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宮内認定こども園開園記念式・祝賀会(附・やまあらしぼうやのクリスマス) [幼稚園]

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新園舎が竣工なった宮内幼稚園が「宮内認定こども園」としてスタートする。その記念式及び祝賀会を昨日終えてきた。朝9時から竣工礼拝。11時から記念式と祝賀会。終ったのは2時を過ぎていた。朝は気が動転するほど忙しかった。感謝状作成を安易に引き受けてしまったものの、これが予想以上にたいへん。会場看板もつくらねばならないがまだこれからの状態。何より今日の式辞が気がもめる。朝4時前にとりかかったものの、感謝状のめどがついたのが6時過ぎだった。看板は息子の手を借りて、式辞がなんとか形になったのが8時半すぎ。竣工礼拝が終ってから、会場の準備を抜けさせてもらって家に戻ってまとめた式辞を載せておきます。

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昨日正式に「宮内認定こども園」としての認可の通知が県からとどき今日の日を迎えることができました。東日本大震災がきっかけとなった新園舎建設の事業は、ほんとうに今日の今日まで先が見えない中を手さぐりですすんできました。気が遠くなるようなまだまだこれからの問題もあります。ただただ神さまの導きのままということなのかもしれませんが、なんといっても今日お集りいただいた皆様をはじめとした多くの方々のご期待の思いと物心両面にわたる篤いご支援があっての新園舎建設であり認定こども園としてのスタートです。ほんとうにありがとうございました。


賀川豊彦先生の願いに地域が応えて宮内幼稚園としてスタートして六十二年、宮内幼稚園としてのこれまでの歩みは誇っていい歩みと考えています。何もかもお金に換算されてしまう世の中になってしまった感がありますが、日々の暮らしの現実をみれば決してそんなことはありません。お金に代えることのできないひとりひとりの思い、お互いの思いやり、そこから生まれる助け合い、そういうものがわたしたちのくらしを、そして世の中を支えているのです。宮内幼稚園は、あくまでそのことをしっかり見据え大切にしてきたところに保育の伝統があると考えています。たとえ世の中がひとりひとりの思いとかけ離れて進んで行くように見えても、ひとりひとりの思いの大切さは変わらないのです。それはおそらく、目の前に居る九十九匹の羊よりも見失った一匹の羊を大切に思うというイエス・キリストの教えにつながっているのかもしれません。目には見えないところにこそほんとうに大切なものはあることを幼い心はごく自然に受け止めます。そんな保育の環境がますますこれから求められると考えます。とはいえ言うはやすく行うは難し、ゼロ歳児から預かる認定こども園になっていよいよ使命は重大です。これまで培ってきた宮内幼稚園としての伝統をしっかり引き継いで、さらに地域にとって、世の中にとってなくてはならない役割を果してゆかねばなりません。 


山形県、南陽市の行政当局はじめ多くの方々のご支援、そして何よりも業者の方々の大変な御尽力があって、木の温もりに満ちた安心安全な建物が与えられました。今日のこの日どうか心からお祝いいただきたいと思います。わたしたち学校法人南陽学園に関係する者一同、良き保育の伝統に、さらに磨きをかけるよう努力してまいります。今後ともよろしくご支援のほどお願い申し上げます。本日はありがとうございました。


   平成二十六年九月二十日

 

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式に参列してくれた地元地区長を務める一級建築士の同級生に、「建物を見せてもらったけれども、施主と設計者と施工者がぴったり気持ちをひとつにしてできた建物だ」と褒めてもらったのがなんともうれしかった。


99匹と1匹の羊」の話を持ち出したのは、小田仁二郎絡みで読んでいる『福田恆存 思想のかたち』(浜崎洋介著 新曜社 平23)で、福田恆存の「「一匹と九十九匹と」(昭22)を知ったことによる。


《「なんぢらのうちたれか、百匹の羊をもたんに、もしもその一匹を失はば、九十九匹を野におき、失っせたるものを見いだすまではたづねざらんや」(ルカ伝第十五章)

……かれは政治の意図が「九十九人の正しきもの」のうへにあることを知つていたのに相違ない。かれはそこに政治の力を信ずるとともにその限界をも見ていた。なぜなら彼の眼は執拗に「ひとりの罪人」のうへに注がれていたからにほかならぬ。九十九匹を救へても、残りの一匹においてその無力を暴露するならば、政治とはいったいなにものであるか――イエスはそう反問している。

文学は――すくなくともその理想は、ぼくたちのうちの個人に対して、百匹のうちの失はれたる一匹に対して、一服の阿片たる役割をはたすことにある。そしてみづからがその一匹であり、みづからのうちにその一匹を所有するもののみが、文学者の名にあたひするのである。》

《かれのみはなにものにも欺かれない――政治にも、社会にも、科学にも、知性にも、進歩にも、善意にも。その意味において、阿片の常用者であり、またその供給者であるかれは、阿片でしか救はれぬ一匹の存在にこだはる一介のペシミストでしかない。その彼のペシミズムがいかなる世の政治も最後の一匹を見逃すであらうことを見ぬいているのだが、にもかかはらず阿片を提供しようといふ心において、それによつて百匹の救はれることを信じる心において、かれはまた底ぬけのオプティミストでもあらう。そのかれのオプティミズムが九十九匹に専念する政治の道を是認するのにほかならない。このかれのペシミズムとオプティミズムとの二律背反は、じつはぼくたち人間のうちにひそむ個人的自我と集団的自我との矛盾をそのまま容認し、相互肯定によつて生かさうとするところになりたつのである。唾棄すべき観念論的オプティミズムとは、この矛盾をいづれの側へか論理的に一元化しようとするこころみを意味する。》

《善き政治はおのれの限界を意識して、失せたる一匹の救ひを文学に期待する。が、悪しき政治は文学を動員しておのれにつかへしめ、文学者にもまた一匹の無視を強要する。しかもこの犠牲は大多数と進歩との名分のもとにおこなはれるのである。…善き政治であれ悪しき政治であれ、それが政治である以上、そこにはかならず失せたる一匹が残存する。文学者たるものはおのれ自身のうちにこの一匹の失意と疑惑と苦痛と迷ひとを体感してゐなければならない。》


《…こゝに「ひとりの罪人」はかれにとつてたんなるひとりではない。かれはこのひとりをとほして全人間をみつめてゐる。善き文学と悪しき文学との別は、この一匹をどこに見いだすかによつてきまるのである。》


福田恆存にとっての小田仁二郎の文学者としての立つ位置が見えてくる。そしてそれがいつのまにかキリスト教保育の拠って立つ基盤とはなにかについてのひとつの答えに私の中でつながったのだった。それが、《何もかもお金に換算されてしまう世の中になってしまった感がありますが、日々の暮らしの現実をみれば決してそんなことはありません。お金に代えることのできないひとりひとりの思い、お互いの思いやり、そこから生まれる助け合い、そういうものがわたしたちのくらしを、そして世の中を支えているのです。宮内幼稚園は、あくまでそのことをしっかり見据え大切にしてきたところに保育の伝統があると考えています。たとえ世の中がひとりひとりの思いとかけ離れて進んで行くように見えても、ひとりひとりの思いの大切さは変わらないのです。それはおそらく、目の前に居る九十九匹の羊よりも見失った一匹の羊を大切に思うというイエス・キリストの教えにつながっているのかもしれません。目には見えないところにこそほんとうに大切なものはあることを幼い心はごく自然に受け止めます。そんな保育の環境がますますこれから求められると考えます。》という言葉になった。 

 

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静岡県伊東市でアトリエ獏を主宰する高橋朗さんのご厚意があって、新園舎の玄関前に「星を抱いたやまあらしのおかあさん」像が置かれた。宮内こども園が何を大切にしようとしているか、それをこれからも伝えてゆくためにふさわしいシンボルになってくれると思う。『やまあらしぼうやのクリスマス』という絵本に拠る。以下抄約。 

 

とげとげだらけの やまあらしぼうやは じぶんのかっこうが いやでいやで たまりません。

そんなぼうやに おかあさんやまあらしは いいます。

「かっこうわるくなんか ありません。とげは ぴらぴか めは きらきら ぼうやは おかあさんの こころの ひかり」


  でも みんなは そうおもっては くれません。

  クリスマスのげき 「かいばおけのあかちゃん」で ぶたいにたつやくは もらえませんでした。

  おかあさんはいいました。

  「ぼうやは みんなの いちばんすてきな ぶたいがかり みんなによろこんでもらえる そうじがかりに なれますよ」 


いよいよ きょうは クリスマス。 げきが はじまりました。 ところが あれあれ

「はかせを みちびく ほしが ないぞ」  さあ たいへん みんな おおあわてです。 

やまあらしぼうやは いいました。

「ほしなら ぼくに まかせて」

ぶたいの まんなかの もみのきの てっぺんに するする のぼると とげとげを いっぱいに ひろげました。

「ほしだよ! ほしだ!」 みんな おおよろこび。 すばらしい げきに なりました。


  おかあさんやまあらしは そっと つぶやきました。

  「わたしの こころの ほし」

やまあらしぼうやのクリスマス.jpg

 ◆ 高橋 朗 (あきら)さん

静岡県伊東市の石彫家(1953年 南陽市赤湯生まれ) アトリエ獏
主宰
石彫による空間づくりを各地で提案され、赤湯温泉街や高畠のひろすけ館でも多く
の作品を見ることができます。津波記憶石プロジェクトでは大船渡市綾瀬駅前に、
日時計をモチーフにした作品をデザイン製作されています。 


 新園舎竣工広告.jpg山形新聞9月20日

 


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