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3Dプリンター革命 [染物]

昨晩のNHKスペシャル「メイド・イン・ジャパン 逆襲のシナリオⅡ
第2回 新成長戦略 国家の攻防」で、製造業において技術革命をもたらすであろう3Dプリンターへの取組みが取り上げられていた。私の場合は2Dの世界だが、染物の世界で、一次元下でのデジタル革命をここ10数年来体験してきた。染物の場合も3Dの場合もデジタル化とは要するに「型が必要でなくなる」ということだ。染物の場合で言えば、色の数だけ型が必要だった。プリンターでは1色も多色も同じ。3Dでは「金型が必要でなくなる」。日本においては、職人的感覚・手腕を必要とする金型技術は世界に抜きん出ていた。それが意味をなさなくなる。染物の世界においても、従来の職人的手技感覚は、伝統技術としての生き残りはあっても、その占める割合はどんどん小さくなってきた。私の場合で言えば、80%ぐらいがデジタル化してしまっている。その方が、圧倒的に「速く」「きれいに」「丈夫に」、その上「楽に」できる。その結果「安く」なる。伝統技術を求めているわけではないお客さんはそれに超したことはない。

高岡染店チラシ23.11 表.jpg


私の場合に即して、染物技術の歩みを振り返ってみたい。


私のやってきた染物を印染(しるしぞめ)という。名入染(ないれぞめ)ともいう。私は大漁旗を多く手がける仙台の染工場で手ほどきを受けた。師匠は桜井全(たもつ)さんという。いまは亡い。広瀬川での投網(とあみ)が何より好きな人で、広瀬川に投網に出かけたまま亡くなった。70歳と少しだった。思うだけで涙が出るほど懐かしい。私がお世話になったときは45歳ぐらいか。いろいろ思い起こすときりがない。大原浜三熊野神社の仕事は、桜井染工場さんからの依頼だった。


桜井さんの下でおぼえた技術は「筒引き」だった。「筒描き」ともいう。和紙に柿渋を塗り重ねてつくった筒の先端に金具(筒先)をつけ、餅粉と糠と塩と石灰(いしばい)でつくった糊を入れて、ケーキ屋さんの要領で糊を布に置いてゆく。それが違う色の染料が混じり合わないための壁になる。染めた後、水で洗うと糊が落ちて、その部分は白く残る。日本における染物技法の原点だ。船名と贈主の名を入れる大漁旗は一枚一枚ちがう。だから型染めはなじまない。ここから出発できたことを、今でも私は染物屋としてひそかに誇りに思っている。この糊を使う仕事はやればやれても今はもうまったくやってない。(つづく)

高岡染店チラシ23.11.jpg

右中段の神幟は筒引きによる。白鷹虚空蔵尊の例祭日「高い山」の今日(毎年5月13日)、南陽市吉野居残沢地区に掲げられる。人手が少なくなってもう揚げなくなっているかもしれない。黒いTシャツ(「三兎招福」。駅の駅なんようで販売中。1200円)はスクリーン染。そのほかはすべてデジタル染。


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めい

マドモアゼル愛さん、いつものことながら我が意を得た論ですので貼付けておきます。「御用達経済」提唱者の藤原直哉さんとも親しくしておられるようです。
http://www.love-ai.com/diary/diary.cgi

   *   *   *   *   *

■ 事務から手に職へ、、 2014年09月17日(WED)

これからどんな時代が来るかを考えるとき、人間が考えたシステムに由来する安心がどんどん壊れていく気配を感じます。

どんなに安心できると思う会社に就職しても先行きはどうなるかわからない、、、かなりの一流企業のおけるリストラはけっこう厳しかったわけで、企業自体がどうなってしまうかわからないわけです。

一番安心だと思われる国家公務員ですが、国が機能しているうちは確かに親方日の丸で大丈夫だけど、これは突然ダメになることがあります。

将来のお金を浪費して公務員にお金を支払っている現況はいつまで続くものではなく、そんなに遠くない将来に、突然、変化が訪れることは間違いないと思われます。

ある日突然、公務員を三分の一に減らす、、、というような事態があり得るということです。

まして、一般企業に将来の安全はないと思われますが、そんな場合でも強いのは、あの人にしかできない、、、そういうものを持っているかどうかではないでしょうか。

誰でもできるとは思えないものの、一般の事務仕事では、これは俺にしかできない、、、、といくら内心で思っていても、実際はどんどんリストラにあってしまった例はたくさんあります。

古いようでやはり永遠性があるのが、手に職という面があるように感じます。

実際に、今、大工さんの需要などは非常に多いと聞きます。

手に職というと狭い感じに受け取られますが、英語が話せるだけでは職にするのは難しいけど、プラス専門的知識と語学力がつながると、とたんに有利な仕事ができるようになる。

フランス語がしゃべれる人は多いかもしれないが、フランスに競走馬の買い付けに行く際に、そうした専門用語やセンスを持ってしゃべれる人はそうは多くはない。

一頭数億の馬を購入するのだから、通訳だって、買い付けについていけば、数百万はもらえるだろうと、思う。実際はどうか知らないけど。

専門知識プラス語学力はこうして有利な手に職になる。

絵画の知識とセンス、語学力が一体化したら、きっと仕事は見つけられる、、、

語学力を語学力のみでとらえれば、事務仕事の限界が来るが、プラス専門知識が入ることで、手に職になるわけだ。

そう考えると、けっこういろいろな手に職がみえてはこないだろうか。

おそらくこれから、システム崩壊の時代に入り、世界の様相も日本も変わると思います。原発があのままマスコミを巻き込んで国民に事実を知らせない、、、そんな異常が状況がいつまで続くわけがなく、結局、日本も世界も変わらざるを得ないのです。

変化を怖がる特権階級は、そのことをマスコミを抑えて国民に知らせようとしません。マスコミのニュースを聞いていると、本当に世界では病気の蔓延や政治問題が山積しているという印象付けだけを流し、未来志向がまったくありません。

近代国家、国民国家が変化を恐れているからです。それは当然で、解体される運命は自分自身にあるからでしょう。

霧散し消えていくものと一緒に運命を共にする必要などありません。私たちは自身に立ち返り、システム不在のやってくる混乱の中で、手に職を持って立ちあがることが面白いと思うのです。

お得意様、、、親方日の丸、、、権利構造、、、こうしたものにしがみついても、どんんどん厳しくなっていることは、関係者ならわかるはずです。

もちろん、それが機能しているうちは無理して独立などするのは危険かもしれませんが、少なくとも準備ははじめた方が正解という気がします。

今、仕事があり収入があるうちに、どんな時代が来てもいいように手に職をつけることを考え、実践していくことで、意識も変わってくると思うのです。

毎月25日にもらえる給与の方が額自体は断然多かったとしても、手に職から得た数万円に、楽しさ、、確かさ、、手ごたえ、、ひょっとして、本当のお金はこちらにしかないのではないか、、、という直観がきっと出てくる気がします。

そうした行動を今からでも、もう始める必要があると思います。私のところでもいろいろなセミナーを開催していますが、それだとお金がかかるし、実際に手に職まで至れるかどうかはわかりません。

色々なセミナーに出ることも大事ですが、もっと大事なのは、知識の習得よりも意識が変化することにあります。

セミナーで覚えたことを新たな意識の元に、自身の世界で体現できるかどうかが大事なのです。

昔からよくある制度としては、弟子入りがありました。制度としての弟子入りは数の上で少ないので、誰でもできるものではないでしょうが、そんなつもりで、手に職のある人のそばにいて何かを学び取る、、、お手伝いをしてあげるかわりに学ばせてもらう、、

そんな関係がどんどん広がると面白いと思います。また、意識改革を速める勉強会や話し合いの場を率先して持つようにする。

まず、答えありきではなく、正直なところで、人が集い、未来を見つめ、、何をやるかを考える、、、発表しあう、、、そんな集いは楽しいと思います。

MI池田山ハウスは来月の10月からウイークデイはセミナー開催のためご迷惑をおかけするケースが多くなるので、一般オープンを土日のみに変更しようと思っています。

その代り、土日にはなんらかの無料セミナーなどを設けて、ミーティングなどの機会を作りたいと考えています。

また、11月24日には、藤原直哉先生をお迎えして、私と土橋先生が基調講演を行い、その後藤原直哉先生のお話しをじっくり伺い、その後は三者での対談という催しを行います。自分の未来を作りたいと思う方はぜひご参加ください。

詳細はまたご案内いたします。時代の現状分析と未来への思考について、藤原先生の右に出る人はそう多くはありません。

藤原先生は明治からの日本の制度は本来の日本らしさに欠けており、早晩行き詰るということをかなり以前から語られており、実際にその通りになっています。

第一次産業の復活と地場産業と地域サービスの魅力ある再生、そこから自然発生するであろう観光事業の可能性の大きさなど、私もかなり以前から、森と平野に分化定住する時代、という本で語ってきましたが、その基本にある考えは藤原先生と共通点があります。

とはいえ、何せ、頭のできが私と違って藤原先生は優秀ですから、さらに深い境地に達しておられます。

さらに土橋先生を交えた11月24日の会は非常に刺激的で能動的な気運をもたらしてくれると思います。まだ時間は未定ですが、午後1時ごろから始まって、午後5時に至る、中身の濃い会となります。参加者とのミーティングも予定。

定員は35名限定で会費は1万円になります。

まずは意識を改革する姿勢を持つだけでも、新たな道が開ける気がします。やはり意識が変わらない限り、未来は変えられない。

時代が変わる、、、ということは、振り子が大きく元に戻ることを意味しますので、これまでもてはやされてきたことがダメになり、これまで忘れ去られたり、無視されがちだったことが重要な要素になるということになります。

こうした傾向はすでに始まっており、慰安婦問題も政府の考えで押し通すことは無理だと思います。女性を蔑視というか、人間蔑視の姿勢がもたらした悲劇という観点がないまま、反省も説得も無理に決まっているのです。

原発が行き詰るのも、人間の健康やイノチよりも金が大事だという考えがもうダメだからなのです。一部の人の利益を守るための嘘、おどし、そうしたやり方がもうダメになって行っているのです。

早いとか安いとかも、もうピークを越えた考えです。

頑張るとか、夢というのも同様でしょう。夢を抱かせれば、現実がひどくても我慢させられることが可能です。こうした心理的なインチキはもう通用しなくなっていきます。マスコミがあるうちはまだ続くでしょうけど。

その間にこちらは準備をするわけです。ソ連が滅んだ際にも、幻想がいつまでも続くと考えた人が一番ひどい目にあったのです。最後までルーブルの価値を信じた人は、紙切れを抱えることになってしまいました。

新聞やラジオやテレビはそれを進めたからです。まじめで正直な人が最大の損をこうむったのです。でも、本当にそうした人は真面目で正直だったのでしょうか。そうではないのです。不安と恐怖の前で、目の前の幻想にしがみついただけなのです。

愛する者を守りたければ、国が言うことよりも、テレビが言うことよりも、智慧が働いたはずです。愛亡き恐怖が目を曇らせたのです。

日本もきっと同じようになります。愛のないところで自己保身を考えた人は、最後にきっとやられます。そうした変化は人の生涯に一度は起こりえるのです。

原発が動くことなどもう二度とないでしょう。今の金融政策があと何年も続くことなど決してないでしょう。ガン治療がこのまま行われることなど、もう数年も続きません。誰も病院に殺されたくないと思うに決まっています。エイズの言葉はきっと日々聞こえなくなっていくでしょう。

利益を守るためにあまりにインチキがまかり通っていた反動は必ず現れます。

振り子は反対側に触れるようになります。戦後、突然民主主義になったように、さらに大きな変化がやってきます。

子供、女性、イノチ、、、これを金と権力に売り渡した文明は滅びるのです。男性も同じように真っ先に売られたのです。

システム維持のための事務から手を離し、自身の手に職をつける時代が急速に訪れます。
by めい (2014-09-21 07:03) 

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