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身近な方の戦争体験記二つ―「シベリア抑留記」と「満州からの逃避行」 [シベリア]

大正9年生れ、現在90歳で現役時計屋のHさん。奥さんからの頼まれごとで、家はそう遠くはないが雨模様なので車を運転して来られ、「お茶をどうぞ」と上がってもらって思いがけずシベリアでの体験談を聞くことになった。

国民年金のほかに恩給ももらっているとの話から戦争の話になり、4年間のシベリア抑留生活のことへ。「さぞ大変だったでしょう?」の問いの答えは思いがけないものだった。

満州奉天で終戦、武装解除でソ連に連れてゆかれることになった。それまでの日本兵の中国人たちに対する処遇から判断して、何をされるかわからないと覚悟してのシベリア行きだった。

連れてゆかれたところはウクライナのバスタロードというところ、忘れそうなのでメモしておいたのだが、今この地名を検索しても出てこない。「シベリア抑留日本人収容地区所在地図」によると、収容地区としてはウクライナは最も西。冬も雪は降らず気候は比較的温暖。従事した仕事は主に綿花を摘む仕事。朝は8時半から夕方の4時までの仕事で、きっちり始まりきっちり終わる。全然辛くはない。しかもロシア人女性と一緒。ロシア人女性は親切で気立てがよく、日本人捕虜を何かと気遣ってくれる。少しずつ言葉も通じるようになると、日本に残した家族のことなども話題にしてくれる。ロシアの新聞の情報から、日本への帰還見通しを探ってくれたのも女性たちであったとか。「女はどこの国でもおんなじだ」。いい奥さんと優しい娘さんに恵まれたHさんらしい述懐でした。

記憶はだいぶ遠ざかっている様で、同じことを何度も繰り返す話でしたが、いい思い出を話すように語られた抑留生活はほんとうに意外でした。ロシア人の日本人に対する処遇に比べ、日本人が中国人に対しての仕打ちがいかに酷かったかを何度も言われました。

大坂正十四1.gif大坂正十四2.gif

実はこの8月に凄絶な満州からの逃亡記を「週刊置賜」で読んだところでした。名前の通り大正14年生まれの86歳、3年前まで南陽市議だった大坂正十四さんの講演録です。断片的には大坂さんから直接聞いたことがあったのですが、まとまって読んだのは初めて。埋もれさせてはならないと、急遽下記の文章を書いて翌週「週刊置賜」9月3日号に掲載していただきました。

(転載はじめ)

●つらいけれども読んでほしい。そして大坂さん、語れるだけ語ってほしい。

 大坂正十四さんの講演録「最後に残ったのは一人―戦争は、絶対してはならない―」を読んだ。8月20日号と27日号、2回にわたって全部で4ページぎっしり、すごい内容だった。まだの方はぜひお読みいただきたい。

 終戦の半年前召集され極寒の地満州の国境警備の任に就く。ソ連が不戦条約を破って8月9日午前5時30分、突然の宣戦布告。満州の兵器は本土侵攻に備えて全て日本に送られ戦おうにも戦えず逃げるしかない。そして始まる想像を絶する逃亡の日々。最初逃げ込んだのが寒くて人も住めない大興安嶺、そのとき残っていたのが3~400人。その後、読むのも辛い体験を重ねつつ、98人になり、36人になり、そして朝鮮から召集されていた兵隊と二人だけとなる。その朝鮮人は、救いを求めて頼み込んだはずの満人によって目の前で殺される。そのときそこから逃れるまでがまた凄絶としか言い様がない。
 そこからは一人だけの逃避行。しかし、大坂さんの人徳なのであろうか、一人になってからは光が差し始める。身なりを整えてもらい食べ物を渡してくれた奥さんとの出会い、自分の子供だといって守ってくれた恩人シュータニヤさんとの出会い。そして最後は「どうしても日本に帰りたい」その一心で駆け込んだ公主嶺の市役所での同郷人との出会い。

 8月26日のNHKの朝ドラ「おひさま」。昭和25年のこと、主人公陽子の初恋の人、満州帰りの川原が、すっかり平和に慣れきって宝くじを話題に盛り上がる陽子達に向けて叫んだセリフ、「どうなっているんだ!この国は。すっかりなかったことになっているのか!戦争が。」
敗戦を敗戦として認識することをいいかげんにしたままで、戦勝国が差し出してくれた傘の下に入ってのうのうと日々を送って60有余年、その傘から外されて雨ざらしになっているのに、まだ傘の中にいるつもりで、しかも情けないことに自分がずぶぬれになっていることも認識できないままでいるのが、いまの日本のような気がしてならない。そう思い始めたときに出会ったのが大坂さんの壮絶な講演録だった。「週刊置賜」は、大坂さんからまだまだ話を引き出す使命があるのかもしれない。大坂さん、どうか語れる限りのことを語ってください。

(転載おわり)

大坂正十四3.gif大坂正十四4.gif

この時の続きということで、11月に同じ会場で第2回が開催されたとのこと、この講演碌も週刊置賜に掲載なるはずです。両方合わせてネットにもアップなるように頼んでみます。とりあえず新聞画像を貼り付けておきます。これでも大丈夫読めそうです。ぜひお読みいただけたらと思います。実行委員会をつくって「大坂さんから話を聞く会」をやろうという話も出ています。


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めい

シベリア体験を語って下さった羽田邦助さんが平成27年1月10日に亡くなられ、一昨日葬儀に参列してきました。94歳、大往生です。つい数年前までお元気なうちは散歩を欠かされませんでした。よく町中でお会いしたものです。愛妻家でした。
by めい (2015-01-13 06:12) 

めい

バイクでのユーラシア大陸横断のブログを読みはじめました。
羽田さんのお話、あらためて納得です。
http://ameblo.jp/r80gs/entry-12038467478.html
by めい (2015-09-05 05:13) 

めい

良好な民間レベルの友好関係とは別次元の問題として、日露間領土問題の根底には《ロシアには、もしロシアが日本に領土を引き渡すとなれば、そこにアメリカが軍事基地などを設置しようとするのではないかという危惧》があるという。日本の独立なくして領土問題の解決はあり得ないということ。

   *   *   *   *   *

千島連盟の代表者らスプートニクを訪問「ロシア人と一緒に暮らした記憶、とても大事」 © Sputnik/ Sergey Krivosheev
2016年03月24日 21:45(アップデート 2016年03月24日 22:07)
徳山 あすか
http://jp.sputniknews.com/opinion/20160324/1837934.html

24日、公益社団法人・千島歯舞諸島居住者連盟の脇紀美夫(わき・きみお)理事長と児玉泰子(こだま・たいこ)理事がモスクワのスプートニクオフィスを訪問。スプートニク日本語編集部のアンドレイ・イワノフ編集長と懇談した。

前羅臼町長の脇氏は1941年国後島生まれ。戦後3年間、4歳から7歳までロシア人とともに暮らした。ロシア人の子どもと仲良く遊んだ記憶は今も鮮明だ。島がソ連に占領された後、日本本土への強制送還が段階的に行われた。脇氏は最後の引揚者にあたる。現在は国後島から約25キロの場所に住み、茶の間から国後島を眺めては望郷の念にかられているという。

脇氏「北方領土の返還交渉は国と国との政治的な話で、私たちに交渉権はありませんが、元島民の立場として、故郷に帰りたい思いを伝えたくてモスクワへ来ました。戦後70年以上が経ち、存命の元島民は既に7000人を切り、平均年齢80歳を超えています。一日も早くこの問題が解決してほしいと願っています。元島民の願いは自分たちの島に帰りたいというただ一点です。私たちの組織は四島返還を目標にして訴え続けています。しかし交渉の末、政治決着で結果が出るならば、その結果を理解する覚悟でいます。」
東京在住の児玉氏は、歯舞群島・志発島(ゼリョーヌイ島)の出身だ。児玉氏にもやはりロシア人と一緒に暮らした経験がある。あるソ連兵は、幼い日の児玉氏のことをとても可愛がり、児玉氏の一家が送還されるとき、浜辺に立って見送ってくれた。児玉氏は、元島民7000人が少しでも減らないうちに、領土問題を解決し、ロシア人と一緒に暮らしたいという。

児玉氏「故郷に帰れず、本当に悔しい思いをしながら亡くなっていった仲間が多くいます。みな、ロシアが憎いとか、ソビエトが憎いなどとは思っていません。ロシア人と一緒に暮らしたときの記憶はとても大事です。私たちは年をとり過ぎました。私たちにあるのは、故郷へ帰りたいという気持ち、もどかしさだけなのです。」

ビザなし訪問を通して、日本人の元島民と、ロシア人の現島民の交流は深化しており、島民同士の信頼関係は長い時間をかけて醸成されてきた。児玉氏は、ビザなし訪問に尽力したロシア人が亡くなったという知らせを受けても葬式に行けず、結婚式に招待されてもお祝いに行けない不自由な状態を口惜しく思う一方で、「領土問題が解決していない状態でこのような交流をしているのは他国間ではあり得ないことでしょう。これは日露の智恵、勇気、信頼関係の表われだと思います」と評価する。

スプートニク日本のイワノフ編集長は、「両国民の信頼関係醸成のために尽力してきた千島連盟の皆さんの仕事は非常に大事なものです。ロシアの政治家も領土問題を解決したいという気持ちはありますが、難しいのは、領土問題は二国間だけの問題ではないということです。ロシアには、もしロシアが日本に領土を引き渡すとなれば、そこにアメリカが軍事基地などを設置しようとするのではないかという危惧があります。これは問題解決の大きな障害です」と述べた。脇氏も、二国間だけの問題ではないということに賛同を示した。

今年は日露間の要人往来が活発に続く。脇氏は「今までは節目節目で、領土問題が解決するのではないかという期待が、期待だけに終わってしまったという繰り返しでした。今年は安倍総理の5月のロシア訪問、年内のプーチン大統領訪日があるだろうと聞いていますから、やはり問題解決の期待をしたいと思います」と話した。

by めい (2016-03-25 05:23) 

めい

大坂正十四さん、令和2年6月25日逝去。今日葬儀。家族葬とのことでご焼香のみしてきました。2年ぐらい前に公立置賜総合病院のロビーでお会いしたのが最後でした。大正14年生まれなので正十四。「享年96歳の天寿をまっとう」と挨拶状にありました。
by めい (2020-06-28 16:45) 

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