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<追悼・吉本隆明さん(3)> 宮沢賢治と<大衆の原像> [吉本隆明]

吉本隆明、井上ひさし、ますむらひろし、この3人が存在することで、置賜には宮沢賢治がよく似合います。
 
川西町小松生まれの井上ひさしにとって、賢治はあこがれの人でした。賢治の生涯を描いた伝記劇『イーハトーボの劇列車』や、架空インタビュー『宮澤賢治に聞く』といった作品があります。「コーガイニモ/ホーシャノーニモマケヌ/丈夫ナカラダヲモチ」という井上版「雨ニモマケズ」も作っています。25年前小松で始めた「遅筆堂文庫生活者大学校」の第二回目のテーマは宮沢賢治でした。
 
米沢に生まれ高校まで米沢で育った漫画家ますむらひろし。米沢市内を走る漫画のバスでおなじみです。猫で描いた賢治の世界、昭和60年公開の映画『銀河鉄道の夜』は100万人動員の大ヒットでした。今年の夏には映画『グスコーブドリの伝記』が全国公開されることになっており、再び大ブレークが期待されます。
 
置賜でこのふたりに先駆けたのが吉本隆明でした。 
 
吉本は昭和17年から19年の米沢高等工業高校生の時代に生涯傾倒する宮沢賢治の作品と出会いました。入学間もない頃、賢治の故郷花巻に近い宮城県古川出身の寮友が紹介したのです。『宮沢賢治名作選』(松田甚次郎編) が回覧されるやたちまち寮のみんなが賢治ファンになりました。賢治の死後10年、置賜の一隅で賢治ブームが沸き起こったのです。最も熱心だったのが吉本でした。「過去についての自註」にこうあります。
 
≪この土地では、書物が間接の師であった。・・・(高村光太郎、小林秀雄、保田与重郎、太宰治・・・といった)影響のうち、病がこうじて、それを模倣した詩をかき、ついに花巻の詩碑までおとづれさせるほどわたしを誘ったのが宮沢賢治であった。≫
 
寮の自室天井には「雨ニモマケズ」の詩を墨書して貼っていました。「俺もこの人とおなじような人になれるんじゃないか、ということが、ぼくの青春時代の夢でもありました。」と後年語っています
 
一時期まで書店で「吉本」の名前を見ると、読みもしないのに買うくせがありました。書棚からその中のひとつ「賢治文学のユートピア」と題する論考を見つけ読んでみました。(『国文学』昭和53年)
 
「ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ」、ということへの賢治の執着を問題にします。
 
「いったい僕は、なぜみんなにいやがられるのだろう。・・・僕は今まで、なんにも悪いことをしたことがない。(巣から落ちためじろの赤ん坊を助けたときには)赤ん坊をまるでぬす人からでもとりかえすように僕からひきはなし・・・それからひどく僕を笑った・・・」この『よだかの星』 の述懐に吉本は「イジメラレテイルモノ、ナイガシロニサレテイルモノガ示ス歯牙ニモカケラレナイヨウナ善意デナケレバ善意トシテノ意味ガナイ」という暗喩を読み取ります。そして言います。
 
≪あくまでも弱小なもの、さげすまれているものの<善意>や<無償>でなければ意味がないということだ。あるいは<善意>や<無償>の行為は、行為するものが弱小であり、ないがしろにされているときにだけ均整がとれるものだという思想だといいかえてもよい。≫
高みからの<善意>や<無償>の行為は、賢治にはむしろ疎(うと)ましく感じられるのです。 

 
昭和54年に上梓された『宮沢賢治 (近代日本詩人選)』の中では、『猫の事務所』のかま猫も例にとりつつ、
 
≪宮沢賢治が関心をよせ救いを願い、じぶんもまたその場所にゆき、それらとおなじでありたいとおもったのも、そういう存在だった。≫と言っています。
 
私はここに、吉本の<大衆の原像>への通底を感じとりました。

吉本は上昇志向的に政治化してゆく情況に、<大衆の原像>の理念と<自立>の思想を呈示することで楔(くさび)を打ち込みました。
 
≪生涯のうちに、じぶんと職場と家とをつなぐ生活圏を離れることもできないし、離れようともしないで、どんな支配にたいしても無関心に無自覚にゆれるように生活し、死ぬというところに、大衆の「ナショナリズム」の核があるとすれば、これこそが、どのような政治人よりも重たく存在しているものとして思想化するに価する。ここに「自立」主義の基盤がある。≫(「日本のナショナリズム」昭和39年)
 
知識があるとか、ものが書けるとかでえらいと思うのは大間違い、日常当面する問題についてしか考えないふつうの人(<大衆>)にはとうていかなわない、というのです。
 
吉本にとっての<大衆>は、決してその時その時の欲求に流されて漂うような存在ではありません。『初期ノート』にこんな言葉があります。
 
≪倫理とは言はば存在することのなかにある核の如きものである。・・・それは言ひかへれば人間の存在が喚起する核である。≫(吉本は存在理由を外部にもつ<道徳>と、存在そのものの核たるべき<倫理>を峻別します。たいせつなのは<倫理>です。) 
 
人間は互いに関わりあって生きている以上、根底には「お互いよかれ」の気持がごくあたりまえのこととして存在します。吉本にとっての理念としての大衆、すなわち<大衆の原像>とは、そうしたあたりまえをあたりまえのこととして生きている、そのことでホメラレることを求めもしなければクニモサレることもない、あたりまえの人たちです。吉本はそうした境涯を目指しました。吉本は宮沢賢治によってその導きを得たのではないでしょうか。
 

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