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「廊下ひばり」 [副島隆彦]

3年前から1万円の年会費で副島隆彦先生の「今日のぼやき」http://www.soejima.to/を読んできた。今年になって、1万円の重さを計りつつ更新が途絶えていたのだが、先日振込み、その旨を伝えるメールと共に副島先生宛にも書いた。前回会費振込のときのメールへの返信に「われわれの会のことで染物の仕事があるときにはお願いするようにします。」と書いていただいたことがうれしく、その気安さがあった。

翌朝、次の返信が届いた。

 

(転載はじめ)

副島隆彦です。
メールをいただきました。
貴兄が、再び、私たちの学問道場の会員になられたようで、ありがとうございます。

貴兄は、以下の私あての貴兄からのメールにありますように、「新しい歴史教科書をつくる会」の会員で、あの組織が、今、一体どういうことになっているのか、私は、たいして興味はありませんが、どうせ長いことはなくて、潰(つぶ)れてしまうだろうと予測します。日本会議という、やや大きな民間の保守派の大同団結団体を動かす人たちに、つくる会は、乗っ取られたのでしょう。詳しいことは私には分かりませんし、興味もありません。 

あれこれの分裂騒ぎで、貴兄らも動揺が激しいのでしょう。
貴兄らは、私のところに 6、7年前に、弟子入りしてきた、小林よしのり氏のを支援する「日本茶掲示板」に書いていた若者たちと、大きくは同種、同類であり、素朴な愛国感情、民族主義の精神の高揚から、政治問題に興味を持った若者たちだと、私は判定しています。 ですから、政治思想のいろいろの流派の勉強をしっかりしてから、政治問題を考えるようになった人たちではなりません。

貴兄らは、素朴な人たちですから、西尾幹二(にしおかんじ)氏に向かって、「副島隆彦と対談しないのですか」と質問するような人々です。 いわゆる、若者”廊下(ろうか)ひばり”であって、廊下ひばり の意味は、そのうち自分で勉強して下さい。

以下の君からのメールの中に次の一文がある。

(引用はじめ)

 二、三年前だったか西尾先生にお会いしたときに「副島先生と対談の機会をつくって下さい」 と言ったら、「彼は私の周りでは信用がない」と一蹴されたことがありました。 しかし、(西尾幹二は、副島隆彦と)「考えが間違っている」とは言われませんでした。

(引用おわり)

西尾幹二が、私、副島隆彦について、2,3年前に、上記のように語ったということを君の 廊下ひばり 的なメール文から知りました。

西尾幹二の私への「彼(副島隆彦)は、私の周りでは信用がない」 という言葉は、なかなか趣(おもむき)があります。 私、副島隆彦への、産経新聞・正論派のいわゆる親米保守言論人たちの、共通した味方を、端的に表現しています。

本人である私は、なるほどなあ、そういう評価になるのか、と、興味深く受け止めました。 「副島隆彦は、私たちの間では(言論人としての)信用がない」という言葉は、私への評価あるいは否定評価として秀逸です。私は、この言葉を聞いて、感慨深い。 あの連中からしたら、私は、いぶかしく、おもはゆく、どうしようもない、

暴き系の言論人で、自分たち主流派の保守言論界の人間たちを、尊敬せずに、「アメリカのグローバリスト(世界支配主義者)の手先あるいは、無自覚な追随者」と、わめく困った人間だ」というような否定評価になるのでしょう。
あるいは、若造のくせに、自分たち日本保守言論界の業績を、ほとんど認めない不遜で傲慢な男、ということになるのでしょう。

彼らの、内部も、分裂に分裂を重ねている。 お互い仲が良いわけではなくて、軽蔑しあっていたり、利用しあったり、程度の、商業言論業界での、足の引っ張り合いをやりながら、仕事を分け合って、細々とご飯を食べているだけの、貧相な人間たちの集まりに過ぎない。 

「副島隆彦は、私たちの間では信用がない」 とは、西尾のなかなかの卓見だ。
私は、彼に対しては、名指しで、ここの学問道場の「91」番の、2000年11月29日の文章である、「旧石器発掘ねつ造事件と 「日本文明派」の壊滅と、西尾幹二のおわり」 で書いている。 これは後に出版した私の本の中に収めている。

西尾幹二が、どれほど正直で、誠実な人間か知らないが、自分が書いたことで、小さな事実誤認や、誤文ではなくて、その思想の枠組みそのものの、大きな間違いを指摘されて、それを、6年間も無視し続けるのは、その人の勝手だが、それを、「副島隆彦は、私たちの間では信用がない」 という言い方で、知らん顔をして、それで、今は、「つくる会」の分裂騒ぎ、あるいは、クーデターなのか、
内部の人間関係の相克や、心理戦なのだろうが、それを克明に、文学者の筆致で、描いているようですが、そういう文学者の たおやめぶり(おんな文章)で、一国の政治言論をまだ、このあともやってゆけると自分では、思っているのだろうか。

西尾は、「つくる会」のゴタゴタで、会長の職を辞任してか、追い出されたか知らないが、 内部の恥を、どんどん人間模様と、証拠の発言集として、記録文学のように描いているようだ。その情熱の中には、憤怒や、憎悪がたくさん混じっている。あとは、自己正当化だろう。 

勝手にそういうことを、やって、今の30代の、善良な廊下ヒバリ人間たちを相手にして、老いの虚しさを、ネット言論で紛らわしているのだろう。
私自身も、小林よしのりが、「ネットに書かれるものは、個人の日記程度のものだ(決して、商業言論の枠にはいっているプロの言論人の仕事ではない)」という厳しい評価を、受け入れている。 だが、私は、学問道場サイトで、多くの弟子たちを育てている。彼らの知識人、言論人としての成長を真剣に助けている。だから、この一点では、学問道場サイトは、ただの個人の日記帳ではない。

○○君。ご自分の実名で、堂々と、今後もご自分の言論を発表し続けてください。
それだけが、唯一、まっとうで、まともなことなのです。

副島隆彦拝

(転載おわり)

「廊下ひばり」は「廊下とんび」の転用で先生の造語なのかもしれないが言い得て妙、深く恥じ入った。
その晩、追い討ちをかけるように「今日のぼやき」の“気軽にでなく重たい気持ちで書く掲示板”に私のメールと先生の返信が転載された。返信は書き加えられていた。

   *   *   *   *   *

[172]「文学的(ニーチェ、ウソだろ?)保守言論人の西尾幹二(にしおかんじ)氏の、副島隆彦評を含んだ、私たちの会員からの文章を載せます。 投稿者:副島隆彦投稿日:2006/06/07(Wed) 17:24:13

副島隆彦です。 以下は、私たちの会員に復帰した、○○君の文章です。彼は、ご自分のネット・ブログ(ウェブ・ログ)の日記帳を公開しているしている人です。彼からの私へのメールに、西尾幹二
(しにおかんじ)氏の、副島隆彦への評価 が含まれていましたので、ここに載せます。 
 副島隆彦拝

(転載貼り付け始め)

副島隆彦を囲む会

須藤様

 お世話になります。会員の継続にしては遅くなってしまいましたが、本日振込みましたので御査収ください。 尚、会員番号記入を忘れてしまいました。よろしくお取り計らいの程お願い申し上げます。

副島隆彦先生

 私は、昨年秋まで「新しい歴史教科書をつくる会」の山形県支部事務局長を務めておりました。
 今回の「つくる会」のゴタゴタを私なりに受け止めて3月来ブログに書いております。先日、副島先生の「重掲板」でのご発言、及び昨年3月の私が関わっての「重掲板」でのやりとりを転載させていただきましたのでご了承賜りたくお願い申し上げます。

http://blog.so-net.ne.jp/oshosina/2006-05-31
http://blog.so-net.ne.jp/oshosina/2006-06-03

 前者には、<「つくる会」の諸々もこの背景との関わりで読み解かねばならないのではと思ったところでした。>と私は書きました。が、2年程前、「日本政策研究センター」が、安倍晋三政権実現に向けてののシンクタンクとして明確に自らを位置付けるようになったことが、今回の「つくる会」のゴタゴタの背景でどんな影響を及ぼしているのか。 そのことが、これからだんだん見えてくるのかもしれません。案の定、今日の西尾日録「続・つくる会顛末記(五)の2」http://nishiokanji.com/blog/2006/05/post_325.html#c3386に伊藤哲夫氏との齟齬(そご)について西尾先生が書き始められました。

 西尾氏は今回のゴタゴタの中でまったく格好の良くない姿を曝しておられます。しかし、あのお歳で、自ら自問し、迷いつつそのプロセスをさらけ出される様(さま)に、今の日本では稀有(けう)なものを感じます。「いかりの にがさ また 青さ / 四月の気層 の ひかりの底を/唾(つばき)し はぎしり ゆききする /おれは ひとりの 修羅なのだ」に通ずる精神のありようを見た気がしたものでした。

 二、三年前だったか、西尾先生にお会いしたときに、私は、「副島先生と対談の機会をつくって下さい」と言いました。すると、「彼は私の周りでは信用がない」と一蹴(いっしゅう)されたことがありました。しかし、「考えが間違っている」とは言われませんでした。 きっと西尾先生は、“中国ロック本”も読まれるにちがいありません。精神の根底において正邪の判断を重んじられる方なので、これからの西尾先生の発言に注目していたいと思っています。

 「つくる会」のこれまでと、今後の帰趨(きすう)について、私は“中国ロック本”をテキストとして読み解くことは、6年間「つくる会」に関わって時間を費やしてきた私に与えられた応用問題なのかもしれません。

 恥ずかしながら1万円の余裕をつくることがままならず、会員継続手続きが遅れておりましたが、今日思い切って送金したところです。本業は相変わらず綱渡りの状態です。 技術的には染物屋として最先端を自負しております。何かお役に立てることがありましたらご用命いただければ光栄です。

 くれぐれもご自愛の上のご奮闘を念じております。いつかぜひ山形で先生の講演会を実現いたしたく思っております。

○○○○ 

○○○○さまへ

副島隆彦です。
メールをいただきました。
貴兄の学問道場の会員の継続をありがとうございます。

貴兄は、以上の私あてのメールにありますように、「新しい歴史教科書をつくる会」の会員で、あの組織が、今、一体どういうことになっているのか、私は、たいして興味はありませんが、どうせ長いことはなくて、そのうち潰(つぶ)れてしまうだろうと予測します。

 「日本会議」という、やや大きな、しかし大きな裏のある、民間の保守派の大同団結団体を動かす組織に、つくる会は、乗っ取られたのでしょう。詳しいことは私には分かりませんし興味もありません。 

 あのような分裂騒ぎで、貴兄らも動揺が激しいでしょう。
貴兄らは、私のところに 6、7年前に、弟子入りしてきた、小林よしのり氏のを支援するネット上の「日本茶(にほんちゃ)掲示板」に書いていた若者たちと、大きくは同種、同類であり、素朴な愛国感情、民族主義の精神の高揚から、政治問題に興味を持った若者たちだと、私は判定しています。 

ですから、政治思想のいろいろの流派の勉強をしっかりやってから、政治問題を考えるようになった人たちではありません。
 貴兄らは、素朴な人たちですから、西尾幹二(にしおかんじ)氏に向かって、「副島隆彦と対談してください」と頼むタイプの人々です。そういう人たちがいます。ものごとを純粋に考えて、気軽に口に出し、それで通用するという、なかなかフットワークの軽い、軽快な人生を生きて行ける人々です。

 いわゆる、若者”廊下(ろうか)ひばり”であって、この「廊下ひばり」 の意味は、そのうち自分で勉強して下さい。以上の君からのメールの中の文、

(引用はじめ)

 二、三年前だったか西尾先生にお会いしたときに、「副島先生と対談の機会をつくって下さい」 と言ったら、「彼は私の周りでは信用がない」と一蹴されたことがありました。 しかし、(西尾幹二は、副島隆彦と)「考えが間違っている」とは言われませんでした。

(引用おわり)

とあります。 西尾幹二が、私、副島隆彦について、2,3年前に、上記のように語ったということを君の 廊下ひばり 的なメール文から知りました。

 西尾幹二の私への、「彼(副島隆彦)は、私の周りでは信用がない」 という言葉は、なかなか趣(おもむき)があります。 私、副島隆彦への、産経新聞・正論派の いわゆる親米(ポチ)保守言論人たちの、共通した見方を実に的確に表現しています。

 一行で評言(コメント)された本人である私は、なるほどなあ、そういう評価になるのか、と、興味深く受け止めました。 「副島隆彦は、私たちの間では(言論人として)信用がない」という言葉は、私への評価あるいは否定評価として秀逸(しゅういつ)です。

私は、この言葉を聞いて感慨深い。 あの連中からしたら、私は、いぶかしく、おもはゆく、どうしようもない暴き系の言論人で、自分たち主流派の保守言論界の人間たちを、尊敬せずに、「アメリカのグローバリスト(世界支配主義者)の手先あるいは、知恵(知能)の足りない無自覚な追随者だと、わめく困った人間だ」というような否定評価になるのでしょう。

 あるいは、若造のくせに、自分たち日本保守言論界の業績を、ほとんど認めない不遜(ふそん)で傲慢(ごうまん)な男、ということになるのでしょう。

 彼ら親米保守言論人たちの内部も、分裂に分裂を重ねている。 お互い仲が良いわけではなくて、軽蔑しあっていたり、利用しあったり、商業言論業界での、足の引っ張り合いをやりながら、その一方で仕事を分け合って、細々とご飯を食べているだけの、実態は、貧相な爺(じい)さんたちの集まりです。こんな連中に私は、もともと一切の幻想をもっていません。 

「副島隆彦は、私たちの間では信用がない」 とは、西尾のなかなかの名言で、卓見だ。私は、彼に対しては、はっきりと名指しで、ここの学問道場の「91」番の、2000年11月29日の文章である、「旧石器発掘ねつ造事件と 『日本文明派』の壊滅と、西尾幹二のおわり」 で書いている。これは後に出版した私の本の中にも収めている。

ここでは、中西輝政(なかにしてるまさ)というアホ、と二人で、
「日本文明の曙(あけぼの)」というような、アホの本を当時、対談本で書いていることを書名だけを見て、私は、アホだ、こいつらは、と書いています。

そうしたら、また、中西が、最近、「日本文明の何タラ」という雑本(ざっぽん)を書いて出したようだ。

再度、はっきり書いておきます。「日本文化」(ジャパニーズ・カルチャア)というのはある。東アジアの一国の、繊細で神経質な国民文化である。 しかし、×「日本文明」(ジャパンニーズ・シビライゼイション)というものは、存在しない。絶対に存在しない。言葉としても、存在できない。しない。したら、笑いものだ。

×日本文明が、存在しないのは、ヨーロッパ文明というのは、存在するが、×フランス文明 とか、×イギリス文明というのは、存在しないのと同じことだ。 あるいは、○ 東アジア文明は、存在するが、×フィリピン文明とか、×インドネシア文明というのが、存在しないのと、同じ事だ。

つまり、中西輝政というのは、その程度の低脳(ていのう)だということだ。こういうのが、日本の保守言論人、学者の筆頭かと思うと、本当に私は、暗澹(あんたん)とした気持ちになる。

中西は、とっくに、きかん坊で、反米に近い素朴な民族主義に戻りつつある西尾が、親米保守言論界から、追放状態になったことを知っているから、どうせ、西尾を嫌(きら)っているだろう。いづれにしろ、中西は、今から、中西”日本文明”先生と、呼ばれて馬鹿にされるようになるだろう。学会や学界からも。すでに、その学殖の無さは露見しているのだろうが。

 西尾幹二が、どれほど正直で、誠実な人間か知らないが、自分がこれまでに書いた文での、小さな事実誤認や、誤文ではなくて、その思想の枠組みそのものの、大きな間違いを私、副島隆彦から、指摘されて、それを5年間も無視し続けるのは、彼の勝手である。それ以上、私が、どうこう出来るものではない。人はそれぞれ、互いに無関係に生きている。 

 そして、「副島隆彦は、私たちの間では信用がない」 という言い方で、知らん顔をして、それで、今は、「つくる会」の分裂騒ぎ、あるいは、クーデターなのか知らないが、内部の人間関係の相克や、心理戦(サイコロジカル・ウォーフェア)なのだろうが、それを克明に、文学者の筆致で、繊細に描いているようだが、こういう文学者の たおやめぶり(おんな文章)で、一国の政治言論をまだ、このあともやってゆけると自分では、思っているのだろう。

 西尾幹二は、「つくる会」のゴタゴタで、会長の職を自ら辞任したか、追い出されたか知らないが、自分が自ら関わった内部の恥を、どんどん露呈させて、人間模様と、のちのち証拠となる発言集として、記録文学のように描いているようだ。その情熱たるや、戯作(げさく)作家、あるいは、日本の文学の伝統である、、何でもさらけ出すように、克明に書く、嘉村磯多(かむらいそた)や葛西善蔵(かさいぜんぞう)のような、私(わたくし)小説風の文を書いている。ここには、当然、深い憤怒や、憎悪がたくさん混じっているだろう。あとは、「自分は正しい」という自己正当化だ。

 ある組織の長を勤めた人間が、そこを追われて、それで、洗いざらい書いたら、それは、その人自身の責め苦となて、普通なら、激しい慚愧(ざんき)の念となって憤死に至るだろうに、と私は、冷酷に思います。 それが、このあとも何年も無いとなると、そうなると、西尾幹二と言う人は、本当に、私小説作家という、日本文学の根本的な弱点を引き継いでいる人ということになります。 

西尾幹二という人は、こういうおもしろい人なのだ、と周(まわ)りみんなが思っている際中(さいちゅう)だろう。 こんな無惨な自己暴露趣味の文章を書いて、それをさらけ出して、今の30代の善良で、純朴な(すなわち、知恵が少し足りない)廊下ヒバリ若者たちを相手にして、老いの虚しさを、ネット言論で紛らわしている。

私自身も、小林よしのりが、かつて、「ネットになんか書かれるものは、個人の日記だ。(決して、商業言論の枠にはいっているプロの言論人の仕事、作品ではない)」という厳しい評価を、受け入れている。 

だが、私は、学問道場サイトで、弟子たちを育てようとしている。有能な若者で、私と気の合う者たちで、私のそばに寄ってきた者たちを何とか、知識人、言論人としての成長するように、真剣に助けている。だから、この一点では、学問道場サイトは、ただの個人の日記帳ではない。

○○君。私からの文章は、もうこれぐらいでいいでしょう。
○○君。最後に一言(ひとこと)、書きます。 これからも、ご自分の実名で、堂々と、ご自分の言論を発表し続けてください。それだけが、唯一、まっとうで、まともなことなのです。 副島隆彦拝

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝

   *   *   *   *   *

翌朝、次のメールを差し上げた。

(転載はじめ)

副島隆彦先生

ご返信いただきありがとうございました。
重掲板の方も読ませていただきました。
正直のところ夕べ読んで、一瞬身体中の血が逆流する思いでしたが、
こんな思いはそうそう求めてできるものではない、きっとありがたいことなのに違いないと思い直し、
そのありがたさを噛みしめつつ今朝をむかえ、
別に実名を隠しているわけではないと思いながらも、HNを使うことでいつのまにか、
拵えものの自分と現実の自分の二重性を生きていることに気づかされました。
先生の荒療治に衷心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。

○○○○

(転載おわり)

「つくる会」がどう見られているかもさりながら、とりわけ「廊下ひばり」の指摘が身に応えたのであえて記録にとどめておくことにした。


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トモケンこと伴野謙

高岡 亮一 様

私も“重たい掲示板”を読んでおりまして(「廊下ひばり」の意味は、高岡様のご文章からヒントを得るまで、何となくでしかありませんが、その意味の理解はできませんでした)、副島先生の冷ややかさから、私自身も当然反省しなければならない事として受け止めておりました。副島先生の「日本壊死」や“中国ロック本(昨日読み終えました)”に衝撃を受けて、やっぱり先生からは眼が離せない、と思っていた矢先に、先生から、冷や水をぶっかけられてしまった気分です。

世界史はどのように動いて来たのかを、副島先生のお説から知って、そして驚いて、ネット上で何か書いてみたり、旧知の方々や新しく出会った方々へ、興奮気味に語ったり、という事をしたところで、副島先生の仰るように、私も「廊下ひばり」的に、お喋りをしているのに過ぎないのかな、と思っております。

そうしますと、結局自分自身の日常生活や生業に、もっと真剣に取り組む他に、することは無さそうに思います。副島先生から学んだ世界観と、自分自身の日常生活とを、どのように結び付け、学んだことを活かして行ったら良いのでしょうか。そのようなことを思いながら、暮らして参りたく存じます。今後とも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
by トモケンこと伴野謙 (2006-06-11 18:12) 

めい

トモケンこと伴野謙さん、コメントありがとうございます。
せっかく正気板から解放されたのにまたぞろのめりこみかけていたところでの「冷や水」、私にはナイスタイミングだったようです。

私にはいつも渡部悌治先生のことが頭にあります。10年以上前だったと思いますが、私家版で出されていた「攘夷の流れ」http://www.amazon.co.jp/gp/product/4880861421/249-1156406-8839501?v=glance&n=465392&n=465392&s=booksが読みたくて、公務で酒田に行った折朝食前に宿を脱け出して先生のお宅をおたずねしたことがありました。ようやく訪ねあてたお宅に当時すでに八十歳を超えておられた先生は娘さんと暮らしておられました。そのあまりにつつましい暮し振りに正直驚いたものでした。その後2回、先生と旧知の知人があったこともあり、仲間10人ほどと先生のお話をお聴きする機会をつくったことがありました。そのことについては正気板に書いたことがありましたが、その折の「これまで身の危険を感じられたことはありませんでしたか」の問いへのお答えが「地を這う思いで生きてゆくこと。そうすれば健康で過ごせるものです」
http://blog.so-net.ne.jp/oshosina/archive/200509でした。当時90歳を超えておられたのですが、その端然としたお姿は今も私の中にくっきりと焼きついています。戦前のユダヤ研究の第一人者愛宕北山(奥津彦重東北大教授)は先生の岳父にあたられます。先生はその後酒田から埼玉とかに移られたとお聞きしましたが、ご健在かどうか気になります。
by めい (2006-06-13 07:26) 

伴野 謙

めい様、お邪魔いたします。ご返信ありがとうございます。

> 私にはいつも渡部悌治先生のことが頭にあります。

大切なところと思います。ある方とお話をさせて頂くときに、
相手の方の根本にある思いが理解できていないと、字面に
惑わされて意思疎通が出来なくなってしまうように思います。

正気板に、以前めい様が紹介されました、「地を這う思いで生きて
ゆくこと。そうすれば健康で過ごせるものです」は、私もこれまで、
その言葉そのものがとても印象に残っていて、覚えておりました
のです。実践が伴わないながらも、本当に時々思い出しておりま
した。「これまで身の危険を感じられたことはありませんでしたか」
という問いへのお答えだったのですね。めい様、すみません。今頃に
なって気付きまして、渡部悌治先生、高橋正二先生、副島隆彦先生が
繋がり、めい様の10年も前からのお思いがあることに、鈍い私も、やっと
気付かせて頂きました。

> せっかく正気板から解放されたのにまたぞろのめりこみかけていた
ところでの「冷や水」、私にはナイスタイミングだったようです。

複雑な思いがおありのことと忖度いたします。そして副島先生も、
“保守論壇”から傷つけられた思いが、強くあられるのでは、と想像
しております。
by 伴野 謙 (2006-06-13 23:36) 

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