしまして、地方警察をもつて取締ることができない、鎮圧することができないというときには、立ちどころにそこにやれるような態勢を整えておきますれば治安維持には十分であると思つております。現在持つている十万の保安隊、あるいはこれを本法案によつて自衛隊にせられるようなものは、ないよりはあつた方がいいじやない、こういうものをおつくりになるとかえつて悪いと思つております。
 それからもう一つちよつと申し上げたいのです。これは新聞で見たので正しいかどうか存じませんけれども、予備隊であるのが軍隊だというようなふうにお話になつたように新聞で見ましたが、これは非常に陳腐な考え方であると私は思います。予備隊であるなしが、軍隊であるか軍隊でないかの境目だと考えておつたらとんでもないことであつて、もしも武力戦があるとか、国際ギャングがあるとかいたします場合、昔のように動員して、編成して、それにあてがおうという考えでこれができておるものといたしましたならば、これはまた非常に陳腐なものであると思う。もしもこれからほんとうにいくさをしようと思うならば、これは先制、急襲でやらなければ勝てません。攻撃兵器が進歩すればするほど、先手を打つたものが勝つことになるのですから、そんなゆうちような、ここに書いてあるような予備隊を集めて、動員して、そして編成し直して、戦闘部隊にしてやろうという考え方があつたとするならば、これはよほど頭を切りかえなくてはいけないと思つております。ついでながら申し上げます。(つづく)

by めい (2017-02-20 05:59) 

めい

○稻村委員長 辻政信君。
○辻(政)委員 遠藤さんとは私はマレーの戦場でおわかれしてから初めてお会いするのでありまして、シンガポール作戦のときに遠藤さんは飛行兵団長とされまして、あの作戦の終始を通じて最も積極的に、最も勇敢に、常に部下の先頭に立たれ、われわれが地上で占領した飛行場にまつ先に着陸されまして、シンガポール攻略にちよつと戦史に例のないような勇敢なお働きをなさつた閣下であります。それが終つてから軍需省にお帰りになつて、陸軍の飛行機をつくるために国内を歩かれまして、至るところで全力をもつて飛行機をつくれということを国民に説かれ、また国民の零細な航空献金を集めるために最も活動なさつた閣下が、ただいま承りますと、敵が入つて来てもまる裸の方がよろしいというように承つたのであります。しかもそれが四十年間の軍人生活の結論であり信念であつてかわらない、こういうふうに拝聴いたしましたが、あのマレー戦場における軍人としてのあのお働きも、おそらく私は信念の上に立つたお働きであると、今日まで非常な敬意を持つて参つた次第でありますが、ただいまのお話を承りますと、あなたの信念が百八十度大転換をしておる。その転換されました動機について後輩として承りたいと思います。
○遠藤公述人 私自分では転換していないつもりなんでございますけれども、力のない者に武力抵抗を与えるということは非常に残酷な結果を来すということは、戦場の体験から見ているわけなんです。そしてまた内地に帰つて来まして、あのマレー付近のように、人口が粗ではなくて日本は非常に稠密である。そしてあの爆撃の様相を直接見たわけであります。敵が一兵も上陸しておらぬ日本に、ただ爆撃されただけであの混乱状態を来す。あなたはごらんになつたかどうか存じませんけれども、東京を爆撃されると日本海の方が安全だろうというわけで向うに疎開する者が絡縄として出て来るわけであります。日本海方面があぶないぞいうと日本海方面からこつちの方に出て来る。またそういう引越しすることできない連中は、もうほんとうにお気の毒な混乱状態を爆撃下でさらしたわけであります。それがもし敵が上陸するというときに、かまやくわをもつて抵抗し、またはある人が言われる石を投げても抵抗するというけれども、そんなことをしたならば層上陸した者が凶暴性を発揮いたしまして、日本国民大衆はどうなるかわからぬ。それが私はもう耐え切らぬのです。だから力があるならばもちろん上陸させないように防禦することは、決して私は不同意じやございません。しかしどう考えてもそれだけの力は持ち得ないのだ、そうすればその力のないものに防禦させるということでは、直接任務につく青年たちは特攻精神を持たなければならず、非常な過重である。一般国民は敵にますます凶暴性を発揮させて残酷な目にあわすということは申訳ない。それならばむしろ心の抵抗で行くべきじやないか。しかし心の抵抗というのは最後の最後でありまして、私の念願するところはそういう侵略、国際的ギャングのないように日も早く国際連合に警察部隊をつくりまして、ギャングをやることができないようにしたいというのが考えの根本なのであります。その点先ほどたいへんほめられて恐縮したのですが、辻君こそ非常に勇敢で私なんかもう足下にも寄りつかぬほどで、勇敢さにおいてはほんとうに私は敬意を表しておるわけなんです。その点私とあべこべなので、私はむしろ臆病でひつばられて行つた方ですから訂正しておきます。
○稻村委員長 田中稔男君。
○田中(稔)委員 遠藤さんが今軍隊を持つておる国は、その軍隊を近代的に改良することはなかなか容易でないとおつしやつたのですが、最近アメリカでは、ニュールック戦略とか、ニュールック防衛体制という言葉が行われております。私はその方面の専門家ではありませんけれども、何でも従来の三軍均衡方式でなく、空軍を中心にいたしまして、陸海両軍に補助的な役割を持たせる。そうしてまた原子力兵器を主たるものとして利用する。しかもその原子兵器を超音速の爆撃機に搭載いたしまして、敵国の中心部に向つて攻撃を加える。さらにまた現在アメリカがヨーロッパ、アジア各地に出して、おりますところの軍隊はむしろこれを撤収して、国内に戦略予備軍として保有する。そうして戦争が起りました場合適時適所にこれを動員して出動させる。大体こういうふうな内容を持つた軍備計画であると聞いております。今日防衛関係二法案がここに問題になつ薫りまして、いよいよここで自衛隊ができようというのでありますが、自衛隊はMSA再軍備と一般にいわれておりますように、これはアメリカの軍事援助のもとに行われておる再軍備であつて、日本の軍隊が結局アメリカの軍隊の一部分として、まあわれわれの言葉でいいますと傭兵的な役割を担当する軍隊になるのであります。だから日本の再軍備は、再軍備一般としてでなく、要するにアメリカ軍の傭兵としての再軍備だという点をまずはつきりして、それから議論をしなければならぬと思う。そこでそういうアメリカの新しい軍事計画との関連において、日本の再軍備を考えました場合、米ソ戦争が起りましたときに、日本の新しい軍隊は一体どういう役割を果すものであるか、まず陸軍というか、地上部隊といいますか、これはおそらくできるだけたくさんつくらせて、そして日本の本土と、近接したアジア大陸をとにかく地域的に押えさせるように、アメリカは希望するでありましよう。それから海軍はどうかと申しますと、ウラジオあたりに相当来ておるという優秀なソ連の潜水艦、これらの日本海及び太平洋における活動をできるだけ封鎖するために働くようにアメリカから要請されて来る。駆逐艦を日本に何隻かやろうという話もあるようです。もちろんその駆逐艦は大して優秀な性能のものでなく、古いものであろうと思いますが、とにかくアメリカが駆逐艦を日本にやろうと考えるのには、すでにそういう意図が現われて、おるのではないかと私は思う。それから、いよいよ空軍でありますが、今度できます航空自衛隊は、もちろん大したものではありません。しかしながらこれは将来はやはり相当強力なものに育成しようというのがアメリカの考えではないかと思う。アメリカが戦略空軍をもつてソ連の中心部に原子攻撃を加えようとします場合、近距離である北極を通つて、ソ連に飛んで行くということになりますと、ソ連の方でもレーター網や何かがあつて、なかなかその防衛は固い。そこでどうしても相当長距離を飛んで行つて攻撃を加えなければなりませんが、そういう場合、やはり極東、近東の各地に何か一つの空軍の基地を置く、そうして一応そこを中継地として燃料その他の補給をして、いよいよそこから飛び出すというようなことになるのじやないかと思うのであります。最近アメリカが、中東、近東あたりにいろいろ軍議助をいたしまして、軍事基地をつくろうとしておる意図もそこにあるのでございます。ここからソ連の腹部を攻撃するということは、距離的にも非常に近い。同様の考えがあるいは沖繩であるとか、日本などについても考えられるということは、十分あり得ることだろうと思う。そうするとアメリカの戦略空軍の前進基地となる日本において、日本の空を守る、そのための戦術空軍というようなものが、日本に強力にでき上ることが、アメリカとしては軍備計画の一環として必要ではないか、こう思うのであります。これは私どものしろうと考えであり、私の感想でありますが、こういうふうなことについて、専門家である遠藤さんの御所見を伺いたい。
○遠藤公述人 私はアメリカの国防計画を研究したわけではございません。新聞その他に現われたことから判断した私の私見でございますが、アメリカといえどもやはり戦術戦略家がおるでございましようから、現在アメリカの地上軍がいかなる比重を持つて来たかということは、十分わかつておると思うのでございます。従つてアメリカの予算から見ましても、空軍の方に重点を置きつつあるということはわかりますし、また外地におる地上軍を、だんだん引揚げておる様子から見ましても、またソビエト陣営を包囲するごとく空軍基地を設けようとしておる状態から見ましても、そ、のニュールックなるものがほぼ想像できるのであります。やはり空軍力をもつてソビエト陣営の中心部をやつつける国防態勢にかわりつつあるものと存ずるのであります。その際に、日本になぜ三十数万の地上軍隊を要求するかという点になりますと、いろいろ考覆る存なのでございます。あまりこういう席上でうがつたことを言うと、さしさわりがあるように思いますが、アメリカとしては、日本に若干地上部隊は必要だと思つておると考えます。彼は日本における空軍基地は、当分というか長い将来にわたつても放さぬと思います。その空軍基地を擁護するためには、やはり地上の部隊は必要になつて来ると思います。
 それからアイゼンハゥアーが大統領になつたとき明確に言いましたが、東洋のいくさは東洋人にというような意味言葉は忘れましたが、もう朝鮮で懲り合しているわけなんですね、白人の血を流すことは。しかし今度は仏印にあの通り――今度はと言いましたが、前からやつてるわけなんですが、ときに、らた、兵を出さなければならぬのじやないかというようなこともアメリカは考えているのじやなかろうか。その際に白人の血を流すことはいやだ、でき得るならば日本の地上軍は非常に勇敢だから、あそこにも注ぎ込もうということを考えているのじやなかろうか。また一面、アメリカの経濱面から見まして、軍需生産が頭打ちしつつある、古兵器をだれか使つてくれぬことには、アメリカそのものが困つて来るわけなのです。ですから日本に地上軍隊をつくらして、日本だけでなくそのほかにも地上軍隊をつくらして、古兵器を盛んにとつてくれ、MSA援助といつても、ただではありません。たいへんもうかるわけです。そういうことを考えますと、ありがたいと思つて、すぐだぼはぜのように食いついては誤りであると私は思つております。
 それから御質問が非常に広汎でございましたが、ここで私ぜひもう一度繰返して申し上げたいことは、私は米ソが戦つた場合にはどうするかという考えを基礎に置きたくないのです。米ソがほんとうに熱戦をやつた日には、人類社会の破滅を来すおそれがありますから、全力を尽してあくまでこれを阻止するごとに努力するのだ、わき目もふらずにそれを未然に防ぐことに努力するのだ、それもできなかつた場合には、日本が軍隊を持つておつたところで何にもならぬ。むしろ害をなすから、軍隊の抵抗をやらずに、抵抗しようと思えば、悪い方に対しては、心の抵抗で行くのだ、そういう最後の背水の陣というか、最後の腹構えをそこに持つて、あとはわれわれの施策、われわれの努力をことごとく米ソ戦を未然に防ごうというところに持つて行きたい、二兎を追つておつたら、必ず悪い方に行くのじやないか。私どもあまり勉強もせずに試験場へ行つて、時間がなくなり、試験問題を見てもどうもわからぬ、どつちだかわからぬから、鉛筆を倒すと、たいてい悪い方へ倒れるようなもので、戦争はあるかもしれぬ、ないようにも思える。両てんびんで行きますと、戦争が起る方へ鉛筆が倒れそうなのです。だから日本はほんとうに全力を尽してわき目もふらずに、いくさをなくするためにはどうしたらいいかというところに全能力を集中すべきだと思つております。
○田中(稔)委員 これもやはり米ソ戦中が起つた場合を想定してでありますか、その場合において、日本の戦略的の価値の問題、もつともいよいよ戦争が進行して、両方から原子爆弾を投げ合うということならば、日本の戦略的価値は低下すると思うが、少くとも緒戦における日本の戦略的価値、この点について御所見を承りたいと思うのでありますが、私はこう考える。ソ連の方から見て、太平洋というものがありますから、まさかソ連が日本を陸軍の基地として利用したり、空軍の作戦の基地として利用するということはあり得ないと思う。かりに考えられることはソ連が潜水艦の基地として日本を利用することだと思う。よくそういうことがいわれる。芦田均氏あたりもそういうことをよく申しておる。しかし私はそれも大したことはなかろうと思う。潜水艦の基地は何も日本につくらぬでも、それより中国のああいう広い国土があれば、十分できると思います。一方アメリカから見れば、どうかというと、アメリカが日本を基地として、軍事的に利用するという段になりますと、当然空軍基地としてはたいへんなものです。ソ連に近接する点におきまして、太平洋の八千キロの距離を短縮する、しかもまた近代戦というか、現代戦において、空軍作戦というものは、決定的なものだと思う。だから日本の戦略的価値は、ソ連側にはあまり見るべきものはないが、アメリカの方には大いに見るべきものがあるのじやないか、こう考えるが、その点についての御所見を伺います。
○遠藤公述人 私は日本の戦略的価値は、どつちにとつても非常に重大だと思います。今田中さんがおつしやつたように、アメリカが日本を航空基地に利用することによりまして、東亜の空を征服し得るわけです。またソビエト陣営の中心部にも近くなるわけでありますから、ソビエトにも非常に痛いのです。消極的意味におきまして、日本の戦略的価値はソビエトにとつても重大だと言い得るわけです。また積極的意味におきまして、ソビエトの持つている潜水艦は、日本列島がアメリカ陣営に入つておりますれば、海峡を通過せぬ限り太平洋に出て来れないのであります。そういう意味におきまして、せつかく持つておるあの優秀な潜水艦も十分その威力を発揮し得えませんから、日本がソビエト陣営につけばソビエトにとつては非常に有利である。またアメリカ陣営につきますれば、ソビエトがそれだけ痛いのです。消極的意味におきまして、日本の戦略的価値というものは非常に大きい。アメリカがこれを利用することによりまして、さきにも言いましたように戦略的価値値はいわゆる地理的価値からいうただけでも非常に大きいわけです。そのほかに潜在的戦力、工業力や大勢の人間の力を加えたならば非常な大きな力をどちらかにやるわけなんです。それは私から言うまでもなく、ダレスさんが去年の春ですか、就任した第一回のテレビ放送で言うたということは、新聞か何かで読んだのですが、その当時まだスターリンは生きておつたわけです。スターリンいわく、もしも日本がソビエト陣営につくならば、ソビエト陣営は絶対不敗の態勢になる、こういうふうに言うているぞということをダレスさんの口から言うたのであります。スターリンがほんとうに言うたかどうかしりませんけれども、ダレスさんはスターリンはそう言つたと言うておるのです。これは言う言わぬにかかわらず、いやしくも戦略眼のある人はそれに同感だと思うわけであります。これは非常に日本の価値というものが大きいのでございまして、米ソ抗争の間に立つて、日本は米ソの戦う場合における山崎合戦の天王山に値いするものであると見ております。ですからどつちに使われてもいかぬ。米ソ戦があるものとすれば必ず使われる。従つて争奪戦になる。だから戦争はやらせちやいけないのだ。なまじつか軍隊を持つておつたつてそれはだめなんで、軍隊を持つておつたベルギーといえどもとにかく中立は守れないのです。いくさのあるものという前提のもとには、必ず必要なものはそこに入つて行くのですから、日本で軍隊を持つておつたところで、自力をもつてアメリカ軍に対しても勝てる、ソビエト軍に対しても勝てるというような軍隊を持てるならは軍隊を持つた中立は成り立つのですけれども、それはとうていでき得るはずはありませんから、なまじつか軍隊を持つてもだめだ、いくさがあるという前提のもとにはもうめちやくちやなんだ、だから戦争が、ないように全力を尽すのだ、それであつたならば先に言つた無抵抗の抵抗ということなんです。
○田中(稔)委員 戦争が起らないように努力するということはまつたく賛成で、われわれも努力しておるのですが、ただ戦争が起つた場合の仮定としての質問であるのであります。今遠藤さんのお話では、日本の純軍事的な戦略的な価値、これはアメリカの場合には積極的であるが、ソ連の場合には消極的である。つまりアメリカが日本の戦略的価値を利用することがソ連にとつて非常に不利であるから、それを防止するという意味において、やはりソ連も日本を占領する必要があるという考えを起すのではないかという意味であつたと思しますが、それに引続してむしろ日本の工業なり、あるいは日本の労働力というような潜在的な戦略的な価値が両国にとつて非常に重要性を持つておるということを御指摘になつた。これは平時においては日本の工業力は非常に大きな価値があると思いますが、原子力兵器を伴うような戦争がいよいよ起りました場合には、私は大して意味がないのではないかと思う。第一去年の日本の鉄鋼業の実績は七百万トン近くになつておるようですが、この製鉄工業を維持いたしますためには、御承知の通り数百万トンの鉄鉱石と数百万トンの粘結炭を海外から輸入しなければならない。ところがこれらのものは戦時中はなかなか輸送することができない。また日本は食糧も数百万トンどうしても買わなければならない。日本の繊維工業に必要な綿及び羊毛も、これは今数字は正確に記憶しておりませんが、たいへんな量を輸入しなければならない。大体日本の工業の主たる原料及び材料は、海外から輸入しなければ成り立たない。もしこれらがとだえますと切の紡績工業切の毛織物工業は、その日から操業停止をしなければならない。国民は餓死を免れない。鉄鋼業だつて七百万トンはがた落ちにならなければならない。こういう実情に日本の工業は置かれておるのですから、私は戦争になつた場合、これが両国にとつて非常に大きな戦略的な価値になるとは実は考えないのです。だからむしろ日本は純軍事的に戦略的価値があるかどうかを考えればいいのではないかと思う。なおアメリカは日本については一週間作戦を考えておる、あるいは六週間の基地として日本を保持することを考えておるというようなことをよく聞かされる。これはアメリカとしましても戦時になつて日本を基地として保持するということになりますと、数百万トンの食糧を太平洋のあの広い海を渡つて送るという義務が伴う。日本の工業原料及び材料を継続的に供給するという義務が生ずるので、そういう重い任務と、それからまた日本を最初は軍事基地として利用しましても、ソ連から必ず反撃があるわけでありまして、苛烈な戦争になる。その場合に苛烈な戦争状態において、日本を軍事的に利用する。いろいろ比較考量いたしまして、アメリカは緒戦の間は日本を利用するが、ソ連が先制攻撃を加えて来るということになると、いつまでもこれを保持する、つまり日本国民の生活あるいは日本の工業をあくまで自分の国同様に保護してやる、防衛してやるというような熱意はないのではないかと思うのであります。いい加減なところでアメリカは日本を放棄するという可能性が非常に大きいと考えられますが、この点はどのようにお考えになりますか。
○遠藤公述人 たいへんいい御意見を私教えていただきました。その通りだと思います。潜在戦力はぶちこわされない場合においてのみ期待できるのであつて、ぶちこわされたら何もならない。結局穀つぶしが多くなつて負担が重くなる。日本の八千七百万人の人口を食わすために、アメリカか日本を守るということになりますと、非常に負担になると思いますから、いくさがうまく行かない。とても日本の基地持ちこたえ得ないというようにアメリカが考えたならば、日本を放棄するということは当然戦略上考え得られることだと思います。しかしこれは実際はアメリカがソビエト陣営に負けたことを意味するのではないかと思います。日本を放棄したアメリカの戦略上の力というものは非常に薄くなる。一面ソビエトの陣営の戦力は非常に増す。先ほどのダレスさんの放送したというあの言葉通りになるのではないかと思つております。従つて潜在的戦力のことは、私の言つたのは取消します。
○田中(稔)委員 最後に一問。今、世界に中ソ両国が日本を侵略するという危険について、いろいろ言われております、仮想敵国は、現在日本としては中ソ両国である。これは常識です。遠藤さんは一体中ソ両国が日本を侵略しようとして常にうかがつておるというふうにほんとうにお考えになるかどうか。私はそうでないと思いますが、この点について御所見を伺います。
 それともう一つは、朝鮮戦争でとにかくアメリカが近代兵器の粋を尽し、そして莫大な物量を投じまして、大体三十八度線でとうとう休戦になつた。これは私どもとしましては、どうも北鮮や中国の軍隊の装備というものは、アメリカ軍あるいは国連軍に比べてぐつと落ちておると思いますのに、あれだけの戦争をやりましたが、あれを軍事専門家として見て、一体どういうわけでああなつたのか、これはやはり聞いておいて今後参考になると思いますので、その点についての御所見と、二つお尋ねいたします。
○遠藤公述人 私はソ連がいわゆる間接侵略と申しますか、日本を武力を使わずに赤くしてやろうという考えを持つていることは否定し得ないと思つております。しかし武力をもつて侵略するかと申しますと、私はノーという返事であります。これは必ずしも私が第六感で言うわけではございませんので、ソビエトのことは私も相当研究したつもりでございます。彼らの今までやつて来たやり方、日本並びにソビエトの歴史、それから現在における武力戦の能力等から考えましてそう結論するのであります。
 まずソビエトのやつて来た侵略の方法です。もちろん兵は動かしたことはあります。ポーランドにも入れました、満州にも兵力を入れましたけれども、その入れる時期を考えてみますと、赤軍を傷つけないで済む時期でなければ入れておりません。赤軍をもつてほんとうにバチバチ戦闘をやつ血を流すような場合には入れておらぬのであります。それはなぜかならば、私は必ずしもソビエトの政権はほんとうに安定しているとは思いません。あの政権を持つためには、どうしても赤軍が完全に手元になくちやならぬ。赤軍がくずれたならばソビエトの政権はくずれるものと思うのであります。またソビエトの政権を握つている連中もそう思つているのじやなかろうか。その証拠にはヤルタ協定、あれほど米英が、ことにアメリカが――当時ルーズベルト大統領ですかが、利をもつて招いたのです。賛成してくれとあれほど招いたにもかかわらず、なかなかぐずぐずして来なかつた。それは何も日ソ友好条約のためとは私は思いません。まだ関東軍が力があるのじやないかということを考慮して、そこに入つて行つて赤軍を傷つけることをおそれたからと思うのであります。従つて先生が入つて来た時期は、沖繩もなくなつてしまう、日本の敗戦はもう明確になつた、それでさえも入つて来ずに、広島に原爆を落され、二進も三進も動きがとれない、今出なければほんとうにバスに乗り遅れるというときになつてほんとうに入つたのであります。それから見ても彼らは決して一か八かの戦争、アメリカを相手に本格的の熱戦をやつてまで日本をとろうなんということは思わぬものと思うのであります。その証拠には朝鮮動乱、あれは入ろうと思えば幾らでも入り得る口実はあつたと思う。にもかかわらず私見たわけじゃないですけれども、今までお聞きしたり本で読んだりしたところから見ると、ソビエト軍は一兵も入つておりません。ただ武器や何かは出したかもしれませんが、とにかくそれほど遠慮しておる。それだのに、日本にソビエトが軍隊をもつて堂々とやつて来るということは、これはとりもなおさず米ソの熱戦を意味する、世界大戦を意味するのでありまして、そういう危険なことはソビエトはやるものとは思えぬのであります。実力から見ても、これは少し古い年鑑でありますから恐縮でありますが、何といつたつてソビエトはまだ原子力をもつて飛行機を飛ばし、原子力をもつて戦車、自動車を動かす程度にはなつておりません。どうしても油をもつて動かす以外には大作戦はできないのであります。その油はソビエトは一割くらいしか持つておらぬはずです。アメリカは四九%持つておるはずです。イランが三〇%持つておるはずでありますから、イランの石油がことごとくソビエト陣営に流れぬ限りにおいては、この石油の面から見ても本格的に熱戦は私できないものと見ております。これは決して私の判断だけじやありません。リーダーズ・ダイジェストの二月号をごらんになればわかりますが、アメリカの新聞記者のフイッシヤーという人が十四年間ソビエトにおつて、最近ヨーロッパをまわつてアメリカに帰つて本を書いております。それによりますと、私の言うことと同じことを言つております。ゾビエトは熱戦をやる意思もなければ能力もない、こう言うております。それからこの間国賓として日本にやつて来たサン・ローラン・カナダ首相、これも同様なことを言うておらます。第三次戦争の起る危険はない、こう言うておるようであります。それからオーストラリアの政治家の大家であつたマクマホン・ポール、あの人も同じように言うております。世界の具眼の士はみなそう言うておるのであります。ソビエトが武力をもつて直接日本を侵略するということはほんとうに考えられない。また日本の、歴史から見ましても、私寡分にして外国の軍隊が直接日本に侵略したというのは元寇以外には私は知らぬのであります。幕末時代あれほど日本は危険な状態にさらされ、日本には国防軍はございませんでした、各藩がそれぞれ独立の藩兵を持つておつたにすぎない。ところが諸外国はどうであつたかといえば、黒船を持つておる、軍隊を持つておる、そうして各方面において植民地の獲得に狂奔しておつた。日本にも北からはロシア、東からはアメリカ、南からは英仏が来ておつた。それにもかかわらずその当時国際条約において植民地を獲得することを別に禁じておらない、そういう時代においてさえ日本は侵略されなかつた。歴史家はもちろん各国の勢力均衡のためだと言うておつたのでございますけれども、私は必ずしも彼らの勢力均衡のために遠慮したとは思えぬのであります。分割すればいいわけであります。それをやらなかつたというのはやはりここに日本の武力にあらざる力、二千数百年の歴史、数千万の人口を持つて、自分からちよつかいもかけておらぬ、そのときでさえなかなか侵略できなかつた。いわんや今日国際連合もあり国際司法裁判所もある、国際条約はちやんとできておる、侵略ということはもう罪悪としての国力なるものは軍隊こそなくなつたけれども、とにかく人口も八千数百万になつておる、それが無人島や内乱をしよつちうやつておるような野蛮国ならいざ知らず、この歴史を持つておる日本が平和な国を営んでおつて、こちらからちよつかいをかけぬ限り、彼らもまた文明国をもつて自認しております、平和を口にしておるのであります。そうやすやすと白昼世界監視のもとに強盗にひとしい武力侵略するなんということはできるものとは私は思えぬのであります。そういうわけで武力侵略はないと思います。
 次に朝鮮の動乱であります。私は朝鮮動乱を戦争とは見ておりません。あれは内乱の起つたところに中共軍が入つて来た。従つてこれは明確に侵略行為であるから国際連合において制裁的な警察行為をやつた、こう見ておりますから、厳格な意味の戦争とは思つておりません。しかしあれは連合国といいましてもアメリカ軍が主体でありますが一生懸命やつたけれども、勝ち切れぬ、三十八度線に収まつてしまつた、これは決してほんとうの意味の戦争でないからであります。いわば制限戦争であります。飛行機は十分にその能力を発揮しておりません。B二九はありましたけれども、B二九をどう使つたか、その本拠を撲滅するために使つたか、本格的戦争の起ることをおそれて非常に遠慮して鴨緑江を越えやせぬ、敵の本拠は鴨緑江の北にある、満州にあるにもかかわらず、満州に入り切れぬ、本格的戦争が起るといかぬぞということでびくびくもので、あのB二九というような戦略的爆撃機をまるで直攻機のように戦場に使つておる、鴨緑江のダムをやつたのは最後のどたん場に近くなつておつかなびつくりやつたわけであります、それがせいぜいであります、本格的の戦争をやつておらぬのであります。せつかく近代的の兵器を持つておりながら、地上部隊における近代兵器は使つたでしようが、最近における戦争の花形役者である飛行機なるものはほんとうに使つておらぬのであります。あれをもつて現在の戦争の形と思つたら誤りだと思います。しかしあれがないとは私は言いませんよ。あるいは全面戦争は恐れておるが、ああいうような制限的戦争と申しますか、紛争というものは、現に仏印でやつておるごとくあるものと思います。しかしあれは決して戦争の模範のケースじやない、こう存じております。
○稻村委員長 他に御質疑がなければ、午前の会議はこの程度にいたし、午後一時まで休憩いたします。
    午後零時四十一分休憩

by めい (2017-02-20 06:00) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。