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「よもやま歴史絵巻 金山編」(2)勝景の地 金山郷 [宮内よもやま歴史絵巻]

知られざる勝景の地 金山郷

平成2年に「南陽市商工会報 かがやき」に書いた記事です。当時、宮内・赤湯・和郷の3商工会が合併して間もなくで、広報委員をやっていました。そういえば、みんな結構楽しく張り切ってやっていたのですが、突然何の断りもなしに解任されていました。いささかの報酬も出ていてそれを貯蓄していたはずなのですが、それもどうなったのか。どうもトップの意向に逆らうような編集になったのが原因だったと思われますが、当時はいちいちかかずらうのも面倒でそのままになっていたのを今思い出しました。四半世紀も前のことです。以下、取材を重ね、張り切って書いた記事でした。


龍の口明神.jpg

宮内から小滝街道を北上して最初の集落、金山地区の中ほど右手田んぼの真ん中に、数本の木立に守られた古社龍の口明神かある。岩肌をのぞかせて周囲を睥睨(へいげい)するかのごとき山容を見せる七瑳古山(ななさこやま)を背景にしたその小さなたたずまいは、日本の原風景そのものとも言えそうな趣かある。御祭神は市杵島姫命。創建は文応元年(1260)と伝えられる。御祭日は十月十五日。金山片岡の高橋武雄氏ら六人の氏子によって守られている。

 現当主武雄氏、代々七兵衛の名を継ぐ高橋家は南陽でも有数の旧家である。家系譜によると、小四位源朝臣頼親七代の孫三宮蔵人長親末流、源長安で高橋石見守、代々会津の芦名家に仕えていたが、不遇だった長安は世を遁れ勝景の地を探り、松島・南部・象淘・山寺を経てこの地に居を構えたと伝えられる。それが今からおよそ五百年前。つまり勝景の地を求めてついに採し当てたその土地がまさにわが北条郷金山の里であったのである、この地か松島、象潟、山寺をも凌駕しうる勝景の地たる所以(ゆえん)は一体何処にあるのだろうか。

 その一つの答えは高橋家でお話を伺い玄関を出てふと前方を見上げた時に見つかった。そこには正面から拝する七瑳古山の「あっ!」と声を上げさせるばかりの見事な姿があったのてある。そういえば、十月のご祭日毎に来られる熊野大社の北野猛前宮司が、口を極めて七瑳古山紅葉を賞でておられたという話を今聞いたぱかりだった。これまでの金山に抱いていたイメージからは到底考えられない風景の発見であった。 

12 龍の口明神相関図.jpg

  もう一つの笞えは、かつては高橋家の耕地の真ん中に位置していたという龍のロ明神にある。

 社の東側にかつての小滝街道が農道として残っている。村山盆地長谷堂から入って幾つもの山を越え谷を抜けてきた旅人にとって、この明神様はあと一息の一服の場所にいかにもふさわしい。明神様から前方を見ると、平館の城跡を左右からいとおしむかのように東西の稜線が心地よく置賜の平野へと吸い込まれ、その先、晴れた日には米沢の斜平山、そしてさらには、栂峰への起伏に富んだ連なりを望むことかできる。ちょうど母親の胎内から世界をのぞき見るような、入間の原初の記憶に通ずるともいえる風景なのである。見て飽きさせぬ、しかもなんと安定した構図であることか。

 そしてこの位置にも、秘められた謎がある。

 まず、この明神様と吾妻の最高峰西吾妻山とを結ぶと、ぴったりその直線上に戸塚山古墳のある米沢の戸塚山頂が重なり、赤湯の稲荷森古墳と飯豊山頂とはこの位置からぴったり60度の角をなし、さらに小松の、天神森古墳と大朝日岳山頂とはこれまたぴったり90度なのである。置賜盆地から望むことのできる三大高峰と盆地内三大古墳との、龍の口明神を介したこの不思議な関連には一体どんな意味が隠されているのだろうか。

 因みにこの金山地区は、金が発見される以前には、神山(かみやま)郷とよばれていたそうである。》


日本の「最も美しい村」運動発祥の地 北海道美瑛町で活躍する金山出身菊地晴夫氏


菊地晴夫83v838D83t83B815B838B.jpg

2月3日のことだったでしょうか、「最も美しい村」ということで「パッチワークの丘 美瑛町」を検索して菊地晴夫氏に行き当たりました。いつだったか、だれにだったか定かではないのですが、「美瑛町に住み着いて写真を撮っている金山出身の人」として記憶の片すみにあったのでした。「勝景の地 金山郷」と「最も美しい村 美瑛町」が菊地晴夫氏によってリンクしたのです。これはほんとにうれしかった。講話当日、公民館で早速確かめたら実家はもう宮内に下りておられるとのことでした。昨年の豪雨の時、菊地さんのブログにふるさとへの御見舞いを書いておられます。 


お見舞い申し上げます。 Weblog20140711

台風はこれから北海道へ接近してきそうで要注意です。

美瑛は嵐の前の静けさでしょうか、十勝岳連峰の山並みがくっきりと見え、ヌケの良い青空が広がっています。

今回の台風も各地に被害をもたらしているようで、生まれ故郷である山形県南陽市でも大雨による甚大な被害が出たようです。

不幸中の幸いで実家には影響は無かったものの、知人宅などは床上浸水があったと昨夜聞きました。

被害にあわれた方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。



プロフィールに昭和29年(1954)生れとありましたが、早生まれで28年生れと同級のようです。


というわけで、菊地さんと出会ったことで、最後は「置賜自給圏」に話をつなげることができました。資料に『スマート・テロワール』のAmazonレビューを加えて紹介してきました。


ほんとは『南陽天地人絵巻』DVDの「尾崎氏と色部氏」を最初に見ていただく予定だったのですが、なぜか音声が出なくて断念、詳しい資料を用意しておいて正解でした。ただ、「南陽発信!世界に届け 鷹山公精神」に触れなかったことに終わってから気づいたのは残念でした。ともかく、いい機会を与えていただき、館長さんはじめ金山地区のみなさん、ありがとうございました。



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