SSブログ

『限界費用ゼロ社会』(5) ホモ・エンパテクス Homo empathecus (後) [置賜自給圏構想]

《何もかもお金に換算されてしまう世の中になってしまった感がありますが、日々の暮らしの現実をみれば決してそんなことはありません。お金に代えることのできないひとりひとりの思い、お互いの思いやり、そこから生まれる助け合い、そういうものがわたしたちのくらしを、そして世の中を支えているのです。》これは、一昨年宮内認定こども園開園記念式での式辞の中の言葉だが、私の世の中についての基本認識と言っていい。リフキンの歴史に対する姿勢も同じと見てうれしかった。


人類の歴史の大半は《本来異常な出来事や破壊的な事件から成り立》つものではなく、生物種としての私たちの本質《が略奪を旨とし、凶暴で、攻撃的で、激しやすく、怪物のように恐ろしいもので》はない。人間の意識は、《より広く包括的な領域への共感の拡大》に向けて進化してきた。《共感を抱くとはすなわち、文明化することであり・・・・・文明化するとは、共感を抱くことにほかならない。》・・・柳田の考えた「民俗学」は「心意伝承」の解明を目指した、その意に通ずる。


《 進化のこうした遍歴が意外に感じられるとしたら、それは歴史家が概して、人類の歴史物語の節目となるような異常な出来事、たとえば社会の激変や戦争、大量虐殺、自然災害、権力闘争、社会の不満の是正などばかりを年代順に記録してきたからにほかならない。彼らが人類の歩みの負の側面に囚われるのは理解できる。そうした例外的で異常な出来事は目を惹くからだ。それらは非常に珍しく、日常生活を大きく揺るがすという単純な理由から、私たちの集合的記憶に消えることのない印を刻みつけるのだ。

 だが、人類の歴史の大半が本来異常な出来事や破壊的な事件から成り立っており、生物種としての私たちの本質が略奪を旨とし、凶暴で、攻撃的で、激しやすく、怪物のように恐ろしいものですらあるとしたら、人類ははるか昔に滅んでいただろう。

 三〇年以上も前になるが、私はゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルが人類史の性質について書いた論評を読んだ覚えがある。私は彼の言葉に衝撃を受け、『共感の文明—危機に瀕した世界におけるグローバル意識への競争』に示したいくつかの見解を思いついたのだった。ヘーゲルは、「幸福な時代は・・・・・歴史からすっぽりと抜け落ちている」、というのもそれは「調和の時代だからだ」と述べている。

 まさにそのとおりだろう。人類の歴史的なナラティブ(物語性)には別の側面がある—人間の意識の進化と、より広く包括的な領域への共感の拡大こそがそれだ。記録にこそ残されてはいないが、人類史には、たえず自己の枠を超えて、いっそうの進化を遂げた社会的枠組みの中にアイデンティティを見出そうとする人間の衝動によってもたらされた、幸福で調和のとれた時代が含まれている。こうした枠組みに後押しされて、私たちは社会関係資本を生み出し、人類の歩みの意味を探究し、事物の壮大な枠組みの中に自分の居場所を見つける—共感を抱くとはすなわち、文明化することであり・・・・・文明化するとは、共感を抱くことにほかならない。じつのところ、両者は不可分なのだ。》


リフキンは「文明史家」であると同時に、本来の意味での「倫理学者」であり、それ以上に「詩人」であると次の文章を読んで思う。


《人類の歩んだ歴史を振り返ると、幸福は物質主義ではなく、共感に満ちたかかわりの中に見出されことがわかる。人生の黄昏時を迎えて来し方を振り返ったとき、記憶の中にはっきりと浮かび上がるのが物質的な利得や名声、財産であることはほとんどないだろう。私たちの存在の核心に触れるのは、共感に満ち溢れた巡り会いの瞬間—自分自身の殼を抜け出して、繁栄を目指す他者の奮闘を余すところなく、我がことのように経験するという超越的な感覚が得られた瞬間なのだ。

 共感の意識は、ユートピア的な理想主義と混同されることがままあるが、それは実際には正反対のものだ。あなたや私が、他の人間であれ他の生物であれ他者に共感を抱くとき、そこには相手にいずれ訪れる死の気配と、目の前に存在する命に対する称讃が漂っている。相手の喜び、悲しみ、希望、恐れを感じ取っている間、私たちの命はどれも心もとないものであることが、私にはしきりに思い出

される。他者に共感するとは、自分の命に対するのと同じように相手の唯一無二の命を認識することだ。それが文明社会を生きる人間であれ、森の中で暮らすシカであれ、彼らの時間も自分の時間と同じく、巻き戻しも繰り返しもできず、生ははかなく、不完全で、困難なものであると理解することだ。共感を抱いているとき、私は相手の存在の脆さとはかなさを感じる。共感を抱くとは、他者が繁栄するよう応援し、相手の短い人生に秘められた可能性のすべてを自ら実感することだ。思いやりとはすなわち、地球上で生命の旅をする仲間として連帯の絆を認めて、互いの存在を祝福する私たちなりの方法なのだ。

 天国に共感は必要なく、ユートピアに共感の入り込む余地はない。というのも、こうした異世界には、悩みも苦しみも、弱さも欠点もなく、完璧さと不死があるのみだからだ。共感溢れる文明社会で仲間とともに生きるということは、互いの力になり、思いやりを通して、不完全な世界で繁栄に向かって邁進する互いの奮闘をたえず称え、それによって、私たちがはかない存在であるという現実を

認め合うことを意味する。最高に幸せな瞬間とはつねに、最も大きな共感を覚える瞬間にほかならなことを、ほんのわずかでも疑う者がいるだろうか?》(464-469p


生物圈というコミュニティ全体にも及ぶ、「他者」を「自分自身」として経験しあう「共感の文明」への可能性を若者に託して、最終章は閉じられる。感動の最終章だった。


《若者たちが新たに見出した開放性は、性別や社会階級、人種、民族、性的指向などによって長い間人々を隔ててきた壁を打ち壊しつつある。共感という感性は、グローバルなネットワークがあらゆる人々を結びつけるのと同じ速さで、水平に拡大中だ。共感が、社会が真に民主的であるかどうかを判定する究極の試金石となった今、何億もの、いやことによると数十億もの人が、「他者」を「自分自

身」として経験し始めつつある。そこまでは目にはつかないものの、何百万もの人、とりわけ若者たちは、極地をさまようペンギンやホッキョクグマから、わずかに残された手つかずの原初の生態系に暮らす絶滅の危機に瀕した種に至るまで、人間の同胞たる動物たちにも、その共感の動因を拡大する方向に動きだしている。若者たちは、生物圈というコミュニティに心地良く収まった共感の文明を構

築する機会の一端を、ようやく目にし始めたところだ。現段階では、実現の見通しはおおむね予期というより希望に近い。それでもなおそこには、十分可能性があるという手応えがはっきりと感じられるのだ。》(472p


-----------------------------------------------------------------------------------------------

【付記】


折しも、《米国の覇権が低下》することで《世界の好戦性は大幅に低下》し、《世界の安定化が図られるだろう》との田中宇氏の見解は「希望」である。


   *   *   *   *   *

米欧がロシア敵視をやめない理由 https://tanakanews.com/160217russia.htm

2016年2月17日   田中 宇

《米国が世界を振りきって覇権を壊した後、すんなり世界が多極化していくとは限らない。米国に頼り甲斐がなくなった後、世界各国が身勝手な国際戦略を拡大し、あちこちで対立が激化するかもしれない。しかし、それらの対立は戦争でなく、時間はかかるが交渉で解決されていく。いちいち列挙しないが、今の世界で起きている戦争や好戦性のすべては、よく見ると米国の好戦策が原因であり、米国の覇権が低下すると、世界の好戦性は大幅に低下する。国連やG20などで国際交渉のための多極型の世界体制が構築され、世界の安定化が図られるだろう。》


nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

nice! 0

コメント 2

めい

プーチンの戦略下、シリア情勢も着々と安定化に向いているようです。
以下記事の結論部分です。  

田中宇の国際ニュース解説 会員版(田中宇プラス)2016年2月23日
http://tanakanews.com/
★シリアの停戦

《米国が行きつく先はやはり、多極化と自国の衰退を容認することだった》ことに米国民の大勢も気づき始めているはずです。

    *   *   *   *   *

 米オバマ政権は、おそらく意図的にエルドアンを怒らせている。加えて米国は「強くなってしまったロシアに米国が戦いを挑むわけにいかない」とうそぶき、おそらく意図的にシリアでのロシアの台頭を容認している。これは、おそらく米国の意図的な、隠れ多極主義的な戦略だ。エルドアンは、それに気づくのが遅かったが、気づいた段階で方向転換していくだろう。

http://tanakanews.com/151221syria.htm
シリアをロシアに任せる米国

 かつてイラクの大量破壊兵器などをめぐって大嘘を書き続けたNYタイムスのネオコン的な記者デビッド・サンジャーは最近、ロシアがこれだけ強くなってしまうと米国はもう選択肢がないと書いている。911以来、嘘に満ちた過激な好戦策をやりまくった挙句、米国が行きつく先はやはり、多極化と自国の衰退を容認することだった感じだ。

   *   *   *   *   *

さて、この流れに安倍政権が舵を切れるかどうか。安倍政権、アベノミクスの破綻同様、国際情勢判断も根底から揺らぎ始めています。国内では、志位共産党委員長と小沢さんの連携もうまくツボにはまっている感じです。

あいば達也さんの「世相を斬る」。安倍政権が「一強政権」どころか、「表見代理人(代理人ではないにも関わらず、代理らしく振舞っている者)政権」であることを指摘しています。

●勝利の方程式が見えてきた、共産志位の深慮遠謀 名よりも実を
http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/b0f682fe277d4b9b604f322e58ffd226

   *   *   *   *   *

●勝利の方程式が見えてきた、共産志位の深慮遠謀 名よりも実を

以下は共産党が野党5党首会談の内容を受け、参議院1人区での野党協力態勢を明確にするために、民主などの候補が「安保法廃止」や「選挙協力する」意思を示せば、候補者を取り下げる。同等の構想「国民連合政府」への賛同は協力条件としないとまで言い切った日本共産党志位委員長の方針に関する、朝日新聞のレクチャー付き記事だが、政局に重大な影響ある決断、と受けとめていない趣のある解説になっている。しかし、筆者は、重大な局面打開の一手だと考えている。先ずは、朝日の記事を読んでいただこう。

≪ 共産、野党候補一本化に協力へ 夏の参院選1人区
共産党は22日、夏の参院選の 1人区で安全保障関連法廃止を公約に掲げることなどを条件に、野党候補の一本化に協力し、独自候補を取り下げる方針を正式に決めた。これまでは全選挙区に 候補をたて、比例票の掘り起こしを狙うのが基本戦略だったが、市民団体の求める「野党共闘」に応じることで、デモに参加する若者ら新たな支持層の獲得を目指す。
 方針を決めた全国の都道府県委員長らとの会合後、記者会見した志位和夫委員長は「かなりの人は立候補を取り下げることになる」と明らかにした。全国で32ある1人区のうち、共産は29選挙区で公認候補を擁立。そのうち21選挙区で民主の公認・推薦候補と競合しており、民主などの候補が「安保法廃止」や「選挙協力する」意思を示せば、候補者を取り下げていく。
 「国会や国政選挙でできる限りの協力を行う」ことなどで合意した19日の野党5党首会談を受けた対応で、志位氏は「安保法制の廃止と(集団的自衛権行使容認の)閣議決定撤回の大義の実現のため、大局に立って判断をした」と強調した。 志位氏は会見で、選挙区での立候補をやめる候補者について「比例候補になってもらう」とも表明した。すでに活動を始めている都道府県を地盤にしても らうことで、全選挙区に候補をたててきた従来の戦略と同じ効果を期待。今回はそれに加えて、「安保廃止」を掲げて野党共闘を強く求める市民団体の意向に沿うことで、支持層の開拓を狙う。機関紙「しんぶん赤旗」の読者数が減少傾向の中、党幹部は「比例票と複数区での票の底上げが期待できる」と計算している。
 志位氏は会見で、衆院選での選挙協力にも言及。「直近の国政選挙の比例得票を基準としたギブ・アンド・テイクを原則として推進したい」と述べた。�295小選挙区のうち、共産の協力を求める選挙区を決める�直近の国政選挙で得た野党各党の比例票の割合に応じて、各党ごとの候補者数を決める�その候補が「野党統一候補」になる――という仕組みで、近く民主などに提案する方針だ。
 共産は民主が政権交代を実現した2009年の総選挙でも、小選挙区の候補者を絞ったが、当時は勢いづく民主の後方支援とともに、供託金没収の回避が目的だった。 
 ≫(朝日新聞デジタル:星野典久)

一強他弱の王様気分に浸っている王者自民党の幹事長が、金切り声を上げて、野党5党の選挙協力関係についての感想を述べている。共産党と組むなどと云う事は、民主党の自殺行為だとまで言及した。後に訂正はしたものの、不都合な出来事が差し迫っている事実を窺わせる態度だったことは明白だ。表見代理人という法律用語があるが、まさに、現在我々が目にしている“安倍自民党政権”が、表見代理人的要素を多く抱えた政権であるかが見え隠れしている。共産党志位委員長は、そのことに理解したのだろう。

ここは、長い目で見て、民主党に花を持たせるのが得策だ。「共産党」って、意外に良い党だね。全然怖くなんかないじゃん。委員長もとっちゃん坊や風で、或る意味で可愛い。正直者に見えるしね、実直にも見える。民主が、グタグタしていたら、次は共産党で良いかもね。そうだよ、民主党なんて、野田とか、前原とか、長島とか、菅直人がいるんだからね。あぁ、寒気がしてくる。そう、10年先の布石として、志位は、共産党員を説得するだけの論拠を示すことが出来たものと推量する。

仮設テントで強風に煽られている安倍自民党政権の表見性は、民主党の体たらくに嫌気をさした有権者が、選挙ボイコット的な振舞いに出たために起きた、アクシデントだったのである。自民党が14年12月の総選挙で得た得票は、巷で言われているように、自公与党が得た得票数は有権者の25%に達していない。自公以外の政党の得票数合計は28%近くあった。しかし、選挙制度のマジックで、自公与党議席が68%を超え、野党議席が30数%になっているに過ぎないのだ。

折りしも、リフレ派の金融政策が市場とマッチングしたことで、有権者は一時的に、トリクルダウン(津々浦々に利益が行きわたる)という、歴史上、一度も起こったことのない詐欺言説に縋りついた結果、表見代理政権が誕生した。その上、現在の安倍晋三内閣総理大臣という人物は、自民党党大会で、あの石破に敗れた総裁候補なのである。つまり、二重の表見代理で生まれた、まさに21世紀の悪魔的偶然の産物である。二重の表見性を持った、この安倍政権は、天は我に味方した、と思い込んだわけだ。二度とこのような僥倖が、安倍、岸、佐藤一族、長州勢力、日本会議には訪れないだろうから、暴走的と誹りを受けても、無知蒙昧の馬力で、歪曲国家を作ろうとしている。

しかし、安倍表見代理政権の欺瞞は、年ごとに剥がれ落ち、地金が剥き出しになり、その粗鉄には錆まで浮かんでいる状況を見せている。津々浦々の有権者も、「嘘だった!」と気づいている。そりゃそうだ、日夜、実質賃金は下がるばかりで、消費税は上がる、社会保険料は上がる、社会保障は削られる。非正規の仕事を見つけようと思えば、ブラック企業群。市場原理という主義主張で、徹底的賃金カットの見舞われ、生き辛さは限界点に達している。庶民から搾取するのがアベノミクスだったのだ。挙句に、国民の命綱である年金まで、博打場に差し出しているのだから、まさに棄民政権だ。そのことに気づいていないのは、多分、安倍晋三だけだろう。

日銀黒田だって、ヤバイと知っている、霞が関の役人どもも知っている。長谷川幸洋も知っている。ヤバイな、日本共産党が絡んだ野党は並大抵の野党じゃなくなるぞ。民主や維新なんてチョロイけどさ、共産党はヤバイ。アイツらの情報網は堅固だからな。俺たちの弱味だって幾つも知っている。何とかしなければならないが、何と言っても、安倍首相だけが、アベノミクス成功していると信じちゃってるからさ。参ったね。おそらく、知恵ある役人どもは知っている。リフレ派の馬鹿どもも、中国の所為、原油の所為で逃げ切るしかないと腹を括っている。多分、谷垣も知っているので、ついつい脅しのような捨て台詞を吐いたのだろう。

≪ 自民・谷垣幹事長 野党共闘は民主党の「自殺」→「存在否定」と訂正
 閣僚らの不適切発言よぎったか 自民党の谷垣禎一幹事長は22日の記者会見で、夏の参院選の改選1人区をめぐり、共産党が野党共闘に向けて多くの独自候補を条件つきで取り下げる方針を示した影響について「政権交代可能な態勢をつくるところで、民主党にとっては自殺行為だ」と述べた。
 32ある1人区のうち、多くで共産党は民主党などと競合。野党統一候補の誕生によって民主党の存在感が薄まることを「自殺行為」と表現したとみられる。
 閣僚や自民党議員の相次ぐ不適切発言を受け、党内の引き締めを図ってきた谷垣氏。自らの発言が呼び起こす波紋が頭をよぎったのか、会見の途中で「私、自殺行為と言ったのですかね。なぜ言ったのか」と困惑した表情をのぞかせ、「自殺行為」を撤回。「自らの存在意義を否定する行為」とわざわざ訂正した。
 一方で、共産党と民主党などの野党共闘については「共通点はいったい何だろうか。統一候補が当選した後、どのような活動を取るのか。おかしな結果が出てくることが予想できる」と皮肉たっぷりに述べた。  ≫(産経新聞)

最後になるが、日本共産党の志位委員長に、二重の表見代理内閣・安倍内閣は脆い。そのメカニズムは、斯く斯く然々とひざ詰めでレクチャーしたのが、誰あろう、死に体と噂されている生活の党の小沢一郎代表であることは、言うまでもない。自ら、表舞台で脚光を浴びる気はないが、黒子として、日本の為に、まだまだ引退するわけにはいかないと、自らに言い聞かせていた、そう、あの人である。小沢一郎の最後の仕事かどうか、それは別にして、明らかに、ちゃぶ台返しの政局を、永田町に齎したようである。

二重の表見代理安倍政権は脆い。誰が言ったか知らないが「安倍一強政治」。冗談ではない、実は最も薄氷の上に乗っかった、悪質なウイルスが蔓延した、感染者だらけの泥船に過ぎないと云うことだ。事実は小説より奇なりと言われるが、これ程強い政権があったかとマスメディアに言われているわけだが、実は虚弱政権なのである。おそらく、日を追うごとに、無茶苦茶な政策を連発するか、体調不良で虎ノ門か信濃町に潜り込むのかもしれない。その時の診断書に「不眠障害」なんて書かれていたら、笑ってしまう。



by めい (2016-02-24 06:30) 

めい

と、前のコメントをアップしてすぐ読んだ記事が飯島さんの掲示板「放知技」の記事。シリアが安定すれば北朝鮮?おおいに要注意です。

   *   *   *   *   *

959:堺のおっさん : 2016/02/23 (Tue) 23:23:18 host:*.ocn.ne.jp
http://grnba.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15608854

中国と北朝鮮は朝鮮戦争以来の「血の同盟」により、肉親のような、切っても切れない関係だ…というのが定説。本当にそうだろうか?
金正日まではそうだったと思うが、3代目になってからはどうもそうではないような気がする。
中国があまりに言うことを聞かない北名義の口座凍結したことも異例だが、韓国に長年懸案のTHAAD配備を決意させる一連の行動(核実験・ロケット実験)を矢継ぎ早に行ったこともアメリカ戦争屋と示し合わせた中で行われているのではないか。親中派の参謀総長処刑もこの文脈で理解できる。
つまり、北朝鮮は親中・反米ではなく、「どちらとも利用できるなら対等にお付き合いしますよ」という、まるで、戦国時代の真田家のような振る舞いをやり始めているように見える。
そんなことやって、何の得があるの? ということだが、すでに、まんまと水爆を手中にしてしまったではないか。
アメリカとも、中国とも対等に交渉できるポジションを得ること。これが、金正恩の戦略ではないか?
小国が生き残るためには、カードはいくらあってもよい。この地位を固めたら次は韓国併合だ。
綱渡りのようなな野望だが、本気で考えているに違いない。
米中が共同で北朝鮮をつぶしに来ても戦う腹積もりだろう。若気の至りともいえるが、今のところ、重要な節目は乗り越えている。危機を演出することなどもはや朝飯前といったところか。
この点ではアメリカ戦争屋と気が合いそうだ。最高の裏パートナーが組めば、いつでも戦争をはじめ、いつでもやめられる。この場合の最大の被害者は日本以外では韓国となろう。
南沙に目を向けている間に、本命の準備が整った? しかも中国は、最近行った軍の再編によって意外にも反抗期の青年をただすことはできないのではないか。パイプがなくなったのだ。
第二次朝鮮戦争? あり得ない話ではなかろうか。シリア後のしのぎとしては上玉だ。

by めい (2016-02-24 06:41) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。