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<追悼・吉本隆明さん> あなたのおかげで大人になった [吉本隆明]

 ネットで好悪入り乱れた吉本に対する評価を読んでいるうち、あらためて吉本への自分なりの思いを整理したい気持ちになって書いた。

 

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 <追悼・吉本隆明さん>  あなたのおかげで大人になった

 

訃報を知ったのは亡くなった3月16日午後9時のNHKニュースだった。翌日の山形新聞には1面と社会面とに大きく取り上げられた。訃報そのものには、そういうときが来たかということでさほどの驚きはなかったのだが、世の中の扱い方に驚いた。いつの間にか世の中にここまで認められる存在になっていたのか。関わった自分の昔を思い、いささか晴れがましい気持ちにもなった。 

 

吉本との出会いは21歳の頃だった。何よりも揺るがない自分を求める時期だった。当時の主著『自立の思想的拠点』は、まさにその求めにふさわしい書名だった。当時持ち歩いていたノートから自分の思考のあり方の過程をたどってみると、明らかに吉本以前と吉本以後に分けられる。吉本以前のものは今読むとこっぱずかしい。吉本以後になってはじめて今の自分に通ずる自分が見えてくる。大人にしてもらったのだと思う。
 
忘れられない一節が、初期作品「エリアンの手記と詩」にある。
 
≪エリアンおまえはミリカを愛しているだろうが、色々な事は考えない方がよい 心の状態だけを大切にしなさい おまえがミリカと結ばれるかどうか、それはお前の考える程、簡単には決められない 運命がそれを結べば結ばれようし、結ばれなければそれまでだ 人の世はそのように出来ている≫
 
 心の状態だけを大切にしなさい――このフレーズをどれだけ胸の内で繰り返してきたことか・・ということはともかく、この一節に、私が思う吉本的感覚の原点が凝縮されている。そこをヒントに、広大な吉本思想の根っこにあるいわば思考の原理とでもいえるものを乱暴承知で三つ抽き出してみると、
 
①ひとりで思えば思うほど、思いは世の中からはなれていって、いずれ世の中に対立してしまう。(自己幻想と共同幻想の逆立性)
②ふたりのあいだの思いは無理なく溶け合わせることができる。細胞レベル、遺伝子レベルで呼び合う恋愛はその極致である。(対幻想)
③自分でどう思ったからどうなるというものではない。自分の意思に先立つ人と人とのつながりというものがある。(関係の絶対性)
 
である。
 
吉本思想の難解さが言われるが、論理の積みかさねを解きほぐしてゆく類(たぐい)の難解さではない。詩人として出発した吉本が、自分の感覚にこだわりつつ繰りだす造語による議論の展開につきあうことはたいへんなことだ。私もどこまでつきあいきれたか、積読ばかりで読者を名乗るもおこがましい。しかし、その向こうには、かならず信頼に足る吉本の<感覚>があった。吉本に惹かれたのはその<感覚>への憧憬であり共感だったのだと思う。
 
 「初期ノート」に次の言葉がある。
 
≪結局はそこにゆくに決ってゐる。だから僕はそこへゆこうとする必要はないはずだ。ここをいつも掘下げたり切開したりすることの外に、僕に何のすることがあるといふのか。≫ 
 
いま自分がいる場所をひたすら深く掘下げることが吉本が自らに課した仕事だった。吉本を読むことは、読者自身が拠って立つ場所を掘下げることを強いられることだった。そしてある時ふと気づく。吉本が言っていたのはこのことだったか、と。そして吉本の言葉は読む者の中で生命が吹き込まれ肉体を持つ。吉本のすごさはそこにある、そう思えた。 
 
生きておられるうちは、こんなわかったようなことはとうてい書く気持ちにはならなかった。生きているうちは、どこにどう行くか、どう変わるかわからない。その主導権は本人にある。そうして、いま完結した。その結果どのような外からの勝手な解釈も可能になった風だ。ネット上にはいろんな吉本に対する言葉が飛び交っている。
 
25年前、もうこれで吉本は卒業しようという思いもあって「吉本隆明25時―24時間講演と討論」と題するイベントに行ってきた。初めて吉本の生の声を聴いた。しかし、そのイベントの吉本は「私にとっての吉本」からはもうだいぶ距離があった。広大な吉本の思想領野を見晴るかすことなどとうてい自分の及ぶところではない。次第に思い出の人になっていった。しかし、亡くなって後、よくも悪しくもいろんな吉本評価を目にして、あらためて、おれにもおれの吉本がある、と思うようになっていた。その思い入れがこの追悼を名目にした文を書かせている。(つづく)

【追記 H31.4.21】
片付けしていて吉本さんの死亡記事を見つけました。
 吉本死亡記事.jpg
 
 


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めい

じーんとくる吉本さんです。ブログ「ぱられるぱられる」より転載させていただきます。http://lighthouseonthehill.seesaa.net/article/103895138.html
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吉本隆明「芸術言語論 -沈黙から芸術まで-」
 先日7月19日、昭和女子大学人見記念講堂で開催された講演会、吉本隆明「芸術言語論 -沈黙から芸術まで-」に参加してきた。

 詩人・批評家である吉本隆明は、戦後思想界の巨人と目される。70年前後の学生紛争の頃、貪るように読まれた「共同幻想論」の著者として40代以上の人には親しい名前だ。また80年代のサブカルチャーをいち早く評価し、文芸時評に於ける独自の視点を提起した批評家として、または作家よしもとばななの父としてよく知られる。83歳の吉本さんが久しぶりの講演をするとあってチケットは完売し、酷暑の昼下がり、講堂は冷房完備にもかかわらず、入ると人々の熱気と期待を肌にひしひしと感じられるほどだった。吉本さんの全盛期を目にしている年配の方よりは働きざかりの世代、そして20代の学生らしき子や若い女の子、そしてカップルがちらほら目に付くのにはいささか驚いた。

 「芸術言語論」。事前に配られたレジュメにはその構成表が載っていた。
 一、 言語と沈黙
 二、 精神と表現の型
 三、 言語の二分概念
 四、 芸術の価値
 五、 日本語五十音図について

 率直に言ってあまりこの講演自体に興味はなくピンとこなかったのだが、それもそのはずだ。芸術言語論とは吉本さんの造語であり概念であるとのこと。そしてこの興味のなさはきっちりとぶち壊され、構成表はみごと裏切られた。

 2時開演。ブザーが鳴り簡単なVTRの後、司会の糸井さんが舞台に登場した。この講演会をつつがなく進行させ、敵の多い吉本さんを守る為ボディガードまで雇ったと明かした。その熱の入れように背筋が伸びる思いがした。二部構成を考えていて一時間半の講演の後、糸井さんが吉本さんの話について質問する形式のものを入れ、5時までには終わらせるつもりだと言った。そして拍手と共に車椅子の吉本隆明が壇上に現われた。講演台の横でしきりに糸井さんがデジタル時計の位置やライトの明度を気にしている。目の悪い吉本さんは見えないけど構わないと答える。

 後ろ髪を引かれるように壇上から糸井さんが去り、おもむろに吉本隆明は口を開いた。
 「1945年8月15日‥‥」。
 戦争が終わった日から話は始まった。1945年というところを、一千九百四十五年と発音していて、なんだか満を持した始まりに胸は高まった。
 
 あとで冷静にこの講演全体を見返してみると、初めの1時間は聴きやすく構成準備してきたあとが垣間見られ、2時間過ぎて構成表の順番を逸脱したあたりから、繰り返しの頻出するいつもの吉本さんらしくなり、3時間に近づくにつれ我慢比べを通り過ぎてどこまでも付き合おうと吹っ切れ、3時間を超え終演予定の5時に糸井さんのストップで漸く終わった。つまり一時間半の予定を収めきれなくて、3時間ぶっ通しに休みなく話されたわけである。

 終戦の日、吉本さんは玉音放送を聞き理由のない涙を流した。その時、世界を把握する方法を自分は何も知らなかったと反省し、5年にわたり古典経済学を読み、そこに文学的素養を結びつけることができないかと考えた。世界を掴まえることができなければ、生きていけないと思った。そこで樹木になる果実を得るための労働が、その果実の価値に対応するという例を、文学に敷衍できることに思い当たった。それはこういうことである。

 言語の本質とは一本の樹に例えると、幹と根は「沈黙」であり、枝や葉そして実とは「コミュニケーションのための言葉」であると。ぼくの言葉で言えば、と吉本さんは続ける。「沈黙」は〈自己表出〉であり、コミュニケーションに用いられる言葉は〈指示表出〉である。そして言葉の本体とはそのふたつが縦糸と横糸として織り合わさったものであると。そしてより重要なのは「沈黙」の方であり、話された言葉はオマケでしかない。

 つまりここで吉本さんは言葉の本質を、一般に言われているような、コミュニケーションの手段とすることを否定したのである。
 
 壊し屋吉本隆明の面目躍如である。自分などは胸の内で快哉を叫んだ。「話し言葉」より「内省」の方がより重要だというのは判る。しかしそのときこの二つは別モノとして捉えられていないだろうか。それがまさしく一本で繋がっていて、言葉の根源が沈黙であると規定したのは吉本隆明がはじめではないか。話された言葉がオマケでしかないというのはラディカル極まりない。

 ここで吉本さんの話し方に触れなければならない。
 この言語の定義は構成表一の第一項目として挙げられている。しかしここまで辿り着くのに1時間近くは経っている。もうこの時点で講演が超過するのは目に見えていた。
 
 彼の講演はお世辞にも上手いとは言えない。単語は常に引っかかり出が悪く、繰り返しは続き、え~とかあ~とか、なんと言いますか(これは吉本さんの口癖)などがたびたび邪魔をし、聞きやすいとはまるでいえない。話の起伏がまったくなく、細部をはしょることをしない。すべて10の密度で伝えようとする。横道へ逸れたらその道も本道にしてしまえと、クリックしたらどこまでも開かなければ気が済まない、そんな特異な話し方。よっぽど素人が話した方がスムーズに、あるいは笑いの一つや二つを取ることができるかも知れない。
 更に吉本さんは演台でじっとしていられない性分で、目を見上げ腕を空に掲げ、まるで中空にぶら下がる思考を手元へ引き寄せるように、手を動かす。そんなパフォーマンスに初めは83歳の長老を見守る風情がないとも言えなかった。しかし話が佳境に入るうちに、聴衆はひとり残らず惹きつけられていた。それはこういうことではなかったか。
 「なんだこれは?何だか分からないけど、とてつもなくスゴイものに触れている。そしてそのことだけが分かる」

 上手く話すことを一切拒否し、ロジックを完璧に無視し、ただ己の思考のみを恃みにする。例えば冒頭の終戦の日の話で、吉本さんは天皇の言葉を言い間違えた。そして時間がいつだか記憶が曖昧でと言った。むしろ自分はここに感動した。つまり調べればすぐに判るところを、彼は話の入口だけを用意して、あとは流れる思考と真剣に対峙していた。吉本さんは自らの「沈黙」に耳を澄ませていたのだ。そこには嘘がなかった。話される内容の真偽ではない。語られる態度に嘘がなかったのである。「ぼくの言葉で言えば」「ぼくの考えでは」と吉本さんは度々挟んだ。借り物ではない、オブラートを取っ払ったナマの思考の潔さ、カッコよさ、その勇気に自分たちは圧倒されていた。

 正直に言って3時間にわたるいつ終わるとも知れない長丁場に、睡魔になびかれたり実際に舟を漕いでいる人も少なくなかったが、それでもハッと覚めると相も変わらぬ調子で話し続けている吉本さんに感服した。糸井さんは超過を知らせに何度か現われ、一度はお茶の差し入れまであったにもかかわらず、吉本さんは一口含んだだけでまた言葉の奔流に戻って行かれた。お茶が指揮するような手に当たって零れないかハラハラした。

 いくつか自分の心に留まったワードを拾い出すと以下のようになる。
 ・芸術言語論の本質とは、自由、平等、無価値である。
 (このオチに噴き出してしまったが、無価値の価値であると言い直され、自分の早計を恥じた)
 ・世界を掴まえられなければ自分は生きていけないと思った。
 (この響きの切実さに思わず目頭が熱くなった)
 ・書き手の「沈黙」と読み手の「沈黙」がぶつかり合うことの偶然、そこにしか芸術の価値はない。
 (その共鳴はしかし堅固である。なんで判るんだろう、この誰にも口にしないこと、自分でもとらえきれないものに、形を与えられたというような)

 終演予定の5時に近づいたある瞬間こんなことがあった。
 あるところで「例えば‥‥」と言ったきり吉本さんが口を噤み、考え込んでしまったのだ。連綿と歌われていた歌がぷつんと途切れた。見上げると頬に手を当てて瞑目している。咳や物音の絶えなかった会場が水を打ったように静まり返った。固唾を飲んで言葉を待つ。

 約1分ほどの空白ののちに、やおら顔を上げた吉本さんは短歌の一句から何事もなかったように話を続けられた。

 その時、この時はもしかしたら「沈黙」と「沈黙」とが呼応して一体になった瞬間ではなかっただろうか? あとで思い返してそんなことを思ったりもした。そして間もなく糸井さんが現われ、「予定通り、予定通りに進まなかった」と講演は打ち切られた。

 誰もが疲れを背中に滲ませながら帰途に向かったが、それは心地良い疲労感だった。吉本隆明が聴衆の胸に植え付けた思考の原液を、どうアレンジするかは人それぞれである。いつか将来に思い出して、あの時吉本さんが言っていたのはこういうことだったのか、と思えるときが来るかもしれない。
 言葉より以前の思考に触れる、そんな稀有でエキサイティングな体験ができた贅沢なひと時であった。

by めい (2012-03-22 14:19) 

めい

スティーブ・ジョブス スタンフォード大学卒業式辞 日本語字幕版
https://www.youtube.com/watch?v=XQB3H6I8t_4&feature=youtu.be

スティーブ・ジョブスのすごさが伝わるすばらしい式辞です。はからずも吉本の「心の状態だけを大切にしなさい」にリンクしたのでここにメモしておきます。


by めい (2015-11-06 04:48) 

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