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母のたいせつな友人への弔詞 [弔詞]

母にとってほんとうにたいせつだった友人が、10月21日息をひきとり昨日葬儀だった。弔詞をと頼まれ、当然の務めと引き受けた。
弔詞は書くものではなくて書かされるものだと、このたびあらためて思った。享年90歳(大正13年生)。見事な一生を見せていただきました。それにふさわしい葬儀でした。

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     弔詞


 ひとかたならずお世話になり、常に心にかけていただいた○○○○様に対し、謹んでお別れの言葉を申し上げます。

 私の母が一足先に旅立って三年半が過ぎました。私の母にとって、山又さんのばあちゃんは、昭和二十七年、できたばかりの宮内幼稚園に私が和子ちゃん、晴ちゃんと共に通うようになって以来、生涯にわたって、共に笑い、共に涙し、共に励まし合った、かけがえのない、たいせつななたいせつな友人でありました。いつもせき立てられるように走り回っていなければ気が済まない私の母に対して、しっかり大地に根を下ろした大樹のようにいつも変わらず悠揚たる山又さんのばあちゃんの存在からはいつも、「つぎちゃ、そげに気もまねごんだ。」というメッセージを受け取っては、我に帰らせていただいていたのではないかと思います。「山又さんはほっとする。」そんな母の言葉が今でも聞こえてくるような気がします。

 同じ嫁務めでも、豪快奔放なおじいさん、ほとんど病の床に臥せるおばあさんに仕えながら、山又製材所の大所帯を陰で支えるそのご苦労は私の母の比ではなかったはずです。

 ただ、山又さんのじいちゃんからたいへんいい話をお聞きしたのが忘れられません。それは、「戦地から復員して帰ったら、親が芳子を嫁に決めてくれていた。あの時程うれしかったことはない。」と聞かされたのです。こういう話にめぐりあえることはなかなかありません。まわりは一瞬明るい春のような暖かさに包まれました。このいい話は、その時の印象と共に今もしっかり心に焼きついています。山又さんのばあちゃんがご苦労を乗りこえられるその陰には、じいちゃんのばあちゃんに対するそういう思いの支えがあったんだなあと、納得させられたものでした。

 一昨日、菊薫る穏やかな秋の日の午後、多くの方に見守られながら、晴ちゃんのフルートが奏でられる中で静かに目を閉じて旅立たれたとのこと、つくづく山又さんのばあちゃんにふさわしいこの世の最後と思わされました。

 もう私の母とお会いになられたでしょうか。母は、三年半も経ったのにいつまでもこちらの癖が抜けずに、つま先立ったままばたばた落ち着かずにいるような気がしてなりません。山又さんの姿を見てやっと我に帰れるのかもしれません。「つぎちゃ、そげ気もむな。」と言ってほっとさせてやってください。

 見事にきれいな一生を見せていただいたからか、お願いばかりになってしまいますが、幽明、界を異にしてなお、どうか私どもをお見守り下さい。

 御霊の安からんことを思いつつお別れの言葉とさせていただきます。

 

 平成二十五年十月二十三日


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以下、お返しに添えられた手紙です。

和子ちゃんの手紙2.jpg和子ちゃんの手紙1.jpg



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