鬼塚英昭著『原爆の秘密』を読んで [日本の独立]
『原爆の秘密』、[国内編]につづいて[国外編]も先日読み終えて、すぐにも書いておかねばならないと思いつつ日数を重ねてしまった。
鬼塚氏の視点はいわば「コロンブスの卵」、言われてみればあたり前のことなのにどうしてこの視点から論じられることがなかったのか、そういう思いで読んでいた。
≪原爆製造もその投下も、言葉は悪いが、八百長である。八百長では勝者と敗者とがはっきりと区別できる。八百長を仕組んで大儲けした奴らが勝者である。仕組まれて大損したり、死んでいった者が敗者である。原爆について考察すれば、「原爆カルテル」で大儲けした奴らが勝者である。敗者中の敗者は、広島と長崎で被爆した人々である。≫(39p)
≪原爆本を書いた日本人は数多い。どうして原爆が落とされたのかと研究はする。だが残念ながら、それらは一方的に提供されたアメリカ側の資料をそのまま鵜呑みにしているだけである。≫(254p)
≪1953年に出たこの本(ジェームス・S・アレン『原爆帝国主義』)以降、たくさんの原爆関連書が世に出たが、私の知る限り、一冊として、モルガンやロックフェラーが原爆に絡んでいると書いた本はないのである。主役が消されて、脇役ばかりが活躍する舞台の三流芝居を、読者たちは半世紀以上にわたり、見せつけられているということになる。≫(258p)
この著の姉妹編『原爆の秘密(国内編)』の表紙は原爆投下後の長崎、爆心地から700mの地点に残った山王神社の鳥居を表から見た写真だったが、渡部悌治著『ユダヤは日本に何をしたか』(成甲書房 平成15年)の表紙は同じ鳥居を後から写した写真である。鬼塚氏の立論が公刊された出版物に拠っているのに対して、渡部氏の著作は御自身の体験や身近に接しられた方からの証言に裏付けられている。お二人の著作の表紙が、同じ鳥居を表から見たのと内から見たのであるのは、そのことに対応しているのであろうか。その渡部先生の著に次の一文がある。
≪クーデターには米国ユダヤから金が来ていた。二・二六事件には三井財閥の金も動いていた。北一輝には三井の池田成彬から月々の手当が出ていた。それで池田には行動決行の電話がいち早く届いている。五・一五事件も二・二六事件も他のクーデターも、いずれの場合にも第三国の金が動いていたのである。クーデターによって(日本国内を内戦にもってゆき)為替の相場を下落させて、売買の操作によって利を求めようとするドル買い事件にすぎなかったのである。≫(91p)
とはいえ、「結局はカネ」ということで割り切ろうとは思わない。個人個人の判断においては、決してカネが最終の判断の基準ではないのだから。しかし事象の流れは大きくカネに支配されていることは認めねばなるまい。
≪核兵器用プルトニウムを生産するための施設を完成するために「その基本計画を受け取った時点から27ヶ月を要し・・・その工場施設の設計・建設・実際の運転業務を推進するにあたって、デュポン社は、1万ないし1万5000の他企業の援助を得た≫と、長崎を破壊したプルトニウム爆弾の開発を担ったデュポン社の社長カーペンターは語ったという。(『原爆の秘密(国外編)』257p)関わった企業が10,000~15,000と言う数字の大きさに唖然とした。原爆の完成に至るまでにどれだけの人とカネが注ぎ込まれたことか。≪自分たちは湯水のように、アメリカという国家の金を使った。今さら、良心的な行為をしろという学者たちよ、お前たちは、そろそろこの表舞台から去ってもらおう。民主主義とは何かを、心に問うてみるがいい。それは、成果を見せて、国民を喜ばせることなのだ。/そのためにはスペクタルが必要となる。そうだ、無警告の中での原爆ショーである。≫(261p)
しかし、この本を読んでのほんとうの辛さはここにあるのではない。その「無警告の中での原爆ショー」実現のために、当時日本の指導層が関わらせられていたというところにある。昭和天皇を始めとするその方々が自身を守るためにそうしたとは思えない。指導層は指導層なりにおのれを超えた「国体」の護持のために必死だったのだ。しかしそれと引換えの命と苦しみの大きさ。今の自分にまだその二つを測る秤はない。どう納得すればいいのか。この2冊の本によって突きつけられた問いである。
昭和天皇のほんとうの御意志を確かめたいという切なる思いに駆られています。
気になる記事を転載しておきます。まず天木直人氏のブログからです。http://www.amakiblog.com/archives/2008/09/13/#001132
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◎講和条約締結を前にしてなぜ吉田茂は不機嫌だったのか
読売新聞が毎週土曜日に連載している堤清二(辻井喬)の回顧録には、時として興味深い歴史の断片が語られることがある。
そのことを私はこのブログたびたび紹介してきた。
9月13日のそれにも、つぎのような興味あるくだりがあった。
・・・吉田茂は講和条約締結の一週間ほど前からひどく不機嫌になったということなど、いつも興味のつきない話が、主に吉田健一(吉田茂の長男、英文学者)から出されるのであった・・・
これを読んだ時、私はすぐに、豊下楢彦著「安保条約の成立ー吉田外交と天皇外交」(岩波新書)を思い出した。
いわゆるサンフランシスコ講和条約は日本にとって極めて寛大な条約だった。
その条約を吉田茂は高く評価していたはずだ。それなのになぜ吉田茂は首席全権代表を強く拒んだのか。
この疑問に豊下教授はその著書で見事な推論をしてみせる。それは一学者の推論であるが、膨大な資料に基づいた限りなく真実に近い推論である。
講和条約に署名したくなかったのではない。その直後に控えていた日米安保条約に署名する事が嫌だったのだ、と。
そして、豊下教授は、少しでも対等な条約をと、粘り強い交渉を重ねた吉田茂に対し、天皇の戦争責任をせまるロシアの影響を恐れた昭和天皇が、日米安保条約の早期締結を命じ、出席を渋る吉田茂に、はやく出席し、署名するように、と迫ったからだ、と推論する。
だからこそ吉田茂は、日本国民や国会はもとより、全権代表団にさえ安保条約の実態を知らせることなく、責任をみずから一人に負わせる形で、サンフランシスコ郊外の米軍兵舎に一人赴いて署名したのである。
今日に至る戦後63年の日本を規定してきた日米安全保障体制は、昭和天皇と米国の利害が見事に一致して作られたのだ。
安保条約締結から57年がたった今、吉田茂の孫、麻生太郎が、この史実を知ってか知らずか、日本の総理を目指している。
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豊下楢彦氏に関連して次の記事がありました。http://www.asyura2.com/08/reki01/msg/350.html
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◎マ元帥が天皇の戦争責任に言及しなかったことに天皇がまず感動し、占領政策への協力を約束した/豊下楢彦
投稿者 仁王像 日時 2008 年 9 月 20 日 16:53:22: jdZgmZ21Prm8E
『回想記』と異なる内務省説明~「天皇とマッカーサー会見」の検証㊤/豊下楢彦/朝日(夕刊)‘89.2.6から抜粋
〈天皇がまず「感動」~占領政策へ協力を約束/会見五日後の米紙が東京電〉
・実は会見から五日後の十月二日付ニューヨーク・タイムズは、十月一日東京発のロイター電として、『マッカーサー回想記』とは全く異なる会談内容を報じていたのである。会話に関する「秘密状態」が「部分的に解除された」という言葉で始まるこの「記事」は、日本の内務省の担当官が明らかにした会談内容を以下のように伝えている。…
天皇はこの機会にあたり個人として、マッカーサーが、「一件の事件もなく」占領を遂行したことに感謝の意を表明した。これに対してマッカーサーは、「円滑な占領は天皇のリーダーシップのおかげである」と答え、占領が「いかなる流血ももたらさなかった」ことについて心からの感謝を述べた。両者は、もし米軍の本土侵攻が行われていたならば、日米双方の多大な人的損失と日本の完全な破壊がもたらされていたであろうという点で、意見が完全に一致した。
「天皇は、だれが戦争に責任を負うべきかについてマッカーサー元帥が何ら言及しなかったことに、とりわけ感動した。天皇は個人的な見解として、最終的な判断は後世の歴史に委ねざるをえないであろうとの考えを表明したが、マッカーサー元帥は何ひとつ意見を述べなかった」
続いて両者は、「連合国によってなされるべき占領の様々な施策」について議論を交わし、天皇は「これまでの占領の進捗について『きわめて満足している』との所信を述べた」。そこでマッカーサー元帥は、天皇が日本の再建に関して望む「どのような提案も歓迎する」と述べ、もしそれらが連合国の政策と一致するならば、可能な限りすみやかに実施されるであろうと約束した。
この内務省の説明の説明に従えば、会談においてまず「感動」したのは天皇であり、その理由はマッカーサーがあえて天皇の戦争責任の問題を問わなかったからであった。しかも天皇は、あたかも問題を避けるかのように、「最終的な判断」は「後世の歴史家」に託すべきであろうとの見解を表明していたのであり、『回想記』の一節とは正反対の発言であった、ということになるのである。
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しかし、これをもって「天皇の自己保身」とする決め付けに今の私は組しない。
by めい (2008-09-21 07:10)
追悼 鬼塚英昭氏
天皇に対する鬼塚氏の視座については全く与する者ではないが、多くを学ばせていただきました。何よりも自らを一介の竹細工職人としつつ、鬼塚氏にとっての真実を追究しつづけた姿勢に敬意を表します。冥界にてのさらなる御求道を御念じ申し上げます。http://www.snsi.jp/bbs/page/1/
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[1871]追悼・鬼塚英昭!
投稿者:津谷侑太
投稿日:2016-02-28 23:24:44
津谷侑太です。今日は2016年 2月 28日です。
日本の大作家である元竹細工(たけざいく)職人の鬼塚英昭(おにづかひであき)氏が亡くなったという報告をします。七十八歳でした。
私はさる筋から鬼塚英昭氏の体調不良を聞いていました。それでずっと心配していました。健康回復を祈っていましたが、1月25日死去、とのことです。成甲書房(せいこうしょぼう)からの正式な発表です。
鬼塚英昭を差し置いて、今の歴史研究は成り立たない。そう断言できるほど、鬼塚英昭は本当の日本の大作家でした。
私は悲しみや驚きを通り越して、今や怒りしか感じません。なぜ、これほどの大作家の死を騒がないのでしょうか。
これほどの大作家の死はもっと盛大にネット上で騒がれるべきです。
鬼塚英昭のガツガツと本を読んで、新事実を発見する、あるいは新理論をつくりあげる手法は全国の鬼塚ファンたちに多大な影響を与えたと思います。決して難解ではなく、一般の読者に教え諭すがごとく、権力者たちの共同謀議を暴き続けた鬼塚英昭はもっと評価されるべきです。
その真実追求の姿勢を大分県の郷土(きょうど)歴史家という枠に押し込めて、葬り去ろうという、今の冷え切ったネット空間はおかしいと私は思います。2016年2月を中心に起きたアベノミクスの政策の株乱高下のパニックも鬼塚の『池田勇人』を読めば、謎が解けないようにできています。
以下に鬼塚英昭氏の著作を紹介します。
『天皇のロザリオ』・・・昭和天皇を狙ってローマ法王やイエズス会が暗躍するノンフィクション。戦後まもなく大分県で起きた大事件の全貌を暴く!
『日本の一番醜い日』・・・1945年8月15日、宮中で森師団長が殺害された。アメリカに占領されようとする日本を守るため、青年将校が決起する。・・・が、その中に謎の人物・某元中佐が行動していたことを鬼塚英昭が大量の史料から突き止める。某元中佐とは一体何者なのか。そして、森師団長を殺害したクーデターの意外な真犯人とは誰なのか。まるでミステリー小説の様な興奮を味わえる衝撃の一冊。
『白洲次郎の嘘』・・・白洲次郎といえば、2000年代に入って、急速に美化された偉人である。吉田茂とともに日本の独立を勝ち取ったGHQに抵抗した吉田と白洲は立派だった・・・・・・ところが、白洲次郎という男、とんでもない食わせ者であった。
戦前・戦中・戦後を通して、東京大空襲、下山事件、近衛文麿(このえふみまろ)元首相自殺、鳩山一郎追放で裏から動いた官邸のラスプーチン・白洲次郎のおどろおどろしい素顔をこれでもかと史料を引用しながら検証していく。
偉人には必ず裏の顔がある・・・・・・そんな恐ろしい真実を私たちに教えてくれる本だ。
『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』・・・・・・山口組長だった宅見勝が射殺された。政治事件とは無関係に見える組長射殺事件・・・・・・しかし、その背後には帝国陸軍の参謀で失敗続きだった瀬島龍三のとんでもない秘密が隠されていた。
戦後、ソ連抑留から帰還した瀬島龍三は伊藤忠商事の会長に迎えられる。リクルート事件、金屏風事件、イトマン事件、政治スキャンダルの影で瀬島はどう動いたのか。
昭和・平成史を瀬島龍三の目から描いた重大事件の裏側。
『20世紀のファウスト』・・・・・・アメリカの鉄道王・ハリマン財閥の長男・アヴェレル・ハリマン。アメリカのパワー・エリートのアヴェレル・ハリマンは軍需産業と深くつながっており、チャーチルやスターリンの間を飛び回り、第二次世界大戦に世界を引きづり込んでいく。
津谷侑太です。ざっとこんなところです。古代から平成の現代まで諸問題について、鋭く切り込んだ鬼塚英昭はまさに評論業界の巨星でした。もう、こんな大物は二度と出てこないでしょう。
だが、鬼塚英昭氏の死で終り、というのはいささか寂しいのではないでしょうか。ここは第二の鬼塚英昭が出現して、彼の業績を引き継いでいくべきでしょう。学問道場という、日本の在野の研究者の結集軸があるのだから、それを活用してみてはいかがですか。
第二の鬼塚英昭が現れれば、鬼塚ファンたちのもやもやとした胸のわかだまりもとれることだと思います。このまま、鬼塚ファンを放置するというのは残酷すぎる判断です。
津谷侑太拝
by めい (2016-02-29 05:48)
納得の鬼塚氏評価。
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「舎人学校」
2012年4月16日 (月)
『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2012/04/post-3497.html
『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』を著した鬼塚英昭氏に対する第一印象としては、他のジャーナリストやライターは腰が引けて書くことも出来ない内容、すなわち「住友銀行…佐藤茂…宅見勝…平和相互銀行事件…イトマン事件…住友グループ襲撃事件の一連の利権構造」を堂々と書いているあたり、肝の据わった人物だと思う。
しかし、残念ながら同氏がヤクザに関して拠り所としていたのは、二次資料に相当する書籍や新聞雑誌のみであり、直に石井進、宅見勝、司忍、後藤忠政といった大物と接触しての取材は皆無であることが分かる。そうした大物から命がけで取材を敢行し、危うく命を落としかねない体験も多い、栗原茂という人物を小生は知っているだけに、鬼塚氏のヤクザに関する筆に迫力が感じられないのだが、これはやむを得ないことかもしれない。
それは兎も角、何よりも気になったのは、鬼塚氏は山口組などのダーティな部分のみしか描いておらず、たとえば昨年の東北沖大震災で大勢の東北の人たちのために動いた後藤組の活躍など、彼らの持つ任侠という一面に一切触れていないあたりに、鬼塚氏の正体を見たような気がする。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2011/04/post-219c.html
また、孝明天皇は伊藤博文に暗殺されたという噂は、故鹿島昇氏の『裏切られた三人の天皇 明治維新の謎』が噂の出所となっており、ネットでの孝明天皇暗殺説もほとんどが同書に由来していると云っても過言ではない。当然ながら、鬼塚氏も鹿島昇天皇観から一歩も出ていない。小生も長い間にわたって鹿島昇天皇観に囚われていたが、それを打ち破いてくれたのが落合莞爾氏であった。ともあれ、孝明天皇暗殺などと根本から間違えているため、鬼塚氏の田布施に関する記述についても眉唾物であると云わざるを得ない。
さらに、先帝(昭和天皇)と瀬島龍三に対して、鬼塚氏は良い印象を抱いていないことが分かる。これは、皇室インナーサークルの栗原茂氏とは全く逆の立場となり、先帝は我が命とすら信じていた栗原茂氏と、鬼塚氏との間に横たわる溝は途方も無く深い。果たして先帝(昭和天皇)の実像は如何なるものであったのか…。今後も鬼塚氏の今回の著作と鈴木正男の著した『昭和天皇のおほみうた』との間を彷徨う日が、当面は続きそうな気がする。『昭和天皇のおほみうた』については、以下を参照。
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2011/11/post_c07d.html
最後に、鬼塚氏は同書のp.143で以下のように書いている。
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「てんのうはん」に疑問を感じる人は、松重揚江の『二人で一人の明治天皇』を読むことをすすめる。『瀬島龍三と宅見勝「てんのうはん」の守り人』p.143
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この松重氏もフルベッキ写真に明治天皇や西郷隆盛が写っていると、盛んに世の中に吹聴している詐欺師であり、このような人物の本を「すすめる」ようでは駄目だ。
by めい (2016-05-16 03:57)