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「つくる会」問題の核心 [新しい歴史教科書をつくる会]

新田先生が「一度、ここで「つくる会」騒動のあらすじを整理しておこう」ということで、 『前史としての「教科書改訂問題」 』に言及された。http://tadasukai.blog58.fc2.com/blog-date-20060606.html

(転載はじめ)

 西尾幹二氏は、「つくる会」名誉会長を辞めた第一の理由として、「旧版『新しい歴史教科書』の重要部分が、改訂版では私に何の断わりもなく岡崎久彦氏(改訂版・監修者)の手で大幅に改筆され、親米的な内容にされたこと」(『サピオ』6月14日号)を上げていますが、その経緯は次のようなものでした。
 改訂作業に岡崎氏に加わってもらうことを主導したのは藤岡信勝氏でした。岡崎氏の改定案の大部分が西尾氏の執筆箇所だったため、扶桑社の編集者は後から問題になることを大変心配し、その旨を藤岡氏に伝えました。すると、藤岡氏が「私が責任をもって西尾さんから了解を取る」と言うので、任せておいたところ、藤岡氏がそれを怠ってしまい、それで西尾氏が「無断で改訂された」と怒り出した、というのが真相のようです。
 その西尾氏の怒りは、岡崎氏が『中央公論』などで「今度の教科書は反米的な面が消えて大変なよくなった」旨を書かれたことによって増幅され、理不尽なことに、長年教科書を担当してきた扶桑社の編集者である真部栄一氏へと向かい、次に、採択への影響を考えて、間に入って西尾氏を押さえた宮崎正治事務局長へと振り向けられることになって行きました。

(転載おわり)


これに対して、ホールさんという方が「一番大切なコト」と題して次のようなコメントを書かれた。

 

(転載はじめ)

>改訂作業に岡崎氏に加わってもらうことを主導したのは藤岡信勝氏でした。岡崎氏の改定案の大
>部分が西尾氏の執筆箇所だったため、扶桑社の編集者は後から問題になることを大変心配し、
>その旨を藤岡氏に伝えました。すると、藤岡氏が「私が責任をもって西尾さんから了解を取る」と
>言うので、任せておいたところ、藤岡氏がそれを怠ってしまい、それで西尾氏が「無断で改訂され
>た」と怒り出した、というのが真相のようです。

これは「真相」なんでしょうか。「真相のよう」なんでしょうか。いつも明快に断定される新田先生にしては、珍しく語尾が弱いので少し疑問に思いました。

実は、この改訂問題は「怪メール」や「コンピューター」問題よりも外部の人間(少なくとも私)にとっては気になっていた問題で、一般の感覚からすると、いやしくも「教科書」をつくる作業において、執筆者全員のコンセンサスがとれるかどうかは別としても(そんなものはとれないでしょう)、少なくとも合意形成へむけての話し合いや打ち合わせは為されるものだろう、そういうプロセスがあった上で、教科書として世に出されるんだろう、と思っていました。
ところが現実には、執筆者も教科書が出て初めて自分が書いたものが改変されていることを知る、という三流エロ週刊誌並みのつくられかた。がっかりです。
新田先生は、藤岡先生が連絡を怠ったことを問題にされていますよね。もちろんそれも問題ですが、外部から見ると「じゃあ藤岡先生が連絡を忘れず、西尾先生にちゃんと伝えていればよかったのか。そして了解を取っていればよかったのか。そうではないだろう。当該部分の記述について、西尾先生と岡崎氏の間での打ち合わせがなかったこと自体が問題ではないのか」になるんですよ。
ここで出ている「扶桑社の編集者」にしてもそうなんですが、後から問題になることを心配するのではなく、そういった「執筆者と改訂版・監修者の間で打ち合わせすら行われないいいかげんな制作過程」について心配しなければならないのではないでしょうか。だから、この編集者氏に同情の余地はありません。
もちろん、最終的責任者が監修者であるにしても、執筆者に連絡すらしないのはどうかと思います。
だからもし新田先生が、例えばですが「西尾先生の執筆部分には誰も口をはさむ事が許されず、会の中で議論も出来ないような状況だった。院政かつ独裁である。この状況を打破しようと同志をつのり改革をめざしたが、拒否された。私は会の将来に絶望し、外へでて体質を正そうと思った」とか、「あまりにいい加減な教科書のつくられかたを目の当たりにして、これを改善しようと働きかけたところ、創業者たちに妨害された」(もちろんこれは事実ではなく、動機としてこうならば、です)という理由で会を抜けられ、新たな組織を作られるのでしたら、その点は共感できるのですが。
いかがでしょうか。
2006/06/06(火) 23:43:55 | URL | ホール

(転載おわり)

<新田先生は、藤岡先生が連絡を怠ったことを問題にされていますよね。もちろんそれも問題ですが、外部から見ると「じゃあ藤岡先生が連絡を忘れず、西尾先生にちゃんと伝えていればよかったのか。そして了解を取っていればよかったのか。そうではないだろう。当該部分の記述について、西尾先生と岡崎氏の間での打ち合わせがなかったこと自体が問題ではないのか」になるんですよ。>との指摘はそれはそれで「大切なコト」ではあるが「一番」ではない。藤岡信勝氏が<改訂作業に岡崎氏に加わってもらうことを主導した>ことこそいちばん問題にすべきことなのではないか。なぜこのことが一番の問題にならないのか。ほんとうは西尾先生にも新田先生にもこのことを一番掘り下げていただきたいところなのだ。ここをアイマイにしたままのああだこうだは私には「お疲れ様」としか云い様がない。
9.11以降「つくる会」は歴史への統一した視点を持ちえなくなった、今に至るゴタゴタももとをたどればそこに行き着く、私にはそう思える。
http://blog.so-net.ne.jp/oshosina/2006-04-06
http://blog.so-net.ne.jp/oshosina/2006-04-07
http://blog.so-net.ne.jp/oshosina/2006-04-08


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