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『スマート・テロワール』(1) 書評 [置賜自給圏構想]

スマート・テロワール.jpgAmazonレビューに投稿してきました。

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読む前と読んだ後では「世界」が変わる!確実に
★★★★★

隅から隅までよく行き届いた啓発の書でした。

 「スマート・テロワール」とは、
地域内でのできる限りの自給を目指す地域ユニットのことです。川勝平太静岡県知事によれば、「美しく強靭な農村自給圏」ということです。
読み進める中で、いま日本がかかえる3つのムダが浮かんできました。その3つのムダの有効利用が、著者の説く「スマート・テロワール」の実現によって解消に向かうであろうことがよく理解できました。

摂取カロリーと供給カロリーの比較推移.jpg
○「食べ物の1/3は口に入ることなく棄てられる」ムダ
 1970年代日本は、食料の「供給不足時代」から脱却して「供給過剰時代」になりました。しかし、《我々が食べる量は毎年減っているのに、マーケットに投入されている食べ物の勢いはとどまることを知りません。消費カロリーと供給カロリーの差がどんどん広がっているということです。消費されているのはわずか三分の二で、それ以外の三分の一がロスや廃棄されていることを意味します。》(29p)
○「100万ヘクタールの農地が過剰状態」のムダ
《全国で水田は270万ヘクタールありますが、その内約100万ヘクタールの水田が過剰で休耕田や耕作放棄地になっており、、維持するために莫大な国費をかけています。》(34p)農業
の進歩で反収増加(200kg→600kg/100年間)の一方でのコメ需要は半減、過剰水田の有効活用策はなおざりのまま、金に飽かせた補助金づけ。農家はいつのまにかユデ蛙。
○「160万人が『つとめ』を果せない」ムダ
 ニート(若年無業者)数60万人、さらに40歳以上のひきこもり推定100万人とも。
 
《食料品の場合、30%が捨てられています。利益の追求を至上目的にしたあげく、労働時間は増えて、休暇も取れず、作った商品は捨てられるという本末転倒な事態に陥っているのです。》(190p)娘が、専門学校時代のアルバイト先(学生食堂)で、食べ残しや売れ残りが惜しげもなく捨てられるのを見て「耐えられない」と辞めたのを思い出しました。その娘、義務教育はずっと学校に不適応、「困った娘」でした。ニートの多くは市場経済的利己主義への不適応、今の世の中では役立とうにも役立てない、がんばろうにもがんばれない。

 著者の発想の原点は《未利用資源の活用》(251p)です。三つのムダは見方を変えれば「未利用資源」。解決の方途(みち)が次のように示されます。

 1970年代に迎えた食料供給過剰時代、以来消費者の関心は自身の健康に向かっています。本来日本の農業は、多様な食物を供給することで時代のニーズに応えねばならなかったのです。にもかかわらず日本の農村は「瑞穂の国」の幻想でコメの単作にこだわりつづけました。その結果の農村破綻です。著者は断言します。
《健全な農業の建設を阻んでいるのは多すぎる水田です。その破壊なくしてアルカディア(桃源郷)はありません。》(206p)

 水田は、水の流れを基本にほぼ50%を畑地や草地に転換。水田は低い平地のみ。水はけのよい傾斜地は畑地に。さらに急峻な耕地は牧草地にして畜産へ。日本の食料自給率39%ということは、ひとたび消費地生産主義で自給を目指すや、大きな可能性に転じることを意味します。帯に「農村は15兆円産業を創造できる」とあります。
《自給圏で水田を畑地に転換するのは、今から、15年程度を目標に進めます。その間に後継者を得られず離農する農家は相当数に上るでしょう。そこを引き取るのは専業農家や都市から帰還した元気な若者になります。》(74p)畑作物、畜産物の食品加工場と農家の間には生産契約が交わされ、農家は、天候リスクや市場リスクに左右されない安定した経営が行われます。《30年後には加工場が仕事を増やして女性が活躍し、子どもたちの元気な声も聞こえる農村になっています。》(74p)

 問題解決のための単なるノウハウ書ではありません。世界を変える思想書であり、世の中のあり方、人の生き方を問う哲学書でもあります。
《都市部では経済的な「かせぎ」が多様性を生み、それが活力の源になっています。一方、農村部では地域社会のなかでの「つとめ」が活力を生みだします。共同体としての力が、人々を支えるのです。》(246p)《農村に働くのは利他主義であり、互酬に基づく経済です。それを理解せずして、市場経済の利己主義で経営を行おうとしては農村部では成功できません。》(247p)

 著者は、われわれが80年代初頭『パンツをはいたサル』(栗本慎一郎)によって知ったK・ポラニー思想(『大転換―市場社会の形成と崩壊』)紹介の、日本における最先端に位置していたことを「あとがき」で知りました。カルビー株式会社の現在はその思想実践の結果です。その実績をふまえての「スマート・テロワール」構想、夢に満ちた彩り豊かな世界が確実に見えてきます。

【追記 28.08.19】
今朝の山形新聞「気炎」欄です。
スマートテロワール「気炎」280819.jpg

ついでに28.8.2の「気炎」欄。この記事を添えて首都圏に住む娘に茄子漬けの瓶詰めを送りました。
丸茄子の浅漬け「気炎」280802.jpg

【追記 30.05.27】
山形大学農学部が16年度から開設している「スマート・テロワール形成講座」についての山形新聞の記事で、松尾雅彦さんが2月に亡くなっておられることを知り驚きました。
病気療養中だったとのこと、昨年の「プラチナ構想ネットワークinおきたま シンポジウム」、仕掛人であるはずの松尾さんの姿が見えないのを物足りなく思っていたところでした。衷心より御冥福をお祈り申し上げます。
 
【追記 2022.05.28】

 Yamada Naotaさんのプロフィール写真

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カルビー3代目社長

松尾 雅彦さん

本人から聞いたわけではないのですが、社長を辞める際、一族が一人でもいると経営に支障をきたすだろうと見越して、グループ会社に移したという話を伺った記憶があります。

当時お会いした頃は、体調を崩されており写真を撮られるのを嫌がっていたのですが、僕が撮影したのが気に入ってくれたようで何度かお呼ばれされたことがあります。

沢山の社員や経営者に愛されていた方で、

年齢関係なく常に松尾さんの周りには多くの人がいました。

健全で風通しのよい経営を目指して真っ直ぐでした。

尊敬する素晴らしい経営者です。


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めい

松尾氏の年来のパートナーであり、松尾氏のあとのカルビー社長中田康雄氏による書評を見つけました。
http://www.ny-o.biz/2014/12/12/読書ノート-松尾雅彦著-スマート-テロワール-学芸出版社/

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読書ノート:松尾雅彦著『スマート・テロワール』(学芸出版社)

待望の著書が発刊された。実業に携わる方が日本農業について本格的な論考を展開したことにまずは敬意を表したい。
著者はカルビー社の経営に携わりながら、同社のビジネス戦略の要諦である原料ポテトの調達を巡って様々な破壊的イノベーションを繰り返し、その体験を通じて日本農業の抱える根本問題を読み解き、その解決策について実に深い論考を展開して、体系的でしかも極めて具体的な処方箋を描き出した。

日本農業を巡る悲観論の洪水
日本農業の将来について多くの悲観的な情報が飛び交っている。
農業の担い手が高齢化し、しかも後継者が不足していること。
政府の農業政策が長期にわたって稲作を中心に展開され、これがコメの生産過剰をまねき、多くの休耕田や耕作放棄地が政策の失敗の置き土産として残されてしまったこと。
巨大な農業国である米国やオーストラリアそしてニュージーランドなどが主導権を握るTPPがこれまで以上に農畜産物の市場開放を進めることになり、生産性が低く高価格な日本の農畜産物の敗戦が濃厚に見えていること。
何よりも巨額の補助金が投下されているにもかかわらず自給率39%の改善が一向に進まないこと。
などなど悲観的な要素を上げればきりがない。

難問あまたの日本農業にはたして起死回生の妙手はあるか?
各方面から日本農業改革案が打ち出されている。アベノミクスの規制改革、地方創生策の中にも日本農業の再生に向けて照準が向けられている政策が散見される。
農協改革、農地委員会改革、農業法人改革などが試行されようとしている。いずれも規模の拡大と農家の経営改革が中心に据えられている。
しかしこれらの政策はいずれも農業の環境ともいうべき農村の改革を意図したものではない。農村とは切り離された形で農業が独り歩きでき得るという前提でイメージされている。しかし農業は農村という環境とともに語られなければ最適解は得られない。農村抜きの改革はすべてが個別最適であっても全体最適をもたらすものではない。
農村のあるべき姿とともに農業のあるべき姿を設計しなければ農業は立ってもその環境たる農村は荒廃を極めることになる。それは農村に工業を誘致し多くの雇用創出は実現できたものの、農村が荒廃の危機に瀕している状況を経験してきたことから容易に想像可能だ。
松尾氏の『スマート・テロワール』は農業の再生が農村の再生と一体となって実現するビジョンを見事に描き切っている。そして農業の再生は農家が主体ではなく、農村に立地する食品加工業や周辺都市の小売業との協業なしにはあり得ないことが大前提で語られている。
以下にその要旨を書き出してみよう

日本を三分割してみる
筆者は日本の地域を三つのクラスターに分解する。「大都市部」「中間部」「農村部」がそれだ。この3つのクラスターはほぼ4,300万ずつの人口を擁する。もちろん面積は「農村部」が一番多く全体の80%を占める。
このように3分割してそれぞれのクラスターの比較をしてみると、これまで日本全体を対象に論じられてきたイメージとは全く異なる日本の姿が見えてくる。
例えば出生率は全国平均が1.2で少子高齢化が騒がれる根拠になっている。しかしこれを分解してみると、都市部で1.0に過ぎないが、なんと農村部では2.6にも達するのだ。
この事実から農村部の人口を増加させる政策が唯一人口をプラスに転換させることが可能になるという論点が見えてくる。

スマート・テロワール
この「農村部」を歴史環境や郷土愛などをベースに地域住民から見て一体感の持てる地域に分解すると100~150の地域ユニットに分けられる。これらのユニットの人口は10万人~70万人、平均では40万人程度になるという。
こうした地域ユニットをそれぞれの地域を、風土、品種、栽培法などが育む独特の地域特性を持った地域に、知恵の限りを使って実現しようという構想が「スマート・テロワール」だ。

水田を畑地へ転換して作物を米から穀物へ
地域ユニットの創生は穀物の生産を主体とする農業の構築から始められる。昔から五穀豊穣と言われてきたが、現在は米だけに偏った一穀農業になってしまっている。
戦後の農政が米だけを唯一の対象にして、モノ、カネの全ての資源を投下し、他の作物や畜産を強制的に止めさせてきたことが一穀物農業という怪物を創ってしまったというわけだ。
その結果耕作地は水田ばかりになり、水田の総面積は270万ヘクタールに達することになった。しかもコメの生産性はみるみる向上し、一方ではコメの消費量は縮小に向かい、コメの過剰が問題化するに至った。
いまや100万ヘクタールの水田が休耕田や耕作放棄地になってしまっている。この100万ヘクタールを水田から畑地に転換し、小麦、大豆、馬鈴薯、トウモロコシなどの新穀物を栽培すればいいわけだ。

畜産が農業革命の柱の一つになる
更に地域ユニットでは畜産も不可欠の産業として育てなければならない。トウモロコシが畜産用の飼料として活用されるからだ。またその他の穀物の皮や茎など廃棄処理されるものも家畜の飼料となる。
更には家畜の糞尿が堆肥として畑地に利用され、余剰物はバイオマス燃料として活用可能になり、地域のエネルギー源として使われる。
こうした循環型の農畜産業の展開によって全く無駄のない資源の有効活用が実現するわけだ。

食品加工業も不可欠のプレイヤーだ
地域ユニットの構成要素として農業と並んで大事な産業は食品加工業だ。食品加工業と農家が有機的な連携をすることで、地域の州民に向けた食品のうち50%程度は供給可能になり、結果として自給圏として自立が可能になる。
加工業は消費者の要求する品質規格を農家に示し、品質による格付けによって農産物の価格を変えて、品質向上のモチベーションを農家にもたらすことが可能になる。
また加工場は多くの女性の雇用を創出し、都市から農村への人口の回帰を可能にする。結果として農村部の出生率は2.5を超えているので、ここでの若年人口の増加は少子高齢化に歯止めがかかり、フランスのように人口増加のトレンドが生まれる可能性を獲得できるようになる。
そして小売業もスマート・テノワールの創生に大きな役割を果たす。小売業の棚の加工食品の40%程度を地域の農畜産品で品揃えをすることで小売業は、農家と地域住民との連結環になるわけだ。

やがて桃源郷が実現する
こうした農業革命は農村の景観を大きく変えることになる。一穀から五穀への転換はまず畑地の景観を変える、その上に放牧された家畜の姿も農村にこれまでなかった美しい景色をもたらすことになる。
かくしてスマート・テロワールが日本全土に出現すると、日本の姿が大きく変わる。
ますは少子高齢化に歯止めがかかり、人口増加も夢ではなくなる。
続いて食料自給率も現状の39%から67%へと劇的に改善される。これまで輸入に頼ってきた五穀の生産と畜産の増産が効いてくるのだ。
著者の計算では約15兆円が輸入から自給へと転換が図られる。エネルギーの自給も進み、化石燃料の輸入が大きく減少し、原子力への依存も不要になる。
そして何よりも農村が桃源郷へと変わる。都市生活者も憩を求めて、おいしい料理や美しい景観や懐かしいコミュニティに触れるためになくてはならない地域に変貌する。もちろん海外からの観光客もどっと押し寄せる。
まさにバラ色の未来図がここに展開されている。これほどまでに人をわくわくさせる政策論があっただろうか。これを読んで多くの関係者がここに描かれた未来の建設に関わることを望むに違いない。

「スマート・テロワール」実現へのマニュアル
筆者は各地でスマート・テロワールを実現する具体的なプログラムまで用意してくれている。著者の示すステップを踏めば確実に実現できそうだという気になる。まさに実業に携わってきた筆者ならではの面目躍如たる所だ。
そのいみで本書は、課題解決のメソッドを体系化し、パッケージとして提供するという、日本人離れした提案までしてくれているのだ。
ますは地域ユニットの住民がそれぞれの地域の魅力を最大に膨らませるビジョンを描くことから始めなければならない。実行するのは地域住民ひとりひとり。地域住民の自律がこのムーブメントの成否を分けることになるということだ。

追加的に考えなければならない論点
一つだけ問題点を指摘するとすれば、地域ユニットは自給自足で完結するわけではない。当然ながら他の農村部ユニットや中間部や大都市部との交易も不可欠になる。
例えば北海道の十勝地方。人口35万人のこの地域は日本全国の消費者や加工業者に向けた農畜産物の巨大生産基地になっている。
それだけの農畜産物を生産していながらこの地域の自給率は現状でたった7%でしかない。
この地域が自給生産圏になってほぼ40%の自給率までになった時に、当然それまで他地域に移出されていた農畜産物の量は減少する。そのときこれまで十勝地方に頼っていた他地域の消費者や加工業者は十勝地方に替わる供給者を探さなければならない。それはどのように解決すればいいのか。
30年もかかってようやく実現できることだから、徐々に解決が進むというように理解するということで別に不都合はないのかもしれないが問題提起しておこう。

おまけ
なお本書全体を読み進む方々は、本書を通してカルビー株式会社の強みや成長の成功要因をうかがい知ることもできるという思わぬおまけも愉しむことができる。
という意味で本書は優れた経営書としてもお勧めだ。
本書は優れた日本農業論、日本経済論、経営戦略論、そして実践経済人類学として、まさに多様な要素を包含する快著と言うべきだ。

by めい (2015-02-15 12:02) 

めい

《富の絶対量が不足していた時代は、野生のようにボスが必要で、格差を作って全体を黙らせる必要がありましたが、富が爆発してそれが持続する事が馬鹿でも分かる時代は、配分係など必要なく、税の徴収なども不要で、社会は自然に回っていきます・・・》
その通り、1970年代を境にそういう世の中になったはずなのです。

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世界を百人の村としたら、たった一人が通貨発行権を独占する為だけに、戦争・恐慌・悪魔教を主催しているだけの話です。
http://www.asyura2.com/15/cult14/msg/222.html
投稿者 小沢内閣待望論 日時 2015 年 2 月 18 日 16:28:17: 4sIKljvd9SgGs
   
従って、宗教問題も民俗問題もイデオロギー問題も存在せず、99人は全員連中の被害者で、経済政策の失敗だの、デフレだインフレだも、連中の横取りをカモフラージュする屁理屈に過ぎません。
中世や近代と違い、富の総量は需要を遥かに上回っており、中央に富を集めて再分配などする必要がなく、ましてやその殆どを連中が横取りしてしまう訳ですから尚更です。
それでは連中が威張ったりできなくなるから故意に貧困を造り出し、お金がないないと嘘を言っている訳ですが、親類や町内に必ずいる強欲ババアと同じです。
富の絶対量が不足していた時代は、野生のようにボスが必要で、格差を作って全体を黙らせる必要がありましたが、富が爆発してそれが持続する事が馬鹿でも分かる時代は、配分係など必要なく、税の徴収なども不要で、社会は自然に回っていきますが、連中はそれが嫌で戦争だ恐慌だ内戦だテロだ大事故だ大災害だとマッチポンプで事件を起こして、自分達が必要のない存在である事を誤魔化そうとしますが、それももう限界で、廃棄弁当や廃棄バーガーといった食べ物を捨てる前提の商売が横行しているのがそれを象徴しています。  

by めい (2015-02-18 17:04) 

めい

ニートが立ち上がりました。がんばれ!
http://ameblo.jp/uenoryutaro/

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上野竜太郎 ニート、政治家になる。
上野竜太郎 25歳 ニート 千葉市議会議員選挙立候補者

引きこもりについて
2015年04月04日(土)
テーマ:ブログ
若年者から高齢者まで含めると、この国にはおよそ200万人の引きこもりがいるとNHKで報道されていました。
私もその中のひとりです。
 
勿論、様々な理由があるでしょう。
「障害」「病気」「家庭事情」などの困難によって家に引きこもらざるを得ない方もいます。
当然、私のような「特に体に困難はない」けれど外に出られなくなっている人もいると思います。
その様な、「特に体に困難はない」人々はどうしてその様な状況になってしまうのか。
「きっかけ」は人それぞれ異なると思います。
10人いれば10通りの、100人いれば100通りの「きっかけ」があると思うのです。
 
しかし、「今、外に出られない理由」は同じだと思います。
少なくとも私の場合は、
「外に出られない理由」は「外に出られない」からでした。

ドアの前に立つと、息切れがする。
ドアの前に立つと、動悸がする。
勇気を出して外に出ると、周りの人間全員が自分を見てる気がする。
周りの人間全員が自分をバカにしてる気がする。
スーパーの中に入ると、人ごみの中で気持ちが悪くなる。
早く買い物を終わらせようと前に進むと、視界が狭くなり倒れそうになる。
 
アルバイトをしなければと思い、求人サイトに目を通す。
電話番号を確認して、自分で作った「アルバイト応募の電話用セリフ台本」を用意する。
電話を手に取ると、手が震える。
番号を9ケタ入力したところで腹痛に襲われる。
トイレに駆け込み「また、明日にしよう」とまた逃げる。
 
それでも、勇気をもって電話する。
こもった声で面接の日取りを決める。
当日、万が一にも遅れないように早めに家を出る。
電車の中でお腹をさすりながら、目的の駅でトイレに駆け込む。
面接先のお店の近くで30分ほど待機する。
面接が始まると頭が真っ白になる。
声が震える、どもる、小さくなる。
「すいません、何て言いました?」と聞き返される。
更にパニックになる。
毎回ではありませんが、
帰りの電車を待つ間に吐き気を催し、またトイレに駆け込むこともありました。
 
勿論、面接は落選です。
当然です。不満すらありません。
もし、自分が面接官でもそんなヤツ雇いません。
しかし、だからと言ってこのままでいいハズがありません。
 
外に出られない人間が外に出られる様になるには、外に慣れなくてはいけません。
そして、外に慣れるには外にでなければいけません。
しかし、我々とドアとの間には厚い、高い「カベ」が存在するのです。
目には見えませんが、確かに存在するのです。
 
勿論、勇気を出せば外へは出られるでしょう。
ですが、それには「きっかけ」が必要なのです。
我々にとってドアの向こうは海外です。
海外旅行には、国内旅行と比べて少し勇気がいります。
それと同じように、あるいはそれ以上に勇気を必要とするのです。
 
「たかがドア」という意見はもっともだと思います。
まさしく正論だと思います。
 
しかし、背の小さい、足の短い人間にとって普通のハードルはとても困難な障害物になるのです。

では、政府が行う政策としてはどのようなものを作ればいいのか。
 
一人の経験者として、当事者として、あえて提言するならば、
「職人の後継者不足問題」というものがあります。
歴史的、伝統的な産業に技術の伝承者が足りなくなってきているという問題です。
その後継者に、我々が応募出来るようなプログラムを作るのです、
「職人」というと、一般には、
・世間とコミュニケーションをあまりとらず
・一人でコツコツと
・凄いモノを作る=尊敬される(社会的地位が高い)
という印象があるとおもいます。
 
勿論、実際は違うでしょう。
職人自ら営業をしなければならないこともあるでしょうし、
組合などと連絡を密に取り合わなければならないかもしれません。
凄いモノを作っても売れないかもしれません、売れなければ貧乏になってしまいます。
 
しかし、「きっかけ」にはなると思うのです。
「甘いミツ」でおびき出す様な感じでチクリとはしますが、慣れることが重要なのです。
ただし、そんなに気軽に来られて現実を見たとたん逃げ出されても職人の方に迷惑なので、
そこらへんのプログラムはしっかり作る必要はあると思います。
 
僕は、アルバイトを経験して大分マシにはなりました。
(バネの様にまた少し元に戻ってしまいましたが)
 
私が、伝えたいことは、
外にでられない人間が外に出られる様になるには、「慣れ」が必要だという事。
そして、その為の「きっかけ」の提供が重要なんだという事です。

クソみたいな私のクソみたいな経験が、この国の役に立てれば幸いです。

by めい (2015-04-10 06:08) 

めい

「食育→伝統重視→米食推賞」の考え方に疑問が呈されています。松尾氏の『スマート・テロワール』と軌を一にするように思われました。私自身もあらためて気持ちの修正を迫られました。

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子どもの「食育」は、誰のために行われているのか
投稿日: 2015年09月15日 13時44分 JST 更新: 2015年09月15日
http://www.huffingtonpost.jp/takanobu-narita/child-food_b_8137560.html?utm_hp_ref=japan

■ 迷走する食育

平成17年に『食育基本法』が施行され、国民の心身の健康を支援するために「食育運動」が推進されることになった。子どもの頃からの食習慣が重要であるとされ、保育所や学校、家庭を中心に食育を進めるというものだ。

特に義務教育では、食育推進の中核的な役割を行う職種である栄養教諭という新たな資格が創設され、栄養士・管理栄養士が直接子どもに対して食育授業(担任との連携が必要)やアレルギーを持つ児童・生徒に対する食事指導などを行えるようになった。

しかし、現実に行われている子どもの食育の内容を見ると、全国的に統一されておらず、まったく根拠のない情報や、特定の主義主張に偏った情報が紛れ込んでいる。

このように「食育」が迷走してしまったのは、なぜだろうか?


■ 食育基本法の条文

まずは、食育基本法の条文を見てみよう。

前文では、食育により身に付けるべき能力として『「食」に関して信頼できる情報に基づく適切な判断を行う能力』を挙げ、家庭や保育所、学校、地域等が推進せよと謳っている。

第七条 より

食育は、我が国の伝統のある優れた食文化、地域の特性を生かした食生活、環境と調和のとれた食料の生産とその消費等に配意し、我が国の食料の需要及び供給の状況についての国民の理解を深めるとともに、食料の生産者と消費者との交流等を図ることにより、農村漁村の活性化と我が国の食料自給率の向上に資するよう、推進されなければならない。


本来、子どもの食教育においては、健康維持や健やかな成長を目的に、栄養学の知見を踏まえて科学的に妥当な情報を伝えることが何よりも最優先されるべきだ。

しかし、食育基本法には、評価の難しい「伝統」や「食料政策」なども同等に大切な問題として取り組むように書かれている。食育において「健康」や「栄養」という観点の他にも、「食料生産」や「文化」等にも配慮するべきであるというのはその通りで、異論はない。しかし、それらはあくまでも「従」であり、子どもが健康に成長していくために必要な栄養の知識よりも優先されるべきではないだろう。

ところが、公的教育の中で行われているような食育にも、栄養学的な正しさよりも、文化の継承や食料自給率の向上が主たる目的となっていると考えられるものが数多くあり、それが自治体レベルでも推奨されているという現状がある。

その代表的な事例が、極端な「米飯給食」の推奨だろう。


■ 米飯給食の推奨

米飯給食は、昭和51年の「学校給食法施行規則等の一部を改正する省令」により、学校給食制度上でも明確に位置付けられ、これまでのパンを中心とした給食から米飯を主体とする給食への転換が図られた。

昭和51年には平均して週に平均0.6回であった米飯給食は、平成19年には平均3.0回となり、現在では平均3.3回以上が米飯給食だ。献立の多様性を考えると、今の水準でも十分すぎるくらいだと私は考える。ところが、中には「完全米飯給食」実施する自治体もあり、米飯偏重ともいえるような状況になりつつある。

子ども向けの食育教材には「米飯食のよさ」が書かれていることが多いのだが、その内容には誇張や虚偽が少なからず含まれている。具体的に言うと、たとえば農林水産省の「めざましごはん」のページを見ると、ごはんのよい点として、「ごはんそのものは食塩を含まない」ことが挙げられているが、ごはんを主食とする食事はトータルで食塩摂取量が増える傾向にあることはよく知られている。また、腹持ちがよいなどの栄養面での利点が米飯特有のものかのように誇張されている教材、パン食や食の洋風化が非行やいじめの一因だから米飯給食で改善できるというような全く根拠のない虚偽の記載がある教材もあるのだ。

つまり、子ども健康のためと謳いながら、実際には食育が「食料自給率」や「米消費量の向上」のための方便として利用されているのではないだろうか。

もちろん、食育を通して子どもが食料自給率問題について考える機会は大切であるし、主食穀物としての「米」の優れた点を学ぶことは悪いことではないが、パンや小麦製品などを不当に貶めるような表現やウソの記述は不要なものだろう。

以上のように米飯給食の推進の目的の一つは、米の消費量アップだと考えられるので、米飯給食回数と米消費量の推移を比較してみたい。

(グラフ)

米飯給食の割合を増やしてから30年以上が経つが、国民の米消費量は減少の一途をたどっている。つまり、米飯給食を導入したことで米の消費量を少しは上乗せできているとしても、給食で使用する量は米の目標生産量の1~2%程度であり、さほどの効果はないと言える。となると、子どもの食の選択の幅を狭くしてまで、完全米飯給食を行う必要はないのではないか。

しかし、現在も食育界隈では米飯給食の推進が続いている。

■ 親への重圧

このような伝統や文化の継承や食料政策などの思惑が絡む現在の食育は、子育て世代に不要な心配や負担をかける要因になっている点も問題だ。

「朝ごはんを食べよう」という、一見よさそうな食育テーマを例に考えて見よう。

成長期の子どもは体の大きさの割に必要な栄養量は多いのだが、一度に食べられる食事量は大人に比べ少ないため、栄養学的に考えると毎食しっかり食べることが望ましい。朝食はしっかりと食べるにこしたことはない。

しかし、「朝食をとりましょう」ではなく、「食事は母親が手作りするべき」、「伝統的な和食がよい」というような規範を押しつけてくるようなものも存在する。

子どもが朝食を食べないと一口に言っても、その理由は様々だ。塾や部活動などで就寝が遅いために朝寝坊しがちで食事時間が確保できない、体質的に朝はたくさん食べられない、親が朝食を用意できないなど。つまり、それぞれ異なる対策が必要である。近年は共働きの親が多く、残業などで生活時間が夜型にシフトする子育て世帯が多くなっており、それが朝食欠食や朝食の用意を難しくしている大きな要因だろう。

こうした社会的な要因を放置したままで、子どもの欠食は家庭に問題があるとばかりに責任を押しつけても根本的な改善には繋がらない。近年、朝食欠食率は改善傾向が見られるが、多くの親たちが子どものために努力しており、無理にでも朝食を用意し、学校に送り出していることの現れだろう。多くの親(主に現状では母親)は真面目に子どもの健康を考えているが、食育で謳われているような「子どもにとってよいこと」に敏感な親は、真面目に考えすぎて無理をしてしまう傾向があるのに、重圧をかける必要があるだろうか?

国民運動としての食育を謳うのであれば、親個人に不要な重圧をかけるのではなく、子育て世代が残業せずにすむような環境の整備など、社会の側から問題を解決するということにも取り組んでほしいものだ。

■ 根拠なき情報の氾濫

そして、現在の食育の最大の問題点は、根拠のない情報が多く含まれていることだろう。

食育を謳う書籍だけでなく、本来なら正しい知識を啓蒙すべき幼稚園や保育園などで行われる食育講義にも、少なくない割合でデマが紛れ込んでいる。

たとえば「玄米菜食がよい」「肉や砂糖、牛乳は毒」「加工食品を食べると病気になる」「親の不摂生によってアレルギーになる」、「発達障害は親の不規則な生活や、食の欧米化が原因である」などは、すべて科学的・栄養学的な根拠がない。

このような不安を煽る根拠のない情報は、真面目なご両親の子どもを思う気持ちや、言われのない罪悪感につけこんで広まってしまう。特に子どもにアレルギーや発達障害などがあると、つい信じてしまうということがある。

しかし、根拠の無い食事法や健康法をうっかり信じて実行すると、貴重な労力やお金が無駄になるばかりでなく、栄養が偏ることによって子どもの成長が阻害されたり、病気になったりしてしまう危険性さえあるのだ。

子どもにとって本当に必要な栄養と食事については、厚生労働省によって『食事摂取基準』や『食事バランスガイド』(農林水産省と共同)などが作成されており、ここから大きく外れていなければ大抵は問題ないと考えられる。子どもは精密機械ではないので、食欲がない日もあれば、たくさん食べる日もあるだろう。そうした子どもの状態にあわせ、偏った食事が続かないように配慮をしてあげるのが大人の役割だ。

しかし、残念ながら、この当たり前のことを伝える食育関連の書籍や食育教材は少なく、子育て中の親が妥当な情報にたどりつけるかどうかは運任せという状況である。だからこそ、拙著『管理栄養士パパの親子の食育BOOK』には、本当に当たり前のことを書いた。

繰り返しになるが、食育において、「栄養学」よりも「伝統」や「食料政策」を優先したり、必要以上に親に重圧をかけたり、根拠のない(はっきりしない)情報を広めてはいけない。

食育は、子どもの発育と健康を守るためのものであるべきで、それを実現するために必要なのは正しい知識の啓蒙と社会環境の整備だ。偏った思想、栄養学的に間違った主義主張、商売が持ち込まれている現状は、改善していかなければならないだろう。


乳幼児から高校生まで! 管理栄養士パパの 親子の食育BOOK (専門医ママの本・番外編)
著者/訳者:成田崇信

(2015年9月10日「SYNODOS」より転載)

by めい (2015-09-17 06:02) 

めい

躍進続ける企業、カルビー。
《「人に喜ばれる体験」が、松本の中に眠っていた「人の役に立ちたい」という感情を目覚めさせた。》

   *   *   *   *   *

「報告せよ!」「ウソをつくな!」カルビー社員基本の“10か条”〈AERA〉
http://www.asyura2.com/16/hasan107/msg/516.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 4 月 15 日 08:17:44: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
   
カルビー会長兼CEO 松本晃 まつもと・あきら/1947年生まれ。72年、京都大学大学院農学研究科修士課程を修了し、伊藤忠商事に入社。同社関連医療機器輸入販売会社役員を経て、93年にジョンソン・エンド・ジョンソンへ。99年、同日本法人社長。2009年にカルビー会長兼CEOに就任(撮影/今村拓馬)

「報告せよ!」「ウソをつくな!」カルビー社員基本の“10か条”〈AERA〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160415-00000003-sasahi-bus_all
AERA 2016年4月11日号より抜粋

 世に「名経営者」と言われる人たちは、日々何を思いながら仕事をしているのだろう。「ブレない判断」を支えるものは何なのか。カルビー会長兼CEOの松本晃氏に「哲学」を聞いた。

 カルビー社員が仕事の基本に据える「松本の10の考え方」。これは、松本が長いビジネス経験から導いたものを短く明快に示したものだ。すべてをここに書き出す。

(1) Commitment & Accountability(仕事は全て約束。その結果に責任をとる)
(2)人の評価はFairに
(3)会社は「厳しく」「暖かく」(会社は甘いだけのところではない)
(4)現状維持是即脱落(現状に満足しない)
(5)正しいことを正しく
(6)No Meeting, No Memo(無駄な会議や資料づくりをやめる)
(7) One Dollar -OUT( 会社の金は1円たりとも私用流用しない)
(8)全てのコストは顧客が負担(コスト意識を持つ)
(9)報告の3原則(トラブルはすぐ報告せよ! 悪いことから報告せよ! ウソをつくな!)
(10)業務の3原則(簡素化・透明化・分権化)

 企業のコンプライアンスが厳しく取り沙汰される時代だが、松本は倫理観とコンプライアンスはその性質が異なると言う。

「テニスのシャラポワのドーピング違反は、禁止薬物リストの変更が原因。コンプライアンスや法律は時代とともに変化するが、倫理観は普遍」

 例えば、同じ業務を担当している正社員と契約社員で、健康診断での検診範囲に差異があるといった待遇格差について。

「人にお金をかけるのはコストではなく投資。企業にとっていちばん大事なのは人。Our Business Is People Businessです」

「正しいことを正しく」なのだ。

 若い頃の松本は、モーレツ商社マン。新卒で入社した伊藤忠商事では、ベトナムの石炭輸出設備工事の10社コンペを勝ち抜き、アメリカでの農業機械販売のビジネスモデル開発でも圧倒的な売り上げ記録を持つ。

「カネのことばかり考えとったから、倫理観なんてあるとかないとかの問題じゃなくて意識の外だった」(松本)

 転機は39歳のとき。医療機器輸入販売会社に営業本部長として出向すると、現場主義の松本は手術室にも頻繁に足を運んだ。患者の家族から直接お礼を言われたり、中にはわざわざ礼状を送ってくる患者がいたり。

 商社の営業では味わうことのなかった「人に喜ばれる体験」が、松本の中に眠っていた「人の役に立ちたい」という感情を目覚めさせた。
 
 45 歳で伊藤忠を辞めたとき、松本はスカウトのあった23社から、ジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)を選ぶ。同社の「クレド(我が信条)」に惹かれたからだ。

 クレドは、J&Jの成長ストーリーと共にビジネススクールでケーススタディーの対象となるなど、優れた社是としてすでに知られていた。企業が責任を果たすべきは「第1が顧客、第2が社員、第3に地域社会、そして最後に株主」とし、各対象にどう責任を果たすべきかについても過不足なく示す。松本は言う。

「これほど完璧な社是はない。出会っていなければ自分はプロ経営者になっていなかった」

 他の経営者から「うちもクレドを作りたい」と相談されると「このまま使ったら」と応じるほどだ。(ライター・三宅玲子)
by めい (2016-04-16 00:02) 

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