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遠藤英先生「いま、なぜ鷹山公なのか」(つづき) [上杉鷹山]

遠藤英先生の講演内容、続けます。

上杉鷹山公 伝国の辞.jpg

「三ヶ条のうち、いちばん頭にもってきたものがいちばん大事なわけです。その大原則になっている第一条目は、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれなく候』。

たいせつなことは、国家というものは子孫に伝えなければいけない。当時も今とはライフスタイルが全然違うとしても、当時は当時で贅沢な暮らしをしている。それをやめられない。」

今のままの暮らしを続けてゆくか、今の暮らしをがまんして子孫への存続を計るかの二者択一。鷹山の答えは、国家は子孫に伝えなければならない。子孫に伝えることを前提にすべてを判断しなければならないというのが大原則。それを裏付けるのが「倹約令」。

「これから倹約をしなさいと言われればいろいろ不自由もあるだろう。しかし子孫まで家を伝えて安心して暮らせるようにしたい。そのための倹約です。」


今の日本は、世界最高水準のいい暮らしをするために、政府が1000兆円もの借金をしている。借金で成り立っている今のいい暮らし。自分たちが頑張った結果のいい暮らしではなくて、かなりの無理がある。


鷹山公の時代の米沢は、プライドを捨てきれなかった。収入が減っているのに以前と同じ暮らしぶり。それが自分に合っていると思うことがすでに贅沢。今の日本も同じ。


口で言っただけではなかなかわからない。鷹山公は「今か、子孫か」の二者択一を迫って、「子孫が大事」の大原則を提示したのが第一条。


ただし、倹約しさえすればいいのではない。知恵、工夫を働かすことが必要。すなわち倹約をするために必ずやらなければならないのが学問。みんなで知恵を出し合うという学問への姿勢。


赤字を減らす。そのための学問。そのための学校建設。そのための借金。ここに経済と学問のバランスが問題になる。このバランスの取り方が巧みなのが、謙信公以来の上杉藩の伝統。直江兼続も然り。鷹山もこの伝統の中にある。


江戸幕府は経済のときは経済一辺倒。学問は学問。バランスの取り方が下手。学問、教育、倫理をおろそかにすると世の中が乱れる。


鷹山が名君といわれるわけは、財政問題を解決したことによっるのではない。社会が良くなったことによって、鷹山は11代将軍家斉からも名君と言われた唯一の君主。単に赤字財政を立て直した、借金返したから偉かったというのではない。

二番目。「人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれなく候。」

これは公私混同の戒め。

鷹山公が民主的であったと言われるが、西洋型の民主主義だったのではない。


「江戸時代の世の中はヨーロッパには存在しない。江戸時代は非常に民主主義。」


西洋型の民主主義の根底にあるのは自由と権利。

「要するに、商工業者が国家からしぼりとられるのを守るためのシステム。」


自分の利益追求は喧嘩になる。だから近代民主主義国家は戦争をする。

「最近日本もだいぶアメリカに染まってきたので、自己主張する若者がだいぶ増えました。それと相まって子供たちも競争社会に放り込まれて勝ち組と負け組ができたりする。これがヨーロッパ型。」


江戸時代の民主主義は「仁政」。思いやりの政治。他者優先。「殿様は民衆のために。民衆は世の中のために」。争いはおこらない。徹底的な平和主義としての「生類哀れみの令」。これがまかり通ったことがすごい。ヨーロッパでは考えられない。生類憐みの令によって姥捨て山が禁止され、年寄りを敬えということになった。野生の鶴が人家のすぐ側に来るようになった。人家の側の方が狐に襲われずに安全。


百姓一揆は反乱ではない。武士側は、農民が何を言おうとしたかに耳を傾けて、できるだけそれに応えようとした。百姓一揆は行政の責任、という認識。米沢南原の農民が起こした百姓一揆。首謀者は処刑されたが、藩の米蔵を開けた。鷹山公の前の時代にしてもそうだった。


お互いの尊重。結果として軍事力は不要となる。


西洋が入ってくることで「これはいかん」と軍事力が必要になったので、江戸時代が遅れていたのでは決してない。日本の方が多くの面で進んでいる。日本は社会が世界でいちばん進んでいる国。だから、外国に答えを探してもだめ。われわれで探さねば。


そういう社会において、鷹山の人格、人柄が非常に高い評価を受けた。世界に比して進んでいた日本の中でも、この地域はさらに進んでいた。だから模範にならなければならない。

それが二条目の意義。


三番目。「国家人民のために立たる君にし君のために立たる国家人民にはこれなく候」。


国家があるから君主がいる。社長というのは会社があっての社長。生徒があるから私は教師でいられる。私がいるから生徒が寄ってきているわけではない。自分がどういう立場に立たされているかをいつも意識せよ。立場でものを考えることを忘れぬように。


これも日本人がいちばん進んでいるところ。震災で水を汲みにきた人がだれも列を乱さないことに世界中が驚いた。自分の立場、他人の立場をわきまえていれば、今自分がどうすべきかという発想が出る。プライベートな感覚を優先させれば。今自分がどうすべきかではなくて、どうしたいかになってしまう。それでは世の中が壊れてしまう。


今の日本は「なにをしたいか」が巾を利かせ出している。すごいのは親が「おまえのやりたいようにやれ」と言ってしまうこと。思うように行かないと、他人のせい。モンスターペアレンツの出現。非常にアメリカ的。みんながそうやれば社会は壊れる。


忠臣蔵の世界に巻き込まれた上杉藩。4代藩主綱憲の父親が吉良上野介。父の仇を討とうとした綱憲を家臣たちが止めた。「息子だけの立場ではない。藩を預かる君主の立場を考えよ。」


上杉神社境内、木村東介氏による建立「赤穂事件殉難追悼碑」

「赤穂浪士が忠臣であったのはまちがいない。しかしそれと戦った上杉の家臣たちも忠臣である。上杉家の立場で頑張った。同じ立場であったことをわかってほしい。」


倹約すべし。他者優先。立場をわきまえよ。これが三か条の意義。

しかし、実際にやろうとするとなかなか大変。


伝国の辞は、藩を経営するコツを教えているのではなくて、こうなってゆかなければ良くならないという戒め。これを言えるのは、鷹山が実際にやってきたから。


世界が手本とする日本。その中でも進んでいたこの地域。


鷹山公に学ぶべきもう一つの意義。

興譲館の名に象徴される譲の訓え。


九里高校の校是「礼と譲」。

いきなり「譲」は難しい。それに至るための「礼」。

その意味するところは、自分が人間として大きな存在であることを信ずること。


商工業の時代は終わった。単に性能のいいものをつくっても売れない。

山形大工学部が「倫理」を講義に取り入れる。経済と倫理のバランスが重要。

世の中にとって価値のあるものをつくろうと思えば、倫理を学ばねばならない。

倫理観の高い学生に育てねばダメ。


高度成長期は一時のもの。もう再現は有り得ない。これからは「いいもの=売れるもの」ではない。並んでいるものはみんないいものばかり。プラス「何」か。それは情報。情報によってプラスが付け加わる。それが情報社会。(「情報化社会」とはもう言わない。)


新しい産業社会。今の子供たちの65%は、今の大人たちの知らない職業に就く。


では、どういう情報が価値があるのか。みんな知っている情報に価値はない。知られていない情報が大事。


明治以降はみんなと一緒が大事。江戸時代はそうではなかった。独自に判断していた。

ヨーロッパ型の一斉教育。号令一下の行動。ベルトコンベアの工業社会。「みんなと同じことをやりなさい。」本来日本はそうではなかった。これからは江戸地代のような形が求められる。他と違って不安になった時に「おまえはこれでいいんだよ。自分を信じなさい。」


これが「礼」の訓え。


「自分はこれでいいんだよ。」ここから打って出ることが「情報発信」。

ただし、自己優先の「わがまま」とはちがう。それでは世の中のニーズは見えてこない。だれも買っててはくれない。どんなに独自のものを大切にしていても、必ず相手の立場でものを考える。思いやり、自分が動かずに思いをやるだけではレベルが低い。アンケートでわかるのは過去の情報。お客様の気持ちをどうやって先読みするか。お客様が自分でも気づかないことを「こんなのはどうですか」というのでなければ、これからの情報社会ではがんばれない。


自分に自信のない人にはできない。自分を守ってしまう。自分を手放せない。こわくて。自分で「これでいいんだ」と思うと、自分の反対の意見も聞けるんです。それによって自分が壊れることはないからです。自分をいったん手放すことができる。自分の立場を相手に譲ることができる。「譲」は思いやりとはちがいます。


礼と譲は、これからの情報社会において最も基本となる能力なのです。


目の前のことを一生懸命やろうとするような教育。真面目とか誠実。ラインシステム重視の教育の時代は終わっている。


社会は成長する。一定のレベルまで到達した社会は、人の心が大切な社会になる。これは鷹山公の時代の鷹山公の考えと同じ。世の中がやっと上杉鷹山に追いついた。相手の心を読み取って、自分自身の思いを、自分のもっているいい個性を相手のために役立てましょう。そうすると贅沢しなければ食べてゆける。そういう時代にいま入っている。


「鷹山公を美化してヒーローにしてはいけない。あの人は天才なんだ、神様みたいな人なんだと言っちゃうと、われわれは真似ができなくなってしまう。鷹山公は、今の高校生ぐらいで殿様になった。それから名君と呼ばれるようになるまで、どれだけの失敗と苦労があったことか。鷹山公をひとりの人間として追っかけてゆくと、失敗したり、あれこれ工夫したり、みんなで知恵を出し合ったりという実際いろんなことがある。それが全部われわれに役に立つ。われわれと同じようなその辺りの人ががんばったんだということで、われわれの手本になる。すばらしい人で、目標にすべき人ではあるんですけど、あまり棚の上に載せてしまわないで、丁寧に見ていただいて真似をしていきたいなと思うのです。」

山新記事「遠藤英講演会」.jpg山形新聞 25.4.29


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