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昨日、2件発送しました [小沢一郎]

結局注文は2件だけでした。これだけではこちらも不完全燃焼ですので、お二人にはこちらで勝手に作った3枚を加えて4枚ずつ送りました。Hさん、Yさん、ご面倒かもしれませんが、どなたにでもお渡ししてデモの盛り上げにお役立て下さい。

こんなことやって、単に「営業」と取られるのは嫌だなあという思いがあったのですが、案の定、天橋立の愚痴人間さんからご指摘がありました。おかげでいろいろ考えることが出来ました。そのスレッドはもう消えてしまっているので、手元に残してあった分をアップしておくことにします。

   *   *   *   *   *

(10/30、前日の天橋立の愚痴人間さんの指摘に答えて) 

>営業が主体であれば、ここにはふさわしくないのではないでしょうか。

 

こうとられることを恐れていました。

 

無料にしようかどうか迷いつづけたのですが、殺到の心配、家族の手前、そして長く関わっていきたいとの思いから「1,500円のお願い」としたところでした。材料費、仕立代、送料、振込手数料等で手間代は見ていません。この時勢ですので、今回限りならともかく、これからの長い関わりのことを考えると無料はきついが結論だったのです。

 

これまでいろいろな形で、自分の生活とは距離を置いた世の中のことと関わってきました。それもこれも何とか世の中の良い方向を目指せばのことでした。それが菅内閣成立以来、まったく重い気持ちにさせられていました。菅さんも仙谷さんも私と同じ世代なのであの感覚は私も決して無縁ではありません。同じ時代の空気を吸ってきたものの共通感覚です。あの感覚への自己嫌悪、そこからの脱却がこの40年間の自分の課題だったような気もしています。あの感覚の行き着く先が見えるのです。政治的アパシー化、そして力のあるもの、声の大きいものの意のままになる世の中です。志(こころざし)の居所のなくなった成り行きまかせの世の中です。菅さんの腑抜けた顔が象徴しています。

 

正直のところ10.24デモにあまり期待はしていませんでした。それが1,000人と聞いてにわかに光が差し込んだ思いでした。私の場合病気もあって、先を見る気がしなくなりかけているところでの光でした。40年間くすぶりつづけたわれわれ団塊世代の焼けぼっくいに火がつきかけているのかもしれない、そんな気がしだしました。あの時代以来40年間の思いの軌跡をたどりつつ、そこをほじくって何か残すべきことがまだあるかもしれないと思いだしました。そして自分も何らかの形でこの流れに関わってゆきたい、先般河村名古屋市長署名協力の学問道場へののぼりカンパのこともあっての提案でした。

 

やはり無料にすればよかったかと思いつつ書き始めました。しかしやはり、できるだけのことしかできない自分の力量でこれから大きく育って欲しいこの流れに無理なく関わっていきたいとの思いから「1,500円のお願い」のままにさせていただくことにします。ご理解いただければと存じます。

  (天橋立の愚痴人間さんより返信)   

私の思いが間違っているのかもしれません。

ですが、そのようにとる方もいると思います。

 

価格について普通に思うと、既製品ではなく、要望に応じて手つくりとなると、言われている単価では出来るものではないことは解ります。

 

しかしながら中国製品のような極端に安いものが出回っている今日、それでも商売になるという先入観を持っておられる方も相当いるはずです(何せカッターシャツが800円の時代です)。

 

最初の一報では、純粋にデモに協力されるものと理解していましたが、その後続いて商品のことを取り上げられています。

これでは誤解されることも考えねばなりません。

 

2件でも注文した方がおられるということですが、単に安いと思われての注文では寂しいではありませんか。

貴方がデモの成功のために、何かをやりたい気持ちが伝わりません。

 

ですから表現の仕方の工夫がいるのではないでしょうか。

また、貴方のようなのぼりや横幕に限らず、デモを側面支援しようとする方の申し入れがあると思います。

そこで、新しいスレッドを作ることにしましたので、そちらへ移行されれば良いのではと思います。

 

「デモ支援の用意があります、のぼり、横幕、他」

天橋立の愚痴人間さんへの返信)

天橋立の愚痴人間さま

 

身に沁みるご指摘ありがとうございます。

 

常々仕事をしながら、仕事には二つの面があることを思います。その仕事が発注主に役立つ、喜んでもらえるという面と、その対価としてお金をいただく、そのことで自分や家族の生活を支える、つまり自分達が喜ぶ。「喜び」といえば、発注主の喜びはそのまま仕事をする者の喜びです。染物屋の場合、自分の作ったものが役立っている現場をみることはしばしばですので、そのたびにうれしくなることができます。

 

今回の提案は、単純に、自分の仕事がデモに役立つのではないか、喜んでもらえるのではないか、ということから出発しました。ただ、そこから実際の行動までにはいくつかの飛躍がありました。副島さんが「今日のぼやき」で「学問道場で署名活動するのだが、目印になるのぼりを作るのが間に合わなかった」と書かれているのを見て、役立つ事が出来たごく最近の先例が飛躍を容易にしてくれました。30年来の私のペンネーム(はぐらめい)があり、そこから「めい」をHNにしてこれまでネットでは発言してきたのですが、それなりの覚悟を持って本名を名乗ったのもその先例があったからでした。そのプロセスで、天橋立の愚痴人間さんが感じ取られたような、仕事のもうひとつの面が顔を出し始めたのも確かなことでした。かりに今回は無料でもいい、ただそれがきっかけで注文がくれば・・・といった期待感です。

 

そういう自分であったことを振り返りながら思ったことがあります。ネットの世界はいわば「我思う、ゆえに我あり」のレベルの「我れ」の世界です。そこからデモへの参加までには「身体をもった自分」を人前にさらす、という大きな飛躍(決心)が必要です。でもそのおかげで、それぞれの具体的な暮らしを担った人と人とのつながりが生れます。あるいは仕事もなく家に閉じこもっていた人がデモに出ることで新たな世界が開けてくることもあるかもしれません。そうなったとしたら、それはそれですごい事だと思えます。いちばん深いところの「我れ」のレベルで共感し合える、新たな人と人とのつながりが生れてくる。今の動きは、そんな可能性も秘めながら進んでいる、10/24のデモはそういう期待も抱かせてくれる感じのデモでした。ひとりひとりの思いの結集が、ひとりひとりの暮らしの良い変化へとつながってゆく、まさに「国民生活第一」を目指す動きになってほしいと思います。期待しています。

 

新しいスレッドを用意していただけるとのこと。ありがとうございます。

 

天橋立の愚痴人間さんから用意していただいた新しいスレッドには次のように書きました)

菅内閣成立以来の重苦しい空気に10/24のデモの成功が風穴を開けてくれたような気がしています。

 115日の第2回デモに向けて、のぼりか横幕を作らせてください。ひとりで持つならのぼりです。ただし、ポールが必要となりますが、ポールは恐縮ですがホームセンターでお求め下さい。当地では1395円(税込)です。横幕の場合、二人以上で持てばポールは要りません。 

申しわけありませんが共に仕事をする家族の手前や、これからの長い関わりを考えて1,500円だけ御負担いただければありがたいです。最低の材料費と送料等です。(通常は1本目6,500円、3本で1万円にしています)。製品をお送りする際、郵便局の振込用紙(手数料当方負担)を同封させていただきます。

 大きさは60180cmです。ご希望の言葉と色、それに送り先を書いてメールください。イラストや写真も入れることが出来ます。1色でもフルカラーでもOKです。字体等もできるだけ御希望に沿うようにしますが、時間がないのである程度こちらに任せていただきます。イラストレーターデータをお送りいただいても結構です。ただし、おひとり11本に限らせてください。同じデザインでの団体行動よりも、いろんな思いの結集こそがこのたびの行動の趣旨に適うように思います。

 

11/5に間に合うように3日までには発送するようにします。31日にはお申込を締め切らせていただきます。そうなればうれしいのですが、当方の制作能力を超えるような場合はお断りする場合もあるかもしれません。お待ちしています。ここではメールアドレスを入れるとエラーになりますので、ご面倒ですが私のブログ経由でお願いします。http://oshosina.blog.so-net.ne.jp/2010-10-27の文章の最後尾にアドレスがあります。

 

ネットの世界はいわば「我思う、ゆえに我あり」のレベルでの「我れ」の世界です。そこからデモへの参加までには「身体をもった自分」を人前にさらす、という大きな飛躍(決心)が必要です。そのおかげで、それぞれの具体的な暮らしを担った人と人とのつながりが生れます。あるいは仕事もなく家に閉じこもっていた人がデモに出ることで新たな世界が開けてくることもあるかもしれません。そうなったとしたら、それはそれですごい事だと思えます。いちばん深いところの、これまで誰にも見せたことがなかったような「我れ」のレベルでの共感から発して、新たな人と人とのつながりが生れてくる。ネットから生れた今の動きは、そんな可能性も秘めながら進んでいる、10/24のデモはそういう期待も抱かせてくれる感じのデモでした。ひとりひとりの思いの結集が、ひとりひとりの暮らしの良い変化へとつながってゆく、まさに「国民生活第一」を目指す動きに育っていってほしいと思います。期待しています。

http://www.kyudan.com/cgi-bin/koe/koe.cgi

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以上です。

以前「インターネットが生み出す新しい世界」と題して書いた文章を思い出していました。十年近く前に書いたものですが、今もその思いは消えません。

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◎インターネットが生み出す新しい世界 


インターネットでのメールのやり取りやチャットや掲示板を使った議論や情報交換、そうしたことを通して、これまでには考えられなかった人間関係が生まれています。言葉だけで自分を表現し、言葉だけから相手を判断してできあがる人間関係です。そこでは性や年齢や職業、立場に関係なくだれとでも対等に、しかも思うままの自分でふるまうことができます。それぞれが自由で平等な人間関係が可能なのです。

 

現実の世界の人間関係はそういうわけにはいきません。身体をもった人間として、その人の行動はいつも他人の前にさらされています。性や年齢といった生まれながらの条件や、職業や立場といった社会的条件の中で「自分」ができあがっています。心の中で「こういう人間だ」と思う自分の外に、、他人からいつも見られている身体をもった自分があるのです。自分が自分をどう思おうと、どうしようもなく他人から評価されながら生きている自分、いつもふたつに分裂しています。パソコンの前の自分と他人の目に触れている身体をもった自分、言葉だけの世界で行動している自分と他人と一緒に暮らす中で身体を使って表現している自分、このふたつの自分の間の大きな隔たりを自覚しだすことが、子どもから大人へと成長してゆく上での大切な通過点です。このふたつの自分に折り合いをつけることが大人になってゆくことと言えるかもしれません。

「言葉だけの世界の自分」は、かつては読書の体験などを通してつくりあげられたものでした。それは自分の心の様子を人前に見せないひとりだけの孤独な世界でした。ところがインターネットの出現によって、言葉だけの人間関係が自由自在に展開できることになったのです。いわば、むき出しの心、素っ裸の心を出し合った人間関係です。このことは、自分の心のもち方までもが生きてゆく上で大切な関心事にならざるを得ないという意味で、人間にとって大きな進化です。

インターネットで育つお互い同士のつきあい方は、現実の世界での人間関係にも広がって、これまでは求めても得られなかったような「深いつきあい」「心を割った人間関係」がいたるところで展開されるような世の中になりつつあるかもしれません。これからの人間の生き方は、それぞれの心のありようが、これまでには考えられないほど大きな関心を占めるようになるはずです。

「物から心へ」とはここ十数年来いろんなところで言われてきたことですが、インターネットの普及がまさにそのことを現実のものにしようとしているのです。
  http://www.geocities.co.jp/NeverLand/8947/zido.htm

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まだ書くことがあるのですが、あとでまた。


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