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もっと別の言葉/メルロー・ボンティ哲学における他者の問題 [メルロー・ポンティ]

19日に伊藤哲夫日本政策研究センター所長が来られるとのことで、久しぶりにビジョンの会例会に参加してきた。会場で「立ち上がれ!日本」ネットワーク山形支部の設立の会合であることを知った。地方支部としては第一号とのことだった。はじめての顔ぶれも多かった。

伊藤所長の話の中で、中国、北朝鮮を批判するに「自由と人権」を持ち出されることに違和を感じて質問した。「もっと別の言葉はないのだろうか」と。伊藤氏も自覚しておられるようで、「しかし、『自由』と『人権』という言葉は国際的には力を持つ」と答えられた。私には、アメリカによる占領下の「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」を批判し、その流れでサヨクの持ち出す「人権」に異議を唱えつつ、中国、北朝鮮を「自由と人権」の視点で批判するというダブルスタンダード、結局アメリカの言い分に巻き込まれている今の日本の「保守」の姿が見えてくる。日本本来の保守の立場とは、そうではないはずなのだ。としたら、「日本本来の保守の立場」とは何なのか。「もっと別の言葉」を本気で探したいと思った。

講演の後半で、教育における「情」の面の大切さを強調された。「知」も「意」も「情」の基盤の上にある、と。「情」とは要するに「共感の能力」だと思う。哲学的にはメルロー・ポンティが基礎づけてくれていると私には思えている。35年前に書いたものを正気煥発板に載せたことがある。正気煥発板が消えてしまったのであらためて引っ張り出しておきます。 

(正気煥発板からの転載はじめ)

●メルロー・ボンティ哲学における他者の問題

第1章 メルロー・ボンティ哲学においてなぜ他者が問題なのか

メルロー・ポンティは『知覚の現象学』の序論第Ⅳ節で、哲学の現象野Champ phènomènalについて述べながら次のように言う。

《現代の哲学が事実faitを主要なテーマとして見なしているとすれば、また、他者autruiが現代哲学にとって問題になるとすれば、それは現代哲学がより根源的な意識の把握une prise de conscience(英訳ではseif-discovery:引用者注)を遂行しようとしているからである。》(Maurice Merleau-Ponty‘Phènomènologie de la perception’1945 [以下P.pと略す] p.75)
 
このことはどういうことであろうか。このことの意味を、現象学の創始者といわれるフッサールによってもっとも問題にされ、メルロー・ボンティがフッサールの指向に即して明らかにしようとしている現象学的還元la reduction phènomènologique について述べた『知覚の現象学』序文の一節(p.Ⅴ~Ⅸ)に即して考えてみる。

 現象学的還元とは、フッサールの著作による限りでは《超越論的意識une conscience transcendentaleへの還帰》であり、《この意識の前では世界は絶対的な透明さのうちに自己展開するようになり、哲学者が結果から遡って再構成すべき一連の統覚作用によって徹頭徹尾生気づけられているということになっている。》(P.p.p.Ⅴ)つまり、普遍的な学を目指す哲学の方法としてフッサールによってうちだされた現象学的還元は、世界の内部に世界と分かちがたく入り込んでいる日々の生活における自然的態度について、そうしたうちにおこなわれる判断をいったん停止し(epochè)、カッコに入れることによって、普遍的意識の視座を獲得しようというものであったが、そこで見いだされる認識の主体は、それによって世界の一切が権利上明らかになるはずの超越論的意識だったのである。

 超越論的意識とは、カントが《『私は考える』とは、私の一切の現象に伴い得るのでなければならない》(『純粋理性批判』岩波文庫上 篠田訳P.175)といったときの「私は考える」、すなわちコギトであるが、サルトルが『自我の超越』という初期の論文で指摘しているように、カントにおいては権利上の問題として述べられていたこのコギトを、ただちに事実として見なしてしまえば、重大な誤りを招くことになるのである。すなわち、コギトによって明らかにされるべき領域を、われわれにとって顕在的な表象に関する限りでの認識の可能条件の考察に限るならば、カントの認識論のような哲学的成果を生み出しうるとしても、われわれが意識するしないにかかわらずとにかく生きているという事実の領域にまで押し広げようとするとき、たちまち、それが明らかにしようとしていたはずのわれわれの生からは程遠い観念論に陥らざるを得ないのである。なぜならば、確かにわれわれは世界について、われわれに現れる限りでしか問題にできないということは認めねばならないとしても、われわれの事実としての生は、〈超越transcendannce〉と呼ばれるところの事実的状況を自分なりに引き受け、変革する運動の中にこそあるのだから。(P.p.P.197)

 このように、現実に生きているわれわれについての判断中止によって超越論的意識に自らの場を置くと考える現象学的還元によっては、やはりわれわれのあるがままの実存を捉えることはできないことになる。そのことはまた、そこに視座を固定してしまうことで、私も他者も等しく対象化され、それぞれの固有の個体性も消失し、実存にとって切実な他者の問題が問われないことになることも意味する。

 ところが、現象学的還元を超越論的意識への還帰と考えるフッサールではあったが、彼にとって他者の問題は、切実なものであったのである。とすれば、フッサールの言わんとする現象学的還元を、従来のようにコギトへの還帰と考えるのは必ずしも妥当とは言えないのではあるまいかという疑問が生じてくる。

 では、その他者の問題とはどのようなものであるのか。

《他者が、私に対して在る彼の存在の彼方でほんとうに対自として存在しており、われわれが相互に存在するものであるならば、そして神に対しての一方と他方であるのでないとするならば、われわれはお互いに現れ合うのでなければならないし、他者も私も外部を持ち、〈対自pour soi〉のバースペクティブ(私に対する私の眼と、他者自身に対する他者自身の眼)の他に、(対他Pour Autrui)のパースペクティブ(他者に対する私の眼と私に対する他者の眼)が存在するのでなければならない。》(P.p.p.V‐Vll)

 ここに、他者が存在することによって生ずるパラドックスがある。すなわち、事実として、私にとっての〈私〉と、他者から見られた〈私〉というものがあり、その二つの〈私〉は別々に切り離されてあるのではなく、現実に生きている同一の私に関しているのである。

 つまり、私にとっての〈私〉だけでない、私でない〈私〉というものがあるということが、他者の存在とともに認められねばならないことになり、このことは、他者の側にも同様に言えることなのである。第二章においてこのことはさらに明らかにされるはずであるが、この逆説的な事態が事実としてわれわれの生においてあるということによって、事実に即して哲学をなそうとする者に、私の内部に見いだした(と思っている)絶対的な私に拠って〈哲学的真理〉を振り回すことを禁じているゆえんがあるのである。また、私が他者に対してあり、他者が私に対してあるためには、私も他者も外部を持たねばならないということによって、身体の問題が哲学における中心課題の一つとなるということも了解せられるであろう。

 こうしてメルロー・ボンティは次のように言う。

《自我と他我のこうしたパラドックス、弁証法を可能ならしめるのは、ただ次の限りにおいてだけである。すなわち、自我と他我が彼らの状況において規定され、一切の内属から解放されていない限りにおいて、つまり言い換えれば、哲学が私への還帰によって自らを完結するのではなく、私が反省によって見いだすのは、私自身への私の現前のみならず、〈異邦人的観察者specteur ètranger〉の可能性をも見いだす限りにおいて、さらに言い換えれば、私が私の実存を感じる瞬間に、そして反省の極みに至るまでも、やはり私は、私を時間から逸脱せしめる絶対的密度に欠けているのであり、私は私が絶対的な個人であることから妨げ、私を人々の間のひとりの人として、あるいは少なくとも、諸意識間の一意識として自らを他者のまなざしにさらしているという、いわば内的な弱みfalblesse interneを自らのうちに見いだすのである。》(P.p.p.Vll)

 以上のように、他者の存在を認めることによって、「私がもっている私自身についての思惟1a pansée que jái de moimême」という意味でのコギトの不完全さが露呈されることになる。

 こうして、
《コギトは私を状況のうちに見いだすのでなければならないのであって、超越論的主観性Subjectivité transcendantaleがフッサールの言うような相互主観性intersubjectivitéであり得るのは、こうした条件であってはじめてそうなのである。》(P.p.p.Ⅶ)

 つまり、事実についた哲学である限り、超越論的主観性といえども、他者との交流のうちにあるものであり、絶対性への志向をもちながらも、決してそれだけで自足してしまう絶対的なものではありえず、それ自体、たえず自己検証を必要とする、いわば開かれた主観性としての相互主観性と見なされねばならないことになるのである。すなわち、思惟するということは、たしかに、私が考えるのであるが、その考えている私自身も、常に探求の対象として、哲学的探求の場としての現象学的世界のうちに正しく据えられねばならないということを意味する。そしてここに、われわれは、「開かれた哲学」としてのメルロー・ボンティ哲学を見いだすことができるのである。

《真なるコギトは、主体の実存を、主体が実存するということについてもっている思惟によって定義することはないし、世界の確実性を、世界についての思惟の確実性に変えてしまうこともなく、つまり、世界そのものを、世界という意味に置き換えてしまうこともないし、それどころか真なるコギトは、思惟そのものを破棄できぬ一つの事実として認め、自らを(世界内存在être au monde)としてあらわにすることで、一切の観念論を斥けるのである。》(P.p.p.Ⅶ)

 こうしてわれわれは、どうもがいたところで、自分で絶対的と思いこんでいる思惟さえも、世界に属してしか存在できないということを、他者の存在から認めねばならないことになり、現象学的還元によって見いだされるところのものも、こうしたわれわれの逆説的な存在の仕方なのである。

《現象学的還元の最大の教訓は、完全な還元は不可能であるということである。》(P.p.p.Ⅷ)

 つまり現象学的還元とは、自己の世界への内属を徹底的に自覚するところにこそあるのであって、それこそが人間存在としての動かしがたい事実としてのありようなのであり、そのことを忘れ、自己の論理の絶対性を説こうとするのは独断論にすぎず、メルロー・ボンティはそれに至る思考を、自らの起源を忘れた〈上空飛行的思考〉として排する。

 こうして他者の存在は、普遍性を目指す哲学において、その絶対性をたえず動揺させてしまうものとしてある。つまり他者の存在は、哲学の原理に組み込まれて在る。こうして、メルロー・ボンティ哲学の中で、他者の問題が中核的位置を占めることになるゆえんも明らかであろう。また、他者の存在は、われわれが現に生きているという事実に即して、われわれが最も根源的なところに立ち帰ったところで問題になるのだということによって、この章の冒頭にあげたメルロー・ボンティの言葉もおのずと了解せられるのである。(つづく)

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大勢の人前に出すのは初めてなので、まだまともに批判してもらったことのないものです。よかったらつづけます。

>身体の一部を動かそうと(〈意識〉の中で)思ったとき、実際には、それ以前に、その身体の一部を動かすための活動が脳において始まっていると言う問題があります。つまり、われわれはあることをなそうと意志し、それが原因で行為が引き起こされると考えるのが普通です。

こう考えてしまうのがデカルト的発想で、これをメルロー・ポンティはひっくり返しています。

投稿日 : 2003年08月29日 06時 4分
投稿者 : 管理人
Eメール :
タイトル : メルロー・ポンティ哲学における他者の問題(2)
URL :
とりあえず続けさせてください。最初よりちょっと具体的になるので「なるほど」と思っていただけるところもあるかもしれません。23、4才の頃それまでの総括みたいな思いで書いたもので、具体的な分、恥ずかしくもありますがご容赦ください。論旨としては今読んでもそうは狂ってはいないと思えるのですが、自分でそう思っているだけかもしれませんのでご批判を。

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第二章 メルロー・ボンティ哲学における他者の問題

 メルロー・ボンティ哲学において他者の問題は、第一章で見てきたように哲学の原理に関わる重要な問題である。したがって、他者については、彼の著作のいたるところで言及されている。この章では、彼の主著『知覚の現象学』第Ⅲ部“知覚された世界Le Monde perçu”の第Ⅳ章“他者と人間世界Autrui et le monde humain”(P.p.p.398-419)に拠りながら、他者についての知覚、他者の存在について考える。

 メルロー・ボンティは『知覚の現象学』の序文で“現象学とはどういうものか”について述べながら、次のように言う。

《われわれは、われわれ自身のうちにこそ、現象学の統一性と真の意味を見いだすであろう》(P.p.p.Il)

 こう述べているメルロー・ボンティが、そのように考える現象学の場に自らを据えて自分の論を進めている以上、それに相対するわれわれも、常に自分自身との関わりにおいて生きていることについての意味を明らかにすることができてはじめて、メルロー・ボンティ哲学の真意も了解されるはずである。メルロ←・ボンティが言うように、(合理性rationalitê)とは、あらかじめどこかに真理として存在し、哲学者がそれを見いだしてくれるのを待っているのではない。われわれはすでに真理のうちにあるのであって、つまり、われわれが現にこうしてあるということが真理なのであって、〈合理性〉とは、われわれが現に生きている生のうちでおのずと生じてくる意味なのであるから、それゆえ、その検証は、われわれが生きてしまっている、そして現に他者と共に生きている、われわれ自身の生との対比においてのみ可能なのである。

  Was vernünftig ist, das ist wirklich;合理的なもの、それは現実的であり、
 und was wirklich,das ist vernünftig.現実的なもの、それは合理的である。

 このへーゲルの有名なテーゼは、メルロー・ボンティの哲学において、われわれの開かれた生の立場から、あらためて確認されようとしているということができるのである。

第一節 生きられた世界での他者

 まず〈生きられた世界le monde vécu〉【註】において、他者はどのようにして私に現れてくるかについて考えてみる。

 メルロー・ボンティは、ドイツの心理学者ゴルドシュタインGoldstein,K.に拠りながら、次のように言う。

《相手がどうも私の合図に従いたくないらしいということに私が気づいて、その結果、私が自分の動作をもっと強調したとき、そこには二つのはっきり区別された意識的行為(相手の気持ちを感じ取ることと、私が動作を強調することとの二つの行為を私の意識において自覚的に行うということ一引用者註)があるわけではない。そうではなくて、私が相手の渋りを認めると、何の思惟も介在させないで、この状況からすぐさまわたしのじれったそうな動作が飛び出してくるのである。》(P.p.p.129)

 われわれの体験をふりかえってみれば、ただちにこれに類した状況を思い浮かべることができる。たとえば、私がAさんに対する時とBさんに対する時とでは、明らかに自分の態度も語り口も違ってしまっているのに気がつく。このことが自我の統一、アイデンティティを求めることにおいて強烈かつ真撃な青春期において何とも不可解で、このことのゆえに自分を偽善者と考え、しばしば自己嫌悪に陥る原因になるところである。この問題は、自らの内なる倫理に関する重要な問題を含んでいるのでまた後に取り上げて考えることにして、他者は、われわれが他者を他者として明瞭に意識し、それに対して私が何らかの関係づけを行う以前に、すでに他者としての何らかの様相をもって私にとって在るということは、われわれの経験が承知していることである。

 吉本隆明の『初期ノート』に次の一節がある。

《人間が他人を認識するのは習熟によってであり、その習熟が如何なる種類のものであっても、この原則は正しく適用されて誤らない。》(『初期ノート』試行出版部p.139)

 ここで言われた「習熟」の語を、後に触れるメルロー・ボンティの〈習慣〉という語に置き換えてみれば明らかなように、他者はわれわれの生きられた世界にわれわれと共に在り、共に生きていこうとする限りで他者を問題にしようとするならば、われわれが現実の中で生きることによって、つまり思惟によってではなく、他者を知ってゆくほかはないと、吉本の文章は言っているように思われる。たとえば、相手次第でその語り口を変える敬語の使い方も、われわれが教えられ、そうするように意志してきたゆえに自分のものとして所有したというより、実際の他者とのぶつかり合いの中で、ひとりでに身についたものなのである。そこで、それがどうして可能なのかをメルロー・ボンティに即しつつ考えてみる。

【註】(生きられた世界)
《最初の哲学的行為は、客観的世界の手前にある生きられた世界にまで立ち戻ることである。》(P.p.p.69)
《事物そのものに立ち戻るとは、認識が常にそれについて語っている認識以前の世界に立ち戻るという
ことである。》(P.p.p.Ⅲ)

第二節 従来の二元論を超える概念としての〈行動〉概念

 われわれは即自存在の体系に還元されてしまうような客観的な対象物の一つとして、全く世界の中に組み込まれてしまっているのでも、また純粋な対自存在、すなわち世界への内属から完全に解き放たれた純粋意識に還元されるものでもない。なぜなら、私が即自の体系として、世界のうちにすっぽり入り込んだままであるとしたら、私にとって世界は、それがあるようにしかなく、したがって世界について思惟をめぐらすこともできないことになるであろうし、当然その場合、他者が私の外で思惟していると考えることは不可能であろう。また、私が純粋意識としてあるとすれば、私の世界での行動の一切が私にとって明瞭であり、また世界も全て私の意識のうちに収めうるということになるであろうが、事実としては、自分がなぜそうしたかわからない行動をしているのは常に経験していることであり、またかりに、私が世界の全てを手中にしたと思えたとしても、他者が、私が手中にしたと思っている世界の果てでやはりその他者なりの世界を作り上げているということの説明が付かなくなる。いずれの場合も、他者を他者として問題にできないのである。つまり、いずれにおいても他者の問題が躓きの石なのである。

 それに対してメルロー・ボンティは、人間存在を、生きられた経験において、〈世界内存在〉【註1】としての地平で考えることで、人間のあるがままの経験を哲学の中心に呼び戻し、そのことによってまた、他者の問題についても、それがわれわれに現れるあるがままのかたちで問題にしようとしたのである。

 デカルト以来の身体と精神の二元論、すなわち、存在の系列を即自存在と対自存在とに分け、それらを相容れない相互の独立したものと考える立場にあっては、他者は常にパラドキシカルな存在であった。つまり他者は、私にとっては他の客体と同様即自的なものでありながら、その他者自身にとっては対自的に存在しているのである。そこには、〈私〉とは私によってしか近づき得ないものでありながら、他者の存在を認めようとする限り、私によっては近づき得ない別の(私)があることを認めざるを得ないという矛盾が存在することになる。この矛盾は、私が他者を私ではない私として、心理作用を持つものとして知覚するのは、私が持っているものと同じ他者の身体から、観念連合とか判断とかによって、推測することによってのみ可能であるというように説明されてきた。【註2】

 しかし、あらためてわれわれの経験を反省してみるまでもなく、また第一節でも明らかにしたように、他者は、私とは別の、そして私と同じような(私)として、私の知覚と同時にすでにそこにあるのであって、観念連合とか判断とかの作用がそこではたらいていると考えるのは、説明づけのための理屈にすぎない。ではここのところをメルロー・ボンティはどう説明しているかみてみよう。

《われわれは、われわれが個人的世界のうちに挿入されているものとして、展望perspectiveと視点poinnt de vueとを概念せねばならない。そして知覚は、真なる客体を構成するものとしてではなく、われわれがものにくっついていることnotre inhérence aux choses、として概念せねばならない。意識は意識自身のうちに、感覚領野と一切の諸領野の領野としての世界を伴って初源的過去の不透明さを見出す。もし私がそうした私の意識の、身体や世界への付随を経験しているとすれば、他者の知覚や複数の意識ということは、もはや困難さをあらわすことはない。もし知覚している私に対して、知覚している主体が、世界に関しての原初的結合を備えてあらわれており、その背後に、私にとってそれなしではほかの何ものも存在し得ないあの身体的なものを引きずっているとすれば、どうして私が知覚している他者の身体もまた、意識によって住まわれていないことがあろうか。私の意識が身体というものを持っているならば、どうして他者の身体が意識を持っていないということがあろうか。》(P.p.p.403)

 このように、意識と共にある身体、身体と共にある意識と考えることによって浮かび上がってくるのが(行動)の概念である。

《われわれは、目に見える身体の上に、身体によって素描され、身体によってあらわせしめられるが、しかし実際には、身体に押し込められているのではない(行動)を取り戻さねばならない。》(P.p.p.403)

 この(行動)の概念は、対自存在に還元することも、すなわち精神に還元することも、即自存在、すなわち身体に還元することもできない、われわれの生きられた世界に即してある第三のジャンルともいうべきものである。そしてこれを、われわれにとって事実としてあるがゆえに、根源的であると見なすとすれば、意識についても、《構成する意識や純粋な対自存在としてではなく、行動の主体として、世界内存在あるいは実存existenceとして》(P.p.p.404)概念せねばならないことになる。

 メルロー・ボンティはフッサールに拠りながら、次のように言っている。

《意識とは原初的には〈われ惟うje pense que〉ではなく、〈われ能うje peux〉である。》(p.p.p.160)

 一方、身体についても、即自存在と見なされる客体としてではなく、《私が住み着いているもの》(P.p.p.404)、《身体の意識が身体全体に浸透しており、身体のどの部分にも精神が拡散している》(P.p.p.90)、いわば、《主体的客体subjective Object》(“哲学者とその影”『シーニュ2』木田訳p.15  この語はフッサールによって用いられたものであるという)として概念せねばならないことになる。

【註1】〈世界内存在être au monde〉
《人間は世界に属してあり、人間が自らを知るのは、世界の中にあればこそである。》(P.p.P.Ⅴ)《諸刺激からは相対的に独立して、われわれの世界のある種の接続性というものがあるわけで、これが世界内存在を(パブロフの条件反射説、あるいは行動主義が考えるような―引用者註)単なる反射の総和として扱うことを禁じているのだ。また同じく、われわれの意志的思考から相対的に独立して、実存衝動のエネルギーというものがあるわけで、これがまた世界内存在を一つの意識的な作用として扱うことを禁じているのである。世界内存在とは、(主体と対象とを分けて考えることのできない―引用者註)前客観的な視界であればこそ、あらゆる第三者的過程、res existensa(延長的)のあらゆる様相からも、また同じくあらゆるcogitatio(思惟)、あらゆる第一人称的認識からも区別されうるのであり、そうであればこそ、それは〈心的なもの psychiqu〉と〈生理的なもの physiologiqu〉との〈内在的な―引用者註〉接合を実現することもできるのである。》(P.p.p.95)

【註2】古典心理学(ゲシュタルト心理学以前の心理学)における他者の知覚
《古典期のあらゆる心理学者たちの暗黙の相互了解を支えていた一点は次のことでした。つまり心理作用とか心的なものとは、当人にのみ与えられているものだということです。・・・・・そこから、他人の心理作用は、少なくともその現実存在そのものにおいては、私には全く接近できないものだという考えが帰結します。・・・・・私はそれを・・・・・私が目撃する一連の身体現象から仮定し、推測し得るだけだということです。》(“幼児の対人関係”『眼と精神』滝浦訳 p.129)

【註3】〈行動comportment〉
《(即自と対自の)二つの秩序のうち、前者は、出来事が相互に外から強制し合う〈外的なもの〉の秩序として、物理学的思考にとって透明なものであり、後者は、出来事がつねに〈意図〉に依存する〈内的なもの〉の秩序として、反省にとって透明なものであるから、〈知性〉にとってはいずれも透明である。しかし、〈行動〉はそれが構造をもつものである限り、二つの秩序のいずれにも位置しない。》(『行動の構造』滝浦・木田訳 p.188)

【註4】〈実存existence〉
《フッサールの独創性は、指向性の観念を超えたところにある。すなわち、それは、この観念を仕上げて、表象の指向性の下にもっと深い指向性を、他の人々が実存と名付けたものを発見したところにあるのだ。》(p.p.p.141脚注(4)傍点引用者)
《実存とは他の諸事に還元できるような、あるいは他の諸事実(〈心的事実〉)のような一連の諸事実ではなく、それらの諸事実が交流するあいまいな環境、あるいは、それら諸事実の限界がぼやけてくる点、またそれら諸事実の共通の緯糸trameである。》(p.p.p.194)

第三節 〈行動〉の地平での他者と〈無人称世界〉

 新たに見出された〈行動〉の地平で、他者の知覚についてあらためて考えてみる。

 生後15カ月の乳児の指をとって実験者の歯で噛むような動作をすると、その乳児は、自分の顔を鏡で見たこともないし、したがって、自分の噛む装置としての口と歯とが客観的(外見的)にどこに位置しているかも知らないはずなのに、乳児は自分の口を開くという。この乳児が、実験者の行動を見ることで、自分の指が噛まれそうだと感じて思わず口を開いてしまうというのは、他者の行為を自分の行為の表現のしかたと比較し、他者がそうした行為を行うのは、自分が噛もうと思った時の行動のしかたと同一である、それゆえ、その他者は私の指を噛もうとしているのだ、という一連の連合と判断とを行うことによっているのではない。そのように考える前に、乳児は思わず口を開いてしまうのである。

《彼(乳児)は彼の志向を彼の身体内部で知覚し、私(実験者)の身体を彼の身体でもって知覚し、そしてそのことによって、私の志向を彼の身体のうちで知覚する。》(p.p.p.404)

 こうした事実によって、身体のうちに、私にとっての身体を私が〈感じる〉という個体的な諸感覚の寄せ集めとしてではなく、いわば、身体のうちで身体によって対自化されてある世界における一つの系として、すなわち、《単に現にある位置の系としてだけではなく、さらにまさにそのことによって、他の定向orientation の中で無限に等価の位置をとりうる開かれた系》(p.p.p.16S)としての〈身体図式shéma corporal〉が想定される。この概念は、イギリスの神経学者ヘッド(Head,H)によってはじめて用いられ、その後ベルグソン哲学の中で重要な意味を持たされたと言われるが、カントの『純粋理性批判』において、《一方ではカテゴリーと、また他方では現象に適用することを可能にするような第三種のもの》(岩波文庫版 上 横田訳 p.214)という、つまり感性と悟性とを媒介することによって、個人的・特殊的なものを一般化へと導く〈図式〉概念を〈身体〉に適用したものと考えることができる。すなわち、私の身体は私のうちに閉じこめられてあるがままにそれだけであるのではなく、ただちに他者に対しても適用できるような〈身体図式〉をもつものとしてある、ということなのである。

《私が私の身体図式を作り上げたり、組み立てたりするにつれ、また、私自身の身体についてだんだん組織立った経験をするようになるにつれて、私が私の身体について持つ意識は、私がそこに埋没している混沌の状態から脱して、他人の名義に書き換えられ得る状態になります。それと同時に、知覚されようとしている〈他人〉なるものも、もはや自分のうちに閉じこもった一つの心理作用ではなく、一つの行為、世界に対する行動となってきます。》(“幼児の対人関係”前出p.126)

 つまり、身体自身に即した対自的な働きというものがあるのであり、私が自らについて反省をめぐらすことによって、自分の考えを対自化し、そのことによって他者の思想を了解するようになるのと同様に、私の意識以前のところで、身体がすでに反省作用を行い、そのことによって、他者の身体を、他者の存在を了解してしまうわけである。この身体のもつ反省作用は、私の右手で私の左手を触ってみると、まず、右手は左手を物理的客体として知覚する、ところが少し気持ちを変えてみると、私の左手の方が右手を物理的客体として感じ始めるようにもなりうる、という事実によって認められる。つまり、こうして身体は、私が自ら対象化した私によって、他者の思惟とのつきあわせを行うと同様に、身体は、身体の地平で対象化した身体像(身体図式)によって、他者の身体とのつきあわせを行っているということができるのである。【註1】 そして、身体が意識と分かちがたくあることによって、他者の身体が意識を住まわせていることもただちに了解することになる。

 さて、このように、身体のうちに前人称的主体による反省作用を認め、その地平での他者との交流を認めることで、われわれが〈私〉としてではなく、〈人〉としてある世界、〈無人称的世界〉を考えることができる。そこでは、私の知覚と彼の知覚とは、不分割のままでお互い交流しあっているのである。

《実際、他者は、世界についての私の展望のうちに取り囲まれてしまっているのではない。というのは、そうした展望は、それ自身規定された限界を持っておらず、他者の展望のうちに自発的に滑り込んで、私の展望と他者の展望とが共に、われわれの全てが知覚の無名の主体として参与している単一の世界に収斂されるからである。》(p.p.p.406)

 われわれは、思惟の地平においてさえも、たとえば対話の時のように、相手(他者)の考えていることがただちに私のものになったり、私の考えていることがただちに相手(他者)のものになったりするのはごくあたりまえのこととして経験している。【註2】〈私は私である〉という思惟の一方の極みから、〈私が世界の中で生きている〉という事実の方へ反省を進めてゆくと、その限界も定かならぬままに、どこかで〈私ではない私の世界〉とでもいうようなところへ踏み込んでしまっているような、そうした世界として〈無人称的世界〉はある。

《私が視覚的・聴覚的・触覚的領野といった感覚的機態を持っている限り、私はすでに心理的主体としてうけとられている他者と交流しているのである。》(p.p.p.406)

 われわれが、人間としての感覚的機能を持って生まれてくるのは、無人称的世界の極みにおいてである。そして、無人称的世界での他者との交流が、次第に自己を自己として、他者を他者として、まず前意識的な身体のうちで区別しはじめることを学び、さらに〈私〉という意識を持つようになるが、青年前期における「自我の発見」とか「第二の誕生」とか呼ばれるものは、他者と共にある世界に即してあった〈私〉意識が、思惟によってある世界に跳び込むことで、無人称的世界を他方の極とする一方の極へ一挙に跳び移ることであると考えることができよう。ある定まったところに「みんなと共にある世界」と「自分だけの世界」との裂け目があって、そこを一挙に跳び越えることで(自我)を見出すのでなく、ずっと連続しているにもかかわらず、跳び越してしまうと考えるのが適切と思える。青年後期はそうした実際のありように気がついてゆく過程としてある。

 他者と共に生きている世界と私の思惟の世界とは、現にあるがままの経験のうちでは連続している。いいかえれば、即自存在と対自存在とは、私が身体をもって世界の中で生きているというそのことのうちで融合している。にもかかわらず、その思惟する本性によって、その極においては〈私は私である〉と言い切ることが可能であり、そうした思惟をもって生きてゆかざるをえないというところに、人間存在のもつ宿命があり、他者が問題にならねばならない所以がある。それが以下で問題になる。

【註1】身体と思惟の対応
 メルロー・ボンティは身体の運動性について述べたところで、《習慣とは、新しい道具を自分に付加することによって、われわれの世界内存在を膨張させること、ないしは実存のあり方を変えることの能力の表現である。》(p.p.p.168)と言っているが、これを思惟の地平に対応させて、「認識とは、新しい知識を自分に付加することによって、われわれの内的世界を膨張させること、ないしは、実存のあり方を変えることの能力の表現である。」と言うことができよう。

【註2】他者の思考の了解、あるいは共有
 このことを不思議と考えるのは、他者と共にある相互性を離れ、思惟の地平のうちで私が考えるからである。これは、「心は私だけのものだ」という近代の常識が不思議と思わせるのである。しかし、その常識もわれわれにとって現実である以上それなりの必然性を持っているのであり、そこから逃れることはできない。

【註3】
 メルロー・ボンティは、常に世界との関わりにおいてある知覚を根源的なものと考えることで、また、感性の地平にある無人称的世界を、思惟の地平での人称的世界の下層にある根源的なものと考えることで、従来の哲学を支配してきた理性を絶対優位に置く考え方を内在的に転倒させている。柄谷行人は、メルロー・ボンティの《われわれはもはや、知覚とは端緒における科学だとは言わないで、逆に古典的科学とは、おのれの起源を忘れて自らを完結したものだと思いこんでいる、知覚のことだと言おう。》(p.p.p.69)という文章と、吉本隆明が埴谷雄高を批判する《完全な転倒は・・・・・直観・悟性・理性というような認識の秩序そのものを転倒して、理性的な思考が直観的であるような世界を設定することでなければならなかったはずである。》(「埴谷雄高論」)という文章を対応させて次のように言う。

《直観・悟性・理性といった認識の位階は、そのまま大衆・準知識人・知識人という位階に対応している。・・・・・吉本隆明の言うのは、そういう位階そのものの完全な転倒である。ベルグソンやメルロー・ボンティは、認識の位階を転倒するという意味で徹底的であったが、後者の位階に関して無関心だったはずだ。》(“心理を超えたものの影”『群像』昭47/2月号 p.225)

 この柄谷行人による、同じ場所に立つかに見えるメルロー・ボンティと吉本隆明との相異の指摘は、西洋と日本における思想のあり方の違いに思いを及ぼさせてくれる。すなわち、事実を事実として、あたりまえのことをあたりまえのこととして語るのに、メルロー・ボンティは、哲学的伝統の中での知的必然性に従うことで可能であったが、吉本隆明の場合、個人的体験の深化によって可能となった。言い換えれば、メルロー・ボンティが〈相互主観性〉に依って言い得たことを、吉本隆明は〈私〉に徹することで言い得た、と。

第四節 〈他我〉としての他者

 これまでは、〈私〉と〈他者〉が互いに自分についての意識を持たず、〈人〉という一般性に解消し得るような地平での関係が問題であった。しかし、これで他者の問題が終わつたのではない。ここまでのメルロー・ボンティの議論は、他者がわれわれにあらわれるがままに捉えきれなくなっている従来のような心身二元論に対して、新たな視野を提供したという一面をもつ。これからはいよいよ、他者が他者として、われわれにとって問題になる場で他者が論じられる。

 メルロー・ボンティは言う。

《しかし結局、他者の行動、また他者の話すことさえ、他者ではない。他者の悲しみや怒りは、決して彼にとってと私にとってとで同一の意味をもつものではない。彼にとっては、それは生きられている状況situation vécues であり、私にとっては、それはくりひろげられてある状況situations apprésentéesである。》(P.p p.409)

《彼の意識と私の意識とは、それぞれ自分の状況を通じて、そこで両者が交流するような共通の状況を作り上げようとしたところで、その〈単一〉の世界をおのおのが作り上げるのは、おのおのの主観性に発しているのである。》(P.p p.409)

《他者についての知覚の困難さは、客観的思惟(身体と精神の二元論)に由来するのでは全くなく、またそれは、行動の発見と共になくなってしまうものでもない。》(P.p p.409)
《私と他者との闘争は、他者について思惟するときにのみ始まるものでもなければ、不定立的意識へ、非反省的生へ思惟を還帰させたところで消えてしまうものでもない。》(P.p p.409)

 これまでの議論は、私と他者との交流が交流としてスムーズにいっている限りでの行動の地平にあった。そこでは、他者も私も、〈個体性〉をもつものとしてはじめて〈人〉でありえたにせよ、それは、〈一般性〉に解消されてしまっているところで問題になっていたのである。しかし、私とは一般性に解消されてしまうような存在ではないし、同様に、他者も一般性に解消される存在ではない。ここに(自我Ego)と〈他我autre Ego〉の問題が生ずる。現実に、何らかのかたちで他者が私にとって存在している(私が他者を意識している)時、われわれはこの、〈自我〉と〈他我〉の問題に直面しているのである。

《相互性のないところでは(他我)は存在しない。》(p.pp.419)

 このことはどういうことか。メルロー・ボンティは(片想い)と思われる例で説明しているので、私なりに敷衍してみる。

《人間の人間に対する直接的な、自然的な、必然的な関係は、男性の女性に対する関係である。》(マルクス『経済学・哲学草稿』岩波文庫 田中・城塚訳 p.129)

《一方の個人が他方の個人にとってよそよそしい〈他者〉でなく、勝手に消し去ることのできない総合的存在としてあらわれる心的相互規定性は、一対の男女の(性)的関係に基づいてあらわれる対幻想においてだけである。》(吉本隆明『対幻想論』p.76)

 男女間のいわゆる〈愛〉とは、全的に〈私〉でありつつ、全的な〈他者〉として、相互に心的関係を結ぼうとするところに、その本質的志向があると考えられる。しかし〈片想い〉は、一方にその志向が働いているにもかかわらず、他の一方にはそれがない。すなわち、〈私〉は〈他者〉の存在全てを、〈私〉と同価のものとして〈私〉にとってあらしめようとするにもかかわらず、その〈他者〉は、〈私〉にその全てを開いてくれようともしないし、〈私〉を自らのうちに取り込もうともしない。〈片想い〉をしている〈私〉の側に生ずる心の動きを記述してみよう。

 私は、ある異性としての他者との自然な交流がある。それはまだ一般性に解消し得るような交流であり、他者を別段他者として意識することもなく、私を私として意識することもない。ところがあるきっかけで、その異性の他者を好きになり、他者を他者として意識するようになった。と同時に、そのとき、他者は私にとって〈他者〉になってしまっている。つまり、交流のうちにあったあるがままの他者から逸脱させ、他者から私にとってのものを剥奪することで、私のうちに〈他者〉を構成することになる。実際の交流のうちでは、他者は自らの一部しかあらわしてはいないにもかかわらず、私は他者の全てを自らの手中に収めたいという私の志向によって、このずれは必然的である。私は自らを他者に委ねることで、わたしにとっての〈他者〉の確証を得るべく、新たな相互性へと目指す。他者の寛容さのゆえに新たな相互交流の場が実現し、私が自らを全的に他者へと委ねようとしているにもかかわらず、他者が全面的な相互交流のうちに入り込もうとはしてくれない限り、私は十分な確証を得られぬまま、自らの世界に、あらためて〈他者〉を作り上げる。つまり、このような〈片想い〉は、私による〈他者〉の構築と、私を他者に委ねるという二つの様相を持ちつつ展開される。しかし、その他者が、私が他者に対して与えるだけのものを私に与えることで共に生きようとしない限り、私はいつも一人相撲である。

《共存coexistence とはどんな場合でもお互いによって実際に生きられているものでなければならない。》(P.p.p.410)

 実らぬままの〈片想い〉の虚しさは、共に生きようとして生き得ず、〈他者〉を勝手に自分のうちにでっちあげるか、代償の得られぬままに、私にとっての私を他者にまるっきり委ねてしまうというところにある。その空虚さを救ってくれるものがあるとすれば、そればナルシシズムだけである。

 さて、この〈片想い〉に見る心の揺れ動きは、私と、私がいささかでも関わりあおうとしている一般的な他者との関係にまで敷衍することができるように思える。

《私は、厳密に言って、他者と共通などんな地盤も持っておらず、彼の世界をもつ他者の位置と、私の世界をもつ私の位置とは二者択一をなしている。(つまり)ひとたび他者が定立されると、(たとえば)他者のまなざしが彼の領野のうちに私を入れ込むことによって私の存在の一部を剥ぎ取ると、彼に対して私を知らしめることで他者との関係を取り結ぶことによってのみ、私は私の存在の一部を取り戻しうる。》【註】(P.p.p.410)

 つまり、私が私の〈自我〉までひっくるめて私であろうとする時、その時、行動の地平で持ち得たような他者との共存の地盤を失っている。そこでは、私が〈私〉に向けられた他者のまなざしを意識した途端、それまで私自身に向けられていた私の意識は、他者へと向かうことによって私を離れ、そこで再び私に戻ろうとしても、そこに私を見ている他者が居て、そういう他者を私が意識している限り、私は、他者にとっての(私)でしかあることができない。こういう状態で私が私であるためには、他者に私の一部を譲り渡すことで、他者を自らのうちに作り上げることによるしかない。つまり、「あいつ、おれを変なやつだと思って見ているな」というように、私の持ち分を相手に呉れてやって、と同時に、私が勝手に他者の気持ちを私の内部に作り上げることで、私は私を取り戻すのである。その意味で、心の通いあいのないところでの他者とのつきあいは、ある苦さを伴わざるを得ないのである。

【註】
 吉本隆明はこのことを次のように言う。
《この種の(対幻想以外の場合一引用者註)個人と個人の心的な相互規定性では、一方の個人がじぶんにとってじぶんを〈他者〉におしやることによって他方の個人と関係づけられる点に本質がある・・・・・。一般にわたしたちが個人として、他の個人を〈知っている〉というとき、わたしたちはまず自身を〈他者〉とすることによって、はじめて他の個人に〈知られる〉という水準を獲得する。・・・・・一方の個人が他方の個人にとってよそよそしい〈他者〉ではなく、勝手に消し去ることができない総合的存在としてあらわれる心的な相互規定性は、一対の男女の〈性〉的関係にもとづいてあらわれる対幻想においてだけである。》(『共同幻想論』河出書房 p.76)

 この章の始めに言及した、特に青春期において強烈に体験される自己分裂の悩みは、〈自我〉に目覚めそのことにもっぱら関心を向けている自分が、他者との関わりの中で生きてゆかねばならない以上〈私〉を容赦ない他者による収奪に曝されながら生きてゆかねばならないということに、対他的な自己の未確立のゆえに耐え難く感じられるということに起因する。吉本隆明に即して言えば、吉本は人間の幻想〈観念〉領域を、個人幻想、対幻想、共同幻想の三つの軸において考えるが、対幻想(親子関係、友人関係にまで敷衍しうる)のないところでの他者との関係は、個人幻想を他者による収奪に曝すか、共同幻想のうちに折り合いを見出すかのいずれかであるが、青春期とは、そのいずれも認めがたいということで最もラジカルな時期である。そしてまた、このことは決して青春期特有の問題として片づけることはできない。われわれが厳密に言って他者との共通の地盤を持たず、それゆえ、一個の〈私〉として生きてゆかねばならないにもかかわらず、他者との関わりの中で生きてゆかざるを得ない限り、青春期の特徴というにとどまらず、人間存在のありようのゆえの本質的な問題なのである。またこうした人間存在のありようなればこそ、われわれが生きてゆく上での真の心のふれあい、通いあいが本質的な価値としてわれわれの前に立ち現れてくることを確認しておかねばならない。(つづく)

投稿日 : 2003年08月30日 07時52分
投稿者 : 管理人
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タイトル : メルロー・ポンティ哲学における他者の問題(3)
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これで終わりです。

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第五節 〈自我)の共存の問題――独我論の可能性

 われわれは先に、意識を〈je peuxわれ能う〉と考えることで、行動の地平での他者との共存を確認することができた。ところがひとたび自我と他我が問題になるや、われわれは他者との共存の地盤を失い、再びコギトの深みに落ち込んでゆくかに見える。

《客観的思惟とか、その結果としてのコギトの唯一性は何ら虚構ではなく、それはわれわれがその基礎をこそ探し求めねばならないようなしっかりした根拠のある現象なのである。》【註】(P.p.p.409)

 メルロー・ボンティは、一切を即自存在に還元しようとする科学的思惟と、その対極にありながら同一表面上にある、思惟の極たるコギト絶対視の考え方を批判することで、他者の知覚を明らかにした。しかしわれわれ人間存在が、それぞれ独自なかけがえのない存在としての〈自分〉でもある以上、決して一般性のうちに解消させてしまうことはできない。私は、無人称的世界に住みつつ、私の世界にも住んでいるのである。

《実存はつねに、実存が参与しようとしている諸行為、つまり単なるそれ自身の諸様相、その超えがたい一般性の諸変容にすぎない諸行為の手前にある。》(P.p.p.410)

《私自身の行為によって全ての面で超えられ、一般性のうちに沈められても、私は、それらの諸行為が実際に生きられているその人であり、その最初の知覚と共に、それが出会いうる一切をわがものとしてしまうあくことのない存在が開始されているのだ。》(P.p.p.411)

 われわれは、行動の手前にある実存を反省によってその深みから明らかにしようとする時、コギトに出会う。そしてそのコギトを真理の絶対的保証人として、そこから思惟を展開しようとするとき、独我論solipsismeへの道が開かれる。もしその時、コギトの極みで神に出会うことができるとしたら、コギトは一挙に私をも他者をも包摂することができるはずだ。そして、コギトの抽象性、絶対性のゆえに、コギトと神とは容易に移行しうるのである。しかし、メルロー・ボンティは言う。

《神においては、私は他者の意識を私の意識と同じように持つことができ、私自身と同じように他者を愛することができる。しかし、われわれが突き当たってしまった主観性というのは、神を召喚せしめるものではない。》(P.p.p.411)

 かりにコギトにおいて神を仮定するとしても、それはわれわれが今問題にしている〈現象〉の果ての問題であり、神を肯定しようとすることは、われわれにとって根源的である〈現象〉の否定によってはじめて可能なのである。われわれは、神を持ち出すのでなくして、われわれの生のうちに独我論を位置づけることを考えねばならない。

《私は一切の状況と、一切の他の人間が私の眼前に捉えられるように私が生きているとしてはじめて、私は一切の参加engagement から逃れ、他者を超越するのである。ところが他者は、私にとって少なくとも原初的意味を持っている。》(P.p.p.412)

《意識の複数性は、複数の独我論というバカげたものを現出させるが、そうしたことこそが了解されねばならない状況なのである。》(P.p.p.412)

《事実他者が私にとって存在している以上、孤独と交流とは二者択一の二つの項ではなく、単一現象の二つの契機であるに違いない。》(P.p.p.412)

 そこでメルロー・ボンティは、他者についての経験を反省とのアナロジーで説明しようとする。つまり、反省とは非反省的なものについての反省であるように、他者について考えるのも、すでに生きてしまっている他者の経験を現前させるということである。ということはつまり、最初に与えられる真理とは、反省されたものの地平にあるのではなく、非反省的なものの上に開いている反省に、非反省的なものを自らに奪い返そうとするところにあり、このことと同様に、他者の場合も、第一義的な他者の経験の真理は、自らの生のうちに引きこもって他者についてあれこれ思いめぐらすところにあるのではなく、私の実存に基づいて他者の実存を顕在化しようとする緊張、そして他者を他者として捉え返したその瞬間のうちにあるのである。意志的に思考をめぐらす時にではなく、生きている瞬間において、ある対象、ある問題が、ふとそれ自身の固有の様相を持って浮かんできて、それらをただちに了解するということがあるのだ。それと同様に、他者についても、日々の生活の中で、それ自身の実存において私に立ち現れてくるときがあるものだ。それが心の通いあいであり、心のふれ合いといえるものなのかもしれない。メルロー・ボンティは、そこにこそ第一義的な、私にとって顕在化される真理の場を据えようとしている。

 さて、この反省と他者の経験は、アナロジーが可能であるというだけでなく、非反省的な状態、あるいは生きられて共にある他者からどうやって抜け出てそれを対象化し、それゆえに己れの主観性のうちに、また私のうちに入り込むことができるだろうか、という問題において共通である。このことをメルロー・ボンティは、われわれが世界のうちに状況づけられ、投げ込まれておりながら、しかしその状況は、いわば逃れがたい宿命として私には全く見えないようにあるのではないという両義的な人間の存在の仕方によって説明する。そして、《私の自由、すなわち、私が私の一切の経験の主体であるための根本的能力である自由は、私が世界の中に投げ込まれているということから区別されるものではない。》(p.p.p.412)つまりわれわれは、決して世界から逃れでて全き自由と化すこともできなければ、世界にすっぽりはまりこんでただそれだけというように存在することもできないどっちつかずの存在なのであり、そうした存在であるがゆえに、そうした自らの存在仕方に眼をつぶり、他者と共に状況の中で生きながら、思惟のうちに逃れ込んで独我論を云々することも可能なわけである。

 メルロー・ボンティは言う。

《私は独我論的哲学を構築することはできるが、そうすることによって私は、話す人たちとの交流を想定しており、その交流に訴えているのである。》(P.p.p.414)
また、
《他者は私を客体に変形して否定する、私は他者を客体に変形して他者を否定するといわれる。(ところが)実際には、他者のまなざしが私を客体に変えるのは、両者ともどもがわれわれの思惟する本性nature pensantの底に退き、両者を非人間的なまなざしにしてしまって、おのおのがそれぞれの行動を(そのままに)取り返され、そして了解されるべきものとして感じるのでなく、虫けらを観察するのと同じように、観察される場合に限るのである。》(P.p.p.414)

 つまりそうした場合でも、ひとたび相手が私に語りかけてくれば、ただちに人間的な交流のうちに溶解してゆくのである。そして、
《たえず形を変える自由、思惟する本性、譲り渡すことのできないどん詰まり、特別の名称のない(全く私のうちに引きこもってしまっている)実存、それらは、私のうちに、また他者のうちに、全的な共感を限界づけようとするものではあるが、そのことは、交流を全く中途半端なものにしておくとしても、全く不可能にしてしまうものではないのである。》(P.p.p.414)

【註】
 メルロー・ポンティの思惟のあり方は、従来の思惟の一切を否定し、それにとってかわる自分の哲学体系を樹立しようとするのではない。そうではなくて、従来の思惟の一切を、一つの世界内の出来事として、それなりの必然的な根拠を持ったものとして肯定せんがために、徹底した自覚(第一章で明らかにしたように、それは絶対的な自己完結的な地点に至るものではなく、とどのつまり、他者との間で相対性に曝されている自己を見出すのであるが)によって、人間存在の根源にいたり、一切の〈上空飛行的思考〉を排することで、それぞれの思惟をそれ本来の指向において、われわれの生のうちに位置づけようとするところに特徴がある。底には、事実に対する醒めた認識がある。

第六節 他者と共にある世界

 われわれは行動の地平での共存から思惟の地平に降り立ち、各人の自我の深みに入り込んだとき、他者との共存は、自由の共存というパラドキシカルな問題に直面した。その問題の極には、超えがたい独我論があるように思われた。しかしメルロー・ボンティは、第一義的な真理を、非反省的なものと反省との接点に、他者との共存と己れの実存との接点に据え、またそのことによって、人間を、自由でありつつ状況づけられた存在、自由であることと状況づけられていることとが表裏一体をなす存在と考えることで、行動の地平よりさらに深く入り込んだところでの他者との共存を明らかにしたのである。独我論は《何ものでもなく、何事もなさない自らの存在を(自らに)証明しようとする人に限れば確かに真実》(p.p.p.414)であるとしても、そのように生きることは、われわれが存在しているということがそもそも世界に属してあるということによって不可態であるゆえ、独我論も哲学としては成り立ち得ないのである。こうしてメルローー・ボンティは言う。

《超越論的主観性とは、(自らのうちに閉じこもっているものではなく)あばかれた主観性であり、それゆえにそれは、相互主観性である。》(P.p.p.415)

 つまり、われわれが世界の中で生きているというところにこそ真理の基盤はあるのであり、そしてわれわれが生きているということは、私の顕在的な指向性には還元し得ない、より深い指向性を生きているのであり、それゆえに、明らかにされるべき真理は、自らの思惟のうちに構築されるようなものではなくて、あくまでわれわれが生きているという現象に即して、そこにより深い実存のありようを探ってゆくところに見出されるものであり、さらに、生きているということは、他者と共に生きているということであるがゆえに、真理を明らかにする主体としての超越論的主観性は、他者と共にある生の上に開かれた〈相互主観性〉であるということが、あらためて確認されるわけである。

 こうしてメルロー・ポンティは、机や椅子のような諸客体に還元しうるものからのみなる物理的・自然的世界(そこでは人間もそうしたものとして捉えられる)でもなく、また私の思惟する本性の方へ入り込んで得られるコギトの世界でもない、われわれが思惟する本性を持ちつつ、世界に属してしか生き得ない存在であるということによって生きている世界、つまり実存の地平にある世界としての文化的・社会的・人間的世界を見出すのである。

《社会とは、われわれがそれを認識しようとする時、あるいは判断を下そうとする時、すでにそこにある》(P.p.p.415)のであり、過去とか文明についての客観的・科学的思惟、そしてまた独我論も、そうした人間的世界を介してはじめて可能なのである。そして、《国家とか階級とかは、個人を外部から強いる運命でもなければ、また内部から強いる価値でもなく》、それは、われわれがすでにその中に住み込んで生きている《共存の様態modes de coexistence》(P.p.p.417)なのである。そしてまた、そうした人間的世界に住んでいればこそ人間によってつくられた諸道具のうちに、あるいは過去の文明の廃墟のうちに、人間の精神を読みとることができるのである。

 しかし、こうして見出された人間的世界のうちにわれわれが生きているとしても、全き他者との共存が保証されているわけではないことは、これまで述べたことからも明らかであろう。人間的世界のうちで、他者の行動、他者の言語を理解しつつ共存しているとしても、他者は私ではない他者である。メルロー・ポンティは超越の問題に触れ、われわれがそれを自らのこととして体験できないゆえ、そのものとしては思惟し得ない〈死〉と他者の存在を対応させながら次のように言う。

《結局、私の死の瞬間が私にとっては近づき得ない未来であるように、私は必然的に、他者の存在を決して生き得ないように運命づけられている。そして、にもかかわらず、各々の他者は、私にとって、異議を申し立て得ない様式として、あるいは忌避し得ない共存のまっただ中に存在するのであり、そして、私の生が社会的雰囲気を持っているのは、私の生が死すべきものという感じsaveurを持っているのと同様である。》(P.p.p.418)

第三章 われわれにとってのメルロー・ポンティ哲学と他者の問題

 第一章と第二章でメルロー・ポンティ哲学に即しつつ他者について考えてきた。私にとってはメルロー・ポンティもひとりの他者である以上、《私は自分自身を他人から借りてきているのだし、その他人は、私が自分の思考によって作り上げているのである》という《『われ』相互間のコミュニケーションにまつわるこの種の困難》(“哲学者とその影”『シーニュ2』木田訳 p.2)から逃れることはできない。つまり私がこれまでメルロー・ポンティに即してあるいは私に即して述べてきたことも、ある時は私の思考があるがままのメルロー・ポンティをねじ曲げ、またある時はあるがままの私がメルロー・ポンティによってねじ曲げられているということは十分承知しなければならない。そこでこの第三章では、一旦メルロー・ポンティから離れて私自身に立ち帰り、そこからメルロー・ポンティ哲学の他者の問題、あるいは彼の哲学全体について考えてみたい。そうした中で、われわれにとっての他者の問題をより明確に浮かび上がらすことができるかもしれない。そもそも、メルロー・ポンティ哲学において他者が問題であるがゆえに、われわれにとって他者が問題なのではなく、われわれにとって他者が問題であるがゆえに、メルロー・ポンティ哲学で他者が問題なのである。

第一節 「御前他(ひと)の心が解るかい」

 《「御前他の心が解るかい」》(夏目漱石『行人』兄二十)

 これは、《現在自分の眼前に居て、最も親しかるべき筈の人、其人の心を研究しなければ居ても立ってもゐられないというやうな必要》(同上)に駆られている一郎が、せっぱ詰まった気持ちで弟二郎に発する問いかけである。われわれの日々の生活の中で、他者が他者として問題になるということを収斂させるときの一つの極にある問題である。

 この問いにわれわれが答えようとする時、弟二郎が言っているように、《「他の心なんて、いくら学問をしたって、研究をしたって解りっこないだらうと僕は思ふんです。」》(同 兄二十一)またすでに引用したように、《人間が他人を認識するのは習熟によ》(吉本隆明『初期ノート』)る他はない。つまり、考えることではしょせん解決は得られないのだから、共に生きようとすることで解決してゆくほかはないというのが結局のところなのだろうか。第二章でみてきたように、《相互性のないところに他我は存在しない》というメルロー・ポンティも同じことを確認させてくれるように思える。

 《自分は、女の容貌に満足する人を見ると羨ましい。女の肉に満足する人を見ても羨ましい。自分は何うあっても、女の霊といふか、魂といふか、所謂スピリットを攫まなければ満足ができない。》(『行人』兄二十)

 他のスピリット、すなわち真の他我は、共に生きている相互性のうちでのみ掴まえうるものであるにもかかわらず、《ただ考へて、考へて、考へる丈》の一郎は、人間の思惟する本性のおもむくままに、コギトの深みへと落ち込んでゆく。しかしわれわれは、その一郎に対して、「とにかく共に生きようとして生きてみろ」と簡単に言ってしまうわけにはいかない。なぜなら、メルロー・ポンティが言うように、《共存とはどんな場合でも、お互いによって生きられているのでなければならない》(傍点引用者)なのだから。そして、スムーズにお互いによって生きられているところでは、他者は問題になりさえしないのだから。つまり、自らのうちに閉じこもって考えるだけでは決して解決することができないというのが他者の問題なのであるにもかかわらず、われわれが、相互に〈私〉である他者同士で生きてゆかねばならないがゆえに、つねに一郎の問いに象徴される問題につきまとわれざるを得ず、且つ、〈私である〉ということは、自らのうちで考える本性をもつということに他ならないということのゆえに、他者について考えざるを得ないということ、ここに一郎の苦悩の〈形式〉があるし、われわれにとっての他者の問題の一つの〈形式〉がある。

 メルロー・ポンティの哲学が一郎の問いに関して明らかにしてくれるのはここまでである。いわれてみればあたりまえのことにすぎない。そして、メルロー・ポンティの哲学が、まず両義的な存在としての人間存在の逆説的なありようへの〈驚き〉に端を発するものであるとしても(P.p.p.Ⅷ)、それがわれわれの存在の事実としてのありようである限り、あたりまえのことをあたりまえのままに明らかにすることを目指すものであり、それゆえこのあたりまえの結論は当然といえば当然である。従来の哲学が〈上空飛行的思考〉によつて自らの起源を忘れて当たり前さを見失っていたのに対して、哲学を、われわれにとってあたりまえの〈生〉のレベルにまで引きずり落としたというところにこそメルロー・ポンティの哲学の大きな意義があるのであり、われわれがメルロー・ポンティに対して限りない親しみを覚えるのもそのゆえなのである。とはいえわれわれは、あの一郎の切実な問いを、そしてまた、われわれにとっても切実なあの問いを、我々が他者と共に生き、他者に対して〈私〉として関わりを持たざるを得ないところでは、あたりまえのこととして生ずるやむを得ざる問題であると言って片づけることができるものだろうか。おそらくここでわれわれが、「にもかかわらずs」と言わざるを得ないところから〈倫理〉の問題は始まるのである。ここから、他者の問題は倫理の問題となる。

 先に私は、メルロー・ボンティの本来の意図に従えば「一郎の苦悩の〈本質〉」「他者の問題の一つの〈本質〉」とすべきところを〈本質〉とはせずに〈形式〉とした。それは次の指摘を意識してのことである。

《「本質を直観しようとするなら、一つの具体的経験を考察し、それを頭の中で変容させ、それがあらゆる連関のもとで実際にどのように変容するかを想像することに努めればよいのであって、この変化を通じてそこに不変のままに止まるものがあれば、それこそ当該現象の本質をなすものなのです。(以下引用略)」(“人間の科学と現象学”『眼と精神』木田訳p.52)ここで言われている「そこに不変のまま止まるもの」あるいは「その対象そのものが消え去らないもの」が、けっして実在の対象、現実的なもの(物体)を意味してはおらず、実在的な対象の形式(関係)にほかならないことはたれの眼にもあきらかである。それとともに、対象を想像力に対して不変なものとしてきりとるときは、たとえ現象学が対象の本質と呼ぼうが呼ぶまいが本質ではなく、形式(関係)にほかならないこと、また、この方法によって実在と観念、身体と心、現象と本体、主体と世界といった二元的な錯綜からは逃れることができることもはっきりしている。》(吉本隆明“心的現象論―身体論(Ⅰ)”『試行』№30 p.144)

 つまり、メルロー・ポンティが、相互主観性としての超越論的主観性の立場から人間存在の根源的なありようを明らかにし、われわれにおとずれる様々な問題の生じてくるその所以を明らかにしていることは確かであるとしても、苦悩はその形式においてではなく、まさにせっぱ詰まった苦悩として、あたりまえではないこととして、「にもかかわらず」の問題として、個々の人間にとっての問題としておとずれるものである以上、先の一郎の問いを考えるに際しては、その苦悩のもつ切実さを捨象してしまうことではじめて、あたりまえの結論に達し得たのではなかったか。そして、倫理とは、人間存在の根本的なありようのゆえに生ずるものだとしても、倫理そのものとしては、決して人間存在のありように還元しうるものではなく、個々の生のうちにのみ、その実存に即して存在するのであり、メルロー・ポンティ哲学における倫理の問題の欠落は、その認識主体を相互主観性に求めた時、おそらくメルロー・ポンティには倫理についての醒めた認識があったがゆえに、つまり、倫理とは、個々の生においてその実存に即しておとずれるものであることを知っており、したがって相互主観性の立場からは決して述べ得ないものであることを十分弁えていたがゆえに、倫理の問題の欠落は必然であったのである。

 吉本隆明は、《実存主義が克服することが困難な重みを持っているのは、たんにフッサール、ハイデッガー、ヤスパース、サルトル、メルロー・ポンティのような個人としての巨匠を系譜の中にもっているからだけではない。人間の社会的存在が、単に形式的存在にしかすぎないほどアトマイゼ←ションをうけている現代の情況的課題を本質論として哲学の中に繰り込んでいるからである。》(“情況とは何かⅣ”『自立の思想的拠点』p.135)としつつも、先の引用に続いて次のように言う。

《つまり、事物のあまりに異様な関係に耐えられなくなった事物を救済するために、この種の現象学的還元が極めて有効な遁走であるという事実が、思想的に貴重な課題を提示しているということをみとめなければならない。》(“心的現象論”同上 傍点引用者)

 現象学的還元を「遁走」と見る吉本隆明はいったいどのような課題に直面しているのか。

《たとえ戦争があろうと平和であろうと、自分の隣にいる人間や、自分の肉親の死であっても、あるいはそういう親近な人間の窮乏や絶望であっても、自分はおなじ痛覚としてそれをかんずることはできないという人間の社会における存在の仕方、人間と人間の関係のしかたがおそろしいのである。・・・・・いつかわたしも人間は他者を自分として感ずることができるかという人間の社会的存在の仕方にとっての最後の問いにこたえねばならぬと考えた。》(“鮎川信夫論”『自立の思想的拠点』p.276)

 この文章を、先に(第二章第三節)引用したメルロー・ボンティの《しかし結局、他者の行動、他者の話すことさえ、他者ではない。他者の悲しみや怒りは、決して彼にとってと私にとってとで同一の意味をもつものではない。》 という文章と引き比べてみれば、吉本隆明はまさに、「にもかかわらず」の問題、つまり根源的なところでの倫理の問題を思想的課題として、正面から取り上げようとしていることは明らかである。【註】

【註】
 次のような文章がある。
《かつて〈私は足が悪くて正常に歩いたり活動したりすることができない。そのためにいわれのない差別を受けることがしばしばである。これに対してどうすればよいか。〉と問われて応えることができずに立ち往生したことがある。また、〈自分は交通事故で利き手を切断した。そして今まで考えたこともないような混乱を感じている。どういうふうに自分を納得させればよいのかまったくわからない。どうすればよいのか。〉と問われて、どんな助言をしても、私はあなたに入り込むことができないと思う。そこで何も云うことができないと応えるほかなかったことがある。しかし、この体験は、私にとって内心では衝撃であった。/この問題に倫理的にあるいは善意で接近しようとすると、どうしても〈他者〉の身体は〈自己〉の身体ではないという絶対的な壁につきあたるようにみえる。つまりこの壁のところで、倫理は、傍観者や非体験者のやくざな傲慢な〈同情〉や〈親和〉感に、いはば宗教や公共体の〈事業〉に似たところに転化する。あるいは〈心情〉は他者の身体に同化し、利己心だけは棚に上げて、たれからもふれられたくないという分裂と矛盾に見舞われる。そこで迂遠なようでも、この問題に接近する回路を手探りしたほうがよいように思われる。》(“心的現象論―身体論Ⅴ”『試行』№34 P.26)

第二節 私でありつつ私でない私

 さて、《私は自分自身を他人から借りてきているのだし、その他人は、私が自分の思考で作り上げているのである》にもかかわらず、私は私であり、他者は他者であるという事実は、もう一つの他者の問題を提示する。「御前、他の心が解るかい」という言葉に象徴されるのが、われわれは他者を自分の思考によって作り上げてしまうのであって、決して他者そのものになりきることはできないということにおいて、他者の問題の一方の極にあるとすれば、もう一方の極には、私は私でしかないにもかかわらず、他者と共に生きている限り、メルロー・ポンティの言う「内的な弱み」を自らのうちに見出さざるを得ず、決して完全な私であることができないという問題がある。次の言葉がこの問題を象徴する。

《僕は僕の歩みを決定する。だが他人にとって僕の歩みだけが僕だ。これは魔法のやうに僕を怖ろしくさせる。》(吉本隆明『初期ノート』p.30)

 メルロー・ボンティ哲学に従えば、私とは〈対自〉としての私だけではなく、〈対他〉としての私でもあると言うところにこの問題の〈形式〉がある。メルロー・ポンティは、〈対自〉としての私のうちにある「内的弱み」を自覚することで、世界のうちにあって他者と共に生きている、〈私でありつつ私でない私〉を、〈根源的な私〉と考えた。しかしこの問題も、メルロー・ポンティが〈独我論の真理〉のそれなりの存在理由を認めざるを得なかったように、愛憎を伴いつつ生きている生活の中では、やはりわれわれにとっては〈にもかかわらず〉の問題としてある。メルロー・ポンティは、〈相互主観性〉を第一義的に考えたとき、そして「私は自分自身を他人から借りてきている」と言い得た時、そこに彼の倫理の現実化を見出すことができるとしても、そのことによって、(私)から解放されている。したがって、〈にもかかわらず)の問題からも解放されている。【註】

【註】
 メルロー・ポンティの死に際して書かれた『生きているメルロー・ポンテイ』の中でサルトルは次のように言っている。

《彼は間違いを犯したと思った瞬間に政治を棄てた。毅然として。しかし、有罪の身となって。彼はそれでも生きようとし、自閉した。(傍点引用者)》(『シチュアシオンⅣ』平井訳 p.203)
《えらばねばならぬ瞬間が来たとき、彼は自己に忠実でありつづけ、統一が見失われてしまった後にも生き残らぬように自沈してしまった。(傍点引用者)》(同上 p.214)

 またサルトルはこうも言う。
《彼はニューヨークでエレベーターボーイになるというのだ。気の重くなる冗談だった。それは自殺の表現だったから。》(同上 p、201)

 決して冗談などではなく本気だったのだと思う。ここにサルトルとの違いがある。メルロー・ポンティという人格に備わった倫理性がある。

第三節 根源の倫理性

《その日、体操の時間に、その生徒(姓はいま記憶してはゐませんが、名は竹一といったかと覚えてゐます)その竹一はれいに依って見学、自分たちは鉄棒の練習をさせられてゐました。自分はわざとできるだけ厳粛な顔をして、鉄棒めがけて、えいっと叫んで飛び、そのまま幅飛びのやうに前方へ飛んでしまって、砂地にドスンと尻餅をつきました。果たして皆の大笑いになり、自分も苦笑しながら起き上がってゐると、いつそこへ来てゐたのか、竹一が自分の背中をつつき、低い声でかう囁きました。「ワザ、ワザ。」自分は震撼しました。ワザと失敗したといふ事を、人もあらうに、竹一に見破られるとは全く思ひも掛けない事でした。自分は世界が一瞬にして地獄の業火に包まれて燃え上がるのを見るやうな心地がして、わあっ!と叫んで発狂しさうな気配を必死の力で抑えました。それからの日々の不安と恐怖。》(太宰治『人間失格』第一の手記)

 われわれは、〈対自〉としての私が他者の中で生きてゆこうとする時、その私が他者からはわからないということへの不安あるいは不満がある一方、逆に、他者が誰にもわからないつもりの〈対自〉としての私に侵入してきたと自覚される時、また別の切実さをもって、他者が問題になる。太宰治の『人間失格』は、その問題において切実である。主人公は、〈対自〉としての私と〈対他〉としての私の裂け目で苦悩する。われわれはそこに、掛け値のない〈やさしさ〉を、しかしまたその一方で、鼻持ちならない〈傲慢さ〉を見出す。そしておそらく、〈やさしさ〉と〈傲慢さ〉とは、自らに〈やさしさ〉を自覚した時、傲慢であり、自らに〈傲慢さ〉を自覚した時、やさしい。そこに果てしのない、それゆえどこかでふんぎりをつけて開き直らねば生きてゆけない、人間存在のもつ苦悩がある。そしてその果てしのない苦悩を強いるものこそが、人間存在の根源にある〈倫理性〉というべきなのかもしれない、と今の私には言える。                
 とすると、今の私はどこにいるのか?

◎メルロー・ポンティの引用著作

・“Phènomènologie de la perception”               Gallimard
・『知覚の現象学Ⅰ』(P.p.p.232まで) 竹内芳郎・小木貞孝訳   みすず書房
・『行動の構造』              滝浦静雄・木田元訳    みすず書房
・『シーニュ2』              竹内芳郎監訳       みすず書房
・『眼と精神』               滝浦静雄・木田元訳    みすず書房

◎メルロー・ポンティ略年譜

1908  3月14日、フランスに誕生。
1926  エコール・ノルマル・シュペリュール入学、サルトルらと知り合う。
1942  『行動の横造』初版発行。
1945  『知覚の現象学』発行。『行動の構造』『知覚の現象学』で学位。
    サルトルらと雑誌「レ・タン・モデルヌ」創刊。
1949  パリ大学文学部教授(心理学・教育学)。
1952  コレージュ・ドウ・フランス教授。
1961  5月3日、パリの自宅で急逝。53歳。

   *   *   *   *   *

最後のところはなんだか思わせぶりな言い方で嫌味ですが、二十代前半のものということでご理解ください。最後までお読みいただいた方、恐縮です。ありがとうございました。

(正気煥発板からの転載おわり)

このブログは正気煥発板等での昔の議論を引っ張り出しておくのに便利だなと思い始めています。


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めい

山﨑行太郎の政治ブログ

2010-02-01
■存在論としての国体論ー「日本保守主義研究会」の勉強会に参加。

先週は、「月刊日本」主宰の「佐藤優講演会」(金曜日、明治記念館)につづいて、「日本保守主義研究会」主宰の勉強会(土曜日、早大学生会館)に参加。珍しく多忙な日々であったが、充実した日々でもあった。「佐藤優講演会」では、佐藤優氏の講演テーマは「天皇論」であったが、鳩山由紀夫論、小沢一郎論、そして「月刊日本」二月号での小生との対談「国家の主人は誰か?」等が話題になったため、予定外ではあったが、急遽、僕も飛び入り参加する形で登壇する。最近、台頭しつつある「女系天皇」批判や「国体論」などを、佐藤氏の対談というスタイルで話す。最近の右翼・保守論壇の空洞化と地盤沈下は、論争や対立、つまり相互批判を回避する「全員一致の言説のイデオロギー化」にあると考える小生としては、異論・反論を覚悟の上での、かなり論争的な話題に踏み込むことになったかもしれない。翌日の「日本保守主義研究会」の勉強会では、「外国人参政権研究」(早瀬善彦、京大大学院博士課程)、「保守論壇分析」(平田氏)に続いて、『国体の本義』、および小林秀雄や本居宣長などをめぐる「存在論としての国体論」等について話す。最近、佐藤優氏の近著『日本国家の真髄』を読み始め、あらためて自分の無知を恥じつつ、ⅠページⅠページを熟読玩味しているところだが、教えられることが多く、「ああ、そうだったのか…」と自覚することが少なくない。「存在論としての国体論」という発想も、佐藤氏の著作にヒントを得て、僕なりの「国体論」をイメージしたものである。僕が、以前から主張している「イデオロギーから存在論へ」というテーマに添って言い換えるならば、それは、「イデオロギーから国体論へ」ということも出来る。小林秀雄や福田恒存、あるいは江藤淳、三島由紀夫のような思想家に「存在論的思考」があるということは、同時に「国体論的思考」があるということである。同じことだが、ドストエフスキーやニーチェの思考の根底にには、それぞれロシアの国体論、あるいはドイツの国体論、あるいはヨーロッパの国体論があるということだ。存在論や国体論とは、フロイドのいう「無意識」、あるいはユングのいう「集合的無意識」、つまり無意識という存在の暗部にまで根を下ろした思考のことである。本居宣長の「もののあはれを知る」論や「やまとごころ」論もまた、その意味するところはおなじであって、つまり知識や教養という新しい知(科学)を振りかざして、物事の認識に際して、論理的整合性にのみ固執し、勝手な合理主義的解釈に耽る「からごころ」的な物の考え方を排して、フッサール現象学にも通じるような、いわゆる「事象そのものを捉える」、「物事そのものを、あるがままに認識する」ということである。「物のあはれ」論は、矛盾している場合にはその矛盾をも素直に受け入れるような柔軟な思考であり、そう思われているかもしれないが、いわゆる独断的な観念論ではなく、つまり決して科学的精神と矛盾するものではなく、むしろもっとも科学的精神に近いというべきだろう。もちろん、科学的と科学主義は同じではない。啓蒙主義としての科学は科学主義というイデオロギーだが、最先端の科学者の思考は、決して科学主義的ではない。


by めい (2010-02-01 23:13) 

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