SSブログ

権藤成卿 [雲井龍雄]

滝沢誠「権藤成卿」(紀伊国屋新書 昭和56年)を読んでいます。びんびんと伝わってくるものがあります。
雲井龍雄や宮島大八との接点も見つかりました。(雲井龍雄の名は出てきませんが、安井息軒門下古松簡二が成卿の父直の同志でした。)いずれゆっくり書きたいですが、とりあえず今朝読んだところをコピーしておきます。

 

   *   *   *   *   *

 権藤は、明治国家体制を〝プロシヤ式官治制度〟とよび、わが国の伝統的な社稷(しゃしょく)体統の自治制度とまっこうから対立する概念としてとらえる。天皇を頂点とした有司専攻の強力な中央集権的官僚機構による明治絶対主義国家体制は、現実には「四民平等、大機公論」をスローガンとした明治維新の精神に反したものであった。在野の学者として日本社会史を専攻する権藤が、明治新政府の中央集権化が進行するにしたがって、農村に残存する社稜中心の地縁共同体内部におこなわれていた民衆自治の良俗が破壊され、経済的にも明治日本の資本主義体制が確立されるにしたがって、農村の自治が中央に簒奪され、疲弊していくすがたに心をいためていたことはうたがいない。とくに、かれは明治四年の地租改正によって、社稷すなわち地縁共同体にとって神聖なるべき土地が資本主義的な何らの制限のない自由売買の対象となったことを痛烈に批判する。土地の自由売買が明治政府によって公認されることによって、土地は投機の対象となり、不在地主が発生し、社稜が外部の強力なカによって根本的にこわされることになる。いっぽう、権藤のおかれていた思想的状況は、征韓論とそれにつづく自由民権運動のながれをくむ反体制的なそれであったことは、さきにみてきたところである。なかんずく、創立後まもない、隆盛期にある黒竜会のブレーンとして、日韓合邦運動などにかがやかしい経歴をもつ権藤の胸中には、明治国家体制を批判する執拗な心がたえることなく抱きつづけられていたことであろう。われわれは、社稷を前面におしたてた権藤の明治政府批判の文章をみるとき、かれのからだじゅうを流れる明治絶対主義国家体制にたいする反逆の血潮を感じないわけにはいかない。

 権藤の思想は、社稷の概念を表面におしだして既存の国家権力の地縁共同体にたいする介入と闘うものであるが、社稷の意志すなわち「成俗」を構成するものは、あくまでも個人の純情の発露より発生した良心の行為であるとする。個人の純情から発する発想や行為を重視する権藤にとって、個人を精神面で束縛するものは徹底的に排斥する。この意味で、かれにとって、宗教は人間に害毒をながすだけのものであり、宗教人は教義という名分をもって人間にたかるうじむし的存在であるとする。かれは、祖先をまつる社稷の神社にしか、神の存在を認めない。権藤の思想が、多分に国家権力と国家の観念を超越した超国家、無政府主義的であるのは、社稷の意志すなわちかれのいう成俗の根底にある個人の意志を絶対視するところからきている。個人の自我を絶対なものとする点で、かれの思想ほ無政府的であり、大杉栄のそれと多分に共鳴するところがあった。また、権藤の老壮思想にかんする教養と関心には相当なものがあり、安藤昌益の発掘者でアナキズム的傾向のつよい渡辺大涛との交際や、後年、日本屈指の老壮、道教関係文献の蒐集家渡辺瑳美との交遊などは、その思想傾向を窺うに足るものである。

 権藤の個人意志尊重の側面と、社稜を基盤とした自然主義的でユニークな社倭国家論は、西洋の翻訳的な社会主義や、狂信的な日本主義にあきたらない一部の革新陣営の人々に、新鮮な社会改革理論として受け容れられ、昭和維新の思想的背景として登場する。

   *   *   *   *   *

アルルの男さんがいい記事を書いておられました。(このブログ、どなたがお出でになっているかどうか全く見当もつかず、自分のメモ代わりに書いているのですが) 紹介しておきます。http://amesei.exblog.jp/5758518

アルルの男さんのお考えに権藤成卿に通ずるものを感じ、権藤成卿については後でゆっくりと思っていたのですが、とりあえずの今朝のブログになりました。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。