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長谷川三千子さんと西村幸祐さんの対談 「『神やぶれたまはず』を巡って」 [神やぶれたまはず]

西村幸祐トークライブwith長谷川三千子"戦後体制は、どう克服されるのか"~長谷川三千子著『神やぶれたまはず』を巡って~

を聴いた。西村幸祐さんという人は名前をどこかで聞いたことあったかな、という程度。古代史学者で早稲田大教授だった西村眞次博士の孫さんとのこと。西村眞次博士は『東置賜郡史』の著者で、置賜盆地の屋代三山を奈良盆地の大和三山に擬した。おそらく結城哀草果はこのことをふまえて「置賜は国のまほろば・・・」をつくったと思われる。西村眞次という人は、私たちの土地にとってかけがえのない人。それはともかく、西村氏のノリがイマイチ、イマニで間延びがち、さすが2時間半ともなると長く感じさせられるが、なんといっても長谷川さんがほんとうに優しく賢い女性として、西村氏のぎこちなさにメリハリのある論旨明快なお話ぶりで対応され、私にはずーっと輝いて見えていたので、見終わっての感想は「あー、見てよかった。』


メモしたところを中心にあらためて聴き直していたら、ぜひともテープを起こしたくなりがんばってみました。


《たしか敗戦50周年の時、終戦の玉音放送を2回目に聴いた。はじめて聴いたときは恥ずかしながら何の予備知識もなくて何も解らなかったが、2度目のときにはある程度知識もできたので内容を理解して聴くことができた。この時、なぜか涙が止まらなかった。なんて口惜しいんだろう、敗戦というのはこういう思いをするものなのか、当時にタイムスリップしてその時の日本人の口惜しさがよくわかった。そして3年目のときになると、ただ口惜しい、残念ではなくて、50年も経って遅すぎるんだけれども、なんとかこの敗戦をはね返ささねばならない、せっかく「神州不滅を信じて」と昭和天皇が言って下さっているのに、神州がこんな様子じゃしょうがないじゃないか。その時の思いがこの本を書かなくちゃあならないという出発点になったような気がします。》(02913〜)

50年も経って遅すぎるんだけれども、なんとかこの敗戦をはね返ささねばならない」、この思いよくわかって私も感想を書きました。

 

吉本隆明について

《敗戦直後の『マチウ書試論』など魅力的な文章を書く人だと思っていたが、いわゆるサヨクのジャンルと思っていた。ところが平成16年頃の座談会でわりあいストレートに「自分は掛け値なしの皇国少年だった」と語っているところに好感をもった。そこで吉本さんがもちだしたエピソードが良くて、これだけ言ってくれればほかのことは吉本さん何も言ってくれなくてもいいよ、というぐらい。それは本に書いたんだけれども、終戦後間もない頃、早稲田に児玉誉志夫と宮本顕治と鈴木茂三郎が来て、他の二人はダメだったけど、児玉誉志夫がすごくいいことを言った。「アメリカ軍が進駐してきた時に日本人がみんな死んでいて、日本の焦土にヒューヒューと風が吹き渡っていたら、アメリカ人はなんと思っただろう。」この話に吉本さんは、「いい話をするなあと思いました。」と、思い出話であるけれども、今でもいい話であると確信に満ちた気持ちで話しておられる。私にとっての吉本隆明さんというのはその一言。》(10334〜)

《ついでに言いますと、ちょうどその平成16年頃、私の主人が日本医科大学に入院していまして、付き添ってロビーにいたら、なんか髪がヒューヒューで顔色がいかにも病人のような車椅子で押されている病人の方がいて、その瞬間思ったのが、男の人が年取って病気になるとみんな吉本隆明みたいな顔になるんだなあって思ったんですよ。で、部屋に帰ってその話をしたら担当医が思わずプッと吹き出して、ほんとはそんなこと言っちゃあいけないんでしょうけど、「ご本人ですよ。」(笑)私が吉本さんにお目にかかったとも言えない、じかに拝見したのはその一度きり。これと先ほどのヒューヒューと一緒になって、吉本さんと言うと「風に吹かれた男」。吉本ファンのイメージとは違うと思うんですけれども・・・》(10713〜)

「ついで」の話には大笑いしてしまいました。

 

《精神史を見つけだすということはすごく難しいことだと思うんですよね。今ふっと思い浮かんだんですが、つまり精神史というのは文芸批評の方法によって行なわれる性質のものだと思うんです。なぜそうかというと、つまりあのね、耳をすまさないと聞き取れないものを聞き取る、これが文芸批評だし、精神史の方法だと思うんです。その意味では唯一私はこの本に自負の念をもっているのは、これは、文芸批評のつもりなんだということなんです。なぜかと言うと、この本を書いているとき、物理的にはもちろん原稿用紙に書いているんですけれども、書くと言うと能動的な行為なんですよね。でも実際に何をやっていたかと言うと、要するに、耳をすませていたんです。耳を澄ませていると、あるコードでつづいてきたところにある転調がおこる。あるいはハーモニーがつづいてきたところに、なんか不協和音がぽんと出てくる、そういうのが耳にピッとくる、それをつかまえてそれを探求する。それを書いている自分の文章というのも、言ってみれば実はあまり自分の文章じゃあないんです。自分の文章じゃあないと言うと普通悪い意味で言うんですけど、要するになんて言うか、あのー、オーケストラが鳴っている時には、自分がどういうメロディーで歌ったらいいかが自然に浮び出てくる、そういう感じで、耳を澄ますことと、耳を澄ませたものと調和した文章を書いて、その文章についても自分で耳を澄ます、という要するにただもうひたすら耳を澄ませることで書き上げたという感じがするんです。で、これはもう生産性ということではお勧めできないので、生産性と言うと、多分日本で今出版されている本の中でも、こんな生産性の低い本はなかった。13年かかってようやくこんな本が・・・。》(11500

「そういうのが耳にピッとくる、それをつかまえてそれを探求する 。」たしかにこの感覚、本のあちこちで感じ取りながら読んでいました。だから、この本からの出発も、あせらずに、聞こえてくることに耳を澄ませていかねばならないと思うのです。そうして聞こえてくることこそ「天籟」です。次のお話につながります。


《詩について、この本で太宰治が出てくるんですけど、太宰の弟子がアッツ島から送ってくれた葉書に「私はすばらしい詩をみた」という短編を書いていて、それを読んではじめて、あっ、詩ってこういうものなのかという気がしたんですね。要するに、詩がない文学というものは文学じゃあない、というそういうことが胸につんと響いて、もう要するにそういうことで、自分で詩が書けるとか、そういうことでは全然ないんですけれども、詩の持つ意味というのはこれを書いてはじめてわかった気がします。・・・詩としての美しさにしびれて、そして折口信夫ってすごいってしばらく折口信夫にいれあげて、次第にあれって、ちょっとちがうぞというところが出てきて書いたのが、この冒頭の第一章なんです。》(12405〜)

《難しいのは言ってみれば繊細なものをとらえる心ですよね。繊細なものをそのまま受け止めるというのは、ひとつは静けさが必要なんですよね。あんまりうるさいところでは、繊細なものというのは聞き取れない。現代が進めば進むほどそういう静かなな声が聞き取れない、うるさい世界になっていて、静かな声を聞き取れという声もなんか非常にうるさいシュプレヒコールで語られるというような、そういう世の中になっていくとますます精神史の方法というのが難しいんじゃあないかなという気がしますね。》(12755〜)

ここで言われた長谷川さんにとっての「詩」は、おそらく井筒俊彦さんの言われる「リルケの詩」につながるのだと思います。

 

《実はもう一つぜひ言いたかったのは、ここに書かなかった部分なんです。書いた時には思い浮かばなかった部分なんです。815日の詔書を拝していて思い出したんですが、今年815日、靖国神社に行ったんですが、そこに小野田さんが来ていらして、日本会議の会長さんが社交的な挨拶みたいな感じで小野田さんに「815日をお迎えになってどうお感じですか」と聞いたら、その返事がほんとの苦々しい口ぶり、苦い口調と普通形容しますけれども、ほんと文字通り苦々しい口調ってこういうんだなという感じで、「私は815日は嫌いだ」っておっしゃったんです。その時にはっと気がついたんですが、小野田さんの戦争というのは、ここに出てきた戦争と、言ってみれば反対の極にあるんですよね。たったひとりの、仲間は最初3人で2人になって1人になったわけですけれども、たったひとり29年あまり戦い続けてそしてその戦い方というのは、とにかく何が何でも生き残ること、そしてひとりでも2人でも敵をたくさん倒すことだけを目標にして、心身ともにそれに24時間を捧げ尽くした30年間を過ごしたわけですよね。その人が帰ってきてそして見たらば何のことはない、815日にみんな、「はい、戦争は止めー、これからは太平の世の中ですー」。「これはないよ」っていう感じはあると思うんですよね。だけど同時にその815日をこの「神やぶれたまわず」というところまで掘り下げて考えてみると、片方に小野田さんがいて、そしてもう片方に、たとえば825日に塾生と塾長代行の大東塾の自刃がある。その、なんていうか両方の天秤を両極端に渉ってみないと、日本の敗戦ってわからない気がして。・・・ほんとに本を書いてからこんなにスポッと抜けていたと気がつくのは少ないんですけれども、今思うとそれを反対側に持って来てはじめて完成するものだという気がしますね。》

この答えはまだ私には見えませんが、大事な問題提起として受け止めました。

 

《私もこれを書いている時、全然これが何の役に立つとかそういうことは一切考えていませんでした。書くのが楽しいから書いていたという以上でも以下でもないような気がします。ただ、一つの精神史ということともう少しレベルが違うんですが、それこそ折口さんがしようと思って途中で頓挫した日本の神学という、ここに踏み込みたいという思いはありましたね。そこに踏み込む、なんていうか糸口みたいなものが出来ればと思って、まあ糸口はつくったかなという気がするんです。ついでに言いますと、神学という言葉、ほとんど日本では耳にしませんでしょ。あのね、某神学部出身ということを売り物にしていろいろ書きまくっている人がいて、わたくし、あれがねなんかしゃくに障ってと言うか、「お前、神学部出身とかそういうこと言うな」みたいな気持ちがありまして、そういうところはありますね。》

「神学=形而上学」と置き換えて私は読んでいました。「神学という言葉、ほとんど日本では耳にしませんでしょ。」時代の思潮が転換しつつあるような気がしています。

佐藤優さんに対する思いがけないホンネの評価、佐藤優への新たな視点を得ることができました。

 

《イサクの犠牲の物語って実はキリスト教とユダヤ教の根本にあるとんでもない落し穴というか、これを真剣に考えてまだキリスト教徒だったりユダヤ教徒だったりするのかというぐらいとんでもない話なんですよね。ところがそこに唯一これならそのキリスト教もユダヤ教ももつかなと思うのは、その薪の上にイサクが犠牲として載せられたその脇に神自身が自分の命を置いて、「よし、お前が命を惜しまないから私も命を惜しまない」と、ある瞬間において神がそう言ったら、これはキリスト教徒、ユダヤ教徒が、報われたという気持ちになると思うんですよね。ところが、それをすべくユダヤ教、キリスト教の神というのは、重大な欠陥を持っている。どういう欠陥かというと、全知全能永遠の存在、なんでもできるんだけど、これはね、私、この本を通じていちばんの決めセリフと思うんですが、全知全能の神、唯一できないのは、死ぬこと。よく「神は死んだ」ということが近代になって言われるんですけど、死ねない神は死んでも死ねないまんまという、このセリフが出てきたとき、あーこの本書いてよかったと思ったんですが、これができたのが、日本の現人神であり秋津御神だという考えなんです。》

『神やぶれたまはず』の中心主題と受け止めて体化してゆかねばならないところだと思っています。

 

《いや、天籟というのはそんなに大勢の人が聞いたら大変なことになるんですよ。・・・つまりなんていうか天籟を聞いちゃったら日々のサラリーマン生活なんかできないんですよね。その時点では。つまり天籟を聞くということはすごく怖い体験なんです。で、おそらく非常にわずかの人間、その世代の一人か二人が聞くようなそういうたぐいのものとして、少なくとも荘子は語っているんですね。だから弟子に、「お前さんは天籟を聞いたことがないだろう」と言ってるわけです。つまり、普通の人は天籟聞こえちゃまずいんですよ、むしろ。だけれども、天籟聞く人がゼロになったらこれまたまずい。そういうことだと思います。・・・明日、憂国忌という時期が巡ってきましたが、もうごく早い時期に三島由紀夫の事件というのはすごく大事な事件だということを見抜いて・・・それが今もずーっと続いているというのは、これはやっぱり、みんなが、ここになんか多分、天籟を聞いた人間がひとりいるらしいということを感知して、だからこそ続いていると思うんですよね。・・・これはすごい出来事だということで、毎年人が集まる。そういうことが続いているということは、少なくとも、そういうことについての人々の感受性というか、それがゼロになってはいないことの徴しじゃないかというふうに感じています。》

たとえ自分自身「天籟」を聞くことができなくとも、だれかが聞いた「天籟」を「天籟」と感じる感受性はだれでも持ち得る、そういう希望を与えてもらえる言葉でした。

 

《三島由紀夫の言う神風はなぜ吹かなかったのかと。本によってはつまんない普通の神風の話をするんですが、やっぱり根本のところ、その焦土に吹き渡る風としての神風をやっぱり考えていたんだろうというところです。》

ちょっとわからないけれど、一つの勘所と考えて書いておきます。

 

《日本のどうしようもない日本の反日というのは、これは日本の伝統なんです。本居宣長が同じことを言ってもう悲憤慷慨して、江戸時代に。あれは上田秋成との侃々諤々のやりとりの中で、「反日日本人め」と言って罵っています。これはね、ある意味日本人の基本構造とも関わりがある。ずーっと昔書いた『からごころ』という中で問題にしてみたんですが、からごころを持ちつつ、しかし最後のところで日本人という、その中核にやっぱりここでも話に出てきた、その天皇陛下への崇敬の気持ちという、そういうものがいちばん底の支えになっているんだと思います。多分林房雄さんもそういうことをお考えだったんじゃあないかと。》

日本人の底支えとしての「天皇陛下への崇敬の気持ち」。いま、落合莞爾さんの最新刊奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新を読んでいます。読み終えたら「大室天皇問題」の続きを書かねばなりません。

 

《(亡国の状態にあったユダヤの思想家たち、ユダヤのアイデンテティがどんどん崩れていく中でその人たちがどのような苦闘をしたかということが描かれている『バベルの謎』。純粋な信仰を持てた世代ではない人たちが、どうやって自分たちの信仰を守っていこうという苦闘の書。ある意味、戦後日本に向けた本という質問者の評価に対して)もうひとつあそこで日本を意識しながら書いたのは、要するにユダヤ教の根本には、地面というものに対する嫌悪感、地に根を下ろすことへの恐怖、そういうものがあって、じつはこれがずーっと近代現代までヨーロッパ文明の基盤を成しているというのがひとつ私の問題意識にあったんです。それに対して日本というのは、あくまで土着の根を下ろした、むしろそういう意味ではバビロニア型の文明であって、そしてこれまで不当に虐げられてきた地の文明というのを発見させたいという、そんな気持ちももうひとつそこに加わって、二重の意味で日本のことを考えながらユダヤ教の話をしているという、そういう本なんです。・・・ほんとうは英訳して売り出したかった本なんです。・・・ユダヤ教に対して厳しい見方をしているんで、ちょっと嫌だなと思う西洋人も多いだろうという気はしています。》

17年前に買っていた『バベルの謎』を引っ張り出してきました。読みかけて挫折中でした。こんどは読めそうです。


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