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日本の独立 [日本の独立]

「副島学問道場のファン」さんからのメールを副島重掲板に下記のように取り次いだ。

   *   *   *   *   *

[307]広瀬隆氏の主張  投稿者:高岡亮一  投稿日:2011-03-21 16:04:39 

副島学問道場のファンさんからのメールを取り次ぎます。

(転載はじめ)

高岡 様

お返事をありがとうございます。

そして、私のメールを掲示板に載せてくださってありがとうございます。

反原発で評論家の広瀬隆氏も、槌田先生とほぼ同様のことを述べていて、

今の政府と東電のやり方では、原発を収束できない、最悪の事態に突入するだろうと危惧されています。

広瀬隆氏の見解では

・海水を注入すると、塩がたまって、水が循環しなくなり危険

・放水ではどうにもならない

・電源の復旧は、非常に複雑で難しいので恐らく無理。なぜなら

原発を製造したのは、東芝と日立で、東電は運転してるだけなので、東電は無知。

・早く日本中のコンクリートを集めて、原発を固める準備をしておかないと、

大変なことになる。(チェルノブイリでは最終的にコンクリートで固めて収束させた)

それ以外にない

・政府も東電も非常に無知。彼らでは対処は無理。本物の専門家の知恵を結集して

取り組まなければならない。

・このままだと、チェルノブイリの何倍もの被害が出る

広瀬氏の動画です。どうかご覧ください。電源の復旧が相当難しいことが想像できます。http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/0db89279cf33792c14e4b566aac187d8

とにかく政府は、鉛、コンクリート、液体窒素等大量に集めて、固める準備をしないと、

日本は大変なことになるのではないかと、心配です。

政府に提言できないでしょうか。。。

以上、よろしくお願いいたします。

副島学問道場のファンより

(転載おわり)

下記の広瀬氏のインタビュー動画もぜひ広めたいです。上記紹介のものより後の録画です。原発の恐ろしさについての国民的共通理解が必要です。この期に及んでまだ原発を守ろうとする動きを孤立させねばなりません。

必見!●予言されていた“原発震災”広瀬隆氏インタビュー

http://www.videonews.com/interviews/001999/001771.php

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 西尾幹二先生はこんな時何を思っておられるのかとふと気になってインターネット日録を覗いてみた。3月14日付でこうあった。

 

(引用はじめ)

管理された「停電」は私に戦時中の「ローソク送電」を連想させました。暗い夜に「懐中電灯」を用意せよ、のテレビの指示ににもなぜか私には昔の暗い夜への懐かしさを抱かせました。そういえば陸前高田という町の、壊滅した広々とひろがる大地に駅舎がポツンと残る光景は、あの懐かしい空襲後の焼跡にそっくりです。一晩中燃えつづけた気仙沼市の夜景は夜間空襲の惨劇を思い出させました。

このような国民的記憶を喚起する事件はたしかに65年の戦後社会にはこれまでになく、阪神大震災のときとはだいぶ異なります。日本人が「国難」を本気で意識し、「復興」を叫ぶことばがメールやネットで飛び交っているのは悪いことではなく、原子力発電の重要性(なかったら大変なことになる)が広く分るのも無意味ではありません。

(引用おわり)

<原子力発電の重要性(なかったら大変なことになる)が広く分るのも無意味ではありません。>西尾先生も「この期に及んでまだ原発を守ろうとする動き」の中に組み込まれていることを知った。

平成13年の9.11テロの当時、「新しい歴史教科書をつくる会山形県支部」HPの中の正気煥発掲示板を運営していた。9.11の後、掲示板への常連さんの多くがほとんどアメリカ追随(自衛隊派遣容認)の意見だったのは私には意外なことだった。私が事務局長として務めてきた毎週一回の支部の会合での空気もやはりアメリカ追随だった。自分は一体どんな流れの中でこれまで動き回ってきたのか、疑問に思え始めた。

それからしばらく後の東京でのつくる会の総会で、支部報告ということで発言の機会が与えられた。「もう時間」というメモを無視してこう発言した。

(転載はじめ)

このたびの悲しむべきテロを機に、何とか戦争に持ち込みたくてしょうがないアメリカの言いなりになって、基本的に一神教対立の宗教戦争に巻き込まれようとしている今の日本が情けなくてしょうがない。

長谷川三千子埼玉大教授は、「諸君!」の平成11年11月号「皇国史観とは何か」の中で、
≪日本はその本来の「八紘一宇」の理念にもとづく平和な国際社会を築こうと志しているのに、現実に西洋諸国が作り上げている「国際社会」は、力と力のぶつかり合いを基本原理とする野蛮な世界である。その野蛮な世界秩序に挑戦し、徳治を基本とする「世界新秩序」をうちたてよう!これが大東亜戦争における日本の戦争理念だったわけです。≫と述べられています。

「自由と民主主義」とは、われわれの先輩が大東亜戦争で戦った敵のスローガンではなかったか。本来日本は彼等の対立とは一線を画し、馬鹿げた争いの道を避ける道こそ模索すべき役割を担うべきはず。
しかるに、敗戦の結果の占領政策のまま、パール判事の言葉を借りれば、「罪悪感を背負って卑屈・頽廃に流されて」五十六年、骨抜きにされた我が国は、「ここでアメリカと行動をともにしなければ、われわれが攻められた時助けてはもらえない」との情けない奴隷根性を以って、追随しつつある。
国際社会における本来日本の役割を取り戻すためにも、占領の呪縛から自らを解き放ち、日本のあるべき姿についての共通認識(国体観)、国民としてのアイデンティティーを国民一人一人が取り戻すことは急務です。そのためにわれわれ「新しい歴史教科書をつくる会」の運動の意義をあらためて深く認識し、今後もさらに重大な決意を持って運動に邁進したいと思っております。

(転載おわり)

騒々しくなり、野次が飛んできた。その後のパーティで田中英道会長から「あの発言はまちがっている」との指摘を受けた。よくわからなかった。今思えば、つくる会は始めから限界を抱えての運動だったのだった。それを本気で「国民運動」にしなければと躍起になったのがまちがいだった。西尾先生のこのたびの発言に触れてあの頃のことを思い起こした。

昨日副島重掲板に、副島先生の「原発から8キロ地点まで決死行報告」を読んで、こう書いた。

(転載はじめ)

[296]ありがとうございました!  投稿者:高岡亮一  投稿日:2011-03-20 08:43:21     
 
今朝起きてすぐ東京消防庁レスキュー隊の会見の様子を見た。これまで出てきた人たちとまるで面構えが違っていた。胸が熱くなった。そして副島重掲板の副島先生の報告を読んだ。「助かった」ことを知った。

17日の時点でわかっていたのだとのこと。円安への転換、仙谷の副官房長官起用はリンクしていたのだ。このままでは日本は「属国からの脱出―独立」の大切なチャンスを逃す。立ち上がるべき秋(とき)だ。何をすればいいのか。

大東亜戦争の死者、兵員230万名、民間人80万名 合わせて310万名、この犠牲の上に日本の戦後はあった。夢のように65年有余を過ごしてきた。今さら何事もなく3.11以前の暮らしに戻れるとは思わないほうがいい。3.11地震と大津波、そしてその後の原発の恐怖は、日本独立運動開始のきっかけを与えてくれる天の配剤と考えたい。このたびの震災の数万に及ぶ犠牲者の無念の思いを「日本の独立」によって晴らす。副島先生にはその流れをつくる役割が与えられていると確信した。お願いします。

高岡亮一拝

(転載おわり)

つくる会の運動で躍起になって走り回った時のことを思い起こしていた。結局何にもならない運動だったと今は思う。あの数年間はなんだったのだろうか、という思いをずっと引きずってきた。

つくる会の運動も「日本の独立」をめざす運動のはずだった。しかし「国民総意」からは程遠く、またそれを目指してもいなかった。結局は自分の勢力を広げようという、川喜田二郎氏の言う「ヘゲモニズム」の制約に縛られていた。

ここで「天の配剤」と言うのは、石原都知事の「天罰」発言同様不謹慎にも思えた。しかし、そう言うことで、わけもわからぬままに命を失っていった数万の御霊に報いることができるようにも思えた。さらには、310万の御霊への責務でもある。「日本の独立」とはそれほど重い。65年経ってようやく、日本人はその重い課題と向き合わざるをえない現実に直面させられているのではないだろうか。


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めい

西尾先生もこの1週間の間に、原発についての認識を変えられたようです。

(転載はじめ)

2011/3/21 月曜日東北沖地震(三)
21:23:10

 地震・津波の心配はいつの間にか原発事故への心配ごとに変わってしまいました。余震はまだつづいていて、東京でも日に一回か二回かは軽く揺れていることに気づくていどの余震を体感していますが、そのことへの不安よりも、原発事故がうまく収まるのかどうか、それがもっぱら気懸りです。19-21日の連休は街に賑わいがありません。みんなひっそり家でテレビの事故解説に暗い顔で向き合っているのかもしれません。
 技術による問題は当該技術のより一層の進歩によってしか解決し得ないというのが原則です。技術は走り出すと引き戻すことができないからです。同じ路線の上をいっそう早く走って、立ち塞がって押さえるしか制御のすべがないからです。原子力も恐らく例外ではないでしょう。
 たゞ原子力の利用は「選択」のテーマが先行しています。「選択」しないという道があります。フランス以外に積極的な国はありません。アメリカもドイツも消極的です。事故がこわいからです。恐らく日本も今後、撤退の方向へ少しづつ進み、原子力消極国家へ変わっていくでしょう。経済的にいかに有利でも、原子力エネルギーへ世論をもう一度よび戻すことは今後難しいと思います。
 そうなると原子力発電を外国に売るという産業政策も恐らく立ち行かなくなるでしょう。それよりもなによりも電力の約三分の一を原子力に依存している今の国内の体制をすぐに中止することはできず、維持しながら、少しづつ減少させていくのは至難の技です。また国内各地に存在する54の原子炉の安全確保、ことに今度問題になった電源装置を万一に備え複数用意することなどの事故再発防止策が急いで求められねばなりません。
 私は原子力発電については今度新たに知ることが少くありませんでした。簡単に解体することも廃炉にすることもできない厄介な装置だということは知っていましたが、使用済核燃料は水につけて冷却し、再処理するまでに10-50年も置いておくのだということは今度はじめて知りました。
 重くて長い使用済みの、放射線出しっ放しのあれらの数千本の棒を最後にコンクリートで永久封印して抑え込むのに、何年にもわたって、「水」だけが頼りだというのはあまりにもプリミティブすぎて、可笑しいくらいです。焚火の跡に危いから水をかけておくのと同じで、人類の考えつくことは恐しく単純ですね。
 自衛隊が水をヘリコプターで空から撒いて、青空に白い水しぶきが衆目にさらされました。あれじゃあダメだとみんな思いました。東京消防庁がホースで放水し、うまく行ったようですが、水が壁に当って飛び散ったり、うまく入らないケースもあったようで、放射能漏れが心配されています。関係者のご苦労には頭が下がりますが、暴れ出した巨獣を小人(コビト)が取り巻いて取り抑えようと四苦八苦している様子にもみえ、どんなに進歩した技術社会でも、思いつくことは子供のアイデアと同じです。
 今度の事故ではっきり分ったことは、事故の正体は原子力の制御と活用の技術そのものの故障ではなく、電源装置やポンプや付帯設備(計器類など)の津波による使用不能という事態だということです。これを防止する保護措置を幾つも用意しておかなかったのは大失敗だといわざるを得ないでしょう。核燃料そのものは幾つもの防壁で守られていて、そのうち鋼鉄の圧力容器と格納容器は今でも安全です。熱を出しっ放しの使用済核燃料が悪さをしつづけているのです。それを抑える水、水を送るポンプ、ポンプを動かす電源、これらが使用不能になったことが事故のすべてでした。
 私の記憶に間違いがなければ、ポンプはたしか海側にありましたね。外部電源の取り込み設備が使えなくなったことが最大の問題のようです。Aの電源がこわれたらBの電源・・・・・C、Dと用意しておくほど重大な予防措置が必要なはずでした。福島では非常用ジーゼル発電機が用意されていて、今回はそれが動いたのでした。しかしこれを冷却する必要がやはりあり、海側のポンプが流されて冷却できなかった、ここに致命的ミスが起こったのでした。設計ミスといわれても仕方がないでしょう。
 津波のたえない地域です。今回は1000年に一度という規模の地震で、「想定外」だったことは分りますが、50年に一度、あるいは100年に一度の規模の地震がくりかえされる地域です。最悪の中の最悪を考える思想は果して存在したでしょうか。
 原子力発電はどの地方でも怖がられ、地元の人は逃げ腰です。やっと設置を許してくれた地域に企業側は過剰期待し、あれもこれもと押しつけ、バランスを欠くほど無理が重なっていなかったでしょうか。福島第一原発は昭和42年スタートで、老朽化していなかったのでしょうか。
 原子力発電は東電という企業の中でも荷厄介扱いされ、一種の「鬼っ子」であったということを聞いたことがあります。福島の事故が切っかけになって、日本の電力エネルギーの方向が少しづつ原子力から離れていく趨勢は避けられないと思います。そうなったときの安全確保は今まで以上に難しいといえるでしょう。なぜなら、企業は安全のための予算を渋り、人員配置を手薄にすると考えられるからです。各地方はさらに逃げ腰になるでしょう。国全体が「鬼っ子」に冷たくなれば、残された原発を安全に維持し、運転する情熱もしだいに衰えていくからです。しかし危険なものを抱えていく情勢は変わりません。
 私はこのような未来にいちばん不安を抱いています。福島原発を抑止し、今の危険を解決するのは可能だと思っています。しかしこれから手に負えぬ50個の「火の玉」をいやいやながらどうやって抱き擁えていくのか、これが問題で、電力会社のテーマではなく、一国の政治のテーマです。
 今の政治にその力のないことは歴然としています。現政権は東電という一企業に責任を丸投げして、無力をさらけ出しています。半年前に那覇地検に責任を押しつけたのと同じ手口です。
 現政権に期待しないとしても、原子力から他の新しい何らかのエネルギーの開発に成功するまでの長い道のりを、危険な「火の玉」をあやしながらこれを利用し、しかも上手に「火」を消していく安全な道程としなければならないのですからこれは大変です。私どもはいずれにせよそんなことのできる新しい政治力の成立に夢を託さざるを得ません。

(転載おわり)

by めい (2011-03-22 06:16) 

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