SSブログ

武藤貴也議員へ「状況に斬り結べ」 [日本の独立]

自民党武藤貴也衆院議員のツイッター発言が問題になっている。かつてある公的な場で「あなたの座右の銘は?」と問われて思わず「一旦緩急在れば義勇公に奉ず」と言ってしまったことのある自分としては、あながち無視できない問題なので、武藤議員の発言がなぜダメなのかを考えてみた。

問題となった発言。

SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ。》

武藤議員は自分のサイト「国民に課せられる正義の要請」と題してその真意を述べた。

《・・・まず、読んで頂きたいのは、砂川判決における田中耕太郎元最高裁判所長官の補足意見、以下の箇所です。/「要するに我々は、憲法の平和主義を、単なる一国家だけの観点からでなく、それを超える立場すなわち世界法的次元に立って、民主的な平和愛好諸国の法的確信に合致するように解釈しなければならない。自国の防衛を全然考慮しない態度はもちろん、これだけを考えて他の国々の防衛に熱意と関心とをもたない態度も、憲法前文にいわゆる『自国のことのみに専念』する国家的利己主義であって、真の平和主義に忠実なものとはいえない。
我々は『国際平和を誠実に希求』するが、その平和は『正義と秩序を基調』とするものでなければならぬこと憲法9条が冒頭に宣明するごとくである。平和は正義と秩序の実現すなわち『法の支配』と不可分である。真の自衛のための努力は正義の要請であるとともに、国際平和に対する義務として各国民に課せられているのである。」/このように、田中裁判長は自国の防衛を考慮しない態度も、他国の防衛に熱意と関心を持たない態度も、憲法が否定する「国家的利己主義」だと言っています。そしてその上で、真の自衛の為の努力は、正義の要請であるとともに、国際平和に対する義務として「各国民に課せられている」と言っています。/つまり、「SEALDs」の方が仰る「だって、戦争に行きたくないもん」という自分個人だけの感情で、今議論されている平和安全法制に反対するのは、田中最高裁長官の言うように「真の平和主義に忠実なものとは言えない」と私も考えます。/誰もが戦争に行きたくないし、戦争が起こって欲しいなどと考えている人はいないと思います。しかし他国が侵略してきた時は、嫌でも自国を守るために戦わなければならないし、また世界中の各国が平和を願い努力している現代において、日本だけがそれにかかわらない利己的態度をとり続けることは、地球上に存在する国家としての責任放棄に他ならないと私は考えます。・・・/世界にいる日本人は、各国の軍隊や警察組織によって守られています。・・・「みんながみんなを守りあっている」ときに、日本が、しかも日本人自身の安全に、我関せずという態度をとり続けることは、日本人の命と財産を守るリスクと負担を他の国に押し付けるということを意味します。/以上述べたように、世界中が助け合って平和を構築しようと努力している中に参加することは、もはや日本に課せられた義務であり、正義の要請だと私は考えます。》

一方89日、長崎原爆記念式典で長崎市長が言った。


《現在、国会では、国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、いま揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。政府と国会には、この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、慎重で真摯な審議を行うことを求めます》


兵藤正俊氏は「長崎市長は、状況と斬り結んでいた」と評価した。


《平和は、昼寝をしていて守られるものではない。戦争に向かう邪悪で愚かな状況と闘わねばならない。その点、昨日の長崎市長は、状況と斬り結んでいた。》


武藤議員の論は、もっともらしく聞こえるが、全く状況と斬り結んではいない。持ち出した岡本行夫元外交官が挙げた例も、いま問題になっている「状況」とは無縁であり、その意味で議論のはぐらかしでしかない。日本の現在在る状況を前にして、武藤議員の論の何と空疎なことか。


3.11のあった4年前のちょうど今頃「ずぶぬれ日本」と書いていた。ここのコメント欄もたどってほしい。これが日本の状況だ。いったいそもそも原爆加害者は誰なのか。日本人の一見能天気なお人好しの底にある真実の思い、その沈黙の中味にこそ思いを致さねばならない。そこへの斬り込みをみせてくれたのが、729日参院特別委員会での山本太郎議員の質疑だった。

 

《山本議員 「・・・『武器を持つ人間をみたら、殺せ。双眼鏡を持つ人も殺せ。携帯電話を持つ人は殺せ。何も持たず、敵対行為がなかったとしても、走っている人、逃げる人は、何か画策しているとみなし、殺せ。白旗を掲げ、命令に従ったとしても、罠とみなし、殺せ、と指示した。ファルージャで僕たちは、その交戦規定に従った。米兵たちは、ブルドーザーと戦車を使って、家屋を一つ一つ轢き潰し、人間は撃ち尽くしたか、犬や猫やニワトリなど動くものは何でも撃った。動物もいなくなったから、死体も撃った』

 

 これ、一部のおかしな米兵がやったことじゃないですよ。米軍が組織としてやってきたことです。ファルージャだけじゃない、バグダッドでもラマディでも。


 総理、アメリカに民間人の殺戮、当時やめろって言ったんですか? そしてこの先、やめろと言えるんですか? 引き上げられるんですか? お答え下さい」》


そもそもアメリカによる民間人殺戮の最大は、日本中への空襲であり、広島、長崎への原爆であったのだ。このことを思うと、武藤議員のタテマエ平和論がいかに虚しいか。日本という「状況」を直視せよ。


元自衛官の叫びがある。


米国は集団的自衛権の名の下に、74年間宣戦布告もしない、自称「自衛の」戦争を大小200以上やってきた。
その挙句が「9.11」だ。
日本をそんな国にするのか。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。