「伝国の辞」碑完成を確認してきました [上杉鷹山]
上杉鷹山公にとって何より大切だったことは、民のくらしであり、民の思いでした。このことを篤と次期藩主に伝えたのが「伝国の辞」でした。
一方、「国家があなたのために何をするかではなく、あなたが国家のために何ができるかを問いたまえ」というケネディ大統領の言葉には、「国家があっての国民ではなく、国民あってこその国家です」との意味がこめられています。「伝国の辞」が為政者への戒めとすれば、大統領ご就任時におけるケネディ大統領の言葉は、「国家の意志よりも何よりも、まずもって国民みなさんひとりひとりの意志こそが大切なのです」という民に対する呼びかけです。鷹山公の為政者としての戒めをそっくり引き受けて、民に振り向いて民の自覚と確認をうながしたのがケネディ大統領の言葉でした。
本日ここ白鷹山山頂において、上杉鷹山公とケネディ元大統領、二人の思いがぴったり重なりました。偉大なる二人の為政者の思いが、海を越え、時代を超え相呼応することで、さらに輝きを増しつつ世界に発信され、一人一人の民生民心に立脚した世界の平和と安定へと働きかけていかれることを切に念じます。
平成26(2014)年5月13日
白鷹山に「伝国の辞」碑をつくる会
チラシの裏面には、鷹山公とケネディ大統領の仲立ち役としてイザベラバード女史に登場していただき、次の文章を添えました。
ケネディ大統領は、「人類の共通の敵である圧政、貧困、疾病、そして戦争そのものに対する闘い」に挑み、志半ばにして無念の凶弾に倒れました。それからさかのぼることほぼ一世紀半の昔、上杉鷹山公はこの置賜の地において、ケネディ大統領が挑もうとした闘いに勝利していたのです。
イギリスの女流旅行家イザベラバードがこの地を訪れ、「圧政に苦しむアジアでは珍しく圧迫のない自由な暮らしをしている 、実り豊かな微笑する大地であり、アジアのアルカディヤ(桃源郷)である」と称賛の言葉を残したのは、明治11(1878)年のことでした。鷹山公善政の成果は、没後半世紀を経てなお、この地に息づいていたにちがいありません。
白鷹町の中山口から白鷹山に登ったのははじめてです。鷹山公もここから登りました。家から中山スキー場の駐車場までちょうど30分。
西の方角です。
最上川が左から右へ流れています。
そこから車で数分、この先は鍵がないと車では入れません。除幕式には中山スキー場からシャトルバスが出ます。午前8時と8時30分です。8時30分からのバスは地元関係者中心になりますので、それ以外の方は8時のバスに間に合うようにお願いします。
車がすれ違うことの出来ない道を登ること10分足らずで気象レーダーに着きます。そばで見るとその大きさに驚きました。
いい見晴らしです。
車を降りて坂道を登ること10分少々、白鷹山虚空蔵尊に到着します。78歳の齊藤会長の後ろをついて、杖をつきながらゆっくりゆっくり登りました。85歳の二階堂栄さんの健脚には驚きました。川井事務局長にとっては自分の庭のようなものです。御堂の右手前の白いのは雪です。
鷹山公揮毫の扁額です。
白鷹虚空蔵尊の縁起。鷹山公との関わりについても詳しく記されています。
山頂の桜はちょうど見頃。あざやかなピンクでした。
山頂から山辺町作谷沢方面を望みます。ブナの黄緑が輝いています。
二つの碑は御堂の西側にしっくりと納まっています。
南陽側から登って来られた4人の一行があり、写真を撮っていただきました。
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