「徳洲会が煙たがられる最大の理由」 [徳田虎雄]
「ようやくこの時が来た!」とばかりの、世をあげて徳洲会バッシング。
どんな人間でも、どんな組織でも、つつけばボロは出てきて当然。そのボロを見て快哉を感じる程度に応じて、おのれもボロを身につけていると思う感覚が大切なのかな、とふと思わされもする今日この頃。
さて、徳洲会の出現によって日本の医療界は大きく変えられた。徳田虎雄は、当時武見太郎率いる医師会に真っ向対立することになった。徳田自身に対立の意志は格別なかったように思える。しかし医師会によって徳洲会は蛇蝎の如く嫌われた。現在のバッシングを見るとき、背景にはこの流れがあるのはたしかなことだ。徳洲会が医師会が推す武見敬三参院議員(武見太郎の息子)を支援したりするようになったにしても、医師界の徳洲会アレルギーはそう簡単に解消されるはずもない。
徳洲会の出現で大きかったのは、「年中無休24時間オープン」という根本姿勢ではなかったろうか。確実に日本の医療の趨勢となった。このことでどれだけの命が救われたことか。徳田虎雄がいま生かされているのは、徳田虎雄の存在によって生かされた多くの命の力によるものかと、徳田理事長に会ってみて、ほんとうに実感させられた。(徳田理事長訪問記)
徳洲会が日本の医療を大きく変えたもうひとつをあげれば、「患者からの贈り物は一切受け取らない」ことを明言し実行したことだ。「贈り物をもらわない医者」という平成10年発行の本がある。この本発行以降、常識が非常識となり、非常識が常識となった。
《私が煙たがられる最大の理由は、私たち徳洲会の病院では、「患者からの贈り物はいっさい受け取らない」ことを徹底させているからだと言ったら驚かれるだろうか。病院では、ミカン一つもらってもクビである。》
《まったく情けない話であるが、実は私も、医者になりたてのころは「お礼」をもらっていた。・・・しかし反面、良心が痛んでならなかった。/それで、最初の病院を開業したとき、「患者からの贈り物はいっさい受け取らない」と宣言した。すると、医者も看護婦さんも事務の人も、みんな対等の関係になって病院の雰囲気がとてもよくなったのだ。》!!
~私ひとりの徳田ではなく~
医療法人徳洲会
理事長徳田虎雄夫人 徳田 秀子
現在、私は雑誌の新刊発行準備に追われております。
ひょんなことから出版に携わっている方と懇意になり、私が以前から漠然と思っていたことが、ひとつひとつ現実味を帯びてきています。
今の時点では、販売形式などの詳細は決定していませんが(この冊子が皆様のお目に触れるころ、ハッキリしているかもしれません)、雑誌のコアとなるテーマは具体的になりつつあるといってよいでしょう。
最新医療、青少年問題、虐待、離島問題、政治について。これらの問題は、徳田の選挙関係の仕事やそれに伴う諸々のお付合いを重ねる中で、自然発生的に私の中に生まれ、色々なことを学びながら更には意識的に育てていったものです。
徳田は徳洲会という医療の現場で、また政治の表舞台で、それらの問題にも取り組んできました。私は微力ながらも裏方で、そのときの自分ができ得る限りのことをやってきたつもりです。でも、いつかは私なりの形で取り組めないものだろうかと長いこと考えてきました。このたび、雑誌という媒体で取り組むことになりました。念願だった「主婦の立場」という方向性を強く意識してやってみたいと思っております。
このような公の場での活動など、徳田と供にやってこなければ-徳田はよくパートナーという言い方をします-無縁の世界の出来事だったに違いありません。
徳之島の幼馴染
ご存知の方も多いかと思いますが、私たちは、奄美群島区の徳之島で生まれ育ちました。
同じ学校に通い、主人は1年上級でしたが、同級生が二十名程度の規模の学校なので、もちろん互いの存在は自然に知っていました。当時のことを思い出すと、私のほうが勉強もできて優等生だったように思います。これには徳田も異存がないのではないでしょうか。
家は近所ではありませんでしたが、それぞれ実家の畑が隣同士でしたので、ちょっとしたことでふれあいがありました。たとえば、徳田の母に頼まれて私が徳田家の田植えを手伝ったことがありました。また、薪を牛に積んで運んでいると、徳田が牛を牛小屋に連れて行くのを手伝ってくれたこともありました。
今にして思うと、どうも徳田の母は、私を気に入ってくれていたようです。将来は息子の嫁に、とまで思っていたかどうかまではわかりませんが、なにかと義母が私と徳田を結び付けようと思案していたように思えてなりません。
義母が日頃から私のことを話題にしたり、褒めたりするものだから、その印象が自然と徳田に刷り込まれていったのではないでしょうか。そうだとすると、義母に感謝しなくてはなりませんね。
思いがけない一言
単なる幼馴染に過ぎなかった徳田が、私にとって特別の存在になる事件という程ではない、きっかけについてお話したいと思います。
徳田が中学3年、私が2年のときでした。夏休みでしたが、どういう経緯でか友人たちとトランプ大会をやることになったのです。2人1組のペアを作ることになりました。ところが、ジャンケンだったかくじ引きだったか、記憶が定かではありませんが、私は決められた自分の相手が気に入らなくて、すっかりやる気が失せてしまいました。そこで、私やらない、と臍を曲げてしまったのです。少女特有の気まぐれと残酷さとでもいうのでしょうか。
そのとき徳田が、とても強い調子で「やれよ!」と一言いったのです。いつもは声を荒げることもない穏やかな人だったので、私はとても驚きました。普通なら自分のわがままを指摘されたバツの悪さから、更に強行に拒否しそうなものですが、その時の徳田の声にはそれをも許さない、有無を言わせない強い響きがあったのです。
何なのよ、この人…、と内心反発と驚きを覚えながらも、私はそれに何故か従わざるを得なかったのです。手痛い印象を残した出来事でした。
徳田の真剣な気持ちが-公平さとか思いやりとか、色々な要素があったような気がします-他人に及ぼす影響力の大きさを実感した初めての経験といってよいかもしれません。
高校進学
我が家は女4人男1人の5人きょうだいでした。当時としては特に多いわけでもなかったのですが、2番目の妹が気管支拡張という持病を持っていることもあり、生家は経済的に決して楽ではありませんでした。厳しかったと言ってもよいでしょう。
中学3年になると、高校進学を希望する生徒は、夏休みに学校の講習会に参加する決まりでした。私も当然、高校進学を望んでいましたが、高校に入学してからの両親の負担を考えると、言い出しかねていました。両親も進学は考えていなかったと思います。何しろ中学の同級生20名中、高校に進学したのは5名程度という時代でしたし、特に女子の教育には否定的な考えが主流でしたから。
ところが、担任の先生がわざわざ家まで足を運んできてくれて、両親に強く高校受験を勧めてくれました。はじめはなかなか首を縦に振らなかった両親も、先生の熱意に最初に父親が動かされ、次の母親が折れた形で受験することを許してもらえたのです。先生の助言により、当時の金額で700円の奨学金を受けることができたことも大きな助けになり、私は晴れて高校に入学することができました。
初心貫徹
徳田は高校3年のとき、大阪の今宮高校の2学年に転校しています。大阪大学の医学部に入学して医者になる、というとてもはっきりとした強い希望がありましたので、地元の高校では無理と判断して大阪に出て行き、大阪府立今官高校に編入しました。
今宮高校卒業時に高校の担任が徳田の進路希望を聞き、2浪くらいしないと阪大の医学部は無理だな、とおっしゃったそうです。先生としてはあきらめさせるつもりでそうおっしゃったのでしょうが、徳田はそれを「2浪したら合格する」と理解したというのです。まさにポジティプシンキングですね。当時から、夢を夢のままでは終わらせないという主人の人生哲学が現れているように思えてなりません。
中学の夏休みの「やれよ!」の件以来、徳田は私にとって無視できない存在であり、今でいうところの「つきあっている」間柄であったわけですから、主人の大阪行きはそれなりにさびしかったと思います。
やはり先生の予言どおり(?)徳田が大阪で2浪していたとき、私は徳田に宛てて手紙を書いたことがあります。当時、私はすでに高校を卒業し、鹿児島銀行徳之島支店に勤務していました。
手紙の内容は別に医者になるのだけがすべてではない、言外に私は医者でなくてもかまわないのよ、という気持ちを込めた内容でした。私としては精一杯徳田を励ますつもりでしたし、そこまで医者にこだわる徳田の気持ちを理解しきってはいなかったのです。
それに対する主人の返事は「医者にならなければ君と結婚できない、医者をあきらめろなんて手紙は二度と出すな、いやもう手紙を出すな、絶交だ」という、とても真剣な、怒りといってよい激しい調子のものでした。私は何と言っていいかわからず、とりあえず徳田の手紙に素直に従い、音信不通の数ヶ月が過ぎました。
その年が明けた春休み、いつものように銀行の窓口にいた私は、外に徳田の姿を見いだしました。驚いて裸足で飛び出した私に徳田は、合格したことを告げたのでした。
その瞬間の気持ちを今でも鮮明に覚えています。ああ、この人はすごい人だ、この人についていくためには、私はもっともっと自分を高めなければならない、そう思ったとき、思わず口から「私も大学にいきたい」という自分でも思いがけない言葉が出てしまったのです。
薬学部受験
徳田は事も無げに、自分がアルバイトするから是非行くようにと言ってくれましたが、高校を卒業して勉強から離れて数年経っていましたし、冷静に考えると相当無謀なことに違いありません。しかし徳田を見ていると、不安はありましたが、この今の気持ちに賭けてみよう、しない前から諦めたら一生後悔する、という心境になるから不思議なものです。
その日からすぐに受験勉強というより、とにかく高校卒業以来の勉強を再開しました。7月には徳田が迎えにきてくれ、私も大阪に向かったのです。
受験する大学は徳田のアドバイスもあり、近畿大学の薬学部に狙いを定めました。おじの家に間借りし、近くの中ノ島図書館に通ってひたすら勉強に明け暮れる毎日です。徳田も授業や自分自身の勉強と忙しい日々を送りながら、私の勉強もみてくれました。
さすがに翌春の受験は無理でしたが、そのさらに翌年、晴れて私も大学生になることができたのです。大学の父兄面接では、徳田が保護者としてきてくれたことを正直に告白いたします。
大学に入学してからも決して平坦な道とは言えませんでした。何しろ大学在学中に長女、長男、次女と3人の子供を出産していますから。休学し、結局卒業まで6年かかりました。卒業後もさらに女の子3人、男の子1人に恵まれ、6年間は家庭に入って子育ての毎日でした。
しかし、当然のように徳田と歩む人生がそれだけで終わるはずもありません。昭和48年の徳洲会設立に向け、46年からは銀行回りといった経済的な動きは、私の仕事として大きなウエイトを占めるようになりました。
まさに仕事が何より優先される別居結婚を何十年も続けてきましたが、もちろん後悔はありません。特別老人のためのケアハウスや低年金の人々のための医療介護など、やらなければならないことがたくさんあるからです。
かつてバルセロナオリンピックに徳田と出かけたとき、日本は世界から尊敬されていない、と強く感じました。
世界から尊敬される日本国になるためには、日本は世界の厚生労働省の役目を果たさなければならないと常々徳田は申しています。約20年前に徳田が書きました「生命だけは平等だ」という著書の最後の方の180ページに「私は日本の医療改革の目標が達成できる見通しがつけば、更に世界の医療過疎地の病院づくりを手がけたいと考えている。」と記しています。
その海外医療の足掛かりが今やっと始まり、具現化されたわけです。こうしてみますと、徳田の数十年先を見こしての行動と、どんなに大きな困難でも、決してあきらめることなく延々と努力を続ける根気強さには今更ながら頭が下がり、畏敬の念すら覚えます。
最後にタイトルの言葉の続きを申し上げて、私の拙文を終わらせていただきたいと思います。
“私ひとりの夫ではなく、多くの人のためにお役に立てる徳田であって欲しい。頑張っている徳田の姿が、何よりも私の喜びです。”
《信頼される医療を確立するためには、医者は断じて、贈り物を受け取ってはならないのだ。/鹿児島県・徳之島の貧農の家に生まれた私は、急病になった幼い弟が、貧しさゆえに、医者の往診も受けられぬまま死んでいくのを目の当たりにした。/それが医者を志す動機になったのだが、そんな悲劇も、医者が経済的条件や贈り物の差で患者さんを差別したから起きたのだ。/人の生命だけは平等でなくてはならない、この基本理念を実践するため、私は最初の病院を開設して以来、いっさいの贈り物を拒んできた。》
徳田虎雄は何より「有言実行」を自らに課していました。
徳田夫人がなれそめの頃を語っていた、すごくいい記事を見つけたので貼っておきます。
~私ひとりの徳田ではなく~
医療法人徳洲会
理事長徳田虎雄夫人 徳田 秀子
現在、私は雑誌の新刊発行準備に追われております。
ひょんなことから出版に携わっている方と懇意になり、私が以前から漠然と思っていたことが、ひとつひとつ現実味を帯びてきています。
今の時点では、販売形式などの詳細は決定していませんが(この冊子が皆様のお目に触れるころ、ハッキリしているかもしれません)、雑誌のコアとなるテーマは具体的になりつつあるといってよいでしょう。
最新医療、青少年問題、虐待、離島問題、政治について。これらの問題は、徳田の選挙関係の仕事やそれに伴う諸々のお付合いを重ねる中で、自然発生的に私の中に生まれ、色々なことを学びながら更には意識的に育てていったものです。
徳田は徳洲会という医療の現場で、また政治の表舞台で、それらの問題にも取り組んできました。私は微力ながらも裏方で、そのときの自分ができ得る限りのことをやってきたつもりです。でも、いつかは私なりの形で取り組めないものだろうかと長いこと考えてきました。このたび、雑誌という媒体で取り組むことになりました。念願だった「主婦の立場」という方向性を強く意識してやってみたいと思っております。
このような公の場での活動など、徳田と供にやってこなければ-徳田はよくパートナーという言い方をします-無縁の世界の出来事だったに違いありません。
徳之島の幼馴染
ご存知の方も多いかと思いますが、私たちは、奄美群島区の徳之島で生まれ育ちました。
同じ学校に通い、主人は1年上級でしたが、同級生が二十名程度の規模の学校なので、もちろん互いの存在は自然に知っていました。当時のことを思い出すと、私のほうが勉強もできて優等生だったように思います。これには徳田も異存がないのではないでしょうか。
家は近所ではありませんでしたが、それぞれ実家の畑が隣同士でしたので、ちょっとしたことでふれあいがありました。たとえば、徳田の母に頼まれて私が徳田家の田植えを手伝ったことがありました。また、薪を牛に積んで運んでいると、徳田が牛を牛小屋に連れて行くのを手伝ってくれたこともありました。
今にして思うと、どうも徳田の母は、私を気に入ってくれていたようです。将来は息子の嫁に、とまで思っていたかどうかまではわかりませんが、なにかと義母が私と徳田を結び付けようと思案していたように思えてなりません。
義母が日頃から私のことを話題にしたり、褒めたりするものだから、その印象が自然と徳田に刷り込まれていったのではないでしょうか。そうだとすると、義母に感謝しなくてはなりませんね。
思いがけない一言
単なる幼馴染に過ぎなかった徳田が、私にとって特別の存在になる事件という程ではない、きっかけについてお話したいと思います。
徳田が中学3年、私が2年のときでした。夏休みでしたが、どういう経緯でか友人たちとトランプ大会をやることになったのです。2人1組のペアを作ることになりました。ところが、ジャンケンだったかくじ引きだったか、記憶が定かではありませんが、私は決められた自分の相手が気に入らなくて、すっかりやる気が失せてしまいました。そこで、私やらない、と臍を曲げてしまったのです。少女特有の気まぐれと残酷さとでもいうのでしょうか。
そのとき徳田が、とても強い調子で「やれよ!」と一言いったのです。いつもは声を荒げることもない穏やかな人だったので、私はとても驚きました。普通なら自分のわがままを指摘されたバツの悪さから、更に強行に拒否しそうなものですが、その時の徳田の声にはそれをも許さない、有無を言わせない強い響きがあったのです。
何なのよ、この人…、と内心反発と驚きを覚えながらも、私はそれに何故か従わざるを得なかったのです。手痛い印象を残した出来事でした。
徳田の真剣な気持ちが-公平さとか思いやりとか、色々な要素があったような気がします-他人に及ぼす影響力の大きさを実感した初めての経験といってよいかもしれません。
高校進学
我が家は女4人男1人の5人きょうだいでした。当時としては特に多いわけでもなかったのですが、2番目の妹が気管支拡張という持病を持っていることもあり、生家は経済的に決して楽ではありませんでした。厳しかったと言ってもよいでしょう。
中学3年になると、高校進学を希望する生徒は、夏休みに学校の講習会に参加する決まりでした。私も当然、高校進学を望んでいましたが、高校に入学してからの両親の負担を考えると、言い出しかねていました。両親も進学は考えていなかったと思います。何しろ中学の同級生20名中、高校に進学したのは5名程度という時代でしたし、特に女子の教育には否定的な考えが主流でしたから。
ところが、担任の先生がわざわざ家まで足を運んできてくれて、両親に強く高校受験を勧めてくれました。はじめはなかなか首を縦に振らなかった両親も、先生の熱意に最初に父親が動かされ、次の母親が折れた形で受験することを許してもらえたのです。先生の助言により、当時の金額で700円の奨学金を受けることができたことも大きな助けになり、私は晴れて高校に入学することができました。
初心貫徹
徳田は高校3年のとき、大阪の今宮高校の2学年に転校しています。大阪大学の医学部に入学して医者になる、というとてもはっきりとした強い希望がありましたので、地元の高校では無理と判断して大阪に出て行き、大阪府立今官高校に編入しました。
今宮高校卒業時に高校の担任が徳田の進路希望を聞き、2浪くらいしないと阪大の医学部は無理だな、とおっしゃったそうです。先生としてはあきらめさせるつもりでそうおっしゃったのでしょうが、徳田はそれを「2浪したら合格する」と理解したというのです。まさにポジティプシンキングですね。当時から、夢を夢のままでは終わらせないという主人の人生哲学が現れているように思えてなりません。
中学の夏休みの「やれよ!」の件以来、徳田は私にとって無視できない存在であり、今でいうところの「つきあっている」間柄であったわけですから、主人の大阪行きはそれなりにさびしかったと思います。
やはり先生の予言どおり(?)徳田が大阪で2浪していたとき、私は徳田に宛てて手紙を書いたことがあります。当時、私はすでに高校を卒業し、鹿児島銀行徳之島支店に勤務していました。
手紙の内容は別に医者になるのだけがすべてではない、言外に私は医者でなくてもかまわないのよ、という気持ちを込めた内容でした。私としては精一杯徳田を励ますつもりでしたし、そこまで医者にこだわる徳田の気持ちを理解しきってはいなかったのです。
それに対する主人の返事は「医者にならなければ君と結婚できない、医者をあきらめろなんて手紙は二度と出すな、いやもう手紙を出すな、絶交だ」という、とても真剣な、怒りといってよい激しい調子のものでした。私は何と言っていいかわからず、とりあえず徳田の手紙に素直に従い、音信不通の数ヶ月が過ぎました。
その年が明けた春休み、いつものように銀行の窓口にいた私は、外に徳田の姿を見いだしました。驚いて裸足で飛び出した私に徳田は、合格したことを告げたのでした。
その瞬間の気持ちを今でも鮮明に覚えています。ああ、この人はすごい人だ、この人についていくためには、私はもっともっと自分を高めなければならない、そう思ったとき、思わず口から「私も大学にいきたい」という自分でも思いがけない言葉が出てしまったのです。
薬学部受験
徳田は事も無げに、自分がアルバイトするから是非行くようにと言ってくれましたが、高校を卒業して勉強から離れて数年経っていましたし、冷静に考えると相当無謀なことに違いありません。しかし徳田を見ていると、不安はありましたが、この今の気持ちに賭けてみよう、しない前から諦めたら一生後悔する、という心境になるから不思議なものです。
その日からすぐに受験勉強というより、とにかく高校卒業以来の勉強を再開しました。7月には徳田が迎えにきてくれ、私も大阪に向かったのです。
受験する大学は徳田のアドバイスもあり、近畿大学の薬学部に狙いを定めました。おじの家に間借りし、近くの中ノ島図書館に通ってひたすら勉強に明け暮れる毎日です。徳田も授業や自分自身の勉強と忙しい日々を送りながら、私の勉強もみてくれました。
さすがに翌春の受験は無理でしたが、そのさらに翌年、晴れて私も大学生になることができたのです。大学の父兄面接では、徳田が保護者としてきてくれたことを正直に告白いたします。
大学に入学してからも決して平坦な道とは言えませんでした。何しろ大学在学中に長女、長男、次女と3人の子供を出産していますから。休学し、結局卒業まで6年かかりました。卒業後もさらに女の子3人、男の子1人に恵まれ、6年間は家庭に入って子育ての毎日でした。
しかし、当然のように徳田と歩む人生がそれだけで終わるはずもありません。昭和48年の徳洲会設立に向け、46年からは銀行回りといった経済的な動きは、私の仕事として大きなウエイトを占めるようになりました。
まさに仕事が何より優先される別居結婚を何十年も続けてきましたが、もちろん後悔はありません。特別老人のためのケアハウスや低年金の人々のための医療介護など、やらなければならないことがたくさんあるからです。
かつてバルセロナオリンピックに徳田と出かけたとき、日本は世界から尊敬されていない、と強く感じました。
世界から尊敬される日本国になるためには、日本は世界の厚生労働省の役目を果たさなければならないと常々徳田は申しています。約20年前に徳田が書きました「生命だけは平等だ」という著書の最後の方の180ページに「私は日本の医療改革の目標が達成できる見通しがつけば、更に世界の医療過疎地の病院づくりを手がけたいと考えている。」と記しています。
その海外医療の足掛かりが今やっと始まり、具現化されたわけです。こうしてみますと、徳田の数十年先を見こしての行動と、どんなに大きな困難でも、決してあきらめることなく延々と努力を続ける根気強さには今更ながら頭が下がり、畏敬の念すら覚えます。
最後にタイトルの言葉の続きを申し上げて、私の拙文を終わらせていただきたいと思います。
“私ひとりの夫ではなく、多くの人のためにお役に立てる徳田であって欲しい。頑張っている徳田の姿が、何よりも私の喜びです。”
* * * * *
原点に帰れ!
本物は変わらない!
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/6365/1361710623/
1 :奄美の星:2013/02/24(日) 21:57:03
京都大学 山中教授を中心とした研究陣によるIPS細胞研究の進展で
徳田虎雄先生が一日も早く難病から快復される日が来ますことを毎日、神にお祈りしています。
5 :奄美の星:2013/02/26(火) 14:22:48
先日、徳田虎雄先生にお会いしました。
意気軒昂でした。
次回お会いできる時に、色々と進言したいことを文書にまとめて徳田先生にお渡しする予定です。
6 :奄美の星:2013/03/09(土) 19:50:15
今週は、京都大学を訪問しました。山中教授にお会いして来ました。大変素晴らしい学者ですね。
来週は、首相官邸を訪問し安倍首相と会談予定です。年内の奄美群島視察を懇願してきます。
7 :奄美の星:2013/03/09(土) 19:50:26
今週は、京都大学を訪問しました。山中教授にお会いして来ました。大変素晴らしい学者ですね。
来週は、首相官邸を訪問し安倍首相と会談予定です。年内の奄美群島視察を懇願してきます。
8 :奄美の星:2013/03/14(木) 23:35:24
過日、東京富ヶ谷の安倍晋三首相私邸を夜、訪問致しました。私は、首相に奄美群島視察を懇願致しました。首相は、黙って頷いておられました。何故か、秘書官は、奄美の各島々の空港発着便数に関心を寄せていました。
9 :奄美の星:2013/03/23(土) 11:14:00
徳田先生のご子息は、全員が心優しく素直な方々ばかりです。
しかし、ご子息が
近々建設が始まる予定の国内・海外の建設プロジェクトの経営陣に向くかは大変疑問です。
本来は、解雇という仕打ちを受けた
能宗氏の交渉力等を最大限に発揮させるべきだったのです。ご子息の方々は、大変な勘違いをされていらっしゃる。
10 :奄美の星:2013/03/24(日) 08:57:20
徳田先生のご子息は、皆凡人。父君の威光で徳洲会の役職や国会議員に就けていることを自覚しているのでしょうか?
残念ながら人望を集めるだけのカリスマ性なんか微塵もない方々なのです。徳田先生以外のファミリーが徳洲会の経営陣から速やかに退く日が、徳洲会が世界に飛躍するスタートの日になると確信しています。
11 :奄美の星:2013/03/24(日) 09:20:06
徳田先生のご子息は、皆凡人です。父君の威光で徳洲会の役職や国会議員に就いておられることを自覚しておられるでしょうか?残念ながら大衆の人望を集めるようなカリスマ性なんか微塵もない方々なのです。徳田先生 以外のファミリーが徳洲会の役職を速やかに退く日が世界の徳洲会として飛躍するスタートの日になると確信しています。
12 :奄美の星:2013/04/06(土) 19:28:26
本物は変わらない!が、ここのテーマです。
徳田虎雄先生は、本物か?
長年の腹心であった能宗氏の解雇処分に
本当に同意されたのであれば、偽物です。
能宗氏の解雇処分問題に至るまでの経過をファミリーやその取り巻きがデタラメな報告を虎雄先生にずっとしてきているはずです。
能宗氏の次に解雇処分に遭遇する幹部は、どなたでしょうか?
13 :奄美の星:2013/05/05(日) 14:37:07
能宗氏の次に、解雇処分の可能性が高い幹部数名の名前が私のもとに最近伝わってきている。
おそらく夏の参議院選挙前後に某国会議員失脚や幹部数名が解雇処分になるかもしれない大変な情報だ。
14 :奄美の星:2013/05/06(月) 18:50:51
先日、都内にある有名な予言師の事務所を訪ねて「徳洲会グループ」の今後を予言してもらった。
経営は、順調に国内、世界へと伸びるらしい。
ただ、大きなスキャンダルが今年夏から次々あるとの予言。
病死、自殺、外部からの前代未聞の乗っ取り騒ぎ、殺人、
複数の国会議員の辞職。
いやあ、スキャンダルがないほうがいいですけど。
15 :奄美の星:2013/06/22(土) 08:35:33
昨夜、都内に住む知人の予言師から電話を頂きました。
「近日中に徳洲会上層部に事故事件が発生して死亡者がでるよ。大騒動になるよ」との知らせ。
これまで、知人の予言はいつも的中する。
何も無いことを願う。
16 :奄美の星:2013/08/11(日) 08:29:16
先月、実施された参議院議員選挙においては徳洲会病院グループとして○○○氏を支援したのは事実のはずです。
残念ながら支援候補は惜敗しました。
先頭に立って応援した徳田ファミリーの選挙総括の弁をお聞きしたいのですが・・・。
率直に申し上げて当選する可能性が元々薄い方を支援したファミリーの責任は、重大だと思います。選挙統括者は、即刻辞任して頂きたいです。
17 :奄美の星:2013/09/23(月) 13:33:24
東京地検特捜部が東京本部に捜索に入った前日の早朝に都内の友人である予言師から電話があった。1~2日以内に徳洲会に大変な事が起こるぞ!と。
予言通りになった。
私が提案する
徳洲会の進むべき当面の方向は!
社会全体にお詫びの記者会見。
理事長の御子息全員、経営陣と理事職を退任する事。
能宗元事務総長の懲戒解雇処分を撤回する事。
本物は変わらないはずです。
by めい (2013-09-25 05:04)
徳洲会「選挙違反」拡大 検察が狙う5人の大物国会議員 (日刊ゲンダイ)
http://www.asyura2.com/13/senkyo154/msg/247.html
《コメント欄》
01. 2013年9月24日 21:39:57 : Ld2SRr9ojV
この事件で不思議なことがある。
創価学会が組織ぐるみ選挙をしてるのが明々白々なのに
どうして検察は動かんのか。
検察は政治目的あるいは私利私欲で捜査しているのが
バレバレだな。
検察は学会に占拠されとるのか?
02. 2013年9月24日 22:04:02 : PUaybKt0gE
特捜部の存在理由なんてとっくに壊滅してるよ。
西松、陸山会事件で失った検察の信用は、検察自身が事件にかかる事実の全てを明らかにし、非を認めた上で、法的、倫理的に必要な措置を誠意をもって取らない限り、今後特捜部が何をしようが、回復することはありません。
「徳洲会」を標的に、また「事件」をでっちあげれば検察の名誉回復が図られると思ったら大間違いですね。
西松、陸山会事件をフォローしてきた国民からみれば「またやってるなあ」位にしか思いませんね。
03. 2013年9月24日 23:27:00 : naqLKKbgW2
新潟県知事への入り口だという噂がある。第二福島県知事事件のはじまりはじまり。
04. 2013年9月24日 23:27:40 : mXfJtKbzBA
大物政治家5人って、与野党なのかな?
05. 2013年9月24日 23:35:38 : bJZgNlVd4U
>創価学会が組織ぐるみ選挙をしてるのが明々白々なのにどうして検察は動かんのか。
人は誰でも 命と 金と 名誉と 女が 必要なのさ~~~
日本という国は 戦後70年で 老朽化してしまった
創価学会の組織が 巨大化すると 池田大作の作った 仕組みを壊せなくなる
日本を変えるには 創価学会を変える必要があるけど その方法がない
===
世界の金融資産5000兆円の 20% 1000兆円が くさってっる
つまり 1000兆円の金にかかわっている 銀行 証券 保険などは
無用の長物となってしまったが この1000兆円の ごみを維持するため
アメリカのQE3は QE4と続いていく
===
20世紀の デトロイトの 今と同じように 20世紀の金融は
単なる お荷物でしかない
===
500年前に プロテスタントが カソリックを攻撃したが
プロテスタントも 何も残せなかった
===
創価学会が 既成の仏教を攻撃して 貧しい工員たちを組織化したが
その役目はすでにない
===
ほとんどが 「張子のトラ」でしかない 靖国神社しかりだ
何かの 役に立ちそうだが さっぱり役に立たないものだらけ だ
06. 2013年9月25日 00:17:48 : PUaybKt0gE
>>03特捜部は原子力村の意を受けて、新潟県知事を狙ってるけど、知事は完全に清潔で疑惑になるような事が全然無くて困ってるという話がサンデー毎日に載っていましたね。
そんな疑いを持たれる時点ですでに特捜部なんて完全に信用を失っているということです。
本当ならば、マスコミは小沢一郎に対して言ったように「疑惑を受けているのだから説明責任がある、国会で説明しろ」と大声で長期間叫び続けるべきなんだけどね。
マスコミも完全に信頼を失っているので、何を報じようと信用されない。
残念な事態だけど検察もマスコミも自ら招いたことだから仕方がないですね。
by めい (2013-09-25 05:29)
原発再稼働に反対する泉田新潟県知事を狙う情報操作
http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2013/09/post_b71c.html
9月25日(水)徳州会による選挙違反問題の焦点は徳田議員や父親の徳田虎雄理事長がどこまで関与していたかである。新聞やテレビは東京地検特捜部の動向を報じているが、週刊誌はさらに周辺政治家へと視点を広げている。「サンデー毎日」は〈徳州会事件のウラで特捜が狙う「大本命」〉という記事を掲載した。徳田虎雄理事長と石原慎太郎議員や亀井静香議員の親密さはよく知られていることだ。金銭授受の疑惑が書かれているが、決定打はない。驚いたのは「特捜関係者」が「地検上層部からの指示で泉田裕彦新潟県知事を徹底的に洗っています」とコメントしていることである。ただし「泉田氏の身辺は思いのほかクリーンで、現段階で目ぼしいネタが上がっているわけではない」と弁明する。「関係者」とは週刊誌がよく使うコメント手法だ。検察担当の記者が「検察関係者」となることもある。ときにはまったく関係ない記者が噂話を語っても「関係者」で処理することもある。「……なんじゃないの」と語ったことが伝言ゲームで「……らしい」となり、さらに断言となっていく。「サンデー毎日」の記事では、中見出しで「新潟県知事を徹底して洗え」になっている。泉田知事にさも疑惑があるかのような情報を流し、それを否定する。原発再稼働に反対する泉田知事への情報操作である。「サンデー毎日」に意図がなくても実際にネット上で一方的な噂話が拡散している。昨夕の夕刊紙も「疑惑の政治家5人」と書いたが、さしたる根拠もないことが広がっていくのが永田町周辺の世界である。
http://blogs.yahoo.co.jp/jun777self/11945464.html
by めい (2013-09-27 06:45)
泉田知事に何があったのか 「特捜部がターゲットに」報道も
http://tanakaryusaku.jp/2013/09/0007943
2013年9月26日 20:19 田中龍作ジャーナル
背景に何があったのだろうか? 新潟県の泉田裕彦知事がきょう午後、柏崎刈羽原発6、7号機をめぐり東電が原子力規制委員会に提出する安全審査申請を条件付きで容認することを明らかにした。
安全審査申請は再稼働の前提となる。原子力規制委員会(田中俊一委員長)が新規制基準に適合していると判断し、地元(新潟県、柏崎市、刈羽村)が合意すれば、東電は柏崎刈羽原発6、7号機を再稼働できる。
泉田知事はきのう(25日)午後、新規制基準の条件となるベントフィルター設置の要望書を提出に新潟県庁を訪れた東電の廣瀬直己社長と面談した。
面談から3時間後に行われた ぶら下がり記者会見 で泉田知事は「(廣瀬社長の説明では)なるほどとは思えない」などとして東電の安全対策に不信感をにじませていた。
「(東電への)回答はここ一日、二日のうちにするのか?」とする記者団からの質問に対しても、「先ずは担当部局と相談してから」と答えた。すぐには行かない、としか受け取れなかった。
急展開の背景に何があったのだろうか? 思い至るのは、5日に新潟県庁で持たれたメディア懇談会だ。「第2の佐藤栄佐久氏(前福島県知事)になると思ったことはないか?」と筆者が質問しところ、泉田知事は「ありますね」と答えた。「黒塗りの車にビタっとつけられた時は気持ちが悪かった」と話した。
東電のプルサーマル計画に反対していた佐藤栄佐久・前福島県知事は、実弟の不正土地取引の疑いをめぐる収賄罪で東京地検に逮捕、起訴された。収賄金額はゼロ円という奇妙キテレツな汚職事件だった。国策捜査のはしりである。
検察庁は福島原発事故で住民を死傷させたとして告訴されていた東電経営陣や政府高官を全員不起訴にした。工場が事故を起こすなどした時はすぐに家宅捜索に入り、会社幹部を逮捕する検察庁なのだが、原子力ムラには手が出せないようだ。
その検察庁が「泉田知事をターゲットにした」との記事が『サンデー毎日』(10月6日号)に掲載された。同誌は地検特捜部関係者のコメントとして次のように書いている――
「地検上層部からの指示で泉田知事を徹底的に洗っています。立件できれば御の字だが、できなくても何らかの圧力を感じさせることで、原発再稼働に軌道修正させる助けになりたい考えではないか」。
昨夜の段階では「規制基準をクリアしても安全は確保できない」とまで話していた泉田知事が一転、容認した背景には「何らかの圧力」があったのだろうか。
泉田知事の容認を受け、東電は明日(27日)、柏崎刈羽原発6、7号機の再稼働に向けた安全審査申請書を原子力規制庁に提出する。
コメント
http://www.asyura2.com/13/senkyo154/msg/308.html
01. 2013年9月26日 21:21:12 : W7CuBdZI4k
「検察」はもはや「国民の敵」だな。
02. 2013年9月26日 21:26:01 : 1ioo7h1uY6
■検察は 知事のみでなく
一族郎党・親類縁者のすべてを洗う
検察のみでなく
公安・税務署も参加している
この辺はムネオさんがよく知ってる
03. 2013年9月26日 21:27:10 : Yk1PACCR4k
やっぱり特捜が圧力かけたんだ。
徳洲会の捜査情報を検察が報道機関にリークし、
NHKがあれほど徳洲会=悪をあおった理由は、
このためだったんだ。
04. 2013年9月26日 21:33:31 : 4jStBzANxk
東電、27日再稼働申請 新潟が条件付き承認 柏崎刈羽
2013年9月26日20時52分
東京電力は、柏崎刈羽原発6、7号機(新潟県柏崎市、刈羽村)の再稼働に向けた安全審査を、27日に原子力規制委員会に申請する。泉田裕彦・新潟県知事が26日、住民の安全を守るための対策や設備について、県の意見を反映することを条件に申請を認めた。東電はこれを受け入れる方向だ。
規制委の安全審査が始まり、仮に6、7号機が新規制基準に適合しているとの判断が出たとしても、実際の再稼働には原子力安全協定を結ぶ県など地元自治体の同意が必要だ。泉田知事は再稼働には慎重姿勢を崩していない。
県幹部が26日夕、県庁で東電の増田祐治常務に申請を認める文書を渡した。文書では、安全協定に基づく協議をした後に申請内容を修正することや、東電が建設中の安全対策設備「フィルター付きベント」について、県の了解がなければ使わないことを申請書に明記することを求めた。
フィルターベントは深刻な事故が起きた場合、原子炉格納容器が圧力で壊れないように、蒸気の放射性物質の濃度をフィルターで薄めて外に逃がす装置。泉田知事はこれまで、設備の設計や運用に懸念を表明していた。ベントを使うことで住民が受ける被曝(ひばく)線量が許容できない水準になると明らかになった場合は、承認は無効にすることも求めた。
東電はこうした泉田知事の考え方を受け入れる方針だ。東電の広瀬直己社長は26日夕、「安全協定をしっかりと順守し、新潟県や関係自治体と十分、協議させていただく」などとした談話を発表した。
規制委は、すでに北海道、関西、四国、九州の4電力が申請した6原発計12基の安全審査に入っている。東電が審査を申請しても、新規制基準に合っているか判断が出るまでに時間がかかる可能性がある。
6、7号機の安全審査をめぐっては、広瀬社長が泉田知事と25日に新潟県庁で会談し、県の了解なく安全審査を申請しないことや、地下に予備のベント設備をつくる計画を示した。東電が安全対策や地元への対応を重視する姿勢を見せたことに、泉田知事は一定の評価をしたとみられる。
http://www.asahi.com/national/update/0926/TKY201309260270.html?ref=com_top6_1st
05. 2013年9月26日 21:42:17 : dcFlTjDiHc
泉田新潟県知事として、これで良かったと思います。
原発全廃止は、もっともっと国民的指向が高まらないと、廃止出来ないこと、泉田知事さんのご努力は、痛いほど国民に伝わってきており、知事一人では危ないと日夜危惧していました。
これで、前例のような不幸な事態は、避けられよう。
福島事故が暗礁に乗り上げているのに、再稼働しようとする東電、何をか言わんや、だが東電も被害者、東電へそのように仕向けている本当の責任者は、敢えて言うまい。
処置なしの使用済み核燃料をこれ以上増やして、どうしようというのか、答えのない答えを求めても詮なしか。
5千人に昇ると言われる原子力村、この行方いずこへか。
06. 2013年9月26日 22:02:51 : 1ioo7h1uY6
■検察は
『殺人企業東電』の罪を断罪せず
新たな殺人準備の
露払いを買って出たのダ!
07. 2013年9月26日 22:04:15 : QTot2nwkdM
もう検察官を次々と殺さないと効かないじゃない。
検察を更生させるのは無理だぞ。
08. 2013年9月26日 22:23:12 : V15VeoWaYc
検察許せん!!馬鹿野郎!!
10. 2013年9月26日 23:41:50 : bJZgNlVd4U
ということで 日本のどこかで もう一度 大惨事が起こって
福島と同じように 国土を失うことに なりそうだね~~~
===
二度 起これば 国民も許さないだろうけど
二度の大惨事がおきないと 原発はやめられない 袋小路にはいちゃってる
わけだね~~~
===
11. 2013年9月27日 00:09:54 : AVCzW2K2rQ
やはり圧力かけたんですね。
特捜って何のための組織?
検察って何のための組織?いずれも、そこに正義はないのですね。
真っ当な政治家のアラをほじくり返し、アラがなければでっち上げ、
不誠実極まりない自分カワイイだけの裏金平気で貰っている政治家を
見逃すための組織なんですね。
本当に日本は腐りきってしまっている。
これで秘密保持法でしたっけ?こんなのが可決されてしまったら、
もう日本は終わりですね・・
13. 2013年9月27日 01:38:28 : M2laZStsS2
廣瀬・泉田会談 「急ぎますか?」「ぜひ」
「急ぎますか?」発言は「では応じましょう」と聞こえて、自分は何か引っかかっていた。
泉田新潟県知事の近辺で不穏な動きがあったとしか思えない。脅迫じみた何かがきっとあったのだろう。
14. 2013年9月27日 02:26:33 : NJpC6Jy6Fs
佐藤元福島県知事が明かしている
検察がいかに悪どい犯罪組織であるか。
泉田氏も家族や親類友人を人質に脅されたのであろう。
17. 2013年9月27日 06:05:27 : 7OpGsifAXA
国策捜査より脅迫捜査と呼ぶのに近い。何も無ければ作る。
そしてその脅迫機能は法律によって用意され社会制度に組み込まれた機能で、しかもそれは政治権力自体が発動対象にされているところをみると、政治権力が掌握する機能ではない。
ではいったい、誰がこの恐怖機構を掌握しているのだろうか。
それこそがこの国の真の権力主体だ。
18. 2013年9月27日 06:41:35 : Drf8OBQihs
今回の投稿やそれに対するコメントを読んでると、検察がいかにドス黒い反国民的組織なのかがよくわかる気がするね。
検察、特に最高裁事務総局!
お前らは庶民の天敵だな!
by めい (2013-09-27 08:52)
直言 徳洲会の医療改革は優秀な人材が人柱になり支えてきた
~病院開設は熾烈な闘いと隙間を埋め人柱になる働きが必要~
能宗克行(有限責任中間法人徳洲会専務理事 徳洲会グループ事務総長)
徳洲新聞2006年(平成18年)10/23 月曜日 NO.541
http://www.tokushukai.or.jp/media/chokugen/shinbun541.html
私が入職した1979年は 徳洲会が全国展開元年で、大阪府下4病院の後沖縄、福岡、京都、茅ヶ崎と開院準備が進められていました。そもそも“徳田節”に惹かれ入職した私は、医療との関わりは殆どありませんでした。
全国に開院を控えた徳田虎雄理事長は、自ら医師の求人に全国を走り回っていましたが「日本の医療を変えよう」との魂の叫びに呼応してくれる医師は本当に稀でした。
自宅への夜討ち朝駆け当たり前、出張先や奥さんの実家まで出向き、時には耐え難い屈辱を受けながらも求人に走る徳田理事長の姿に、そこまでやる必要があるのかと思う事もありました。「生命だけは平等だ」の哲学が行動の基軸にある理事長には、個人の感情やエゴが入り込む余地はなく、一人でも良い医師を集め、一日でも早く開院するための利他の行動で、至極当然の事だったのです。
しかし現実は、徳洲会に参加する医師は少なく、大学や医師会を中心とした医療界では中世を思わせる徒弟制度が残っており、閉鎖的で旧態依然としていて、教授の言うことは絶対でした。事実「徳洲会に勤める○○医師は、当医局とは何の関わりもなくなった事を通知する」といった、絶縁状が出回った事もありました。
この様な状況で集まった先生方は正に一騎当千。沖縄南部病院は県立中部病院と米国で研修を受けた平安山院長と堀川副院長、福岡病院も米国帰りの植田院長、青江副院長、宇治病院は京大出身の小林院長、増田副院長、茅ヶ崎病院は米国帰りの鈴木院長といった陣容でした。信じられない事でしたが、当時の大学には地位を脅かす優秀な人材を受け入れるだけの度量がなかったのです。その様な時に徳田理事長の掲げる医療改革に呼応した綺羅星のような経歴の先生方が、厳しい締め付けがある中にも関わらず、徳洲会に結集したのでした。
優秀な専門医は全科の患者を診る研修制度を創る
関東一番目の茅ヶ崎徳洲会病院は、 医師会の猛烈な反対で行政と市民も巻き込み、国会でも取り上げられる社会問題として注目を集める中、80年に開院。鈴木院長の下、研修医として篠崎現専務理事、井上現湘南鎌倉病院副院長等が集まり、循環器内科部長には米国専門医資格を持つ原先生が就任。当時のマンスフィールド駐日米国大使は心臓検査にわざわざ原先生の受診に訪れる程でした。原先生は、循環器はもちろんですが、全科の患者さんを全て診ていました。
鈴木院長もほとんど家に帰らず、毎晩研修医達と一緒に当直をこなし、救急は断らず全ての患者さんを診るという姿勢で対応。理事長が徳之島で医者に診てもらえず幼い弟を亡くし、「都会でも農村離島でも、金持ちでも貧乏人でも診る医者になろう」と目指した医師像と当時の先生方が重なって見えたものでした。理事長は初期研修の大切さを認識し、研修の一年目で盲腸手術を293例経験。麻酔や脳外、整形外科と自ら研修を実行しました。その姿勢は徳洲会創成期の先生方により研修体制の礎とされ、現在に受け継がれています。
篠崎専務理事の茅ヶ崎研修医時代の思い出は、「鈴木院長の石頭」とか。聞けば手術中に執刀医の鈴木院長の視界を遮る様に、技術習得に貪欲な篠崎研修医の頭がしゃしゃり出てくるらしく、その度に強烈な頭突きを見舞われたというもの。頭突きと一緒に技術と精神が植え付けられた訳です。「隙間を埋める係」で、出来ない医療をなくす事に努めた相澤現静岡徳洲会病院院長は、茅ヶ崎研修医2期生。病院全体が地域医療を担う自信と誇りで活気に溢れていました。
病院は人間の集合体で、一人ひとりがほんの少しやる気になれば全体がとんでもなく上昇し、反対に少しやる気を失うだけでたちまち急降下します。
過去に札幌東病院、湘南鎌倉病院、千葉西病院は累積赤字が多く、銀行から閉めろと言われた時期もありました。札幌東病院は職員の劣等感を取り除く事から始め、湘南鎌倉病院はグループのリーディング病院を目指し、千葉西病院は働かない医師を不退転の姿勢で排除する事で、病院全体の意識改革を果たしたのです。
「誰もやれないこと」を実践するのが徳洲会の使命
各病院の運営は、 病院の四役が院内の隙間を埋める係になる事が大切で、四役は人柱になる覚悟で病院に張り付くべきです。病院をつくるのは政治的、社会的に命懸けの闘いを経て5・6年掛かりで、やっと開院を迎えます。それを開院後軌道に乗せるには、泊り込みをして人柱になる覚悟の四役の働きが必要です。
それを体現してきたのが理事長です。組織全体を見渡し、困っている現場に飛び込んで、人が一番嫌がる事を引き受けていました。私達はその姿勢に共感し、理屈抜きで付いて来られたのです。
00年にグループ入りした社会福祉法人の函館共愛会は昭和9年の創設。420床の病院の他特養3カ所と保育所9カ所を所有していましたが、病院の経営不振で法人全体が経営危機に。北海道、函館市が何とか残したいと各方面に働きかけましたが万策尽き、最後に理事長の所へ。「誰もやれないのなら徳洲会がやる」との一言で支援が決定。今では病院も建て替えられ鈴木、福島両専務の尽力で経営は軌道に乗ってきました。
ゲノムによるオーダーメイド医療実現化の国家プロジェクトも、厚生労働省は国立病院中心で進めましたが頓挫。2000年に文部科学省案件で復活となった時、中心となる東大医科研の中村教授が、大阪大学の先輩である徳田理事長と面談。「欧米に勝つには、徳洲会の協力が不可欠です」と要請されると、即断で全面協力を決められました。
01年1月には、徳田理事長は米国でGE社のジャック・ウェルチ会長らと面談。話がブルガリアの病院に及ぶと会長は「GEでさえブルガリアには支店がないのに何故つくるのか?」と質問。理事長はすかさず「愛しているから」と。12月の徳洲会ソフィア病院の開院は「人のできない事をやる」理事長には通過点で、世界への第二幕の始まりでしかない様です。理事長は言います。「私の人生はこれからが勝負だ」と。
皆で頑張りましょう。
by めい (2013-09-28 05:31)
能宗氏にも鉾先が向けられ始めた。
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/3180
その先に亀井氏の名があがる。徳洲会たたきの狙いを冷静に見定めなければならないとあらためて思う。
糾すべき糾し、守るべきは守ること。
* * * * *
週刊新潮OBが関与!
徳洲会マネー100億円を貪る「わるいやつら」
2013.10.02 18:00
徳田毅議員の選挙違反事件で医療法人「徳洲会」グループに東京地検特捜部の強制捜査が入ったが、週刊文春編集部が独自入手した内部資料によると、徳田虎雄理事長の元側近2人が巨額の資金を横領していた疑いがあることが明らかになった。
元側近とは、虎雄理事長の金庫番・能宗克行氏と、「週刊新潮」「フォーカス」などの記者を務めた新潮社元社員・久恒信夫氏。
能宗氏は虎雄理事長が難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)に罹患後、虎雄理事長が設立した政党「自由連合」の口座から週末ごとに1千万単位で預金を引き出していたことが預金通帳の履歴に残っている。使途は不明だが、能宗氏の机の引き出しから多数の馬券のコピーが発見されたことから、競馬に浪費した疑いがもたれている。
一方、久恒氏は自身が設立した会社で「徳洲新聞」の編集を請け負っていたが、制作費を年間数億円分も過大に請求していたことが判明。巨額の剰余金がどこに消えたのかは不明だが、新潮社退社後に豪邸を建設したことが明らかになっている。
なお、両人とも亀井静香代議士と親しい関係にある。
徳田ファミリーの選挙違反事件と合わせ、元側近2人の疑惑についても厳正な捜査が望まれる。
文「週刊文春」編集部
by めい (2013-10-03 05:25)
徳洲会グループの再生を願う有志の会声明文
http://www.amarume-hp.jp/pdf/20131001-1.pdf
山形愛心会瀧澤佐武郎理事長が中心になってまとめられたのでしょうか。余目病院が発信元です。
瀧澤理事長はキリスト教思想家瀧澤克己氏の御子息です。言葉を交わしたことがありますが高潔な方とお見受けしました。
高所に立って大局を見据えた収拾が望まれます。まさに徳洲会の正念場です。
by めい (2013-10-03 06:23)
「東京本部に能宗の代理として、東京西徳州会病院の石川一郎が抜擢」!?
光を見た。
健闘を祈る!
* * * * *
★東京発、徳州会情報です。PM6:35分、追記
東京周辺の徳州会病院の事務局長クラスの大幅な異動が始まったようです。東京本部に能宗の代理として、東京西徳州会病院の石川一郎が抜擢されたようです。
田理事長が一番最初に媒酌人をした人物です。保徳戦争の時、旧名瀬市の末広事務所で表事務責任者(一部裏経理)をやっていた人物で
人柄は良く妥当な人事だとあちきは思っています。でも周囲の改革者たちは、また悪い事をするのではないかと心配しているようです。
どのような形であれ、徳州会グループにとっては変革するための最後のチャンスだと思っています。二度と不祥事を起こさないよう、選挙には絶対に介入しないよう綱紀粛正してほしいものです。
(どんどん和尚コメント)
http://blogs.yahoo.co.jp/jun777self/11995091.html
by めい (2013-10-09 05:33)
徳田理事長が日本の医療界を変えたように、習近平が中国を変えたようだ。
* * * * *
中国版マルサ「人民の名義(人民の名において)」
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-8627.html
ドラマ「人民的名義(人民の名において)」
中国中央テレビで放映されているドラマ「人民的名義(人民の名において)」が、中国各界で話題をよんでいる。
このドラマは高官の汚職を追求する検察官を主人公にしたドラマで、日本でいえば故伊丹監督の「マルサの女」を連想させるような内容だ。
中国では以前から公務員や高官の汚職やわいろがはびこり、何かを役所で頼もうとすれば「手数料」として幾ばくかの金を渡すのが通例だった。
日本では信じがたいことに、就職ポストや学校への入学手続きから結婚の申請をする時にさえ、金一封を担当者に渡すのが当然の慣行だったのである。
ところが、習近平政権になってから汚職やわいろを厳しく追及するキャンペーンが行われ、お歳暮のような贈り物や宴会への招待までも厳しくチェックされるようになった。
政敵を陥れるために故意に贈賄をして検察に密告するようなケースもあり、高官や公務員は贈り物や接待にかなり警戒するようになっている。
それでも贈収賄や汚職で逮捕される高官や公務員は後を絶たないが、自浄作用が働いている分だけ日本よりましなのかもしれない。
野崎晃市(42)
by めい (2017-04-16 05:31)
《透析ビジネスに群がる「医療利権」と、これに便乗して「健康保険」を破壊し、民営化と称してそのウマミのおすそ分けを狙うハイエナのような「ネオコン」。》
「放知技」板からです。
http://grnba.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16117851
* * * * *
969:mespesado : 2017/06/27 (Tue) 23:21:10 host:*.itscom.jp
>>957
> 「肩こり」という言葉は夏目漱石が発明した言葉ではないです.
ここはいささか軽率でした。それに私自身が引用したサイトのこの部分の要約としても不正確になっていました。失礼しました。
さて、人工透析ビジネスですが、この闇についてはいろいろなサイトで説明されていました。例えば次のサイトがあります:
人工透析ビジネスの闇
https://blogs.yahoo.co.jp/kohou5382/12851182.html
> ところがです。透析患者が増え続ける裏には、意図的に透析患者を増やす
> 医師達の存在があるのです。透析ビジネスと呼ぶべき実態があるのです。
> 人工透析に高額医療費がかかると言っても、医療保険の高額療養費が認め
> られ、患者の自己負担は月1万円で済みます。
> しかも、その場合は身体障害者1級の手帳が取得できるので、残り1万円の
> 自己負担も自治体から助成される仕組みとなっています。
> 患者に負担感はほとんどなく、医療機関側も透析患者一人当たり月40万円
> の安定収入が見込めます。透析患者が増えるほど安定した収入が入ってく
> る構造となっているのです。
> 開業医の中には透析患者を確保しようと、地域の基幹病院から患者の斡旋
> をうけるのに必死で、贈収賄事件まで起こるくらいなのです。
なるほど、これじゃ麻薬と同じですね。一度手を染めたらやめられない。
ところで人工透析の闇といえば、去年の9月にブログ記事「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」を書いて大炎上し、担当全番組を降板させられた元フジテレビ・アナウンサーだった長谷川豊氏のことが思い出されます。上に引用した人工透析ビジネスの闇が、彼の言葉に翻訳されると次のようになるわけです(タイトルは、批判を受けて2日後に今のタイトルに変更):
http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/48479701.html
そのネトウヨ的というか、「弱いものいじめ」的な内容が大批判を受け、特にリベラルな人たちは、まさのその弱者に対する残酷さに怒り、twittew等で盛んに批判したわけです。
しかし、表面的な邪悪さに惑わされてはいけない。彼の本意はそんなところにあるわけではありません。
彼の上記ブログ記事では、本来批判されるべき矛先が、人工透析という医療技術を己の欲のために悪用している医療業界ではなく、いつの間にか透析治療を受けている「自らの健康管理がだらしない患者」の方に向けられていることがわかります。これは、彼の記事に感情的にムカついて反発するのではなく、冷静に読んでみれば、実は意図的に行われていることがわかります。
それは、記事の中の
> もう、健康保険のシステムが、完全に時代に合わなくなってきていることを。
> 年金システムと保険のシステムを考えたバカ、全員死んじまえ!
> 日本の利権まみれの保険システムと年金システムなんぞ、1秒でも早く解体
> しろ!日本の病魔の一つが「保険」であることは確かなのです!
という発言に注目すればわかります。もうわかる人にはわかると思いますが、翌日の記事のタイトル:
繰り返す!日本の保険システムと年金システムは官僚から取り上げ民間に落とせ!
http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/48487334.html
で、堂々と本性をさらけ出しています。彼が真に言いたいことはこれです。つまり「透析ビジネスでおいしい思いをしている医療界の分け前をネオコンの俺たちにもよこせ」と。
彼がわざと批判の矛先を「患者」の方に向けたのは、昨今の弱者いじめの風潮に便乗し、その成れの果ての極右の連中の支持を取り付けるためでしょう。実際、彼はこの大炎上を逆手にとって、次期衆院選で維新からの出馬を宣言しています。
http://www.sankei.com/politics/news/170205/plt1702050019-n1.html
この出馬まで含めてネオコンによるハイエナ計画の一環でしょう。
もちろん、世の中には彼の本性に気づいた人もいます。弁護士の猪野亨さんという方のブログ記事です:
長谷川豊氏の透析患者に対する暴言
これは新自由主義の立場からの医療改悪を露骨に言っただけのものだ
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-2381.html
ところが弁護士という肩書きからも想像される、サヨク的というかリベラル的色彩の強いと思われるこの方には、今度は医療界の闇の方が見えていません。
つまり、ウヨもサヨも、まずイデオロギーから入るので、ある事件が起きたとき、何が本質なのかを冷静に見渡すことができないのです。
透析ビジネスに群がる「医療利権」と、これに便乗して「健康保険」を破壊し、民営化と称してそのウマミのおすそ分けを狙うハイエナのような「ネオコン」。
我々は、日ごろからよく頭を使い、好き嫌いやイデオロギーの発想から自由になって心のアンテナを広げ、こやつらの餌食にならないよう精進していかねば、と改めて思います。
by めい (2017-06-28 04:27)