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・・・・・・・・・(南陽市長選挙) [南陽市長選挙]

白岩 孝夫(45) 無新 12,716
塩田 秀雄(61) 無現 5,733

昨晩、家に戻って間もなくK氏から電話が来て「この選挙勝った。市民はバカではない」と言う。どこか頼りなく思いながらも、選挙の読みに関しては私よりずっと長けているはずのK氏の言葉を信じて眠りについたのだが、朝目覚めるとどうもまた悪い予感に襲われる。何かしなければと思い立って、今朝のブログを書いた。また間もなくK氏からの電話。K氏の声に昨日の勢いがないことに不安が増幅。とにかく一日ばたばた仕事をして、午後9時過ぎS氏を誘って事務所に出かけた。第一回の開票発表は9時40分とのこと。負けるかもしれないという話はだれからも出ない。ただ、前にそろった報道陣の顔ぶれを見ていて急に不安になってきた。主力がいない。ここへ来る前に知り合いの記者に電話してみればよかったと思っているうちに、一回目の発表。開票率20数%で双方2000票ずつ。何となくいやな感じがさらに高まって、その記者さんに電話。「いま一回目の発表があったところ」「それはわかってる、何か裏の情報は?」「票の積み上げた高さ、目分量3:2で白岩有利」「そこは開票所?」「いや白岩事務所」と気の毒そうに答えが返る。電話を切って「間違いかもしれない」という思いもありつつ、隣りの友人二人に「やばい」と目配せ。二人は驚きながらも理解。もう次の発表まで心の準備を整えるしかないと観念した。

そしてこの結果。今日一日いろいろ最悪予想が心をよぎったのだが、この結果は想像をはるかに超えている。選挙に関しては、相手は徹底したプロだったのだと思う。あるいはこっちがあまりに素人だったともいえる。その場では、だれも涙も出なかった。

帰り際に前市長に言った。「市政レベルにおいてあなたがやってきたことは何も間違っていない。たいしたことをやってきたと思っている。」人口減対策を最大の政治課題と認識し、しっかりした戦略的発想(南陽まるごとブランド化構想)をもって斬新なアイデア(教育日本一・ニューイヤー駅伝出場・大型耐火木造文化会館建設・・・)を次々と打ち出して実行し、実績をあげてきた。その政治手腕にただただ舌を巻く。ただこのことを私がほんとうに理解したと思ったのは、その前日に誘われて、たまたま出かけた事務所開きで塩田市長の挨拶を聴いた。そしてその内容を紹介したのを手始めに南陽市長選挙について書くようになってからのことだ。しかし多くの市民はほとんど理解していなかった。それがこの結果なのだと思う。無念でならない。

【ここからは7/14の朝。前の文章にも一部追加、修正】

白岩新市長にお願いする。

「塩田市政」という公的レベルにはあえて本気に目を向けず(ピントをわざと外したとしか考えられない批判をくりかえし)、「塩田秀雄」という私的レベルに焦点を合わせて攻撃するという選挙戦略が効を奏しての選挙結果だ。選挙は勝たねばならない勝負事なのだからそれはそれでしょうがない。しかし、当選したことであなたは公的レベルに身を置くことになる。その公的レベルにおいて、塩田市政が南陽市の現状をどう考え、今後の南陽市をどう構想していたか、このことをとにかくご自分の頭で自分なりに、しっかり理解することから始めていただきたい。ここで捨てるにはあまりにもったいないことがおわかりいただけることと思う。いいものをいいものとして継承することはなんら恥ずべきことではない。私とて「対話」するに吝(やぶさ)かではない。

今朝目覚めてこう思うようになった。

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コメント 7

ごんべ

その塩田市政とやらに市民はダブルスコアで「ノー」を出した選挙だったのでは?良いものを継承するのは当たり前。ただ塩田サイドが良いものと思い込んでいるものにノーと言った。わかってない市民は馬鹿だと勝手にすねてていいですよ。
by ごんべ (2014-07-14 17:05) 

ふる

ゴンベ様

南陽市民が、本当の真実をわかっている上での「ノー」なら仕方ないです。
でも、白岩さんは、白岩さんに付いていた市会議員・県会議員・国会議員は真実を言っていません。それが許せません。つまり南陽市民は「嘘」の情報を叩き込まれたのです。市民がかわいそうです。
by ふる (2014-07-14 22:57) 

めい

ごんべ様

コメント感謝。
白岩陣営は、わざと塩田市政を理解しようとしなかったのか、それとも理解できなかったのか、ともかく公的レベルとは別のところに選挙民の視点を誘導したように見える選挙だったことが、かえすがえすも無念なのです。選挙は勝負事ですから勝つためにはなんでもありはやむをえないのかもしれませんが。ただ政治はまた別物です。選挙は政治の一部に過ぎません。
by めい (2014-07-14 23:10) 

アルカディア

私は難しい政治の世界はわかりませんが、昨年の非難時、塩田さんは車から降りることもなく車内から私たちを眺めていました。労いの言葉一つかけるわけでもなく。
あの時、私たちに言葉をかけてくださったのは国会議員の先生、某市会議員の先生。一生懸命に動いてくださったのは地区消防の皆様。
勿論、私たちの見えない所で動いていたのかもしれませんが、あの顔は忘れられません。
それが今年はどうでしょう。これ見よがしに「何かあったら電話ください。駆けつけますから」選挙のためだと落胆し、之がきっかけで私たちの地区の票を著しく下げたといわれています。

箱物も駅伝もよし、功績は素晴らしいものかもしれない。
ですが、この小さな南陽市の民が選ぶのは人の温かさ、民を見てくれる市長だったのかもしれません。

ひょんなことからこんな話を耳にしました。
塩田陣営を応援し、力を貸し、物凄く表に立ち動いていた方がいらっしゃいます。しかし、その方はなぜか白岩陣営のはたをも織っていたようなのです。
その方の本心は票はどこへいったのか、、、本当の所は本人以外知る術がありません。
(人伝なので確かではありませんし、商売上、それが当たり前ということならば私の無知を露呈したまでですがどうにも理解に苦しむところです。)

選挙と政治は違う。また商売も然り、そんな方々を塩田さんが近くにおいていたのだとしたら、それはこの大敗の大きな要因でしょう。
そして支持しなければ市民を見下し、馬鹿呼ばわり、敗因を市民のせいにし、自分たちの落ち度には一向に目を向けない。
心では「馬鹿市民、一票よろしく」と挨拶しているような驕りの集まりに、多くの南陽市民が一票を投じなくて本当に良かったと思っています。
どれほどまでに賢い方々の集まりだったかは存じませんが、吝かではない、のであればそのお力をぜひ若い市長に貸してあげてください。貴方の仰るとおり、良いものは継承させ、至らないところは教えてあげたら良いではありませんか。
それをできる方が本当に賢い方なのではありませんか。

私たち一般市民が望むのは、より良い南陽市です。

乱文ですがご容赦ください。
by アルカディア (2014-07-15 20:33) 

めい

アルカディア様



貴重なコメントありがとうございます。意を尽くせるかどうかわかりませんがお答えしておかねばなりません。



1.避難所での塩田市長の対応について

・政治の世界に「対立」はつきものです。アルカディアさんに声をかけている議員さん方が折り合いの悪い人だったら、私も車から降りずにその場を去ったと思います。

・政治家が選挙民に媚びるような態度をとることがあたりまえになったのはいつからでしょうか。本来政治は公的レベル(みんなを思ってする仕事)であるはずなのに、いつのまにか私的レベル(だれかさんのため)の仕事があたりまえになったことと軌を一にしています。それはまた、政治家が実入りのいい仕事になったこととも対応しているでしょう。私はずっと、「議員報酬を減らして議員定数を増やせ」と主張しています。

・塩田候補が常日頃からもっと見かけを気にする人だったらこんな結果にはならなかったのにとつくづく思いますが、態度が如才ないから温かい心の持ち主とは限りませんし、態度が無愛想だから冷たい心とは限りません。



2.「商売」の問題について

・「商売」と言うと「金儲け」という言葉が連想してしまいますので、「仕事」という言葉で考えてみます。政治と同様、「仕事」とは本来公的レベルにあるものです。仕事をすることは自分(家族)の生活を維持するという目的と同時に、世の中に役立つという社会的役割があるからこそ「仕事」として在るわけです。医師に診てもらいたくて駆け込んだ患者に「あなたは政治的立場が違うので診ることはできません」と言えるでしょうか。

・「いい人」がトップに立てばたちまち群がる「たくらみ」の罠にかかる(南陽市長選挙)http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2014-07-03 はお読みいただいたでしょうか。そこに「シオン長老の議定書」を私なりにわかりやすく噛み砕いて書いています。何か参考になるかもしれません。念のためここに貼付けておきます。



《土着社会を支配下に置くためには、まずその関心を商工業に向けさせる。その結果、人々の関心は社会全体の利益よりも個人的利益に関心が向くことになる。つぎに教育は、「秩序」や「和」よりも「自由」が大切と教える。このことがいずれ土着社会を根底から解体することにつながる。さらに工業については、「ものをつくることの大切さ」から目をそらさせ、「金儲けの手段」と思い込ませるようにする。そしてそこに「投機」という博打(ばくち)を持ちこむ。その結果、労働によって大地から産み出された富は、金融資本へと吸い上げられる。全体に寄与するはずのはたらきが、私的な金儲けのためのものになってしまい、ものづくりの喜びよりも、どれだけ利益をあげるかが優先するようになる。


人々は常に「競争」を強いられ、他人との絆は次第に薄れてゆく。産業界においては金銭的物差しが何より優先して、株価の上下に一喜一憂、それが博打(ばくち)にうつつをぬかすことであることなのに、誰もおかしいとおもわない。道徳も人情もない世の中があたりまえになり、心の荒(すさ)みの常態化によって宗教は無縁なものとなり、公的感覚の喪失はおのずと政治への無関心となる。ゆきつくところ、宗教や政治なんて鬱陶(うっとう)しい。世の中のすべてが「金」に換算され、ただひたすらその「金」を増やすことが目的となる。「拝金教」と言っていい。必然、世の中は、「持てる者」と「持たざる者」に二極化してゆく。そこに「平等」思想を注入すると、「持たざる者」はたちまちその思想に飛びつくが、それは高邁な精神があってのことでもなければ金が欲しいからでもない。要するに「持てる者」への敵意のゆえである。「持たざる者」が「持てる者」に敵意を抱くようになったらしめたもの、土着社会支配の基礎ができたのだ。》



私はこうなることに逆らう者です。

3.「吝かではない、のであればそのお力をぜひ若い市長に貸してあげてください。」に対しては、力があるとも思えませんが、「もちろん、喜んで。」とお答えしておきます。

by めい (2014-07-15 22:27) 

真実

あなたは嘘の現職批判を市民が信じて負けたと何度もおっしゃっているようですが、もし仮にそうだとしても、2期8年の南陽市政を通じて嘘の批判や噂を信じてしまう土壌が育ってしまったとは考えられませんか。疑惑を払拭できず、落選してしまったのだとすれば、それは相手候補のせいや、まして市民のせいなどではなく、これまでの政治姿勢や市民の信頼を得られていなかった自分をこそ責めるべきです。それができる時間は2期8年もあったのですから。議会の意見にも耳を貸さず、質問されなければ、情報を開示しない。また、ぎりぎりになってから文化会館をやめてお金を無駄にするか、続けてさらに事業費を増やすかの選択を迫る。そんな議会軽視ともとれる強引な政治手法が市民の信頼を失わせてしまったとは考えられませんか?市議会議員だって市民が選んだ代表です。その方々をないがしろにされれれば、自分達がないがしろにされたと感じる人も少くないはずです。

それでも、嘘の批判に騙され実績を正しく理解できないまま投票してしまったのだから、かわいそうな市民だとまだおっしゃるならば、こう反論します。あなたの言葉にも嘘があるかもしれない。どちらが真実なのか、もしくは、どちらも真実でないのかは自分に与えられた、もしくは手にいれた情報で自分で判断します。市民は言われた事を鵜呑みにするただのバカと思っているのでしょうが、実績だけでなく、人柄、人間性、これまでの政治姿勢、批判や噂も自ら取捨選択した上で南陽市の将来を真剣に悩み判断したのです。私はその一人です。選挙権は一人一人に与えられた権利です。そして、自らの一票に責任を持って投票しています。その判断を他人からとやかく言われる筋合いはありません。

最後になりますが、あなたが強調してこられた実績が根も葉もない嘘の批判や根拠のない噂話に負けたと今でも本当にお考えでしょうか?だとすれば、そんなものに負けてしまうくらいの実績だったとこれまでの実績を自らで貶めてしまっているということに早く気付いてください。

市民の判断に対して見下したようなブログのかきぶりに腹が立ち、いてもたってもいられず、筆をとらせていただきました。




by 真実 (2014-07-17 18:34) 

めい


真実様

コメントありがとうございます。

塩田市政の失敗は、市長自身のすぐれた政治勘による判断をもとに極めて戦略的に構想された政策について、みんなにわかりやすく説明する側近を育てなかったことにあるのではないかと思います。議員自身が全く理解していないことにほんとうに驚かされました。そう言う私も塩田市長の構想について理解できるようになったのは、たまたまその前日に誘われた事務所開きに出かけて、はじめて塩田市長のまとまった話を聴き、
市民の「見る眼」が問われる南陽市長選挙 「だいじなことってなんだろう」http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2014-06-21を書いてからのことです。そのあと、JCが主催した公開討論会や東会館での個人演説会に行ってさらに理解が深まりました。恥ずかしながら、「南陽まるごとブランド化」とはこういうことだったのか、と肚にストンと落ちるようになったのは、
「検証 南陽市政〈下〉」(山形新聞)を読んでhttp://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2014-07-06を書いたことによってです。

そうこうしているうちに、親しい友人が事務所でがんばっていることから、選挙運動に深く関わることになっていきました。それを支えたのは、自分が理解したことを市民に理解してもらわなければならないという切実な思いでした。このブログも、正直言って仕事もいちばん忙しい時期なのですが、文字通り寝る間を惜しんで書いてきたものです。書きながら理解を深めていったのです。心底、塩田秀雄という男はただものではないと思うようになりました。

このブログは選挙用に誇張して書いたものではありません。思ったままを書いています。ずっとお読みいただければ理解していただけることと思います。

真実さんは、こう言われます。
「あなたの言葉にも嘘があるかもしれない。どちらが真実なのか、もしくは、どちらも真実でないのかは自分に与えられた、もしくは手にいれた情報で自分で判断します。」

その判断は、その人にとっては「真実」なのです。それをして「何が真実かわからない」と言って否定されたら実もふたもありません。「それを言っちゃあおしまいだよ」なのです。

自分の備忘録のつもりで今から9年前になんとなく始めたこのブログですが、なんとなく「移ろうままに」と名付けました。「変わらぬ何かに逢いたくて・・・」は、そのままの思いです。

「真実」ということについて、かつて書いたのを思い出しました。お読みいただけたら幸甚です。

追悼・吉本隆明さん(5) 「ほんたうのほんたう」の到達点http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2012-04-08

by めい (2014-07-18 05:31) 

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