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井筒俊彦による小田仁二郎評価 [小田仁二郎]

「講演録でたどる『週刊置賜』30年のあゆみ」の中に寂聴さんの講演録から、《世界中の言語に精通したイスラム学者である井筒俊彦先生が、小田仁二郎の代表作「触手」について、「この文章は言語学的にほんとうに素晴らしい。これは誰にも書けないものだ。言語学的に素晴らしいということを証明できるのですよ」と言われた。「それを聞いて小田仁二郎は、私が一緒におりました歳月の中でいちばんうれしそうな顔をしたのをおぼえております」と語っておられます。》と書いた。「宮内よもやま歴史絵巻 小田仁二郎と寂聴さん」でも、《世界中の言語に精通したイスラム学者井筒俊彦は、小田の代表作『触手』について、この文章は誰にも書けないほど言語学的に素晴らしい。」と評しました。》と書いた。「週刊置賜」に連載された寂聴さんの講演録、平成4年3月21 日付による。

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先だって「宮内よもやま歴史絵巻」について語らせていただく機会があったのだが、「井筒俊彦による小田仁二郎評価を『よもやま絵巻』で知った人が、詳しく調べてくれたらうれしい。」と話した。実はそのとき思いつきでそう語ったことが自分にはねかえってきた。寂聴さんが「どこがどう素晴らしいのか聞いておけば良かったんですけれども・・・あ、そうですか、そうですかと言ってしまって聞いて置かなかった」と言われている問題を自分なりに納得したくて、井筒俊彦に関心が向くことになりました。その答えを求めておそるおそる井筒俊彦をのぞいてみたら、そこにはすごい巨峰がそびえていました。いま井筒俊彦―叡知の哲学』(わからないなりに)ゾクゾクしながら読んでいます。

寂聴さんが「その一冊(『触手』)が、将来私も死に、あるいは遺族も死んで何十年かたった時に、日本だけではなく世界の文学として取り上げられ、翻訳され、日本の歴史の一つの文学の流れの中で、ある峯だとして見直される時が必ず来ると私は予言いたします。」と講演録第一回で語っておられますが、小田仁二郎への真っ当な評価はほんとうにこれからなのかもしれません。とすれば井筒俊彦という人がその方向を示しているのはまちがいないようです。寂聴さんの予言には、井筒俊彦さんの小田評価が大きく影響を及ぼしていると思われます。

【25.10.11 追記】

若松英輔氏による要を得た井筒俊彦紹介記事です。(読売新聞25.10.1)
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めい

井筒俊彦のいう東洋思想、華厳思想につながりそうです。
マドモアゼル愛さんの「愛の日記」です。

   *   *   *   *   *

ゼロこそリアリティ New! 2013年11月05日(TUE)
http://www.love-ai.com/diary/diary.cgi?date=20131105

移動とセミナーで忙しく、ブログアップが空いてしまいました。アメブロではもうすぐ一日一万人のアクセスが期待できただけに残念。

もう少しアップ頻度をあげたいのですが、今年も年末に向けて忙しくなりそうです。23日と24日には美容セミナーがあり、12月9日にはチューナーパーティが。

昨日もご一緒した土橋先生のアイデアによるものですが、美容チューナーとして人気の振動美人によるまつ毛エクステンションの成果が素晴らしいのです。

セミナーで数人の方をモデルにそれこそわずか数分しか施術できなかったのですが、目がまったく変わってしまいました。目力が増し、目パッチリのまるでフランス人形のようにあっという間にまつ毛が変わるのです。

今回のセミナーはプロ養成の施術セミナーでしたので美容とは直接には関係なかったのですが、思わぬ発見があったわけです。振動美人によるまつ毛エクステンションはいずれ動画でご紹介する予定です。

薬も使わず、一本一本の手入れもなく、短いわずかな時間であっという間にまつ毛エクステンションが可能。振動によるものですから、体に悪いわけもなく目の活性化と共に魅力的なまつ毛、、、すなわち目が変わるのです。

やり方は簡単ですがよい方法をこれから土橋先生と詰め、その後動画とテキストでお知らせいたしますのでどうぞ楽しみにお待ちください。

男性も目力アップになります。

さて、今回のプロ養成セミナーではすでにセミナーを卒業された方が四名、インターンとして参加され、とても良かったと思います。インターンの意識の高さが参加者にも伝わった気がします。

今回のというか、毎回ですが、セミナーの中心課題はゼロのリアリティにあったと思います。一般にはわからない、意味のない話しかもしれませんが、今後のあらゆる考えの基本になるもかもしれません。

それは何かというと、ゼロにこそあらゆる世界の入り口があり、あらゆる情報は多次元も含めてゼロからしか訪れないという、考えてみればあたり前のことなのです。

何が当たり前かと言いますと、質量がある世界は有限ですので、質量があるものは必ず、いつかは崩壊し滅びなくなっていきます。

どんな物も力もエネルギーも宇宙でさえも質量がある世界は有限であり、徐々に滅んでいきます。あらゆる現象も同じで、どんなに大きくなってもやがては小さくなり消えていきます。

計測できるものはすべて滅びます。それがゼロです。

しかしこのゼロは限りなくゼロに近いゼロということで、完全なゼロではありません。完全なゼロだとすべてが終えてしまいます。質量はゼロでもそれは計測上のゼロであって有というゼロに置き換わるのです。

そして有のゼロはあらゆる精神、思い、情報、が質量がないゆえに行きかう地点になります。多次元の入り口ともなるわけです。

まず、あらゆるものが質量をもって始まったとしますと、成長し、そしていつか崩壊がはじまり、ゼロになります。しかし、その際に、あらゆる情報は質量とは異なる反作用として働くのです。

たとえば、お金が無くなる、、無一文になる、、、という現象を例に考えましょう。

どんな大財閥もいつかはゼロになる、、、何年、何千年かかるかはわかりませんが、形あるものは必ずゼロになるのです。この法則から抜け出ることはできません。

百億が最大値だった財産家は、やがて十億に一億に一千万にそしてゼロになっていったとしましょう。実際には自分の寿命が先に来て、物質ゼロの地点に自分が先に行ってしまうわけですが、便宜上、生きていて財産がゼロになる状況を想定してください。

このとき、百億が最大とすると情報はゼロとなり、最大値において情報から途切れたエントロピー最大値で崩壊の過程に入ります。

崩壊の過程に入ると質量が減るにしたがって情報は増えていくのです。情報とは思念ととってもいいし、感情ととってもいいし、思いと思ってもよいでしょう。要するに心や魂の働きのように、間違いなくその働きはあるものの、数値とてしては存在していないものを情報という言葉で表現しています。神と思ってもいいです。

それは質量の減少とともに逆に増大していくのです。百億が10億になる崩壊過程においては、90パーセントの情報が逆に増えています。とうとう財産を失ったときには、情報はピークに達しているのです。

この際の情報は財産に関与したこの財産家特有の情報となりますので、財産家がゼロを嘆かずに受け入れれば100億など目ではない多次元の財を今度は引き込むことが可能となります。

人生の悲しみがピークに達したときは、だいたいは質量のある金や家や恋人などを失ってしまっていることでしょう。だから悲しく苦しく不幸なわけです。

しかし、情報はその時極大値に来ていることを私たちはつい忘れてしまいます。形あるものを失うことで、情報の極大値を得ているのです。それは多次元につながる入り口でもあるので、その後の人生の成功を得た人は、人生の最悪期においてのみ運を得られることになります。

おそらくこの方程式は間違いないと思います。形を失う比率に従ってあちらの世界からの情報が増大してきているのです。

人間の死ですら、この原理から抜け出ることはありません。肉体という質量がなくなるにしたがって、情報の世界のエネルギーは増大していきます。そしてエントロピーゼロ、すなわち死によって私たちは多次元の入り口に立つことが可能になるのです。

すべてはこうした形で働いており、それをわかりやすくいうと作用と反作用になります。

作用により起きた現象は反作用を招きます。作用による現象は質量を伴う現実の出来事です。これに対して、それを押しとどめて元に戻そうとする反作用が働きます。

反作用は無からくるものですから、情報を伴っています。質量には情報はありません。数値化できるものには情報はないのです。お金に名前はない、、、、というのと同じです。

こう考えると、ゼロが本当の情報の出入り口となります。このゼロ地点に至って情報を得ることは、人間死ねばいつでもできることです。

しかしそれではこの世の意味がなくなってしまいます。生きていながら、物質の質量のある数値化できる現実を持ちながら、同時にゼロにつながっているかどうか、、、

これが問われるべき人生の課題ともなります。死を意識する武士道もそうなのでしょうが、もっと簡単に言うと、自身が常にゼロの絶対極大情報源とつながっているという絶対安心の境地に近いものかもしれません。

質量のあるものはすべて崩壊に至る夢のようなものであり、自身はゼロにつながりながら、その夢を見ている、、、という境地になれば、身の回りの世界の見方に変化ができてきはしないでしょうか。

なんだか理屈っぽくかんじられるかもしれませんが、チューナーは叩いたときが最大値の音量となります。以降、音がだんだんと反作用によって抑えれていき、ついには音は消えます。

チューナーの効果は実は音が最大のときは肉体への働きかけは大きく、そのため血行が良くなったりするのは、あきらかで、科学的にも当然認められると思いますが、音がだんだんと小さくなるにしたがって、反作用がもたらす情報が逆に入り込んでくるのです。

なので、目に見えないものが原因なる、たとえば、精神の問題や考え方の問題や意識が原因のあらゆるその人特有の事柄に情報が働きかけ、その人に変化をもたらす、、、ということが起きてくるのです。

なんで音が消えた際にもっとも変化が出るのだろう、、、の謎がこのことでよくわかるのです。音が小さくなり消えていく時に、多次元情報は極大化していくのです。

この原理はチューナーに限らず、あらゆることに共通します。もっともつらい日がもっとも喜びの日に逆転できるのです。もっとも悲惨な時はもっとも大きな喜びの世界の扉を開ける情報を持っているのです。すべてそうです。

そのために現象は永遠化せず、必ず衰え、崩壊するこことで、それにより無から新たな情報を取り入れ、生生流転してすべてのものは発展していくようになっているのです。ゼロが多次元世界を取り入れる入り口なのです。

いつまでも変わらない人、かたくなな人は、要するに質量の世界にこだわっているからにほかなりません。物質がすべてだと思っているのです。

このことがわかると、この世はなんとありがたい構造をしているのかと驚くと思います。音という質量ゼロの原理がこのことを簡単でわかりやすく私たちに教えてくれます。この原理を利用すれば、チューナーの持つ無限の可能性にも触れることができます。

これが今回のセミナーの中心テーマであり、それを感得した人の施術にはこれまでと格段の差が表れるのです。

チューナーを例にして書きましたが、これはあらゆる現象界とあちらの世界を結ぶ構図を示していると思います。物質と数値化で心をいっぱいにすれば、どうしても情報が減ってくるのです。反対に物質を失い、エントロピーが減ってくるにしたがって、情報の世界との交流が大きくなっていくのです。

最大の贅沢は有り余る豊かさを手に、それが幻であることを知りつつ、振り回されず、自身はゼロとつながっている、、、肥田春充が生きていたらぜひともチューナーを持参して正中心の話など伺いたかったものです。

おそらく門前払いですね。

by めい (2013-11-06 11:42) 

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