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学者と政治家、あるいは学問と政治―つくる会の失敗 [新しい歴史教科書をつくる会]

西尾先生が日録に、「つくる会」に向けたものとしてはおそらくは最後になるであろう文章を書かれた。http://nishiokanji.com/blog/2006/04/post_314.html

思い起こすことがある。『国民の歴史』が発刊され一大ブームが巻き起こりつつある最中、平成11年の11月、西尾先生に山形へ講演にお出でいただいた。その時、山形選出の当時参院議員小山孝雄氏が講演に先立って挨拶すべく別室で待機しておられた。そのことを知った西尾先生が、ぜひ開会に先立って小山「先生」にご挨拶を、というので私がご案内することになった。われわれにとって小山議員はいわば身内であり、それに比して西尾先生こそ「大先生」である。その「大先生」が小山議員に接するに実に謙遜な態度であられたことが意外だったのである。学者にとって政治家がどういう存在であるかを垣間見せられた。

 

≪最初はたしかに、政治的野心のない学者の団体が教科書を実際に作り、採択してもらおうとしたことに、信用があった。「つくる会」の人気の秘密は非政治性にある。けれども採択のために自民党の協力を得ようとし、各種政治団体にも近づいた。自民党がお願いしてくるのが筋であり、各種政治団の方が近づいてくるのが本来なのだ。「つくる会」は地味な教科書製作の職人団体、そして誇り高い知識人の集団であればそれだけで十分だったのだ。≫

いま、ここのところを読んでその時の情景がよみがえってきた。学者と政治家の間には一線が画されてあるべきだったのだ。少なくとも西尾先生にとっては、そうだった。

その後つくる会の運動方針は、教育委員をターゲットとすることとなった。その方針を受けて県内44全市町村の議会に請願を出した。その時から、つくる会の運動は政治化した。Y市議会の文教関係所轄の委員会を傍聴したときの「しまった、こんなはずではなかった」と思ったあの感覚を今も忘れることができない。教育委員会と共産党とが共同歩調を取り、われわれが敵視されていることを知った時の「しまった」の感覚を。しかしその時、もう後戻りはできなかった。

このことについては、これまで度々言ってきたことhttp://blog.so-net.ne.jp/oshosina/2006-03-19なのでもう繰り返さない。西尾先生、ほんとうにおつかれさまでした。


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コメント 1

知足

めいさん   今回の展開を私は歓迎しています。やはりおかしことはおかしいと言える社会でないと前進しないと思いますから。私は「私の望む運動はこれからだ」と思っています。

反対派と教育委員会とを結束させてしまった
http://blogs.dion.ne.jp/hirokuri/archives/2952604.html
つくる会の運動そのものがどっかでボタンのかけ違いがあった
http://blogs.dion.ne.jp/hirokuri/archives/2980244.html
やめてほしいのは藤岡さんあなたの方だ
http://blogs.dion.ne.jp/hirokuri/archives/2986421.html
by 知足 (2006-04-20 13:04) 

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