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北野達著『古事記神話研究—天皇家の由来と神話—』(3)「はじめに」を読む(後) [『古事記神話研究』]

宣長の「神の道」、小林の「伝統」、吉本の「共同幻想(関係の絶対性)」、これらは重なったものとして在る。(おおざっぱに私はこれらを「共感の体系」という言葉で括っている。)北野の認識では、三者の思いの背景には「個の過剰への根本的な批判」があるという。よくわかる。宣長の結論は「ほどほどにあるべきかぎりのわざをして、穩(オダヒ)しく楽(タノシ)く世をわたらふほかなかりし」ということだった。いいではないか。今の私もそう言える。


さて、「小林の立場」に立った宣長『古事記伝』の読み方とはどのようなものか、という問いに戻る。折口信夫がからんでくる。その前に柳田国男も入り込む。


《柳田国男が「新国学」と称した民俗学は、やはり、日本の価値の体系を再発見しようとする試みであった。》「神の道」「伝統」「関係の絶対性」(さらに「共感の体系」)に連なる言葉として「日本の価値の体系」が加わった。


   *   *   *

 

柳田が出てきたところでちょっと脱線。


 武田正先生.jpg

山形新聞日曜連載の「山形再発見」は、21421日森岡卓司山形大人文学部准教授による「武田正」論。武田先生とは顔を合わせたら挨拶するくらいで親しく話したことはなかったが、高校時代朝の通学列車、赤湯から米沢東高へ通われる先生とは乗る車両が近かった。森岡先生が「決して着飾るような人ではなかったが、その着こなしや立ち居振る舞いから自然な洒脱さがにじみ出ていた」というのがよくわかる。

 

その「武田正論」、冒頭書き出しが凄かった。

《南陽市の温泉宿で開かれた、職場の忘年会の席上だった。/「僕はねえ、民話研究ではもう柳田を超えたと思っておるんです。」/つい、いつものあの穏やかな冗談口かと思って、何の用意もなく目線を上にあげたのだが、一瞬たじろぐほどの強いまなざしにぶつかって、思わずもう一度目を伏せた。

見出しに「あのひと言が意外だったのだ。/武田は、柳田の何を/乗り越えようとしていたのか。」とあるように、森岡の論はこの言葉の解明がテーマだ。

 

武田は柳田よりも、『民俗行事は人のつくったものであり、民俗行事のために人が生きているのではない』とする宮本常一を評価する。森岡はその武田について「彼の研究姿勢は、現代文明に見失われた本来の日本の姿を発見する、といった大言壮語の類いとは一切無縁であった。」という。さらに『城下町の若者たち—地方都市の猥雑―』を評しつつ、「武田の視線は、城下町に暮らす若者たちに寄り添って離れることがない。」そして武田の業績を「地域に溶け込みながら語り、読み合う場を準備した人々の、地道な活動によって支えられてきた歴史を持」つ、「近代山形の文学活動」のひとつの峯のごとく位置づける。

 

武田と柳田とのずれは、宮本常一と柳田のずれであり、敷衍すれば折口と柳田のずれ、ひいては平田篤胤と本居宣長のずれとも重なるような気がするが、シロウト判断はさておき、北野の論にもどる。

 

   *   *   *

 

北野によれば、宣長の国学と柳田の新国学の間には「大きな溝」があったという。ここで柳田の「新国学」側で折口信夫が登場する。

 

《折口にとって、国学の目的とは、道徳の確立に他ならなかった。》その源流に平田篤胤がいる。折口は、「説明学的文献学を主とした」宣長ではなく、「規範学的道学を主」とした篤胤を、柳田の「新国学」側に付ける。

 

《「日本の国を対象とし、日本の国の生活を対象としてるから、国学といふことは出来ません。まう一つ更に奥にあるところの、日本人の道徳性といふところに到達する見込がなければ、民俗学も新しい国学ではありません。」(折口)

 

柳田が着目したのは「心意伝承」だった。そこから「新しい国学」の道が開かれるはずだと折口は言う。《「日本人の習慣から、日本人の癖から、日本人の好みから、日本人の道徳—なぜ道徳が発生するのかといふことまで、早晩わかって来ると思ひます。」(折口) その源流に、篤胤の「古今妖魅考」「仙境異聞」「勝五郎再生記聞」が在る。その流れからすれば、宣長の国学は「それ以前の国学」であった。

 

北野の立場はどうか。

 

篤胤を源流とする「新国学」の立場から折口は宣長を見る。折口が小林秀雄に発したという「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さようなら」の言葉から北野は、《宣長の『古事記』研究は、基本的には、「韓魏晋唐の文学技術」で論じていることになろう。それが、折口の『古事記伝』理解であった。》と見る。折口は「宣長の著述を見ると、その方法は支那学の影響を濃厚に示してるではないか。」と言っている、と。

 

北野は、その折口に異議申し立てをしたのが小林秀雄の『本居宣長』であったとする。《小林は、宣長が「出来るだけ儒学的なものを排除」したのではなく、漢意排除の「第一闘手」ではなく、まして「支那学の影響を濃厚に示して」いるのではないことを明らかにしたのだ。》かくして、《筆者は、小林(秀雄)の立場に立って『古事記伝』をよむことができることになる。本書は、宣長をよみ、その導きによって『古事記』が語りかけているところを読み取ってきた成果である。》との結論である。その読み方はすでに第一節でくわしく示されている。次の文だ。

 

《 小林の論述は圧倒的な迫力で私に迫ってきた。蒙を啓かれるとは、このことであった。宣長のいう「漢心(カラゴコロ)」とは、さかしら(皮相な合理主義、イデオロギー)の事であった。そのことを了解すると、『古事記伝』の記述は、何の抵抗もなく受け入れることができた。当時の筆者の理解とは相違するであろうが、宣長の「漢心」とは、次の如きものであった。        

  そもそも天地のことわりはしも、すべて神の御所為(ミシワザ)にして、いともいとも妙

  (タへ)に奇(クス)しく、霊(アヤ)  しき物にしあれば、さらに人のかぎりある智

  (サト)りもては、測りがたきわざなるを、いかでかよくきはめつくして知ることのあら

  む。

 限りある人智が万象を説明しうるとするところに「漢心」の危うさがある。それ故「聖人のいへる言をば、何ごともたゞ理(コトワリ)の至極(キハミ)と信(ウケ)たふとみをるこそいと愚なれ」と言わざるをえないのである。

 そもそも、「聖人」とは、「威力(イキホヒ)あり智り深くて、人をなつけ、人の国を奪ひ取て、又人にうばヽるまじき事量(コトバカリ)をよくして、しばし国をよく治めて、後の法ともなしたる人」のことであるという。それ故、その教えは、「まことには一人も守りつとむる人なければ、国のたすけとなることもなく」、「人をそしる世々の儒者(ズサ)どもの、さへづりぐさと」なったというのである。

 宣長が「漢心」に対峙するものとして挙げたのは「神の道」であった。それは、「天地のおのづからなる道にもあらず」、「人の作れる道にもあらず」、「高御産巣日神の御霊によりて」、「神祖伊邪那岐大神伊邪那美大神の始めたまひて」、「天照大御神の受たまひたもちたまひ、伝へ賜ふ道」なのである。それ故、人は「ひたぶるに大命をかしこみゐやびまつろひて、おほみうつくしみの御蔭にかくろひて」生きればいい。この「直毘霊」の一節は、宣長『古事記伝』が『古事記』から読み取った結論と言ってもいいであろう。》
(2-3p)

著者は、神野志隆光氏の一連の著作によって、《『古事記伝』が示した方法、すなわち、『古事記』を天皇制の由来を説く一貫した構成を持つ書としてよむことの正当性を再確認した。》 その結果の『古事記伝』再入門。小林秀雄『本居宣長』との出会いがよみがえる。「漢心」とは「さかしら」のことであり、それに対峙するのが「神の道」であった。それは、(折口の学統云々はさておいて)自ら在る、その在るがままの今のこの場所であることに気づかされることであった。本著は宣長の謂う直毘霊(ナホビノミタマ)をもって『古事記』に向きあった成果である。そこに広がる世界はとりもなおさず、「稗田阿礼のカタリによって達成された統一された神話の体系」であったのである。


(この項おわり。ここまでたどり着くにはかなり大変でした! 28.2.21 7:25am)



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コメント 2

北野達

拙著の「はじめに」を丁寧に精読していただきましてありがとうございました。
熱心な読者に出会ったことの喜びをかみしめています。
日本人の精神史を考えるとき、『古事記』は避けて通ることのできないことは、自明のことであるように思います。本居宣長は、『古事記』を支えるものが「神の道」であり、それが日本人の精神の根源にあることを指摘しました。「神の道」は現代日本人の精神を相対化し、現代に欠如しているものをあらわにします。小林秀雄は、宣長を通してそれを見通したのです。
拙著の記述が不十分だったので、少しだけ補足しておきます。宣長は「神の道」を、「天地のおのづからなる道にもあらず」、「人の作れる道にもあらず」と説明しています。つまり、自然に本来的に存在するものではなく、また人間が作ったものでもないといいます。それは、「高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)の御霊(ミタマ)によりて」、「神祖(カムロギ)伊邪那岐(イザナギノ)大神、伊邪那美(イザナミノ)大神の始めたまひて」、「天照大御神の受(ウ)けたまひたもちたまひ、伝へ賜ふ道」だというのです。タカミムスヒの神、すなわち、ムスヒの神は、モノが生成するときにはたらく原理ともいうべき神です。イザナキ・イザナミの神は、人間としての身を持つ神が完成した時のお名前です。そして、アマテラス大神はいうまでもなく、ご皇室の祖先神です。
こうして、「神の道」とは、世界を成り立たせる原理から」発し、人類が誕生したときにはじまり、それをアマテラス大神が継承なさり、現在のご皇室に伝えられたものだというのです。いわば、それは、人間が出現したときから伝えられた価値の総体であり、生半可なさかしらでは、とうてい、太刀打ちできないものだというのです(あるいは、ここに、ユングの集合的無意識を思い浮かべる人もいるかもしれません)。
私は、無謀にも、この「神の道」を世に訴えたいと考えました。それは、こんな事情からです。
私には、ロサンゼルスに住んでいる知人がいます。日本の神話など歯牙にもかけない人でしたが、ある日、突然に、一冊で日本の神話がないかと問い合わせてきたのです。どうやら、かの地で日本の神話について尋ねられ、恥をかいたらしいのです。ところが、振り返ってみると、そうした本が一冊もないことに気が付いて慄然としました。強いてあげれば、山田孝雄の『古事記概説』でしょうが、これは、講演を筆録したもので、残念ながらそれほど詳細な神話の紹介がありません。そのうえ、戦前のものなので、現代の人が読むのには難があります。
この無謀な試みのために、まず、自分の立場をしっかりと定めなければなりません。拙著は、私の考えを世の研究者に問い、間違いのない「神の道」を訴えるための準備の書でもあります。
今、私は、めいさんの奥さまの言葉を思い出しております。「『古事記』を読み始めたが一向に理解できない」とおっしゃていましたね。あの聡明な方が読んで理解できないというのは、やはり、適切な入門書がないからに相違ありません。そのための準備を始めています。しばらくは、facebookで書き継いでいきたいと思います。もしよろしかったら、
https://www.facebook.com/arenosyousyuu
を覗いてみてください。

by 北野達 (2016-02-21 18:14) 

めい

北野宮司様

早速のコメントありがとうございます。

《人類が誕生したときにはじまり、それをアマテラス大神が継承なさり、現在のご皇室に伝えられた・・・人間が出現したときから伝えられた価値の総体であり、生半可なさかしらでは、とうてい、太刀打ちできない「神の道」を世に訴えたいと考え》、《私の考えを世の研究者に問い、間違いのない「神の道」を訴えるための準備の書》ということで、研究者に向けて書かれたこの大著に向き合うのはたしかにかなりきついです。しかし、身近な宮司の作なればこそ本気で読む意欲も湧いてきて、また読むほどに理解も少しずつ進んでくるようで、読み進むのが楽しみになっています。今朝から第二部を読み始めたところです。節目節目にまた感想めいたこと書けたらと思っています。

どこかで「古事記を読むならこれがいい」と聞いて、古本で安く買って積んでおいた『口語訳古事記 完全版』( 三浦 佑之 文芸春秋)を、何を思ったか(聡明なる?)家内が読み始めて、1/3ぐらいで挫折していたところで宮司にホンネをもらしたようですが、入門書の刊行を家内共々首を長くして待ちたいと思います。

facebookなるもの、初めて登録して読ませていただきました。
by めい (2016-02-22 06:02) 

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