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岩戸開き [メモがわり]

毎年1回、伊達政宗公を祀る仙台青葉神社の片倉重信宮司からお話をお聞きする機会がある。以下は一昨日お聞きしてきた話。

「3.11の地震で不思議なことがあった。本殿の扉は全部で3つある。正面の扉は外に錠がついているが、両脇の扉は内側から錠前を下ろすようになっている。外から両脇の扉を開けることはできない。その扉が、3.11の地震で錠前が下りたまま内側から開いてしまったのだ。この日はさらに、境内の灯篭一対が倒れ、8メートルの大鳥居が倒れた。灯篭が南側に倒れたのに、鳥居はどういうわけか北に、つまり神社の内側に倒れた。これらのことをどう解するか。実は政宗公から『結界を外したよ』との御神示があった。結界が解かれたことで、神様が本殿の外に出てこられたようだ。天照大神が岩戸からお出ましになられた時も、まず内側から開かれた。つまり「岩戸開き」が行われたのだ。一方、鳥居の倒壊は人間の側の結界が解かれたことを意味する。民の力が鳥居を倒すほどの勢いで神社へとなだれ込んだのかもしれない。神は人に近づき、人は神に近づいた。そして、神と人とが胸襟を開き合う。いよいよ岩戸が開かれたのです。」

 志津川 荒沢神社.jpg4月29日に南三陸町の志津川と石巻に行ってきた。南三陸で救援にあたっている知人に「われわれに何かできることがあれば」と言ったら、「とにかく現地を見て欲しい」ということで友人と私の家内と息子の4人で行ってきたのだ。志津川は川沿いにずっと奥まで津波に襲われ、「まさかここまでは」と思っていた人たちの多くが犠牲になったかもしれないと思わされた。道路の両側は瓦礫の山のまま。高台に行けば全く何事も無かったようなのに、津波に襲われたところでは、道を挟んでの天国と地獄、ほんの紙一重が生死を分けたこともあったのだろう。石巻の知人のところも訪ねてきたが、そこの嫁さんの実家が女川町、お母さんはまだ見つからないまま、同居の弟さんは無事とのことで、「母はもう年だったから・・・」と自分を納得させるように眼をうるませて語るのを聞いてきた。

「大倭日高見(オホヤマトヒタカミ)の国を、安国(ヤスクニ)と定奉(サダメマツリ)て」(大祓詞)の、その日高見国の言葉にもならぬ惨状、神様もなぜこうなったのかわからずに唖然としておられるように思えたことだった。すると同時に、神様が急に身近に感じられた。もまいする(パニックになる)神様はそのまま人の姿のように思えたのだった。そして聞いた片倉宮司の「岩戸開き」。混乱の中で神と人とが手を携えてことにあたってゆく、きっとそういうことなのだ。新たな神代の始まりなのかもしれない。


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