SSブログ

宥明上人のこと [宥明上人]

昨日の「週刊置賜」で宥明上人についてはじめて知った。以下、記事の転載。

   *   *   *   *   *

●宥明上人の足跡探る ~南陽市吉野文化史研究会~
   「仙縁石」を訪ねて現地研修

 南陽市吉野文化史研究会(川合芳吉会長)の「仙縁石」現地研修が30日、南陽市と上山市の境界近くにある旧滝澤村の現地を訪ねて行われ、明治から大正期にかけて「山形が生んだ人類史上稀代の霊能者」として活躍した高橋宥明(ゆうめい)上人が弘法大師から神通力を授けられたとされる「仙縁石」を確認して会員研修活動の一環とした。


 宥明上人は安政5年(1858年)11月9日、南陽市荻赤山の生まれで、本名は高橋道四郎。山形市在住の語り部、池野信氏と同研究会の加藤次郎右衛門副会長の調べによると、三十二歳の時に、旧上山村まで使いに行った帰りに山中で「白い髭のお爺さん(弘法大師)に会い、腹痛で歩けないという老人を山頂まで背負
ってやったお礼に「小指ほどの白い蚕のような物と巻物一巻を渡されて」神通力を与えられたとされる。その白髭の老人が座っていた大きな石を「仙縁石」と呼び、地元の山元郷土史研究会が現在も保存整備している。


 道四郎はその後、老人の招きを受けて高野山に登り、数年籠もって「霊界で弘法大師の教えを受けた」後、宥明上人として故郷・荻赤山を目指すが、その道中で病気を治したり、水の上を歩いて旅人を驚かしたり、ひとすくいの水で「火災を消したり」と神変を発揮。帰郷後は、父親の病気を治して貰った上人を慕う信者の勧めで「千歳村の長寿庵の庵主」に落ち着く一方、諸国を巡歴して人助けを行い、大正3年3月24日に、生まれ故郷の荻赤山に戻って五十七歳で「示寂」している。


 「仙縁石」のほかに「京都から来た坊さんが建立した」という『宥明上人』の石碑が荻赤山地内にあり、池野氏
も「長寿庵を尋ねて来た老人によってはじめて宥明上人を知り」、調べる機縁になったと『宥明上人物語』の中で記している。
 
 現地研修は加藤副会長の案内で行われたが、広域基幹林道黒森山練沿いにある『宥明上人仙縁石入り口』の白い標識を目印に、杉林を入った奥まった所にしめ縄が張られた大きな「仙縁石」があり、各参加者からは思わず「あったー!あったー!」の声も。加藤氏は、宥明上人が弘法大師を背負って登った山は「武土山」だったと解説。また当時の道路や地形なども探して確認するなど、地元が生んだ「人類史上稀代の霊能者・高橋宥明上人」に思いを寄せての現地研修となった。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

慰安婦問題権藤成卿 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。