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この師ありてこそ——田島賢亮(4) 小田仁二郎 [田島賢亮]

小田仁二郎 明治43年(1910)ー昭和54年(1979


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 寂聴さんとの関わりで注目されることの多い小田仁二郎ですが、若き寂聴さん瀬戸内晴美が小田と関わることになったことについては、男女の色恋のレベルでは解けません。晴美にとって小田は遥かに高みの文学上の「師」であったのです。それは「寂聴さん」として揺るぎない地位を占めるようになっても変わることはありません。小田文学碑建立の平成三年、寂聴さんは宮内での講演でこう予言しました。

 「その一冊(『触手』)が、将来私も死に、あるいは遺族も死んで何十年かたった時に、日本だけではなく世界の文学として取り上げられ、翻訳され、日本の歴史の一つの文学の流れの中で、ある峯だとして見直される時が必ず来ると私は予言いたします。」

 今ようやくこの予言が実現する時代になってきつつあることを私は思います。

 昭和二十三年に発刊された『触手』について、書誌学者谷沢永一が言っています。

 「戦後の非常に印象的な名作に、小田仁二郎の『触手』があります。福田恆存が興奮して有名な解説を書いた。・・・最初の真善美社版は、長い間、古書界に高値で君臨していました。これを読んでいなかったらバカにされた時代、というのが確かにありました。」(『読書清談 谷沢永一対談集』)

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 この真善美社版『触手』には、二つの小説が収められています。前半が「にせあぽりや」、後半が「触手」です。「触手」の方はいくつかの文学全集にも収録されて読まれる機会も多いのですが、「にせあぽりや」の方は、手に入りにくい深夜叢書版『小田仁二郎作品集』とふるさと文学館 第7巻 山形』のみ、しかもなぜか肝腎な最終章がカットされています。(深夜叢書版は未確認) そんなわけで「にせあぽりや」の方はその題のわけのわからなさもあって、「触手」の添え物のように思われてしまいがちです。しかし、「にせあぽりや」という土台があって「触手」の作品世界が存在するのです。そのことを理解してはじめて、小田がいったい何を目指しているかが見えてきます。

 『触手』発刊は戦後ですが、この二つの小説は戦時中から書き続けられたと考えられます。行く先の見えない戦争の真只中での根無し草のような都会暮らし、「生きている」というほんとうに確かな手応えは、小田にとっては幼い頃の宮内での記憶の中にしか見出せなかったかのようです。「にせあぽりや」という小説はまずもって、小田にとっての「生きている」ということの確認です。その主な舞台が宮内です。「にせあぽりや」には宮内での情景が実に生々しく表現されています。そして主人公の自殺。小説は「にせあぽりや――。」で終わっています。

 「行き詰まり」「解きがたい難問」を意味するアポリアというギリシア語由来の哲学用語があります。「にせあぽりや」とは、「難問めかしているがわかっていないだけで、ちっとも難問なんかじゃあないよ」と言っているようにもみえます。ではその「難問」とは何か。小説の難解さに比べればずっとわかりやすい、福田恆存が「興奮して書いた」巻末解説にその解読の手がかりがあります。「作者(小田)はかなり意識的に——むしろ邪悪なまでの害意をもつて——人間の自我意識に破壊的な工作をこゝろみている」と福田は言うのです。

 小田とほとんど同年代に太宰治がいます。太宰は明治四十二年生れで小田の一歳上です。太宰の自死は昭和二十三年六月十三日ですから『触手』発刊のほぼ一ヶ月前。「にせあぽりや」は太宰の死を予言していたかのような小説です。

 岸田秀という精神分析学者による太宰の『人間失格』についての辛辣な評価があります。「この上なく卑劣な根性を『持って生れ』ながら、自分を『弱き美しきかなしき純粋な魂』の持主と思いたがる意地汚い人々にとってきわめて好都合な自己正当化の『救い』を提供する作品である。」(『ものぐさ精神分析』 ) 太宰に魅かれたことのある者には身に堪(こた)える言葉ですが、小田も太宰に対して同じような苦々しさを感じていたように思えます。その思いがあって小田は、とどのつまりは自己正当化に行き着く「自我意識」に対して、「にせあぽりや」と言い放ったのではないでしょうか。しかも小田のすごさはそこで立ち止まるのではなく、その先をしっかりと示したことです。それが「触手」の世界です。福田は言います。

 「かれは現代の日本において、その文学的水準に比して、少々新しすぎる小説家なのである。・・・『にせあぽりや』や『触手』はヨーロッパ文学の今日の水準に達している作品であり、その土地に移し植えても依然として新しさを失わぬものであるに相違ない。」


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 小田仁二郎は、大竹俊雄等とともに田島先生の最初の教え子のひとりでした。田島先生は当時すでに芥川龍之介、菊地寛、志賀直哉といった「文豪」と呼ばれるようになる人たちからも知られた人でした。田島先生の矜恃が生徒たちに伝わらなかったはずがありません。小田が到達した高みは、田島先生によって用意されていたのです。  

 小田はともすると「不遇な作家」といわれます。しかし見る人は見ています。”世界に誇るべき「知の無限迷宮」の怪人”とも評される独文学者で評論家の種村季弘による小田仁二郎観です。 

 「太宰治ほど終末の意識をナルシスティックな自家消費に使い尽したのではない小田仁二郎の場合には、空にするまでが自分の作業であっても、空の器から言葉を取り出すのがかならずしも自分でなくてもよかった。自分であってもよかったが、戦後の作家は職業作家として空から花を咲かせることにそれほど躍起ではなかったようだ。その代りに同人雑誌の教育家として他人に花の栽培を譲ろうとしたのかもしれない」『器怪の祝祭日』沖積舎 昭和59年)。

 作家として事を成したあとはむしろ教育家だったのです。そうして育てられたひとりが寂聴さんだったわけです。ここにも田島先生の影響があったのでしょうか。


おわりに


 田島先生が宮内の教え子に残した「矜持」という気持ち、それは言い換えれば「高み」をめざす気持ちです。ただし「高み」とは名誉や地位ではありません。まして金銭上ではありません。実は田島先生は宮沢賢治とは学年で一級下、ほとんど同年代です。賢治がめざしたのは「ほんたうのほんたう」でした。それには「精神の自由」が前提です。田島先生と重なりました。賢亮と賢治、二人を生んだ時代の空気をふと吸い込んだように思いました。


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めい

小田仁二郎が見ていた(目指していた)もの(こと)に通ずるような気がしたのでここにメモっておきます。

   *   *   *   *   *

■ ゼロが無限 2017年02月05日(SUN)
http://www.love-ai.com/diary/diary.cgi?date=20170205

フリーエネルギーの根本原理は、ゼロにしか無限はなく、あらゆるエネルギーはそこから訪れるということだと思います。

しかし私達は多くの場合、そうは考えません。どこかにあったものがなくなった場合を、私達はゼロと思いやすく、そうしたゼロしか考えようとしません。

10万円を使ってしまって、貯金がゼロになったら、ゼロ円、、というゼロです。

火事で家が焼ければ、家がゼロになります。

地球資源が使い過ぎてなくなれば、やがて、石油も資源もゼロになると試算したりします。

こうなると、さあ大変とばかり、あれをしてはダメ、これをしてはダメと、政治がしゃしゃり出やすくなっていきます。

人生設計もいくつまでいくら貯めて、、、というゼロにならない計画が重視されるようになっていきます。

こうした物的ゼロをゼロとして捉えがちな私達は、つい、この世的な価値観に従うようになっていきます。

勉強しなくては良い将来がない、、、良い学校にはいらなければ未来は暗い、、、30歳までに結婚しないと女性は不利、、、家くらいもたなくては、、、定年後はいくらかかる、、、保険に入らなくては不安、、、

こうしたことが悪いわけではなく、私達の安心として働く場合はもちろんあると思います。

問題があるとしたら、それらの不安や常識や価値観は、物質のゼロを避けようとする、物質主義のところにあるのです。

物質主義が悪いわけではありませんが、事実でないとしたら、事実から立脚しない価値感も考えも、私達を幸福にするとは思えません。

ゼロが実は無限と同居していることが事実だとしたら、物資的なゼロにばかり意識を向けることは、不自由そのものになりはしないでしょうか。

物は意識から、ゼロから生じた物だとすれば、それらはすべて結果物であって、何の力も有していないのです。

電車にのってどこかに行った場合、物質の考えでは、電車で行けた、、、となりますが、ゼロの視点では、行こうと思ったから行けた、ということになります。

そして、すべてはまず先に意思と、その前に存在する意識によって行動が生まれますので、質量のないゼロにしか、本当は私達を動かす力は存在しません。

ただ、電車に乗って行った、、、と物理的に考えた方が分かりやすい考えがあり、そちらの物理的な側面をつい重視してしまうのです。

しかし、電車で来ようが、歩いて来ようが、飛行機で来ようが、それが大した問題になることは実際には少ないのです。

そんなことより、おばあちゃん、、、会いたくて来たよ、、、という思いが人生や生き方や今後の人生に大きな影響を与えることは明白です。

しかし、そんなゼロを忘れ、電車で来たとか、飛行機が良いとか、どの会社はどうだとか、人は外面上のことばかり、あきもせずに話し続けます。

ゼロがそんなに怖いのでしょうか。いつしか私達は、肉体という質量のある存在を、自分だと勘違いするまでに至ってしまったわけです。

ゼロがすべてを作っているのに、ゼロ以外からは喜びは訪れないというのに。

会社に飼いならされた男性の心の固さが問題になることがありますが、それはゼロよりも、会社組織やどこの大学を卒業したとかいう、外見の物質的なものにとらわれ、ゼロを失ったつまらぬ表現のためです。

企業も政治も、このゼロから遠ざかるほど、儲からなくなりますが、それは人の心を打たなくなるからです。

今はまさにそれがピークに至っていますので、この社会はこのままはいかなくなると思います。すでにあるものにしか価値と力を認めない人が上に立っていますので、ゼロからの政策も魅力ある訴えもないことになるからです。

あった物がゼロになれば、一瞬は誰でも落ち込み、再起不能になると思われるかもしれません。人はそれを恐れて、物質的なゼロを遠ざけようと自己保身的になります。

本来なら、物質的ゼロに陥った際にも通用する教育や哲学が必要なのですが、それが残念なことにありません。人の魂を救済する宗教でさえ、現世利益に傾き、あの神様を信じると金が入る、この神様を信じると権力が入る、です。

ゼロに至った人間をいかに、それがゼロではなく、無限のゼロの入り口に導くかが大切なのです。

それが教育や哲学や場合によっては経済でなくてはなりません。

ずるい金儲けを考えても、ゼロから言わせれば、非常に危険であり、儲かるわけがない、、、との視点がないのです。

物質的ゼロが無限のゼロと同居することを理解すれば、逆境や不幸と思える事柄が、本当のプレゼントであることを私達は理解します。

本来の宗教や教えもそれがメインに来なくてはならないと思うのですが、要するに落ちぶれてしまったのです。

あらゆる物質的ゼロ状態のお取り上げは、本物のゼロ、無限のゼロ、すべてを生み出すゼロに至る道であり、道というより、そのものです。

なので、不幸とは、すでにある物質的な視点で物事をとらえ、考え、それ以外に道はないと思う意識に他なりません。

幸福とは、ゼロを受け入れ、物質的なゼロが大きな世界であることを受け入れた、本当の安心感を言うのです。

イエスが最低の物資的ルームである、馬小屋で生まれた、、、

カエルが一番豊かになったというような昔話し、物質的ゼロになって考えを変えたことから、今の自分がある、、、という成功体験など、質的な進歩は、ゼロの受け入れ以外はからは起こりません。

なぜなら、それが事実だからです。

身体が全て、、、果たして本当でしょうか。その体を生み出しているものは、本当に栄養や遺伝子なのでしょうか。本当はあなたの意識ではないでしょうか。

自分は無の存在なのか、肉体の存在なのか、、、肉体を持つ以上は後者であることも事実ですが、それを維持運営しているものは、やはり無の意識なのです。

金が欲しい、、、地位が欲しい、、、私もそう思います。ですが、だからと言って金を得るために貯金したり、何年計画で貯金しても、本当に貯まるでしょうか。

計画は現実的で立派に見えても、その通りに行くものでしょうか。

私達を取り巻く物質的なものには、本当は実態がないのではないでしょうか。それらは、かつての、それを作り出す意識が作り出した抜け殻に過ぎないのです。

それを作り出した意識が変化したりなくなれば、糸も簡単にこの世から姿を消してしまうのではないでしょうか。

だから、この世に残っているもっとも古いものは石などであって、建造物などは、心もとないものであり、これからも残るものは、石などはかなり残りそうですが、銀座も浅草も、ロンドンも、どうなるか分かったものではありません。

意識が作り、意識がそれらを継続させているだけです。

会社も先代の社長の考えが残されているうちはうまく行くかもしれませんが、金儲けだけに走ったら、ゼロを失い、つぶれるに決まっているのです。

しかし、勉強だけができる二代目、三代目は、そのことが分からず、合理的と言って、物質意識一辺倒となり、あえなくその姿を消していくのです。

ゼロ、、、それは身近であり、いつでもどこでも、あなたに寄り添い、どんな状況や運命からも、あなたを永遠に守り通してくれているのです。

ただ、そのことに私達が気づかない、、、ただそれだけなのです。
by めい (2017-02-08 07:45) 

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