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「東大紛争秘録 ~45年目の真実~」(クローズアップ現代)を視た [大学紛争]

夕べ7時半過ぎ、今日のクローズアップ現代は何かと思って番組表を見てあわててテレビをつけた。


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「東大紛争秘録 ~45年目の真実~」


1960年代後半、「政治の季節」と呼ばれた時代を象徴する「東大紛争」。今回、NHKは昭和史に残るこの大事件にまつわる第一級の資料を独自に入手した。45年前の安田講堂陥落の直後、当時の大学執行部が紛争の顛末を極秘裏に語り合った座談会の600頁におよぶ議事録である。東大紛争に関してはこれまで学生側の証言や資料は多く刊行されてきたが、紛争の収束に向けて大学側は何を考え、どう行動したかについては全くわかっていなかった。発見された資料からは、大学側が学生だけでなく、機動隊導入や入試実施の是非をめぐって国とも激しく対峙し、そして「敗北」していったことが初めて明らかになってきた。その後の日本の大学のあり方を決定づけたとも言われる「東大紛争」。これは、戦後史の空白を埋めるスクープドキュメントである。


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196911819日、東大安田講堂に立てこもった学生が、大学当局の機動隊導入決断によって排除された。それまで大学人も学生も金科玉条にしていた「大学自治」の放棄であった。そのとき大学当局にあって、その判断にいたる討議に関わった坂本義和教授が当時を苦渋をこめてふりかえる。あのときの学生たちの一部は、「高度経済成長は何のためだ」、「なぜ大学で学ぶのか」と問いかけていました。しかし私たちは、ろくな答えを持っていませんでした。彼らの問いかけは、時代が大きな転換点を迎えている現代でも、絶えず問われなくてはいけない問題なんです。


当時持ち歩いて思うままにその都度の気持ちを記録していた当時のノートを引っ張り出してきた。地方にあった私の大学では121日にスト権確立、25日からストに入っている。私は当時大学寮にいたが、「関わり合わぬ」ことを選んだ。「おれは”動揺”を選ぼうとしている。いちばん苦しい立場ともいえるし、いちばん楽な立場ともいえる。そしていちばん苦しい立場にするべく自らに課してこそ”動揺”を選ぶことの価値があるのだ」とか言いつつ。


当時高橋和巳を経て吉本隆明にはまっており、「自立」の言葉が目立つ。《本来のことがなにひとつ視えないときぼくたちの労働はしいられた墓堀りである》。吉本のこんな言葉が書いてあった。あの時代が良かったのかどうか、ただ、まだ必死で”問い”つづけていた時代だった。あのあと時代は”問い”を棄て、ひたすら墓を掘り続ける道を選んだともいえる。今あらためて”本来のこと”が問われる時代になったと思いたい。



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