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白鷹山に「伝国の辞」碑をつくる会 [上杉鷹山]

チラシもうひとつ。
親しい人が必死で取り組んでいます。
何もないところから250万円集めねばなりません。
応援お願いします。
4月27日、遠藤英先生の講演会があります。
聴講無料、ぜひおいでください。
遠藤英講演会「伝国の辞」碑をつくる会.jpg「伝国の辞」碑講演会チラシ裏.jpg

白鷹山に『伝国の辞』碑をつくる会」とはどういう会ですか?    

いまから4年前、南陽市宮内の齊藤喜一による山形新聞への「伝国の辞 白鷹山にぜひ」という投書に 始まります。この投書を読んだ山辺町作谷沢の樋口和男(山辺町議)が、齊藤に共感の意思を伝えたので す。意気投合の二人は平成22513日、高い山の日、山形市、上山市、南陽市、白鷹町、山辺町の 行政も含めて一堂に会する白鷹山頂サミットの席で参加者に実現を訴え、満場の賛同を得ることができま した。サミットでの意見採択を受けて32町の行政が碑の建立を進めてくれるはずでした。しかしその 後まったく進展がありません。確かめてみると、行政が動けない背景には、長谷堂の戦い以来400年以 上にわたる上杉と最上の確執がわだかまっていることに気づかされたのです。このことで、二人はかえっ て奮い立ちました。「上杉鷹山公の力を借りて置賜と村山が心をひとつにする仕事になるかもしれない。 共に未来をつくることで過去を乗りこえよう。」  


とはいえ、行政の力をあてにすることができない以上、全くゼロからの出発です。当面の資金も何もあ りません。しかし共感の輪は白鷹山の麓から広がり始めました。平成246月、南陽市小滝地区や白鷹町滝野地区の方々が中心になって、白鷹山に『伝国の辞』碑をつくる会が発足しました。米沢市にも賛同 の動きが出るようになって、総会には米沢市の秘書広報課長さんも駆けつけてくださいました。その後、 徐々に会の存在が認知されるようになって現在に至っています。 


「伝国の辞」碑を白鷹山につくるためにどうするのですか?

碑は、鷹山公揮毫の扁額が掲げられた白鷹山空蔵尊の御堂脇に建てたいと考えています。車の登れな い場所ですので、これまで工事の方法等について何度も石屋さんと検討を重ね、総事業費を250万円と 見積りました。その資金をどうやって集めるかが最大の課題です。一口1万円としてよびかけが始まっ たばかりです。もちろん何口でも、多いほどありがたいです。平成26513日の高い山の日の竣 工を目指しています。


募金の方法については、事務局にご連絡いただけば郵便振替用紙をお送り致します。鷹山公への思いの 結集としての碑建立であることを後世に証すために、おひとりおひとりのお名前を碑の裏面に刻銘いたし ます。


白鷹山

 白鷹山地は、東の奥羽山地、西の朝日山地から完全に独立した山地で、東西置賜、東西南 村山5郡の交界をなしています。その形成は今から100万年位前の火山爆発に始まります。  主峰白鷹山(994m)には、虚空蔵尊が祀られています。役行者(634-701)による開山 ともいわれ、御本尊は、行基菩薩(668749)彫刻と伝えられます。米沢藩第三代藩主上 杉定勝以来代々藩主の祈願所で、鷹山公も25歳の時の御参拝記録が残ります。鷹山の号は当 山に由来するともいわれます。

 古来「高い山」といって、例祭日の旧暦417日に弁当をもって山に上り、神様と饗食 する風習がありました。虚空蔵尊は養蚕の神様として信仰を集めていたことから、広い地域 からの老若男女が列をなしてにぎわいました。今は、513日を例祭日として「山頂サミ ット」も開かれ、置賜・村山交流の貴重な場となっています。


白鷹山に「伝国の辞」碑をつくる会

「伝国の辞」碑建立の趣意

目  的●鷹山公事蹟の現在的意義を鑑み、鷹山公精神の発揚。白鷹山からの全国発信。

完成除幕●平成26513日(高い山)

予  算●250万円

募  金●一口10,000円(何口でも可。御芳名を碑裏面に記載)

募金方法●郵便振替(手数料加入者負担)、または口座振込

 ・振替口座  02220-0-119317 白鷹山に「伝国の辞」碑をつくる会 

 ・他金融機関からの振込口座番号 二二九(二二キュウ)店(229) 当座 0119317 

募金締切●平成258月末日

実行主体●白鷹山に「伝国の辞」碑をつくる会

特別顧問●上杉邦憲(上杉家第17代当主)

顧  問●大乗寺健(上杉・松岬神社宮司)小嶋弥左衛門(上杉鷹山と先人を顕彰する会々長)

会  長●齊藤喜一(南陽鷹の会々長)

副会長●樋口和男(山辺町議) 髙橋 弘(南陽市議) 守谷丹吾(白鷹町議)

事務局長●川井榮助 南陽市小滝531-1 ℡0238-41-2640(兼FAX

後  援●白鷹山大蔵寺・白鷹山観光開発連絡協議会・上杉松岬両神社・

      関川村「渡辺邸」・本間家旧本邸・山形農業協同組合・

     山形おきたま農業協同組合・米澤新聞社・米沢日報・山形テレビ・

     テレビユー山形・さくらんぼテレビ・(株)ニューメディア(順不同)


白鷹山に「伝国の辞」碑 表.jpg

日向国高鍋藩秋月家から養子に入り、十七歳で 米沢藩第九代藩主となった上杉治憲公(鷹山)は、 存続さえ危ぶまれていた藩を、卓抜した発想力と 不屈の実行力をもって窮乏の淵から救い、三十五 歳で治広に家督を譲ります。その際、藩主として の心構えを三ヶ条にして治広に伝えたのが「伝国 の辞」です。


藩の立て直しに必死で取り組む二十五歳の折、 鷹山公は藩領東北の鬼門を守る白鷹山虚空蔵尊に 登拝し、悲願の藩復興を祈ったと伝えられます。 今も社殿には、鷹山公御揮毫の「白鷹山」額が掲 げられています。


鷹山公の藩政改革の視野は、財政改革、産業振 興はもとより、社会意識の変革にまで及びました。 鷹山公にとっては、人心の改革あっての経済復興、 福祉向上でした。全国に九十万人の死者を出した 天明大飢饉の際、米沢藩に餓死者がひとりもなか った背景には、領民相互のたしかな絆が育ってい たのです。


私たちは、今こそ鷹山公に学ばねばなりません。 「伝国の辞」に凝縮された鷹山公精神を白鷹山頂か ら全国に発信するための碑建立に、ぜひ御賛同い ただきたくお願い申し上げます。  


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