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みんなの意見を聞く政治家がいいか 夢にこだわる政治家がいいか(南陽市長選挙) [南陽市長選挙]

南陽市長選挙もあと3日、終盤戦に入ってきた。昨晩、熊野大社證誠殿で塩田陣営の総決起集会。一方白岩陣営はわが家からすぐ近くの東会館と琴平会館で個人演説会。息子に「総決起集会に行くか」と言ったら、白岩陣営の話を聴いてもみたいと言う。若い者の感覚はあっけらかんとしてこだわりがない。せっかくだから録音を頼んだ。

 

白岩陣営の録音を聴いて思ったこと。


財政問題にしろハコモノ批判にしろ、白岩候補の方はあまりに理解不足としか言いようがない。塩田市政の8年間で160億円台の市債を110億円台にした。今後4年で30億減らせる見通しと言う。3期で半減することになる。まして大きな事業をやりながら借金減らしに成功したことに値打ちがある。これをして「夕張と同じになる」という批判はあまりに的外れ。争点のレベルに達しない。ハコモノ批判も、大竹市政の時代とは異なり、塩田市政にとってのハコモノは戦略的なものであって十分必然性がある。決して思いつき的なものではない。それに対して批判が出るというのは、理解不足を責めるべきか、説明不足を責めるべきか(そもそも「政治勘」が何より優先する塩田氏に「説明」を求めるのは最初から難しい)。争点どうこう以前の問題である。ではどこに争点を見ればいいのか。


そもそも出発点からちがっていて議論が噛み合ない。その噛み合なさが争点といえば争点なのだろう。要するに、「みんなの意見を聞く政治家(白岩候補)がいいか、夢実現を目指す政治家(塩田候補)がいいか」ということだ。


白岩候補は「対話のある市政を!!」を言い、一方夢を見ることをしない人が、市民の皆さんに夢を与えることはできるでしょうか」と言う塩田候補は、自らの描く夢実現に脇目も振らず邁進することでこれまで実績を積んできた。対話を求める側からすれば、夢実現は「わがまま」に映り、夢実現の側にすればいちいちかかずりあっていては前に進めない。白岩候補にとっての政治家像とはつまるところ「調整役」。一方塩田候補にとっては、目的をかかげその実現を目指す「先導役」。では、いま南陽(or あなた)にとって必要とされる政治家はどちらか。ここが判断の分かれ目となる。


「政治」とは本来、私的生活とは別次元の公的権力によって世の中を運営してゆくという尊い営みであると思う。したがって本来「政治家」は、私的生活レベルからは一歩抜きん出た存在でなければならない。ところが戦後70年、世の中全体から「公」的感覚がどんどん抜け落ちてしまいます。それに伴って政治は、どんどん私的生活レベルに引きずりおろされてしまうことになる。その結果、私的レベルで走り回る「政治屋」が横行するようになり、本来の政治家はどんどん姿を消してゆく。「みんなの意見を聞く政治家」とは、私的レベルに重点をおく政治家(政治屋)、「夢にこだわる政治家」とは、そこから抜きん出て公的立場に身をおく政治家、そう理解することで、お互いの根本的な違いが見えてきた。塩田候補は絶滅危惧種なのかもしれない。なんとか守らねばならない絶滅危惧種と思う。


南陽市長選挙について書いた記事をあげておきます。お読みください。



選挙公報 市長選26年.jpg
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