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「つくる会」評議員辞任届 [新しい歴史教科書をつくる会]

今日の「全国支部長・評議員全国会議」の案内をいただきながらそのままにしてあったので、昨晩下記の文を書いてファックスで送りました。

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新しい歴史教科書をつくる会
会長代行  高池勝彦様

全国支部長・評議員合同会議のご案内をいただきながら、連絡が遅くなってしまい申し訳ありません。昨年夏以来会費未納の状態が続いているにもかかわらずご案内をいただき恐縮しております。支部事務局長は後任を得たものの、東北代表としての評議員の席については後任もないままに辞めさせていただくのは甚だ心苦しいのですが、私自身先の展望見出しがたく、職責を果たし得るとは到底言い難い状態ですので辞任させていただくことをご了解賜りたくお願い申し上げます。
思い起こせば平成11年の夏、山形ビジョンの会K会長と幕屋のT氏の突然の訪問を受け、つくる会の支部長選定についてのご相談、すぐその足でU氏を訪ねての懇願、数日後、U氏より「あなたが事務局長を引き受けるなら支部長を受ける」とのご返事に、当時地元政治から足を洗い仕事に専念するつもりでしたがやむなく運動に入らざるを得なくなったというのがことの始まりでした。以来6年有余、つくる会に関わって費やした莫大な時間を思うと、つくる会を去ることについては慙愧の思いも多々ありますが、一応のけじめをつけさせていただきたく存じます。これまでの体験が今後何かの形でまた活かされることがあるかもしれないというかすかな思いも胸の片隅に残しながら、辞任のお願いとさせていただきます。よろしくお取り計らいくださいますようお願い申し上げます。

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評議員については、3年前だったか仙台での会議の折、宮崎事務局長に強く辞任を申し出たのだが、東北では適当な後任が見つからないとのことで、やむなくほとんど名前だけの申し訳ない状態で今に至っていたのだった。


昨日、西尾先生の日録コメント欄http://nishiokanji.com/blog/2006/05/post_325.html#c3386に、布袋和尚さんよりいささか面映い返信をいただいていたのでその返事を書いてきた。転載させていただく。

(転載はじめ)

めい 様

 先駆けとしての意義深い役割を山形支部の事務局長として果たされた、貴方の御尽力の軌跡と御述懐を、「ターニングポイント・9.11」の御所信とともに、拝読させていただきました。貴方の想いの深さ、それ故の「つくる会」への御期待の大きさ、御活動のひたむきさに思いを致し、あらためて深く敬意を表し上げます。貴方の御体験の記録と御所見は、東埼玉人様も仰るとおり、全国運動「つくる会」の活動の今後のあり方、本部について、支部について、本部と支部の関係について、あらためて検討する上で、重要な資となり、貴重な教訓となるものと存じます。

 また、「9.11」に関連する御所信も、凛然として筋の通ったものであり、大いに共鳴するところです。 日本の役割は「アラブ対ユダヤ・キリスト世界」と云う悲劇の構図を阻止すること、堂々たる御視座であると思います。私流に換言すると、日本の役割は「イスラム教対ユダヤ・キリスト教」と云う「唯一絶対神」を信奉する同根の宗教同士の近親憎悪の本家争いの構図を、神道と云う全く異質な信仰を持つ民族が、「生きとし生けるものに、それぞれ所を得さしめる」と云う信条に立って言向け和す(ことむけやわす)こと、であると考えます。しかし、この古代のミュトスの命脈を保つ吾が大和民族の固有の信仰も、GHQの占領政策によりズタズタに切り裂かれ、左翼勢力から呪詛され続けて、既に数多の日本人の心から消滅しており、現下の吾が国・吾が民族の焦眉の急務は、先ず、これを蘇生させるための思想を確立することであると考えます。(貴方と全く同感です。)

 然は然りながら、この「正しい思想を模索・確立する」ことと、「よりよい教科書をつくる」ことと、「その教科書を採択させる」ことは、相互に緊密にリンクする「課題」ではありますが、それらの「課題」をそれぞれに成就させるためには、三者を冷静に峻別し、それぞれの「課題」ごとに別個に方法論を考えて行かなければならないものと存じます。
 そのような観点からすれば、「つくる会」と云う「特定の目的を設けた場」においては、前者(思想の模索)に拘り過ぎることは禁物であり、中者(教科書づくり)に関しては、執筆を主務とする本部に対し支部が注文をつけ過ぎることなども不都合であり、(つまり、前者や中者においては、支部は主役ではなく、そこに重点を置き過ぎると活動のバランスが崩れ、無理が生ずるものと思われます。)
 他方、後者(採択戦)においては、それぞれの採択区における局地戦に対し本部が統一的な戦略・戦術指導に拘り、過度な統制を行うことも、現場での戦闘に作戦の分裂や混乱を生じさせる要因であり、避けなければならないところであると考えます。(その点、貴方の御指摘のとおりであると存じます。)

 この「続・つくる会顛末記」の冒頭において、西尾先生は「つくる会」は、前提のない「この指とまれ」から始まったと述懐しておられます。「子供達に自虐史観による醜悪な虚構を刷り込み、その精神的支柱を捻じ曲げる現行の歴史教科書を排除し是正する」と云う「一点」で、色々な考え方、様々な立場の有志が結集し、出発した「集まり」のはずです。近代保守も、宗教保守も、また、反米保守、是々非々保守、親米保守いずれの立場であっても、その他諸々であっても、この「一点」において心を合わせ、各々その強みを生かしながら、運動を継続、拡大して行かねばならないものと確信し、切望しております。

Posted by: 布袋和尚 at 2006年05月26日 02:47
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布袋和尚様

私が敬慕するある方に「子どもの教育でいちばん大切なことは何でしょうか」とお尋ねして、「祈ってあげることです」という答えをいただいたことがありました。偶々ご縁をいただいた「つくる会」でしたが、今になってみれば、やはり「祈り」に勝るものはないのではないだろうかという思いです。日本人は根底においてそのようにして世を処してきたのではないでしょうか。戦後の教育において欠落していたもの、取り戻すべきものがあるとすれば、まさにそこのところなのかもしれません。実は昨日初めて新田先生のブログhttp://tadasukai.blog58.fc2.com/を拝見したのですが、西尾先生、藤岡先生の議論にはなかなかついてゆけない私にも、新田先生の言い分には腑におちるところが多かったというのが正直のところです。私も「神社右翼、宗教右翼」に括られることを甘んじなければならないと思ったところでした。今日の種子島先生の文章もよく理解できました。

Posted by: めい at 2006年05月26日 21:49

(転載おわり)

新田先生とは、山形県支部HPの「天皇について考える2」として、「西光万吉と『神の国』―部落解放と尊皇という二者統一の道」http://www.geocities.co.jp/NeverLand/8947/kaminokuni.htmを掲載させていただいたご縁がある。氏の論文に、天皇を軸とした日本人の共通意思形成の可能性を見たのだった。


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